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木馬のお店

作者: 文月聖二

 第一章 木馬のお店。出会い。


「じゃあ、また明日」

「ああ、バイバイ」

 学校帰り、いつもの交差点で、友達と別れた宅也は、はやる気持ちを押さえきれずに走り出しました。目指しているのは、あるスーパーマーケット。家までの道は遠回りになるけれど、いまの宅也には、そんなことは関係なし。

 広い通りに面した駐車場の奥に、そのスーパーは、建っていました。普通のお店とは、ちょっと違うモダンな外観。茶系のレンガタイルと、大きな曲線を描くガラス張りの外壁とのバランスが見事で、まるでヨーロッパのお店を思い起こさせる、しゃれた建物です。

 中に入ると、品揃えも他の店にはない、輸入品やちょっと高級な食材などを多く扱っているので、土日以外はお客さんも少なく、天井の高い店内は、いつも涼やかで気持ちがよく、気がきれいというのでしょうか、まるで高原にいるかのように空気が澄んで、よい香りがします。そのせいかお客さんもみんな落ち着いて買い物をしているので、時間もゆっくりすぎているようで、なんとも優雅な感じがするのでした。

 宅也は、その店に駆け込むと一直線にあるひとつの陳列棚に向かい立ち止まりました。輸入品のチーズなど、数々の乳製品やハム、ウインナーなどが、おしゃれに並べられています。

 しかし、宅也のお目当ては、高さ一・五mほどの陳列棚の上にありました。そこには木馬が飾られているのです。おそらく店主が、どこか外国に仕入れに行った際、見つけて店に飾ったのでしょう。

 宅也は、この木馬に会うため、毎日この店に通っているのです。木馬は一見、トルコ風にも思えましたが、宅也が見たこともない装飾が、鞍の部分にほどこされ。異国情緒あふれるもので、傷みなどはほとんどありませんが、二、三百年以上前に作られた物に違いないと、宅也は思っていました。

 そして、なによりも宅也をひきつけたのが、一点を見つめる木馬のりりしさと、その圧倒的な存在感です。よく人間も体の廻りに、普通の人には見えない。オーラという光があるといいます。そのオーラが木馬から強く出ているのに宅也は気づいたのです。

 宅也は、いつものように木馬の前や横を見て、そして心の中で問いかけます。

「君はどこから来たの」

「君はただの木馬じゃないね」

 すると、決まって涼しい風が宅也の頬を撫でるのです。この風の心地よさといったらありません。宅也は自分の問いかけに、なにか木馬が、こたえてくれたものと信じています。

「じゃあ、また明日来るからね」

 宅也は、心の中でそう言うと、なんだか、スーッとした心地よい気持ちで、家路へと向かうのでした。


 そんなある日、いつものように宅也が木馬の前に立って見上げていると、陳列棚の裏側で、小さな声が聞こえてきました。

「木馬さん、今日も・・・」

 ささやくような声は、それ以上は聞き取れませんでしたが、どうも女の子の声のようです。宅也は気になって、陳列棚の裏側に廻ってみました。すると、女の子が木馬に向かい、目を閉じて、小声で何かを呟いていました。

 宅也は、その様子を気づかれないように、そっと見ていましたが、突然、その女の子が宅也の方に向き、そして二人の目が合いました。

「あっ。君は」

 宅也は思わず声をあげました。その女の子は、宅也の隣のクラスの子だったからです。

「こんにちは」

 その女の子は落ち着いて頭をさげました。

「あなたは、お買い物?」

「いや、ぼくは・・・」

 宅也は言葉をつまらせました。木馬に会いに来たなどと言って、不審に思われたくなかったからです。女の子は、宅也に近づきながら、

「わたし、琴吹芹奈。あなたは、B組の確か・・・斉藤・・・」

「宅也です」

 宅也は胸を張って答えました。

「君は、買い物かい?」

「いいえ。わたしはこの木馬に会いに来たの」

 芹奈のこの言葉に宅也は驚きました。自分と同じく、この木馬に会いに来ていた人がいるなど思ってもみなかったからです。

「君もなの。実はぼくもこの木馬に会いに来たんだ」

 二人はにっこりと微笑み合いました。しかし、その時、

「芹奈あ。芹奈あ」

 と呼ぶ声がしました。

「ああ。おばあちゃんが車で迎えに来たわ。おばあちゃんはせっかちだから、すぐいかないと。それじゃあ、宅也君。またゆっくりお話しましょうね」

 そう言い残すと、芹奈は小走りにスーパーから出て行きました。

 宅也は、他の人に気づかれないように、木馬に向かって頭を下げると、店を出ました。


 


 第二章 放課後。


 体育の授業。宅也はため息をつきました。

----ああ。体育か。いやだなあ。

 そう思いながら、体操服に着がえていると、クラスの誰かが言いました。

「今日は、隣のクラスと合同でドッジボールだって。おれ、あの球技は苦手なんだよなあ」

 宅也もひとり、相づちを打ちました。

----ドッジボールか、気が重いなあ。

「よーし。今日は俺の魔球で全員当ててやる」

「ふん、おまえなんかに、やられてたまるか」

 皆、がやがやと好きかってなことを言いながら、着がえをすました順に、運動場へと飛び出していきます。

 秋らしい青い空。宅也は空を見上げて、

----なんだかもったいないなあ。こんなきれいな空を見上げている方が、よっぽど気持ちがいいのに・・・。

 そう思うと、体の力が抜けてよけいに気が乗らなくなりました。視線を落とすと、隣のクラスの中に芹奈の姿がありました。

----ああ。琴吹さんだ。いやだなあ。ぼくのへたなドッジボールを見られちゃうよ。

 芹奈も宅也に気づいたようです。宅也の方を向いて軽く頭を下げながら、友だちとボールでパスの練習をしています。

----琴吹さんは、うまそうだな。

 さあ、試合が始まりました。男女別々のコートで、隣のクラスと対戦です。宅也は飛んでくるボールから必死で逃げます。

 友だちの中で上手な子は、ボールを受け止め相手コートに投げ返しますが、宅也はそんな器用なことはできず、ただ逃げるのみです。

 案の定、宅也は狙われだしました。もう、こうなると逃げきれません。ボールを当てられ、コートの外の外野です。しかし、外野でも宅也はボールを内野の人めがけて当てるほどの強いボールが投げられないので、なすすべがありません。横の友だちにボールをまかせ、自分はもう半分試合放棄状態で、ちらちらと女子のコートを見ていました。

----琴吹さんは、うまいなあ。

 芹奈は、運動神経が良いらしく、ボールを受け止めては相手を狙い打ちしています。

 宅也が見るところ、彼女は活発でさっぱりとした性格に思えました。

 ピッピー。

 先生の笛が試合終了を告げ、第二試合となります。結局、三試合で授業終了となり、宅也はほっとしました。とぼとぼ下を向いて歩く宅也。ふと顔を上げると、芹奈が前から歩いてきました。かっこう悪い試合を見られたかと思い、下を向いて気づかぬふりをしようとした宅也でしたが、すれ違いざまに、

「斉藤君。放課後。藤棚の下に来て」

 芹奈は小声でそう言うと、走り去って行きました。

----なんの用だろう。

 宅也は振り返って、芹奈の走り去る姿を見送りました。


 放課後。

 宅也は、藤棚へと向かいました。藤棚はグランドの端にあり、下にはコンクリート製のベンチが、長方形に配置され、春の藤が満開の頃には、みんながよく利用する場所ですが、今の季節は、ほとんど人けはありません。

 藤棚の下では、約束通り芹奈が待っていました。

「斉藤君。こんにちは」

「こんにちは、琴吹さん」

 短いあいさつの後、二人は並んでベンチに腰かけました。

「今日、来てもらったのは、この前お店で会ったことなんだけど、斉藤君は、あの木馬を見に来たって言ってたから。気になって。何度も木馬を見に行ってるの?」

「ああ。何度と言うより、最近は、毎日見に行ってるんだ」

 宅也の言葉を芹奈は、うなずきながら聞いています。

「琴吹さんは、どう?」

「わたしは、毎日ではないけど。週に二、三回ってとこかしら・・・」

 芹奈がそう答えた時、二、三人の男子生徒が藤棚の前をがやがやと、笑いながら通りすぎ、芹奈はその子たちが、遠くなるまで待ってから、宅也に問いかけました

「どうして木馬に会いに行くの?よっぽど気に入ったの?」

 宅也は少し目を伏せました。芹奈にどう言ったらよいか迷っていました。へんに誤解されたくなかったので、絵を描きたかったとか、なんとか、ごまかそうと思いましたが、頭の中で正直に言わなければという思いが強く沸き上がり、宅也は思い切って話しだしました。

「ぼくは、あの木馬はただの木馬じゃないと思っている。それが何かはわからない。ただ、心の中で木馬に話しかけると、必ず涼しい風が吹くんだ。そして、とっても心地よくなるんだ。それに・・・」

 ここで宅也は芹奈の様子をちらっとうかがいました。芹奈は真剣な顔で宅也を見ています。宅也は安心して続けました。

「すごく強いオーラがあの木馬から出ているのを感じるんだ・・・」

 宅也はここで、口をつぐみました。木馬から感じていることをどう言葉にすれば良いかわからなかったからです。少しの沈黙の後、芹奈が言いました。

「わかるわ、わたし。わたしもどう言ったらいいのか・・・何か特別なものをあの木馬から感じているから。それに心の中で話しかけるのも同じ。わたしの場合は、風だけじゃなく、インスピレーションみたいなものが頭に浮かぶわ。ほんのかすかだけれど、言葉みたいなのが聞こえる時もあるわ」

 宅也は驚きました。自分と同じように木馬に接している人がいる。やはり、気のせいじゃない。宅也はうれしくなってきました。

「それと・・・」

 芹奈は言葉を選びながら続けます。

「夢なんだけど。斉藤君は夢に木馬が出てきたことはある?」

 宅也はもうリラックスしながら答えます。

「うん。あるよ。二、三回だけどね」

 芹奈の目が輝きました。

「どんな夢?木馬は話しかけたりした?」

「いや、そんなにはっきりした夢じゃない。ただ、空中で木馬が輪のような、オーラだと思うけど。虹色の光を放ちながら、こっちを見つめているだけの夢だよ」

「そう。それって、わたしの初めの頃の夢と同じだわ」

 芹奈は少し考えた後に続けました。

「わたしの場合は、もう毎晩、木馬が出てくるの。そして、話しかけてくるのよ。と言っても、口を使ってじゃなく、テレパシーのようなもので、直接、頭の中に言葉が入ってくると言えばいいかしら」

 宅也は興味しんしんでたずねます。

「木馬はなんていったの?」

「それが・・・。意味がわからないの。『もうすぐ旅が始まる』って言うの。同じことを何度も。わたし、なんの旅なのかわからなくて。質問しても答えてくれないし」

 宅也も首をひねりました。

----旅ってなんのことだろう。

 ここで、二人は押し黙ってしまいました。二人とも検討がつかなかったのです。

「わあ。もう、こんな時間!」

 突然、芹奈が叫びました。

「わたし、今日塾の日なの。もう行かないと」

 芹奈はあわてて立ち上がると、

「今日はごめんね。でも、自分と同じことを感じている人がいると知って、うれしかった。斉藤君。いえ、宅也君と呼んでいいかしら。わたしのことも芹奈って呼んでね。それから、今度一緒に木馬に会いに行きましょう。約束ね。じゃまた宅也君」

 芹奈はそう言い残すと、走って校門から出て行きました。宅也は芹奈の姿が見えなくなるまで、立って見送っていましたが、ベンチに座り直しました。

----芹奈ちゃんか。いい名だな。それにしても旅ってなんだろう。

 しばらく考えて、なにも思いつかず、宅也は下校しました。木馬に会いに行こうかとも思いましたが、今日は行く気にはなれなかったので。家に帰ることにしました。 




 第三章 二人の願い。


 藤棚の下で話をしてから、十日程が過ぎていました。宅也と芹奈は、学校帰りに待ち合わせ、木馬のあるスーパーへと向かいました。

「芹奈さん。あれから、ぼくも木馬の夢を見たんだ。君の言った通りだった。頭の中に直接、言葉が入って来たんだ。『もうすぐ旅が始まる』確かにそう言ったよ」

 芹奈は宅也を見上げ、

「他に、木馬は何か言った?」

「いや、君と同じ。それだけさ」

 芹奈は、ため息をつきました。

「がっかりすることはないさ。そのために、今日は二人で木馬に会いに行くんだから。なぜか二人の力を合わせれば、木馬の声を聞く力がもっと強くなるような気がするんだ」

 芹奈をなぐさめるためではありません。宅也は本心から芹奈と協力しなければと思っていました。

 スーパーが見えてきました。自動ドアの前で、二人は深呼吸をして息を整えました。

「じゃあ、行くよ」

 宅也が先に入り、芹奈も後に続きました。そして、二人はレジと反対側の人の少ない方に廻って木馬の前に立ちました。幸い客数は少なく、不審がられる心配もないようです。

 木馬のオーラはいつもに増して強く、二人が来るのを待っていたようでした。二人は、どちらともなく目で合図をすると、木馬の前で目を閉じ、木馬に意識を集中しました。五分程すると、普通の人には見えない木馬のオーラが七色に輝きながら強さを増し、大きく広がって、宅也と芹奈を包みました。

 目を閉じている宅也と芹奈は、何とも言えない心地よさと、まぶたの裏で七色の強い光を感じていました。すると、夢の中よりはっきりと頭の中で力強い声がしました。

「宅也、そして芹奈。よく来た。わたしの名はタロス。遠い星から時空を越えて送られてきたもの。さあ、願い事をしなさい。わたしは、わたしのテレパシーを受け取った者の願いをかなえるために作られたのだから」

 二人は目を開いて、顔を見合せました。そして、廻りに人がいないことを確認すると、どちららからともなく両手を合わせ、目を閉じました。

 数分経ったでしょうか。二人には、長い長い時間に感じられました。タロスのオーラに包まれると、時間を自在にコントロールできるようです。二人は、店員や他の客に気づかれることなく祈りを終え、目を開きました。木馬のオーラが小さくなるとともに、七色の光も弱くなっていきます。ただ、一点を見つめる木馬の目のりりしさと、圧倒的な存在感が、願いが通じたことを知らせているように、宅也と芹奈には思えたのです。

「今日は、もう帰った方がいいみたいね」

 芹奈の言葉に宅也は頷き、二人は木馬、いえタロスに一礼すると、その場を後にしました。 


 スーパーの近くに小さな公園がありました。二人はベンチに並んで腰をかけると、芹奈が口を開きました。

「ねえ。聞こえた?タロスだって。遠い星から時空を越えて送られてきたものだって」

 宅也はよく晴れた空をながめながら答えます。

「ああ、はっきりと聞こえた。この空のはるか彼方から来たのか。なんだか、まだ実感がわかないなあ」

「素敵ねえ」

「素敵だなあ」

 二人はしばらく黙って空を見上げていましたが、自分たちに起こった不思議な出来事に少し興奮していました。

 こんどは宅也が口を開きました。

「芹奈さんの願い事ってなんだったの」

 芹奈は逆に質問します。

「宅也さんのを先に教えてよ。そうしたら、わたしのも教えてあげる」

 宅也は両手を太ももにはさみ、体をゆすりながら、ポツリポツリと話しだしました。

「中学に入ってからなんだけど、夢が持てないって言うのかな。まわりの大人やテレビを見ていて感じるのは、大人になって、ぼく一人なんかが何をしたところで、どうせ、たかが知れていると思うようになったんだ。すると、授業も勉強も何もかもが色あせて見えてきて、やる気がなくなったんだ。でも、ぼくが知らない何か価値ある生き方があるのかどうか教えてほしいと願ったんだ」

 芹奈は宅也の横顔をじっと見つめて聞いていました。

「そう。そんな風に考えてたの。なんだかわかる気がするわ」

「さあ、今度は芹奈さんの番だよ」

 宅也は、わざと明るい声で言いました。

「わたしは、おじいちゃんのこと。母が病気で入院中なの。でも心配しないで、もうだいぶ回復しているから。ただ、わたしはそれで、おじいちゃんとおばあちゃんの家に預けられているの。おばあちゃんは問題ないんだけど。おじいちゃんがね」

 芹奈はここで、ため息をつくと続けました。

「おじいちゃんは、わたしが小さい頃は、なんでも知ってて、なんにでも興味がある積極的で、行動的な人だったの。遊びに行くと決まってわたしの手をひいて、遊園地や動物園にも連れて行ってくれたし、なんでも教えてくれた。つい五、六年前まではね。ところが、だんだん動きたがらなくなって、その頃から心を閉ざしているっていうのかな。外出もしないし、話しかけても聞いていないようだし。心配になって、おばあちゃんに聞いてみたの。おばあちゃんが言うには、仕事を退職したころから元気がないみたい。男の人って、年をとると、みんなあんな感じになるのかな。わたしは、おじいちゃんに昔のように、はつらつとしていてほしいの。だから、そう願ったの」

 宅也も黙って、芹奈の話を聞いていましたが、

「おじいちゃんが元気になればいいね」

 としか言いようがありませんでした。

 少しの沈黙の後、芹奈が立ち上がり、大きく背伸びをして言いました。

「まあ、いいか。タロスに願いが通じてさえいれば全て解決するかも」

 宅也も立ち上がりました。

「芹奈さんの言うとおり、願いが通じてさえいればね」

 二人は並んで歩き出しました。

 もう、夕焼け空となっていました。

 この時の二人は、タロスの大いなる時空を超えた力のことなど、全く知らずにいたのです。




 第四章 夜。時空を超えた旅立ち。


 芹奈と別れた後も、宅也の興奮はおさまりませんでした。木馬のはっきりとした言葉が頭の中にこびりついています。

----タロス。あの木馬は、きっと宇宙人が作ったんだ。その星ってどんな所だろう。地球より、ずっと科学が進んでいるんだろうな。

 宅也の想像は、際限なく続きます。

「宅也、どうしたのボーッとして」

 夕食の席で、宅也はおかあさんに、たしなめられましたが、

「うううん。なんでもないよ。ちょっと考え事をしていただけだよ」

 と、ごまかしました。今のところ木馬のことは、芹奈と自分だけの秘密にしていた方がよいと思ったからです。

「ごちそうさま」

「もういいの。ご飯のおかわりは・・・」

「今日はいいや。もうお腹いっぱいだ」

 そう言って、宅也は二階の自室に入り、ベッドに寝ころびました。

----本当に、願いはかなうんだろうか。芹奈さんはどう思っているのだろう。

----それにしても、タロスのあの存在感は普通じゃない。やっぱり大丈夫か。

 いつしか家族のみんなは、眠ったようです。しかし、宅也は、いろんな考えが次々と浮かび、ますます目が冴えて眠れません。

 その時、突然、窓を閉めているのに、カーテンが大きく揺れました。そして、窓がガタガタと大きな音をたてました。

----何かが部屋に入ってきた!

 宅也はそのエネルギーの大きさに驚きました。そして、空間にエネルギーの渦ができはじめたことに気づき、飛び起きました。

 渦は七色の光を放ちはじめました。宅也はもう怖くはありませんでした。その光からは暖かいエネルギーが感じられたからです。

 七色の光はゆっくりと渦を巻きながら、光が集まりだして結晶化し、ぼんやりと馬の形の輪郭が見えだすと、空間に浮かぶ七色の木馬となりました。

「タロス。来てくれたんだね」

 木馬は閉じられていた目をゆっくりと開くとテレパシーで、宅也に話しかけました。

「やあ、宅也。わたしのテレパシーを受け取った者よ。そなたの願いは確かに聞いた。一人の力など知れている。それが本当かどうかだな。言葉でその答えを告げることはできるが、本当に理解することはできない」

「では、どうすればいいのですか」

 宅也の質問にタロスは答えます。

「それには体験が必要だ。そして、心で感じることが必要だ」

 タロスは宅也をまっすぐ見つめながら続けます。

「その体験をするには、時空を超えた旅が必要だ。わたしの背に乗りさえすれば、遠い宇宙の星に行くこともできるし、人の心の中に入ることさえできる。さあ、宅也、旅のしたくをしなさい。何も持たなくてもよい。外出着に着がえるのだ」

 宅也は驚きました。まさかこんなことになるとは、思ってもみなかったからです。

「ちょっと待ってください。旅って、どのくらいかかるのですか。突然いなくなって、家族が心配するのは困ります」

 タロスはうなづきながら答えます。

「わたしは、時空を自在に旅する者。たとえ旅の間、幾週間の時間が過ぎても、今日の夜のうちに帰って来ることができる。何も心配することはない」

 宅也は、芹奈のことを思い出しました。

「芹奈さんは?彼女はどうするんです」

 タロスは根気よく答えます。

「芹奈の所には、ここに来る前に行ってきたのだ。彼女は二つ返事で了解した。いまごろは着がえをすませているころだ。では、芹奈を先に連れて来よう。宅也、その間に準備をしなさい」

 そう言うと、七色に光っているタロスの全身から、七色の光の粉が吹き出しました。そして、その粉が渦を巻きだすとタロスの輪郭がぼやけだし、その姿は完全に消え、後に残った光の渦もくずれ、ちょうど花火が消えていくように光の粉も消え去りました。

----まさか今すぐなんて・・・。

 宅也は唖然としていました。

----あの調子なら、すぐに帰ってくるぞ。

 宅也は急いでパジャマを脱ぎ、洋服ダンスの戸を開けました。迷っているひまはありません。ジョギングなどや、軽い登山に行く時用の服装にあわてて着がえました。そして、ドアを開け、廊下を通り、音をたてずに階段を降りると、玄関の下足箱から、ウォーキングシューズを取り出すと、部屋へ戻りました。

 ドアを開けると、もう空間に渦ができ始めていました。

 やがて、光が結晶化し、木馬が姿を現すと、その背には芹奈が乗っていました。

「宅也君、タロスを信じて一緒に行きましょう。時空を超えた旅に」

 宅也は芹奈にそううながされると、決心がつきました。

「さあ、二人ともゆったり乗れるように」

 そう言うと、タロスの体が大きくなり、芹奈の後ろに人ひとりが、じゅうぶんに乗れるゆとりができ、宅也は芹奈に手を引かれ、木馬に乗り込みました。虹色の光に包まれると、何とも言えない暖かさを感じ、さっきまでの迷いがうそのように消えていきました。

 光の粉が渦を巻きだし、三人は時空を超えた旅にでたのです。




 第五章 人の住まない城。


「さあ、しっかりつかまって。まあ落ちることはないのだが」

 タロスの声とともに、三人は虹色の光の渦が作りだした時空を越えるトンネルを猛烈なスピードで進みます。芹奈も宅也も木馬の長く伸びた、たてがみをしっかりつかんでいます。

 長いように感じられましたが、わずか数秒のことでしょう。トンネルの出口の渦が見えてきました。外へ出ると、三人は夜の空に浮いていました。タロスが言います。

「今夜、旅するのは、全て芹奈の願いのためのものだ。そして、それは芹奈のおじいさんの心の中の世界だ。宅也も一緒なのは、将来、宅也がおじいさんと同じあやまちを繰り返さないよう学ぶためだ」

 タロスはゆっくりと、らせんを描いて降りていきます。二人はまだ、たてがみにしがみついて目を閉じています。木馬はゆっくりと地面に降り立ちました。

「さあ、着いたぞ。これが『人の住まない城』と呼ばれている所だ。これも、芹奈のおじいさんの心の一つの状態が作り出した世界だ。時間に制限はない。二人とも納得がいくまで、この城を見て回りなさい」

 そう言うと、タロスは渦の中へと消え去りました。

 見上げると、巨大な城。その前は、長方形の池になっていて、高さ一メートルほどの噴水が十ヶ所ほど、池の中央に並んでいます。池に沿っての石畳の通路のわきには、たいまつが灯され、城へと続いています。他にも、あちらこちらに配された、たいまつの光によって城は照らし出され、その全体が明らかにされています。

「とにかく行ってみよう」

 宅也はそう言うと、自然と芹奈と手をつなぎ、城へと歩き出しました。池のわきの通路を行くと、噴水のザーッという水音と、パチパチというたいまつが燃える音以外には、なにも聞こえません。人の気配がまったくしないのです。

 近づいて見上げると、城は三つの三角屋根を持った中世のヨーロッパの城を思わせるものです。外壁の全てが石造りで、高さは十階建てのビルぐらいでしょうか、そして一つ一つ、ていねいな装飾が見事にほどこされた窓から明るい光がもれ、石の壁にも花柄ともなんともいえない変わったデザインが彫り込まれていて、幻想的な雰囲気をかもしだしています。

「美しくて立派なお城ね」

「ああ、こんな豪華なものは見たことがないよ」

 芹奈と宅也は城の正面に立つと、圧倒されてため息をつきました。

「タロスは、人の住まない城って言ってたけど、ほんとうに誰もいないのかな」

 宅也はそう言うと、芹奈はそれには答えず、開け放たれた城の入口から中に向かって、大声で呼びかけました。

「こんばんはー。誰かいませんかー」

 芹奈の声は、城の中で幾度も反響しました。二人はそのまま誰かが応えてくれるまで待っていました。しかし、いつまでたっても返事はありません。二人は顔を見合せました。城の入口は高く、頑丈そうな木の扉には、無数の文様が彫り込まれています。芹奈が宅也の手をしっかりとにぎります。宅也はそれに応えて、

「誰かいませんかー」

 と大声を出しながら、芹奈の手を引いて、入口から城の中へ一歩踏み出しました。

 中へ入るとそこはホールになっていました。二階まで吹き抜けた高い天井。壁づたいに曲線を描く階段が、左右対称に設けられ、階段の手すりには、凝ったデザインがなされていました。

 玄関から続く、二本対になった大理石の列柱の一つ一つに、たいまつが灯され、はるか廊下の奥まで続いていました。その光に照らされて中はけっこう明るく、床の大理石の複雑な紋様や壁の石にほどこされた彫刻を幻想的に照らしていました。

 二人は、おそるおそる進んで行きました。ホールを抜けると廊下をはさんで、左右に幾つもの部屋が並んでいました。そして、全ての扉が開け放たれ、また全ての部屋に明りが灯り、まるで誰かに見られたいと城自体が望んでいるように思えました。

「誰かいませんかー」

 時々、宅也は呼びかけながら、芹奈の手を引いて各部屋をのぞきます。どの部屋も一つ一つ別々でありながら、豪華な作りになっていました。壁という壁には、絵師による見事な壁画がほどこされ、舞踏会に使われるような鏡を張ったきらびやかな部屋もあります。

 長い廊下を抜けると、大きなホールに出ました。突き当たりは半円形の舞台のようになっています。そして、正面の壁には巨大な旗が赤と青の二枚飾られ、その前には宝石を散りばめた椅子が二脚置かれています。

「王と王妃が座る玉座のようだね」

 宅也が言うと、芹奈はうなづきます。

「でも、なぜ誰もいないのかしら」

 宅也も首をかしげています。

「とにかく、できるだけ見てみよう」

 宅也は、ホールの左右に設けられた階段を指さして言いました。

 階段を上がると、二階にも多くの部屋がありました。一階に比べると小部屋が多くありましたが、やはりどこにも人の姿がないのに、明りだけが灯されています。

 塔の上へと続くらせん階段がありました。

「おーい。誰かいないかー」

 宅也はその階段から呼びかけましたが、声が反響するだけで、応答はありません。

 宅也と芹奈の二人は、ほぼ城の全てを見て廻りました。どこも美しい彫刻や斬新なデザインがほどこされていましたが、人の気配は全くありません。二人は一階に降りて、玉座に座りました。

「なんだか寂しいわ」

 芹奈がそう言い、宅也がこたえます。

「ほんとうに美しい城なのに人がいないとこうも落ち着かないものなんだね」

 そして、緊張したまま広い城の中を見て廻った疲れからか、

「なんだかお腹が空いたなあ」

 宅也がなにげなくそう言うと、不思議なことがおきました。宅也と芹奈の前にこつぜんと立派なテーブルが現れたのです。そして、その上には、二人が見たこともないごちそうが並んでいました。二人はしばらく、ぼうぜんとしていましたが、いい香りが食欲をそそります。 

「もう、がまんできない。食べよう」

 そう宅也が言うと、二人はいっせいに、ごちそうを食べ出しました。

「これ、すごくおいしい」

「ほんと、こんなおいしいもの、わたし初めて」

 二人は、城中を歩いたため、空腹だったので、ごちそうをすっかりたいらげました。すると、どうでしょう。食べ終わった食器などがスーッと消え、また別の食事が現れたのです。二人はそれもたいらげました。すると、また新しい食事がいかにもおいしそうな湯気をたてて現れます。三度目の食事を食べた後、

「もう、お腹いっぱいだわ」

 芹奈がそう言うと宅也も、

「もう、食べられない。ごちそうさま」

 誰に言うともなくそう言うと、食事はテーブルとともに、たちまち消えてなくなりました。二人は玉座に深々と座り込んでしまいました。

 お腹がいっぱいになると、宅也と芹奈は急な眠気におそわれました。二人はいつしか深い眠りに落ちました。

 宅也はすぐに夢を見ました。自分の意識だけが宙に浮いている感じです。だんだんと景色が見えだしました。時刻は昼過ぎでしょうか、眼下に森が見え、その中心に建物が庭園に囲まれて建っています。

----さっきの城だ。

 宅也がそう思うと、瞬間的に宅也は地面から十メートルほどの高さまで降りていました。 庭園には、美しいドレスを着た婦人や、正装した男性たちが、散歩をしたり、ベンチに座って話をしたりしています。

 城は、日の光に照らされ、とても美しく、ほこらしげに建っています。

 城の中を多くの衛兵たちが出たり入ったりしています。宅也は城の中に入ってみました。中は窓からの光で明るく、豪華な装飾がいっそう美しく輝いて見えます。ホールから廊下を抜け、玉座のある奥のホールに出ました。 おおぜいの人が集まっていました。そして皆、

「王様、ばんざい」

「王妃様、ばんざい」

 と叫んでいます。宅也は玉座の方を見ました。王様は頭に宝石がキラキラと輝く王冠をかぶり、真紅のマントをはおっています。そして、王妃様は、きらびやかなドレスを着ています。

 宅也は、王様と王妃様の顔を見ようと、意識を近づけて驚がくしました。

 なんと、王様は宅也、そして王妃様は芹奈だったのです。

「うわあ」

 宅也は自分の叫び声で、目が覚めました。

「きゃあ」

 芹奈もそう叫んで目が覚めたのです。

 二人は、しばらく玉座に座ったまま、ぼんやりとしていました。

 宅也が話しはじめました。

「芹奈さん。ぼく、夢を見ていた。この城の昼の光景だった。たくさんの人が、きれいな衣服を身にまとって、玉座に座る王様と王妃様にばんざいって叫んでた。そして・・・」

 ここで芹奈が宅也をさえぎりました。

「待って。その王様と王妃様がわたしたちだったのでしょう」

 宅也と芹奈は顔を見合せました。

「このお城に来てから、どの場所にも明りが灯され、まるで誰かを待っているようだったじゃない。今、わたしたちが座っている玉座にも、きっと王と王妃が必要だったのよ」

 芹奈がそう言うと、二人は黙って考えはじめました。しばらくして、宅也が呟いた。

「人だ。どんなに立派な城を建てても、どんなに美しい装飾をほどこしても、それを見たり、使ったりする人がいなければ、それは城でも、彫刻でもない・・・」

 すると、うなずいていた芹奈が続けました。

「そう。その通りよ。城も庭園もなにもかも名前さえついていない。なんでもないものなのよ」

 そう芹奈が言った時です。目の前に虹色の光がきらめき、玉座も城も消えて、二人は虹色の光に包まれ、空中に浮いていました。

 そして、タロスの声がしました。

「芹奈、宅也。じゅうぶんに体験し、感じることができたようだな。先程も言ったが、これも芹奈のおじいさんの心の中の一部だ。おじいさんが作り出した自分を含めた人間を拒否した心の世界だ」

 二人は大きくうなずきました。すると、二人はもう木馬の背に乗っていました。そして、虹色の粉が渦を巻きだし、

「さあ、次の旅だ」

 タロスの言葉とともに、三人は光のトンネルへと入って行きました。




 第六章 砂漠の星祭り。


 タロスが現れたのは、やはり夜の空でした。

 二人はまだ虹色の光が残像として残り、なにも見えませんでしたが、目が慣れると、眼下には、はるかに砂漠が続いています。

 タロスはしばらくそのまま夜空を飛んでいます。

「きれいな星空ね」

「ああ、とってもきれいだ。よほど空気が澄んでいるんだな」

 芹奈と宅也が星空に気を取られていると、

「芹奈と宅也。下を見てみなさい」

 タロスが二人にそう告げ、二人が見おろすと、砂漠の中にオアシスがありました。それは、野球のグランドの二倍位の広さの池と、そのまわりを樹木が囲んだオアシスでした。 タロスは、その樹木の手前に降り立ちました。

「さあ着いた。今晩は砂漠の星祭だ。これも芹奈のおじいさんの心が作り出した一つの状態の世界だ。時間に制限はない。ゆっくりと祭りを楽しむがよい」

 タロスはそう言い残すと、渦の中へと消え去りました。

 宅也と芹奈は、池の方へ向かって、樹木の森に入って行きました。樹木はどれも見たことがないもので、まるで、サボテンと落葉樹のあいの子のように見えます。しばらく歩くと、樹木の森を抜け、空から見た池の前に出ました。

 池は水が澄んでいて、さざ波が星の光を受けて、キラキラと輝きます。

「とってもきれいよ」

 芹奈は水辺に駆け寄り、水を手ですくいあげています。宅也も芹奈にならって、水をすくい飲んでみました。

「うん。とってもおいしいよ」

 その時、遠くで太鼓の音がしました。対岸のようです。太鼓の合図とともに、あちらこちらに、かがり火が灯され、池の向こうには壁を砂で固めて作り、屋根は、なにか木の皮を積み重ねて作ったような家が十数軒ほど並んでいました。

 かがり火の灯が池にきらめく様子は、なんとも幻想的な美しい光景です。

「きれいだね」と宅也。

「ほんとう。美しいわね」と芹奈。

 太鼓に続いて、笛がメロディをかなでます。

 かがり火は、池に面して一列に並んでいます。またそれとは直角方向に二列のかがり火が、池から森を抜けているようです。

「芹奈さん。行ってみよう」

 宅也がそう言うと、芹奈が答えます。

「『さん』はもういいわ。芹奈って呼んで。そのかわり、わたしも宅也って呼ぶから。さあ、行きましょう」

 二人は池に沿って、まわって対岸を目指します。近づくと、あちらこちらにある、かがり火に照らされた家が立ち並んでいますが、どの家からも光は洩れていません。どの家も人はいないようです。

 対岸に到着すると、さっき二列に見えたかがり火は砂漠への道を照らし、両側には屋根だけを布で張ったテントが並んでいます。

「なにかお祭りの夜店のようだね」

「ほんと、なんだか懐かしいわ」

 宅也と芹奈はそう言いながら進みます。

「星祭りへようこそ」

「さあ、星祭りのはじまりだよ」

 と、テントの中から声がかかり、宅也と芹奈はいちいち頭を下げながら、ゆっくりと進みます。すると、二人の前に子供が立ちふさがりました。

「ちょっと、あんたたち、ここらで見ない顔やけど、旅行者かい」

 その子は、頭にターバン、腰巻きをして、腕組みをしていますが、まだどう見ても十才にはなっていないようです。

 宅也は、その子の、ませた様子に笑いをこらえながら答えます。

「その通りだ。ぼくたちは旅行者だよ。君はここの子かい」

 その子は相変わらず、ませた口調でいいました。

「そうさ、おいらは、このオアシスの村の子さ。村といっても十軒余り。全員合わせても二、三十人だがな。今夜は星祭りで、あちこちのオアシスから人が集まってこのにぎわいさ」

 こんどは、芹奈が笑いをこらえて答えます。

「ほんと、たいへんにぎやかなこと。素敵だわ」

 都会の祭りと比べれば、にぎやかどころか、ひっそりとしていると思っていた芹奈でしたが、この子の誇らしげな様子に気を使って言ったのです。

「ほめてもらうとうれしいや。お礼に案内ぐらいは、してやってもいいぜ。おいらチルルっていうんだ。あんたらは?」

「ぼくは宅也だよ。よろしくな」

「わたしは芹奈って言うのよ。よろしくね」

 その子はちょっと顔をしかめると、

「変な名だな。まあいいや。とにかくついてこいよ」

 三人は、チルルを先頭に道の両側に並んだテントの店を見ながら進みます。

「この店は、ここのオアシスの者がやっている店と、他のオアシスから来た者がやっている店とがあるんだ。できるだけ、ここの者の店がいいぜ。他のは、商売人で、インチキな商品も多いからな」

 宅也と芹奈はなるほどと思いました。

「じゃあ、どうやって見分ければいいんだい」

 チルルは答えます。

「うん、テントに星のマークがついていればこのオアシスの店だ。だけど、おいらの言うとおりにすればもっと確実だぜ。なにがほしいんだい?」

 宅也はのどが乾いていました。

「とりあえず、飲み物かな」

 するとチルルは駆け出しました。そして、ある店の前で止まると手を振りました。

「おーい。こっちだよ」

 宅也と芹奈も小走りで追いつきます。

「コケアのジュースだ。この森の木の実から作ったものだぜ。すごくうまいんだ。おじさん、コケアのジュースを三杯おくれ」

「ああ。ちょっと待ってくれ」

 店の主は、いくつか並んだ大きなかめの中から一つを選び、木のふたを取ると、ひしゃくで中の液体をすくい、三つの陶器に注ぎました。

「あいよ。一杯五ペジ。三杯で十五ペジだ」

店の主が言うと、チルルは宅也に言いました。

「安いだろ。宅也払ってくれ」

 ここで、宅也は、はっとしました。お金のことなど思ってもいなかったからです。

----困ったな。お金なんか持ってないや。

 そう思った時、突然、宅也のズボンのポケットが重くなりました。

----あれ、なんだこれ。

 宅也はそっとポケットに手を突っ込みました。すると、コインの感触がしました。出してみるとやはり三枚です。ボーッとそれを見つめていると、すばやくチルルが取りあげました。

「サンキュー。ちょうど十五ペジだ。おじさん、十五ペジだぜ」

 コインを受け取った店の主は、

「ありがとう。星祭りをゆっくり楽しんでくださいよ。なんてったって、この祭りの主役は・・・」

 ここで主は空を指さして続けました。

「あの無数の星たちですからね」

 三人は、コケアのジュースを飲みました。

「うわあ。おいしい。少し甘くて、少し酸っぱくて。上品な味だわ」

 芹奈はびっくりです。

「ほんとうだ。こんなジュース飲んだことない。喉のかわきがいっぺんに取れたよ」

 宅也も感心しています。

「おいらの言ったとおりだろ」

 チルルは得意気です。三人はコケアのジュースを飲み終えると、チルルが先頭にたって先へ進みます。

 お面の店。木彫り彫刻の店。また、男たちが輪になって酒をくみかわすテントもあります。

 しばらく夜店を楽しんだ宅也と芹奈でしたが、テントの並びを抜けて、砂漠に出てしまいました。ただ、かがり火だけは遠くまで灯されていました。

「もう終わりかい」

 宅也がそう言うと、

「これからが、ほんとうの星祭りだぜ。いままでのはお遊びだい」

 チルルは腕を組んで答えます。

「どういう意味だい」

 チルルはこんどは、胸を張って答えます。

「星祭りっていうのは、一年で最も星が美しい日に、星に感謝して祈ることだぜ。おいらたちは、闇で輝く星を『希望の火』と思っている。また、流れ星に祈ると、願い事は必ずかなうと言われているんだぜ」

 宅也と芹奈がうなずくと、チルルは続けます。

「また、昔に流れ星のかけらを手に入れた人がいて、その人は星の力を自由にたぐり、この国の王として、何百年も生きたってさ」

「へえ、それはすごいね」

 宅也が感心すると、チルルは得意気です。

「さあ、砂漠へ行って、星を眺めな。かがり火は砂漠で迷わないための目印だ。あまり離れるなよ。おいらは祭りの手伝いがある。宅也、芹奈。ここでお別れだ。バイバイ」

 と言うと、チルルはテントの方へ走りだしました。

「チルル。バイバイ。ありがとう」

 宅也がそう言うと、チルルは振り返って手を振り、走り去って行きました。

 後に残された二人は、空を見上げました。

 星たちは、夜がふけて輝きを増したようです。

「うわあ。満天の星空っていうけど、ほんとうね」

「なんてきれいなんだ。ぼくたちが、いつも見ている星とは輝きが違うね」

 二人は、かがり火に沿って歩き出しました。何組かの人々が、かがり火から少し離れて夜空を見上げています。

「一番端まで行こう」

 宅也の言葉に芹奈はうなずきました。かがり火の端の方には、人影がなかったからです。 最後のかがり火を過ぎ、砂漠がなだらかに下っているあたりで、二人は足を止めました

「ここらでいいかな」

「そうね。かがり火から離れた方が、星もよく見えるわ」

 初めに宅也が腰を下ろし、続いて芹奈が、砂の上に座りました。そして、宅也は大の字になって、あおむけに寝ました。

「芹奈。こうすればよく見えるよ」

 芹奈は素直に従います。

「ほんとう。気持ちいい。オアシスの方も幻想的に見えるわ」

 芹奈の言うとおり、オアシスの森もかがり火に照らされ、まるで一つの生き物のようにゆらゆらと揺れ、遠くに聞こえる太鼓や笛の音とともに、独特のムードをかもし出しています。

 二人は両手を枕に空を見上げます。

「これがほんとうの星空なのね」

 芹奈がポツリと言いました。

「星がこんなに多いとは思ってなかった」

 宅也もひとり言のように答えます。

「あっ。いま、あれ」

 芹奈があわてて指差しました。

「流れ星よ。見た、宅也」

「ああ、見たよ。あっ、まただ」

 こんどは宅也が流れ星を指差しました。

 何分間に一度の間隔で、星は流れます。しかし、それは、ほんの一瞬で消え去ります。「こんなに早く消えたら、お祈りをする暇などないな」

 宅也がそう言うと、芹奈は反論します。

「日本じゃ流れ星の流れている間に祈らないとって言うけど、さっきチルルはそんなこと言わなかったわ。流れ星に祈れば願いはかなうって言ってたわ」

 そう言って、芹奈は一心に祈ります。宅也もしぶしぶそれに従いました。

 しばらく沈黙が続きました。芹奈は、おじいさんが昔のように、元気になるように一心に祈りました。宅也はお祈りの間、チルルの言葉を思い出していました。

----星は希望の火。星のかけらを手に入れた者は、星の力を自由にたぐれる・・・。

----まてよ。ここはおじいさんの心の中なのだから、砂漠の人たちも星も全て心が生み出したものだ。ということは、希望の火である星は、おじいさんの心の希望ということじゃないか。

 相変わらず、流れ星が流れては消えています。

----あれだけ流れ星があるんだから、地球に届くまでに燃えつきず、隕石のように地上に落ちる星のかけらぐらいあるはずだ。

 その時、流れ星が激しく光り、砂丘の向こうに消えました。

「芹奈。いまの見たかい。あの光りは、流れ星が大気圏に突入した時に、激しく燃えたんだ。その後、燃えながら砂丘の向こうに落ちたんだ」

 芹奈も激しく燃える火を見たようです。

「あれは流れ星なの?驚いたわ」

 宅也は、いまの星のかけらがあるかもしれないと思っていました。すると、なぜかどうしてもそれを手に入れなければと思いました。

----タロス。来てくれ。君の助けが必要なんだ。

 心の中でそう念じると、宅也は芹奈の手を取り、立ち上がりました。

 思ったとおり、空中に虹色の光がきらめき、渦を巻き、タロスが宙に現れました。そして、二人はもうタロスの背に乗っていました。

「タロス。お願いだ。いま、流れ星が落ちたんだ。そこへ行きたいんだ。そして・・・」

 それを制してタロスは言います。

「宅也。わたしは全てを見ているんだよ。星のかけらが必要なんだな。では、オアシスに別れを告げなさい」

 二人は、もう遠くに小さく見えるオアシスに向かって言いました。

「さよならオアシス。そして、チルル」

「さよなら、オアシスの皆さん。チルルありがとう」




 第七章 崩壊する氷山。


 タロスは、流れ星の落ちた方へ飛び始めました。どんどん遠くなるオアシス。タロスは飛びながら、テレパシーで話しかけます。

「宅也、芹奈。充分に体験し、感じることができたかね。これも芹奈のおじいさんの心の中の一部だ。わずかだが、まだ自分や人間に希望を抱いている心の世界だ」

 二人はうなずき、芹奈が答えます。

「まわりは全て砂漠。たった十数軒ほどの村でも、人の暖かみは充分に感じることができたわ。それに星たちも幾人かの人たちが見て、美しいと思うことでその存在は大きな意味を持つわ」

 宅也が続けます。

「砂漠の人たちにとって、星は希望の火。これも人間が星に意味をつけたんだ。誰も見ていなければ、星はなんでもないもの。なんだかわかってきたよ」

 タロスは問いかけます。

「では、星のかけらを手に入れて、どうするつもりだね」

 宅也は自信なげに答えます。

「それはわからない。ただ、どうしても星のかけらが必要だと思ったんだ・・・」

 すると芹奈がかばうように言いました。

「だいじょうぶよ宅也。あなただけじゃないわ。わたしも星のかけらが必要だと思うも の」

 タロスは、それには答えずに言いました。

「さあ。着いたぞ。さっきの流れ星は、ここに落ちたようだ」

「海だ。どうしよう」

 宅也は青ざめました。

「夜の海なんて、探せっこないわ」

 芹奈も落胆しています。しかし、タロスは落ち着いたものです。

「心配ない。わたしの背に乗って、虹色の光に包まれていれば、宇宙空間さえ飛べる。まして水の中など、なんの問題もない」

 そう言うと、タロスの虹色の光が強くなり、宅也と芹奈をしっかりと包み込みました。

 タロスは、ゆっくりと降下し、波に手が届くくらいになって、二人に言いました。

「さあ。行くぞ。しっかりわたしにつかまって」

 ザブンという音とともに、三人は海に入りました。初めは、怖くてタロスのたてがみにすがりついていた宅也と芹奈でしたが、目を開けても、目に水が入らず、服さえ濡れていません。あまりの不思議さに、芹奈が言いました。

「タロス。あなたはなんでもできるのね」

 タロスは小さく首を振って答えます。

「いや、わたしは魔法使いではない。ただ、出来る事が出来るだけだ」

 三人は、深く潜っていきました。夜の海なのに、まわりでチラチラと光るものがあります。発光する海の生き物たちです。

「わあ、きれいだわ。さっき見ていた星空のようね」

 芹奈は、その神秘的な美しさに、うっとりとしています。宅也も相づちを打ちます。

「ほんとうだ。星の美しさに勝るとも劣らないね」

「そろそろ海の底だ」

 何十メートルか何百メートルもぐったのか二人には検討がつきません。タロスは海の底にゆっくりと降り立ちました。

「宅也、芹奈。紫色の石を探すんだ。落ちたばかり星のかけらは、紫色が多いんだよ」

 宅也は、上を見てみました。相変わらず様々な海中生物が発光しながら、泳いでいます。それ以外は真っ暗な夜の海です。その底に自分がいるのが不思議でボーッとしてしまいました。

「宅也。なにをしてるの。星のかけらを見つけなければ」

 芹奈の声に宅也は我に帰りました。そして海底を見ました。自分たちの体から発する虹色の光が海底を照らし、ほどよい明るさです。岩の部分と砂地で海底はできています。

----こんな所で見つかるのかな。

 宅也は自信がなくなってきました。しかし、芹奈は積極的です。砂地を見渡し、岩場のかげをのぞき、岩のくぼみをていねいに見ています。宅也もやる気がでてきました。

「ぼくはタロスから右。芹奈は左を探してくれ」

 タロスは、光を強くして、二人に協力します。

 数十分がたった頃。

「タロス。これじゃないかしら」

 芹奈の手にあるのは、ちょうど手のひらに乗る程度の大きさで、紫の水晶のように半透明です。

「光に透かしてみなさい」

 タロスはそう言って、両目からビーム光のような強い光を出しました。

 宅也と芹奈はその光に石をかざしてみました。すると、半透明の石の真ん中に青い光が燃えていました。

「タロス。青い火が燃えているように見えるわ」

 芹奈がそう言うと、タロスが答えました。

「青い火が中で燃えているのは、わたしも見るのは初めてだが、これは間違いなく星のかけらだ。青い火は・・・」

「希望の火ね。チルルが言ってたとおり」

 芹奈と宅也はガッツポーズです。

 三人は、海の上へと急ぎます。深海の生物たちがキラキラ光り、まるで星空を抜けていくようです。

 海の上へ出ると、タロスはそのまま夜空を上昇します。そして、

「さあ、この海をこえて、氷山のある所まで飛ぶぞ。しっかり、つかまっていなさい」

 タロスの光が強くなり、猛スピードで夜の空を飛びます。宅也と芹奈はタロスのたてがみに、つかまりながら考えていました。

----氷山と星のかけらがどんな関係があるんだろう。

 宅也と芹奈の疑問をテレパシーで見抜いたタロスは、空を飛びながら、テレパシーで二人に話しかけました。

「いまから向かう氷山とは、人の心の中にできた愛のない冷たい意識。あきらめとも夢がないともいえる意識だ。それが、心の中で長年に渡り、こり固まってできた巨大な氷の塊だ。そして、その心とは、芹奈のおじいさんの心だ。長年、仕事上であきらめなければならないことが数多くあったのだろう。それが、退職後に現れたのだ。本人も気づいていない無意識と呼ばれる部分に氷の塊を持つ者は、地球では珍しくない。寂しいことだが」

 どれだけの距離、どれだけの時間、三人は、飛び続けたでしょう。空がうっすらと明るくなってきました。夜明けです。

 下を見ると、流氷の海です。

「流氷なんて初めてみた」

 宅也が芹奈の耳元でそう言うと、芹奈もうなずき、下を見ました。朝の光を受けて、流氷が輝き出しました。流氷は流れたり、ぶつかったりします。それはまるで、海全体が虹色に光りながら踊っているようです。そして美しい流氷の海を過ぎてさらに進むとタロスが言いました。

「さあ、見えてきたぞ。あれが氷山だ」

 宅也と芹奈は前方を見ました。遠くに真っ白なかたまりが、かすかに見えます。タロスは、またスピードを上げました。

 巨大な氷山でした。タロスは、速度をおとし、氷山のまわりを廻ります。氷山は真っ白で、円すい形の頭の部分を切って平らにしたような形をしています。宅也や芹奈がテレビで見る南極の氷山とはずいぶん違って、人工的に見えます。

「これが氷山か。人工的だね」

「わたしも、もっとごつごつしたものを想像していたわ」

 芹奈と宅也がそう言うと、タロスは、氷山の上の平らな部分に着陸し、二人を背から降ろしました。

「形が人工的なのは、まだできて間もないからだ。時間がたつとこれに雪が積もり、南極の氷山のようになる。そうなると、それをくずすのも難しくなるのだ」

 タロスは、話し続けます。

「さっきも話したが、この氷は、わたしの見るところ『あきらめ』とよぶ意識からできている。何度も何度もあきらめを選んだ結果、魂を氷でおおってしまうのだ。二人ともよく覚えておきなさい。『あきらめ』を選ぶのではなく、『希望』を選ぶべきなんだと」

 芹奈と宅也は大きくうなずきました。

 タロスは二人の顔を見て、満足げにうなづき芹奈に言いました。

「さあ、星のかけらを出しなさい。それを両手ではさみ、胸に当てて祈るのだ。おじいさんの心に希望があふれるように祈るのだ」

 芹奈は言われたとおり、星のかけらを両手ではさみ、祈りだしました。

 タロスは円形になった氷山の中心に行き、下を向いて、目からビーム光線のような光を出しました。すると氷がとけて直径十センチほどの穴が開きました。

「タロス。なにしてるの?」

 宅也の問いにタロスは答えます。

「魂がある所まで、深い穴を掘っているのだよ」

 宅也は芹奈の前に立って、一緒にお祈りをしました。

 タロスは穴を掘り終えると、一生懸命祈っている二人に声をかけました。

「芹奈、目を開けて、星のかけらを出してごらん」

 芹奈は両手にはさんでいた石を手のひらにのせました。すると、不思議なことに、星のかけらの中の希望の青い火が、大きくそして勢いよくなっていました。

「よし。これぐらい火の勢いがあれば、魂がよみがえるには充分だ」

 タロスは、そう言うと、さっき開けた穴の所へ二人を連れて行きました。

「さあ、この穴にその星のかけらを落とすんだ」

 芹奈は言われたとおり、おそろおそる穴から星のかけらを落としました。しかし、かけらがどこかで止まったような感じがしました。すると突然、穴から青い光が天に向かって吹き上がりました。そして、穴から氷山にビシビシと割れ目が入りました。

「さあ、早く背中に乗りなさい」

 タロスの声で、二人はあわてて木馬の背中に飛び乗りました。

「よし。では飛ぶぞ」

 タロスが飛び上がるのと同時に、氷山は二つに割れました。タロスは、そのまま上昇し、安全な高さまで上がるとそこで止まりました。

「二人とも、よく見ておきなさい。これが希望を持った時の魂の強さだ」

 巨大な氷山が、割れながらくずれていきます。すさまじい水しぶきを上げながら、氷のかたまりが水中に没しました。

 氷山がくずれ、小さな氷のかたまりが海に浮かんで、あたりは静寂を取り戻しました。

「あれはなに?なにか光っているわ」

 芹奈が叫ぶと同時に宅也もその光を見つけました。それは氷山があった時の中心あたりの空中で光っていました。

「どんどん大きくなっているよ」

 宅也の言うとおり、初めは米粒ほどの大きさだった光がどんどん大きくなっています。

 そして、にぎりこぶしぐらいの大きさになると、それは真っ白な光の球となりました。

「よく見るんだ。あれが芹奈のおじいさんの魂の光だ」

 タロスが言うまでもなく、二人はその光を見つめています。光はゆっくりと上昇し始めました。そして、それは急に速度を上げ、三人が見上げるほどの高さになると、ふっと消えてしました。

 芹奈と宅也は、心配になってタロスに問いかけます。

「消えちゃったけど、どうしよう」

「魂は消えたりするの」

 タロスは落ち着いて答えます。

「心の中には無数の世界がある。ここは氷の世界。本来、魂のいるべき世界ではない。おじいさんの魂は希望の火を受け、本来、魂がいるべき気候も温暖で美しい世界へと帰っていったのだ。心配には及ばない」

 その言葉に二人はほっとしました。

 タロスは続けます。

「これで、芹奈のおじいさんは、本来の自分を取り戻すはずだ。芹奈の願いはかなったことになる。次は宅也の番だ」

 そう言うと、空間に虹色の渦が生じました。タロスは、その渦の中心に吸い込まれるように入り、時空を移動しました。

 移動したのは、芹奈の部屋。続いて宅也の部屋です。

「これを握りなさい。海の底で見つけたサンゴのかけらだ。今日起こった出来事が夢ではない証拠だ。さあ、眠りなさい」

 芹奈は、ベッドに横たわりました。タロスの目が紫色に光り、芹奈のひたいに当たると芹奈はすぐに眠りました。

 タロスは、次に宅也の部屋に行って、同じように宅也を眠らせました。

「二人とも、よくがんばった。ゆっくり眠りなさい」

 時計の針は、夜中の三時を示しています。タロスが訪ねてから、一時間しか、たっていません。タロスは、満足げにうなずくと、時空を移動して、スーパーの陳列棚に降り立ちました。そして、全く動かなくなり、ただの木馬として、朝を待つのでした。




 第八章 うちとけたおじいさん。


 朝になりました。芹奈はぐっすりと寝ていましたが、窓の外ですずめがチュンチュン鳴く声で目が覚めました。頭はまだボーッとして、木馬との旅をところどころ追っています。

----全部、夢だったのかしら、いいえ、そんなはずはないわ。

 ふと気づくと、右手になにかを握っています。ゆっくりと手を開くと、小指ほどの赤いサンゴのかけらです。

----やっぱり夢じゃないわ。

 その時です。窓の外から、威勢のよい声が聞こえました。

「えーい。えーい」

 芹奈は、その声ですっかり目覚めました。

----誰だろう、いまごろ。

 芹奈が窓から見下ろすと、剣道着を着たおじいさんが木刀で素振りをしています。

 芹奈はあわてて着替えると階段をかけおり、縁側へと向かいました。

「おじいちゃん。どうしたの。こんな朝早くから」

「おお、芹奈か。いやなに今朝目覚めるとなんだか調子がよくってな。それで、久しぶりに素振りでもしようかと思ってな」

 おじいさんの声は、大きくて張りがあります。

 昨日までとは打って変わって、昔のおじいさんに戻ったようです。

 芹奈はうれしくて、涙が出てきました。それを見て、おじいさんが問いかけます。

「芹奈、なぜ泣く。なにかあったのか」

 芹奈は首を振ります。

「ちがうの。ずっとおじいちゃん、元気がなかったから、わたし、とても心配してたの。だから、うれしくて・・・」

 おじいさんはうなずきます。

「そうだな。きのうまでは、なんだか気がめいって、自分でもどうしようもなかったんだ。芹奈。心配かけてすまなかった。でも、もう大丈夫だよ」

 朝食の時も、おじいさんは、いつもと違います。

「芹奈。今度の日曜日、映画でも見にいかないか。映画なんて何年ぶりだろう」

 芹奈は喜んで答えます。

「うん、いいわよ。行こう。行こう」

 おじいさんは、張り切っています。

「よし、映画を見たら、街を歩こう。なんでも好きなものを買ってやるぞ。アッハッハ」

----おじいさんの笑い声なんて、何年ぶりかしら。

 芹奈がそう思うと、おばあさんも同じ思いだったようです。

「わたしも一緒に行っていいかしら」

 おばあさんも涙ぐんでいます。もちろん、うれし涙です。

「ああ、もちろんさ。じゃ、三人でな。アッハッハ」

 芹奈にとって、こんな楽しい朝食はありません。

----タロス、宅也。ほんとうにありがとう。

 芹奈は心の中で、二人に感謝しました。

 楽しい朝食を終え、芹奈は学校へと向かいました。足どりも軽やかです。

----早く宅也に知らせないと。

 学校へつくと、芹奈は校門の前で宅也を待ちます。始業チャイムのぎりぎりに宅也はかけ込んで来ました。二人は小走りに走りながら、手のひらにのせたサンゴを見せ合います。サンゴは、芹奈が赤。宅也が青です。

「宅也、それがびっくりするようなことが起こったの。おじいさんが、朝からすごく元気で、はつらつとしているの。何年か前に戻ったみたいによ。わたし、うれしくって」

 芹奈の言葉に宅也はガッツポーズです。

「やったー。願いがかなったぞ。サンゴの証拠もあるし、あれはやっぱり夢じゃなかったんだ」

 教室の前にくると、始業チャイムが鳴りました。宅也と芹奈はお互いの右の手のひらを合わせてパチッと音をたてました。

「じゃあ、放課後ね」

「ああ、藤棚で待ち合わそう」

 二人はそう言って、それぞれの教室に入って行きました。


 待ちに待った放課後です。二人は藤棚のベンチに腰かけて話しています。

「木刀で素振りか。かっこいいな」

 芹奈の話を聞いていた宅也がつぶやきます。

「それが、それだけじゃないのよ。街に出て映画を見て、ショッピングしようって言うのよ。わたし、今でも信じられないわ」

 芹奈は興奮気味に話し続けます。

「わたし、うれしくて泣いちゃったわ。そして、おばあちゃんも泣いてたわ」

「ほんとうによかったね、芹奈。おじいちゃんに甘えられるだけ、甘えたらいいよ」

 宅也は優しくそう言いました。

 うなずく芹奈の目には、また涙がにじんでいます。

「よし、今からタロスの所へ行こう。そして、おじいさんのことを報告しよう」

 宅也はそう言って立ち上がると、芹奈の手を取って立たせました。その仕草はさりげなく、一晩の長い長い旅を共に体験した二人の間には、お互いを思いやる優しい気持ちがめばえ初めていました。

 二人は、木馬のお店へと向かいました。

 スーパーの自動ドアが開くと、いつもの陳列棚の上の木馬に目がいきます。遠くから見ると、ただの置物のようにしか見えません。二人は一瞬、心細く思いました。

 しかし、木馬の前に立つと、いつものように強いオーラと存在感があり、やはり、ただの木馬ではないという感じが二人を安心させます。

 目を閉じ、木馬に意識を向けると、すぐにテレパシーが頭に入ってきました。

「宅也、芹奈。あの後はよく眠れたかね」

 タロスは、相変わらず力強い声で話しかけてきます。

----タロス。今日は報告とお礼に来たの。おじいちゃんのことなんだけど、わたしの願いどおり、昔のように元気ではつらつとしたおじいちゃんになったの・・・。

 芹奈は今朝の出来事を詳しくタロスに語りました。タロスは黙って芹奈の言葉に耳を貸しています。そして、芹奈は感謝の意を伝えました。

----タロス。ほんとうにありがとう。全てあなたのおかげだわ。

 タロスは答えます。

「礼にはおよばない。前も言ったとおり、わたしはわたしのテレパシーを受け取った者の願いをかなえるために作られたのだから。それに、二人ともよくがんばった。芹奈よかった。そして、おめでとう」

 そう言うと、タロスは宅也に問いかけました。

「宅也。次は君の願いの番だ。どうだ、二人とも疲れてないかな。もし元気なら、今夜さっそく旅立ちたいのだが」

 二人は顔を見合せました。すでにタロスのオーラに包まれた二人の顔に疲れた様子など、全くありませんでした。

----タロス。ぼくはOKだ。

----わたしもOKよ。

 二人は元気よく答えました。

「よし、では、二人とも早くお帰り。今夜は早く休むんだ。わたしが迎えに行くまでな」

 タロスは、そう言うと、オーラを弱めました。二人はタロスのオーラから出ると、木馬に一礼して店を後にしました。




 第九章 山楼の仙人。


 夜。芹奈は、旅に出る着替えをすませると、ベッドに横になりました。

----こんどは、どこを旅するのかしら。

 わくわくする気持ちと、不安とがいったりきたりします。

----こんな気分で、とても眠れるものじゃないわ。

 それでも夜十二時を越えると、うとうととしました。その時、窓がガタガタと鳴る音で、

芹奈は飛び起きました。空中に虹色の光の粉が渦巻き始めています。そして、光が結晶化し、木馬が現れました。

「芹奈。起きていたのかい。では準備はいいな。背中に乗りなさい」

 芹奈は、もう乗り慣れたタロスの背中に飛び乗りました。

「では、宅也を迎えに行くとしよう」

 タロスは、そう言って、宅也の部屋へやってきました。やはり、宅也も起きて待っていました。宅也はすぐに芹奈の後ろに乗りました。

「初めに言っておくが、今夜旅するのは、心の中ではなく、別次元、要するに地球に似てはいるが全く別の星だ。そして、宅也の旅に芹奈を連れていくのは彼女にも必要な学びだからだ。では、出発だ」

 タロスがそう言うと、再び光の粉が渦を巻き、三人の姿は消え、時空を超えた旅が再び始まったのです。


 三人は、雲が流れる空に出ました。下を見ると、雲間から大きな河と山が見えました。タロスはゆっくりと降下し、雲の下まで来ると、まず奇妙な形の山が目につきます。よく中国の山水画や壺などに描かれている桂林のような切り立った山々が、河に沿ってあちらこちらに並び立っています。

----ここはきっと中国だわ。

 芹奈も宅也も同じことを考えました。するとタロスはそれを察し、テレパシーで答えます。

「まあ。中国だと思ってくれてもいいが、正確には、地球でもなく、時代も全く違うんだがな」

 タロスは、河の上を進みます。霧がたちこめてきました。霧の中に、切り立った山々が浮かぶように見える様子は、幻想的で、宅也と芹奈は、あまりの美しさに声も出ません。

 やがて、崖の上に楼閣が立つ山が見えてきました。

「あの楼閣の最上階に仙人が三人いる。あそこに行くのだ」

 宅也と芹奈は、顔を見合せました。緊張感が二人に走ります。

 タロスは、その山に着くと、まるで走るようにやすやすと崖を登り、楼閣の壁も走り抜け、屋根のある最上階より一つ下の階の窓から、楼閣の中に入りました。

「さあ、降りなさい。ここから階段を登って、上へ行き、そこで、仙人の話を聞くのだ」

 タロスは、そう言って渦とともに消え去りました。中から見るとその楼閣は、建てられてから、相当の年月がたっているようです。階段から下を見ても、人の気配は全くありません。

「完全な廃虚ね」

 芹奈は、耳をすませながら言いました。宅也はうなずきながら、内部の装飾が気になるようです。

「でも、昔はとても立派な建物だったみたいだな。壁も天井も、こった彫物でびっしりだ。今は色もあせて、くもの巣とほこりまみれだけれど」

「アッハッハ」

 上の階から、大きな笑い声がしました。

 二人は、顔を見合せ、宅也が言いました。

「よし。上へ行こう」

 宅也が芹奈の手を引いて階段を登ります。二人はなるべく音をたてないように注意しながら、そろりそろりと登ります。

 最上階は六角形になっていました。六つの大きな窓が開き、外の景色がよく見えます。

----ここは展望室だな。

 不思議なことに、この階だけ新築したてのように美しいのです。壁や天井の装飾も見事な極彩色にいろどられ、ピカピカに磨かれた石の床。そして、部屋の中央に置かれた黒塗りのテーブルにはこった、彫物がされていました。椅子に三人の老人が座って、杯を手に笑い合っておりました。

 階段を登り切った二人に老人が話しかけてきました。

「そこのふたり。なんの用じゃな」

 そう聞いたのは、坊主頭に床まで届く長い白ひげの老人です。

「いえ。ただお話を聞かせていただこうと思って」

 芹奈ははっきりと答えました。

「ほほう。わしらの話をとな。アッハッハ、ろくでもない話しかできんがのう」

 そう言ったのは、ひげはなく、よく太った太鼓腹の老人です。

「まあまあ、それは愉快じゃ。二人ともこちらに来て、椅子にかけなさい」

 老人がそういうと、テーブルがひとまわり大きくなり、椅子が二脚現れました。この老人は白髪を後ろで束ね、ひげを生やしていました。

 宅也と芹奈は、おそるおそるテーブルに近づきました。

「とって食ったりはせん。こわがらずに座りなさい」

 二人は並んで腰かけました。すると老人たちは、かめからひしゃくで酒をすくうとそれぞれの杯を満たし、飲みだしました。

「あんたらには、酒はまだ早いし、これを飲みなさい」

 白髪の老人がそう言うと、宅也と芹奈の前に、陶器の茶わんが現れました。中には赤い液体が入っています。

「いただきます」

 宅也と芹奈は、そう言って飲み物をすすりました。少し甘くて、薬草のような香りがほのかにします。今まで飲んだことのない不思議な味でしたが、さっぱりしとした飲み心地のおいしいものです。二人は顔を見合せ、一気に茶わん半分ほど飲みました。すると、体中がぽかぽかと暖かくなり、元気が出てきました。

「おいしいです」

 宅也がそう言うと、老人は得意気に言いました。

「山ぶどうから取った汁に、何十種類もの薬草を漬け込んである。わしの自慢の果汁じゃ。好きなだけ飲みなさい」

 不思議なことに、さっき確かに半分ほど飲んだ茶わんに、果汁がなみなみと入っています。宅也も芹奈も驚きながら、こんどは茶わん一杯をぐっと飲み干し、テーブルに置くと、もう茶わんがいっぱいになっていました。

「このぐらいのことで驚かなくてよい」

 こんどは、太鼓腹の老人が言いました。すると、

「さっきのおまえさんの話じゃが、それから、どうしたんじゃ」

 坊主頭に長いひげの老人が問いかけます。

 すると、太鼓腹の老人が答えます。

「どこまで話したかのう。そうじゃそうじゃ大鯉を見つけて、それに乗ったところまでじゃな。大鯉は背中に乗られて大あわてで、わしを振り落とそうとして、泳ぎまわった。しかし、わしは股でしっかりとそいつをはさみ、背びれをつかんでおったので、落ちんかった。鯉は河底まで沈んでは、水面で飛んだりはねたりして、必死だったのう」

「それからどうした」

他の二人の老人がたずねます。

「半刻ほども遊んで、放してやったわ。ワッハッハ」

 太鼓腹を揺らせて笑う老人に、白髪の老人が不服そうに言います。

「なんだ、放したのか。わしらもその鯉を拝ませてほしかったのう。おぬしの話は、そんな話ばかりじゃ。ホラを吹いとるのではあるまいな」

 すると、太鼓腹の老人は、たもとに手を入れ、

「なにがホラなものか。これこのとおり証拠の品があるわ」

 と言って、テーブルの上に金色に光るものを出しました。

 よく見ると、それは魚のうろこのようです。大きさは、大人の手のひらほどもあります。白髪の老人は驚いて、それを手に取って、叩いたり透かしてみたりして言いました。

「ホラ吹きなどと、申してすまん。これは本物の鯉のうろこじゃ。こりゃ、参ったわ  い」」

「ワッハッハッ」

 三人の老人は、愉快そうに大笑いです。

 聞いていた宅也も芹奈もなんだか愉快になって、クスクスと笑ってしまいました。

「ワッハッハ、今夜は愉快じゃ。のうお客人、そう思わぬか。ところでおまえさんたちは、話を聞くといったが、まさか老人のこんなバカ話を聞きに来たわけじゃあるまい」

 宅也はそう言われて、話し出しました。

「とうとつな話で申し訳ありませんが、ぼくの悩みなのです。ある時から人間一人の力なんて、たかが知れていると思うようになったんです。すると、授業も勉強もやる気がなくなって。でも、もしかしたら、まだ、ぼくが知らないだけで、本当に価値ある生き方があるのかもしれないとも思ってるんです。それを教えていただきたくて」

 すると、老人たちは、

「ワッハッハッ」

 と、またも大笑いです。宅也は、はずかしくなって、真っ赤な顔で背中をちぢませています。

 すると坊主頭で長ひげの老人が言いました。

「こりゃあ笑うてすまん。ただ、おまえさんが、価値があるって言ったもんでな。よく聞くんじゃぞ。この世に価値の無い者などおらん。価値は、どこかにあって、それを得るものじゃない。価値は存在そのものにある。ただ、それを知らない者がおるだけじゃ」

 そう言うと、老人は左手で宅也の肩を抱き、右手で心臓を指さしました。

「ここじゃ。ここじゃよ。ここに、存在がある。それは、増えも減りもしない。そして、永遠に続く。たとえ、あんたがそれをどうとらえたとしても存在は変わらない」

 長ひげの老人はそう言って、ワッハッハッとまた笑います。

 そう言われても宅也には、まだ疑問が残ります。存在自体に価値を見いだせません。宅也はそのことを三人の老人に訴えました。

 すると、老人たちの態度が変わりました。

「価値の有る無しにとらわれているようじゃのう。さて、どこから説明すればよいかの う」

 長ひげの老人がそう言うと、太鼓腹の老人が目を閉じて言いました。

「悠久の時から見れば、全てどちらでもよいことじゃ。ただ、それを学ぶのに大切なことは、感じること。そして、今に生きることじゃ」

 白髪の老人が口をはさみます。

「もともと言葉では説明できないことじゃから、頭で考えているうちは、わかりはせん。だが、今の言葉を忘れるでないぞ」

 そして、老人が手を広げると、琴のような楽器が現れ、白髪の老人がそれを弾き始めました。

 なんと、心地良い曲でしょう。外に流れる大河を思わせるゆったりとした曲です。また、その音一つ一つに透明感があり、心に深くしみ入る音色です。

 宅也と芹奈は、琴の音色に聞き入っています。しばらくして、老人は琴を弾き終わり、二人に問いかけました。

「どうじゃ。なにか感じられたかな」

 宅也は感激しておりましたが、それをうまく言葉にできません。

「美しいです。でもそれだけじゃありません。ゆったりとして・・・。それなのに一つ一つの音がはっきりとしていて・・・。すいません。うまく言えません」

 すると、三人の老人は、いっせいに笑いだしました。

----この人たちは、何百年も生きているから簡単なことなんだろうけど、ぼくにとっては初めてで、とてもついていけないな。

 宅也はかんねんしました。

「ワッハッハッは。それでよい。大切なのは感じることじゃからのう。おまえさんたちはまだ若い。じっくりとあせらずに進むことじゃ。では、そろそろお開きとするか」

 三人の老人は、誰言うとなく、そう言うと、それぞれ、たもとを広げ「えい」とかけ声をかけました。すると、三人の足は床から離れ、体は宙に浮きました。そして、たもとを蝶の羽のようにひるがえし、部屋の中を一周すると、窓から外へ飛び出しました。

 宅也と芹奈はあわてて窓にかけよりました。

 老人たちは、三人で手をつなぎ、ゆっくりと廻りながら、上昇しています。

「さらばじゃ、感じること。今に生きること。このことを忘れるでないぞ」

 そう言うと、三人の姿は雲間へと、消え去りました。

「宅也。仙人から何か学べたかな」

 二人が振り返ると、タロスが虹色の光とともに現れていました。

 宅也は答えます。

「悠久の時から見れば、全てどちらでもよいこと。大切なのは、感じること。そして、今に生きることだと教わりました」

 タロスは黙ってうなずきました。

「それでよい。では、次の旅へ出発しよう」

 芹奈、そして宅也が木馬の背に乗り込みました。

「用意はいいかね」

 そう言いながら、タロスはもう光の粉を発し出し、渦の中に吸い込まれるようにして、三人は旅立ちました。




 第十章 サバンナの夜明け。


 タロスが現れたのは草の上です。

「夜明け前のサバンナだ」

 二人を降ろしながら、タロスはそう言いました。あたりはまだ薄暗く、足元もはっきり見えませんが、タロスから出る光で照らされているのは、確かに乾いた草原です。

「サバンナには、多くの動物がいる。危険な獣もいる。しかし、安心しなさい。二人はわたしのオーラに包まれているから、どんな動物にも襲われることはない。さあ、ここで感じ、そして学びなさい」

 そう言って、タロスは消え去りました。タロスが消えるとあたりは暗くて静まりかえっています。ただ、時々草むらがガサガサと音をたてます。音の大きさからして、夜行性の小動物と思われますが、それでも気味が悪いものです。

「宅也。怖くない。わたし、怖いわ」

 そう言って、芹奈は、宅也の腕にすがりついてきます。

「ぼくも怖いさ。でもごらん。東の方から空が赤みをさしている。もうすぐ夜明けだ。このまま待っていよう」

 どのくらいの時間がたったでしょう。東の空は赤く染まり、地平線から太陽が頭を出しました。

「ギャー」

「クワックワッ」

 鳥の鳴き声とバサバサと飛び立つ音がしました。

「いよいよ夜明けだよ。芹奈」

「パオーン」

「キキキキー」

 サバンナの動物たちが目覚め始めたようです。あたりは、急にさわがしくなりました。近くに水場があるようです。いろんな動物たちが、そこへ向かいます。

「動物がたくさんいるのね」

 芹奈はまだ宅也にしがみついています。

「芹奈見てごらん。あの太陽を」

 東の空と地平線を真っ赤に染めた、赤い太陽。そして、点在する木々の真っ黒なシルエット。遠くで象が列をなして進むのも美しいシルエットです。

「まあ、なんて美しいの」

 芹奈は思わず宅也の手から離れ、太陽を見つめます。

 空気がすがすがしい朝の香りとなり、二人は思わず深呼吸をし、両手をあげて、背伸びをしました。

 あらゆる動物たちの声が響き、サバンナの目覚めとでも呼びたくなるような、その躍動感に芹奈と宅也は圧倒されています。

「感じること。今に生きること」

 宅也はつぶやき、目を閉じました。芹奈もそれにならいました。まぶたの裏は真っ赤で、太陽を強く感じます。そして、耳は動物たちの鳴き声をとらえ、宅也と芹奈は、自分を一つの生命として、この躍動感と一体に感じました。それは、今まで感じたことのない不思議な感覚でした。暖かく、力強く、そしてなんともいえない安心感がありました。

----これが、生命なんだな。生命とは光なのかな。

 宅也にそう思わせるほど、サバンナの朝の光は神聖に感じられます。

「宅也。感じてる?言葉じゃ言えないけど」

 芹奈はそう言うと涙ぐんでいます。

「感じてるよ。しっかりとね」

 宅也は優しく芹奈の肩を抱きました。

 二人の後ろで、光の粉が渦巻き、タロスが現れました。

「どうだね。サバンナの夜明けは」

 二人は、振り向かずに答えました。

「言葉に現せない躍動感、一体感、そして光を感じました」

 宅也がそう言うと、タロスはうなずき、言いました。

「二人は、動物は好きかな」

 宅也と芹奈は口々に答えます。

「わたし、動物は大好き!家で犬も飼ってるし」

「ぼくも動物は大好きだ」

 タロスはうなずくと二人に背に乗るようにうながし、草原を飛びました。

「タロス。どこに行くの」

 下を見ると、十数頭の象が列をなして進んでいます。

「象に乗ってみないか」

 そう言ってタロスは、象に手が届くぐらいに下降し、二人に言いました。

「わたしのオーラを強めると、君たちの姿は見えなくなる。そして、体重もなくなる。象の背に乗っても、象に気づかれる心配はない。さあ、象の背に飛び移りなさい」

 宅也と芹奈は驚きましたが、興味もありました。二人は顔を見合せ、うなずきました。

「えい」

 先に宅也が象の背に飛び移りました。そして、芹奈の手を取って、引き寄せました。

 二人は大きな象の背中にまたがりました。象は全く気づいていないようです。

「なんだか気持ちいいわ」

「そうだね。ゆらりゆらりとして」

 二人は象の背中を優しく撫でました。すると、象の背中から白色のオーラが出ているのが見えました。そして、タロスから受けている虹色のオーラと反発することなく、きれいに混ざりました。

 象の心が感じられました。とても優しく、とてもおだやか、そして善良な心です。

 二人は驚きました。象の心が仲間を気づかいながら、ただ歩くことだけに集中していたからです。今自分がなすべきことだけで、他のいっさいの雑念がない純朴で真っ白な心です。

----今に生きるか。

 宅也は、仙人たちの言葉の意味が少しわかったように思いました。

「宅也。これが今に生きるということ?」

 芹奈がたずねます。

「そうかも知れない」

 宅也もまだはっきりと確信できていません。象の列はゆっくり進みます。

「宅也、あれを見て。とってもかわいい」

 芹奈が指差す方を見ると、子供の象がちょこちょこと歩いています。時々、列から横へはずれそうになると、母象が鼻で引き寄せます。一生懸命に歩く姿がよけいにかわいいのです。

「タロスに頼んで、あの子象に乗ろう」

 宅也はそう言うと、心の中で念じました。

----タロス。ぼくたちをあの子象の上に乗せてくれないか。

----わかった。

 タロスは短く返事し、二人の横に現れました。そして、二人を乗せると、子象の背に移してくれました。

 二人は、優しく子象の背を撫でました。すると、子象から白いオーラが出て、二人のオーラと混ざります。

 子象の心を二人は感じました。大人の象より、さらに純朴で、母象について行くことだけを考えていました。それは、全く透明な心で、芹奈も宅也もその可愛さに思わず、子象の背に頬ずりしました。しかし、子象は気づきません。あいかわらず、ちょこちょこと歩いています。

----ぼくは今でもあれこれと悩み症で、雑念が多い性格なのに、このままでは大人になるともっとひどくなる。象のこの心を見習わないと。

 宅也がそう思ったときです。

 タロスが現れました。

「さあ。二人とも、もう充分じゃないかな。わたしの背にのりなさい」

 芹奈と宅也は、タロスに乗り移り、タロスはゆっくり上昇します。芹奈と宅也は下を見て、象の列に手を振ります。

「ありがとう。みんな元気でね」と芹奈。

「すばらしい体験をありがとう」

 と宅也が言うと、タロスの虹色の光が渦巻き、三人は次の旅へと向かいました。




 第十一章 極北のクリスマス。


「ここは、どこだい。タロス」

 宅也と芹奈が驚くのも無理はありません。さっきまでいたサバンナとは全く違った所に三人は来たのです。

「ここは、極北の地。北極圏近くの夜だ」

 タロスは、さらりと答えます。しかし、さっきまでとは、あまりに違う環境に二人はとまどっていました。タロスのオーラに包まれているので、ふたりは寒さは感じません。しかし、吹雪は激しく、二人はただその厳しい自然に驚くばかりです。

 遠くでかすかな灯が見えています。

「あそこね。あそこに行けばいいの?」

 芹奈がタロスにたずねます。

「ああ、そうだ。あの灯のある所が今回の体験の場所だ」

 タロスは、そう言って、いつものように姿を消しました。

 宅也と芹奈は、その灯を目当てに歩きだしました。吹雪が二人のオーラを打ち破ろうとするかのように吹きつけます。しかし、タロスのオーラはびくともしません。二人は手をつなぎ、吹雪の中を急ぎます。

 灯は、レンガ造りの家の窓からの光でした。二人はようやくその家に着きました。

「わたしたち、これからどうすればいいの?」

 芹奈の疑問はもっともです。宅也はしばらく考えてから言いました。

「とりあえず、窓からそっと中の様子をうかがってみようか」

 二人は一番大きな窓から中をのぞいてみました。外は厳しい寒さ。しかし、家の中は違っていました。

 暖炉では勢いよく炎が燃え、鍋がかけられていました。その前にはテーブルがあり、外の寒さを全く感じさせないぐらい、暖かく思えました。

「暖かそうだね」

「ほんとにそうね」

 宅也と芹奈は、ほっとしてそう言いました。

 部屋の扉が開きました。男の人が七面鳥の丸焼きをのせた大皿を手に入ってきました。

「さあ。みんな早く早く」

 続いて、八才から四才くらいの三人の子供たちが、手にサラダが盛られた器やパンを盛ったかごを持って入ってきました。年上の二人は男の子。一番下が女の子です。

「さあ、テーブルの上に置いて」

 テーブルは、赤と緑に色分けされた、しゃれたテーブルクロスがかけられていました。

そして、その真ん中に七面鳥の丸焼きが置かれ、サラダやパンが並べられました。

「今夜は、クリスマスのお祝いなんだわ」

 芹奈の考えは正しかったのです。部屋のすみに小さいけれど、美しく飾られた紫色のクリスマスツリーがありました。

 最後に女の人が、オードブルとスープ皿を持って現れました。そして、テーブルや暖炉の上に置かれたろうそくに火を付けると、部屋の中はいっそう明るくなりました。

「さあ、みんなそろったな」

 男の人はお父さん。女の人はお母さんで、子供が三人の五人家族のようです。

「みんな座って」

 お父さんの言葉に従ってみんなテーブルに向かって椅子に腰かけました。一番小さい子は、お母さんに抱かれています。

「さあ、お祈りをしよう」

 お父さんは、手を組んでお祈りを始めました。それにならって、家族みんなでお祈りをしているようですが、低い小さな声は宅也と芹奈には聞こえません。

 そのかわりに、クリスマスソングが部屋に流れているのが聞こえています。二人もクリスマス気分になってきました。

「メリー・クリスマス」

 お父さんは顔を上げると言いました。

「メリー・クリスマス」

 お母さんと三人の子供がこたえます。

 そして、シャンペンが抜かれ、お父さんとお母さんはシャンペンを、子供たちはジュースで乾杯です。お母さんは、用意したスープ皿に、暖炉にかけていた鍋からホワイトシチューをつぎます。

 子供たちは、大喜びでシチューを食べています。いくら部屋を暖めても、やはり暖かいものが体を芯から暖めるのでしょう。シチューが空になるころ、お父さんは、七面鳥の丸焼きに向かいます。ナイフとフォークで器用に肉をそぎ取ると、みんなに分けています。

「素敵な家族ね」

 芹奈がため息まじりに言うと、

「ほんとうに素敵だね」

 宅也はうなずきながら答えます。

 その時、タロスの声がテレパシーで聞こえてきました。

「今、君たちが見ている家族のお父さんは科学者だ。ふだんはここに一人で住み、気象観測やオーロラの研究をしている。今は、冬休みで家族が来ているがね」

----こんな厳しいところで、ふだんは一人でいるなんて。すごいなあ。

 宅也は心底驚きました。そして、心から尊敬する気持ちがわいてきました。

「科学者だって。きっと立派な研究成果をあげられているんでしょうね」

 芹奈も尊敬しているようです。

 その尊敬すべきお父さんはシャンペンの飲みすぎか、真っ赤な顔をして、お母さんの肩に手を置いています。「愛してるよ」とでも言っているのでしょう。そして、三人の子供を一人ずつ抱いては、ほおずりをしています。

「いつも一人だから、よほどうれしいんだろうね」

 宅也の言葉にうなずきながら、芹奈は涙ぐんでいます。

----厳しい自然の中で、こんな暖かい部屋や、こんなに暖かい家族への愛情を持つなんて、人間てすごいや。たかが知れているなんて、とんでもないな。

 宅也は、自分よがりの考えにとらわれ、人間や世の中を知ったつもりになっていた、いままでの自分がはずかしくなりました。

 芹奈は、こう思っていました。

----やっぱり家族が一番だわ。わたしも将来、こんな暖かい家庭を持ちたいわ。

 部屋の中では、食事が終わったようです。食べ終わった食器類をお母さんが台所に片づけ、上の二人の子がそれを手伝います。

 テーブルの上をすっかりきれいにすると、お母さんが手作りのケーキを持ってきました。 みんなでクリスマスソングを歌います。お父さんがギターを持ち出し伴奏します。何曲歌ったでしょうか。特にお母さんの美声がすばらしく、宅也も芹奈も聞き入ってしまいました。

 やがて歌が終わり、その後みんなの笑い声がひびきます。お父さんが得意のジョークを連発したようです。お母さんがケーキに立てたろうそくに火を灯し、部屋の電灯を消しました。

 テーブルや暖炉、そしてケーキのろうそくの暖かな光に照らされ、部屋はおごそかな空気に一変しました。

 みんな両手を組んで、お祈りを始めました。そして、子供たちによって、ケーキのろうそくの火が吹き消され、拍手の後、お母さんが電灯を付け、部屋は明るくなりました。

 お母さんがケーキを切り始めると、三人の子供は、夢中でケーキを見つめています。ケーキはきれいに切り分けられ、

「メリー・クリスマス」

 みんなはそう言うと、子供たちはケーキを口いっぱいにに、ほおばりました。その様子の可愛さったら、ありません。

「かわいい。お母さんのケーキがよっぽど好きなのね」

 芹奈はそう言って夢中で子供たちの様子に見入っていました。宅也も同じです。

「どうだね。まだ見ているかな?」

 タロスからのテレパシーです。宅也と芹奈は顔を見合せ、うなずき合いました。

「もう充分です。とっても素敵なものを見せてもらいました」

 宅也がそう言うと、二人の後ろに光が渦巻き、タロスが現れました。

「なにか得るところがあったかな」

 タロスの言葉に宅也が答えます。

「得るところだらけです。ぼくは、今まで限られた学校の勉強やテレビの情報などで、何でも知ったつもりでいました。けれど、知っていることと、体験することは全く違うことだと身にしみて感じました。素晴らしい体験でした。一生忘れられないほどの」

 タロスは満足げにうなずくと、二人に言いました。

「さあ、背中に乗りなさい。少し寄り道をして帰ろう」

 二人がタロスの背に乗ると、タロスは極寒の中を飛び始めました。いつのまにか吹雪はやんでいました。空を見上げると、満天の星空です。空気は冷えていますが、その気は澄みきっています。

「タロス。どこへ行くの」

 芹奈の質問にタロスは笑って、

「それは見てのお楽しみだ。君たちは知っているが、体験はしたことがないものだ」

 と言うばかりです。

「もう、そろそろだ」

 タロスがそう言ってからしばらくして、

「宅也。あれを見て」

 芹奈が空を指さしました。

「あれは、オーロラ・・・」

 宅也の言うとおり、それは巨大なオーロラでした。タロスは、その真下まで飛ぶと、二人を降ろしました。エメラルドグリーンのオーロラが、まるで巨大な布がたなびくように空一面に広がっています。

 そのきらめく光の神秘的なこと。

「美しいわ。わたし初めてよ」

「オーロラなんて、ぼくも初めてだよ」

 芹奈も宅也も感動しています。初めてオーロラを見た人は、必ずその神秘的な美しさに感動するものです。

 タロスはふたりの様子に満足げです。二人は形を変えながら、輝くオーロラを見つめ、なぜか心が暖かくなっているのを感じていました。




 第十二章 木馬の願い。


 タロスに送られ、芹奈と宅也はそれぞれの部屋に返ってきました。もちろん旅に出た、その夜のうちです。二人は、服をパジャマに着替え、ベッドの布団にもぐり込むと、すぐに深い眠りに落ちました。

 すると二人の意識は、肉体から離れ、宙に浮きました。タロスの声が聞こえます。

「芹奈、宅也。君たちの願いをかなえる旅は終わった。まだ知りたいことがあるかね?」

 二人は首を横に振りました。

「もう充分体験しました」

 芹奈が言うと、

「この体験と感じたことを理解するには、長い時間がかかると思います」

 と宅也がつけ加えました。

「今、君たちは肉体を休め、意識だけの状態にある。つまり、夢を見ているというわけ だ」

 タロスは続けます。

「君たちにおりいって頼みがある。わたしのいる店に、時々買い物に来る子がいる。年は五才の男の子だ。この子は一人っ子で兄弟はなく、両親は共働きで、さびしい思いをいつもしている。幼稚園でもおとなしすぎて、なかなか友だちの輪に入っていけない。しかし、とても純粋で美しい魂を持っていて、わたしの存在にも気づいている」

 芹奈と宅也は、黙って聞いています。

「ところが子供だから、わたしのテレパシーが強すぎて、うまく受け取れない。しかし、君たちなら、その子の夢に入ることができる。どうか、その子と夢の中で遊んでやってくれないか」

 芹奈と宅也は納得しました。

「わたしは子供は大好きだから、だいじょうぶよ」

「ぼくもだいじょうぶ。キャッチボールをしてあげるよ」

 芹奈と宅也はこころよく引き受けました。

 タロスはほっとした様子です。

「では、今からその子の姿を空中に映すから、それに意識を合わせておくれ。そうすれば、その子の夢に入って行けるはずだ」

 タロスはそう言うと、目から光を出しました。すると、映写機のように空中に子供の姿が映し出されました。

 芹奈と宅也は、その子の姿をじっと見つめました。すると、なにかに吸い込まれるように、その子の夢の中へと入って行きました。


 荒涼とした砂漠とごつごつした岩場。空にはどんよりした雲がたちこめ、冷たい風が吹いています。

「寂しい所ね。暗くて寒いわ」

「ああ、これはひどいね」

 と言いながら、宅也はその子をさがします。

「あっ。いた」

 その子は、岩の上でひざを抱え、頭をそのひざにうずめるようにして座っていました。芹奈と宅也は、ゆっくり近づきました。

 初めに言葉をかけたのは芹奈です。

「ぼく。こんな所で何をしているのかな」

 その子は驚いたように顔を上げました。

「やあ、こんにちは。ぼくは宅也。そして・・・」

「わたしは芹奈よ。ぼくの名前は?」

 その子は、うつろな目をして答えました。

「ぼくは勇太」

「勇太君か。勇ちゃんでいいわね」

 芹奈が優しい声で言うと、勇太はちょっと安心したのか、声が少し大きくなりました。

「おねえちゃんたち、なにしに来たの。ここに人が来るなんて初めてだよ」

 こんどは宅也が胸を張って答えます。

「もちろん。勇ちゃんと遊ぶために来たんだよ」

 その子は信じられないという顔をして、

「ほんとう?うそじゃないよね」

 と念を押しました。

「うそなもんか。ほらっ」

 宅也はビーチボールと念じました。すると、それはもう宅也の両手の間に現れました。

「これを投げ合って遊ぼうか」

 三人は、ビーチボールを投げ合いました。しかし、勇太はうまく受け取れません。すぐに後ろにボールが転がりますが、勇太はけんめいにそれを取りに走ります。その姿がかわいくて、宅也も芹奈も楽しくなってきました。

「ほら。おねえちゃん」

 勇太は芹奈にボールを投げます。これもうまくいきません。芹奈は取れずにボールを追いかけます。ボールは岩の前で止まりました。

「あら。こんな所にお花が・・・」

 芹奈の声で宅也がふと見ると、あちらこちらの岩の上にポツンポツンと花が咲いています。

----さっきまではなかったけど。

 宅也も芹奈も同時にそう思いました。

「おねえちゃん。早く早く」

 勇太の声も大きく元気になりました。

 それから、三人は、いろんなことをして遊びました。バトミントン、なわ飛び、風船飛ばしなどです。

 勇太は遊びに夢中で、気づいていないようでしたが、芹奈と宅也は、景色の変化に驚いていました。勇太が楽しむたびに、さつばつとした風景が、暖かく生命力あふれるものへ変っていったのです。

 雲は消え、日の光がさんさんと照り、砂漠や岩は、花で埋めつくされていきます。

----勇太の夢だ。勇太の心の変化が、全て夢に反映されてるんだ。

 宅也は、その変化の早さに驚いています。芹奈は、その美しさに見とれていました。

「おにいちゃん、おねえちゃん。ありがとう。とっても楽しかったよ。でも、もう疲れちゃった」

 そう言う勇太の顔は、にこやかで輝いて見えました。

「じゃあ、三人で休もう」

 三人はもうすっかり花畑に囲まれたまん中の草原で、大の字になって寝ころびました。

「わあ。とってもいい気持ち」

 勇太は、すっかり宅也と芹奈に心を許したようです。二人の間で大満足です。

 やがて、勇太は眠ってしまいました。

「夢の中で眠れるのか」

「なんでもありで、いいじゃない」

 芹奈はあっさりしたものです。

 その時、タロスの声が、テレパシーで届きました。

「芹奈、宅也。ありがとう。勇太が眠っている間に帰って来なさい。目を閉じて、わたしの姿を想像するだけでよい。さあ、やってみなさい」

「でも、タロス。勇太が起きて、わたしたちがいないと、さびしがるんじゃないの」

 芹奈は勇太のことが心配です。

「いや、心配しなくていい。君たちの意識がなくなっても、勇太自身が夢の中で、無意識に君たちを作り出すからだいじょうぶだ。それが、夢の不思議なところだ。さあ、わたしに意識を向けなさい」

 宅也と芹奈は、タロスの言うとおりにしました。すると意識は勇太の夢から出て、タロスのもとへと帰りました。

「二人とも、ありがとう。これで勇太はさびしさのとらわれから開放されるだろう」

 タロスがそう言うと、芹奈がたずねます。

「あれだけでいいの?どうしてとらわれから解放されるのかしら」

 タロスは答えます。

「勇太も一晩に多くの夢を見る。彼が一晩に一度は君たちと花畑で遊ぶ夢を見るように、勇太の意識にわたしがある設定をしたのだ。毎晩、愛があふれる夢を見ることによって、勇太の心の中で、深いさびしさより愛がまさってくる。そして、彼はだんだんと、本来の明るい活発な子に戻っていくのだ」

 芹奈も宅也も納得しました。

「宅也に芹奈。君たちは、早くもひとりの子の心を救った。これは、すばらしいことだ。これからも、人の心を救うような生き方をしなさい。それが、君たちの魂を進化させて行くのだから」

 タロスの言葉には、善なる者の強い意志が感じられ、二人は身の引きしまる思いがしました。

「さあ。もう夜明け近くだ。わたしも帰らねばならない」

 そう言うと、タロスの姿は消え、二人は夢を見ている状態になり、朝をむかえました。




 第十三章 木馬との別れ。


 その日は祝日でした。宅也は昼近くになって、起き出しました。

「宅也。いつまで寝てるの」

 お母さんが部屋に入ってきました。宅也は着替えをすませたところです。

「かあさん。ちょっと出かけてくる」

「朝ごはんは、どうするの」

 お母さんは、窓を開けながら聞きました。

「ああ、いいや。外で昼めしといっしょにすませるから。じゃあ、行ってきます」

 宅也はそう言うと、家を後にしました。

----とにかく、芹奈と会わなくちゃ。

 そう思って外出した宅也でしたが、芹奈は隣のクラスで、家がどこなのかわかりません。

 とりあえず、学校に行ってみました。しかし、校門は閉ざされ、藤棚にも人影はありません。

----やっぱり学校じゃないよな。タロスの所かな。でも、確かあのスーパー、土、日は営業してるけど、祝日は休みだったような・・・。

 宅也がそう考えていると、ふとスーパーの近くの小さな公園で、芹奈と話をしたことを思い出しました。宅也は公園に行ってみました。

 公園に着くと、思ったとおり、芹奈がベンチに腰かけていました。

「おはよう宅也。よく、ここがわかったわね。わたし、タロスの所へ行こうとしたら、あのお店、祝日はお休みだって。シャッターが閉まってタロスが見えないのよ」

 芹奈は早口でそう言いました。

「やっぱり、休みか。そうじゃないかと思って、この公園に来たんだ」

 宅也はそう言うと、芹奈の横に腰かけました。

 二人は、そのまま沈黙しました。二人とも、タロスとの旅での体験を思い出しているようです。

「ほんとに、いろんなことがあったなあ」

 しばらくして、宅也が両手をあげて、背伸びをしながら言いました。

「わたしも、今そう考えてたところなの」

 二人は、また沈黙しました。考えることが多すぎて言葉にできないのです。

「まあ。いいか。すぐに理解できなくてあたりまえだな。それより、今晩、タロスは来る気なのかな」

 宅也がそう言うと、芹奈は少し考えてから言いました。

「肉体を持ったままで来るのか、意識だけの夢の状態で来るのかは、わからないけど、きっと来ると思うわ」

 宅也は、それを聞いて安心しました。

「芹奈。お腹空かない。ぼく、朝からなにも食べてないんだ」

「わたしもよ。お腹ペコペコだわ」

 芹奈はそう言って、立ち上がりました。

「ファミリーレストランでも行こうか」

 二人が入ったファミリーレストランは、休日の人出で満席でした。十分間ほど待たされ、

やっと席に座ることができました。

 注文したのは芹奈がハンバーグ。宅也がチキンステーキです。

「おいしいわ。このハンバーグ。宅也にも少しあげる。食べてみて」

「じゃあ。ぼくのチキンも食べてみて」

 ふたりは、つい三日ほど前に知り合ったはずなのに、もう長年の友だちのように、気心が知れていました。二人で多くの旅をした経験がここにも現れています。

 二人は食事を終え、ジュースを飲みだしました。昼をすぎたので、お客さんも半分くらいに減っています。

「ねえ、宅也。タロスは時空を自在にあやつれる存在なんだから、今、時間を止め、このレストランに来るなんてこともできるのよね」

 芹奈がそう言うと、宅也は驚きました。

「それは、そうだけど。なにもこんな所に来る必要はないだろう」

 すると、芹奈は目を閉じ、耳をすませました。

「宅也。聞こえない?さっきから、タロスの呼ぶ声がかすかに聞こえるのよ」

 宅也はそう言われて、耳をすませました。お客さんたちの話す声とは違う頭の中でかすかに聞こえる声です。

「来るわ。宅也」

 芹奈がそう言うと、一瞬で店の中の時間が止まりました。ウェイトレスは、歩く恰好のままで。お客さんは、食べ物をいままさに口へ入れようとしたままで、全てが停止しています。

 驚いて、まわりをキョロキョロと見渡す二人。すると、光の粉が舞い、空中に渦ができ始めました。頭の中では、はっきりと声がしました。

「芹奈。宅也。わたしだタロスだ」

 それとともに、渦の中から虹色のオーラに包まれたタロスが出てきました。

「邪魔だったかな。こんな所まで」

 芹奈と宅也は、首を振ります。

「邪魔だなんて、とんでもない。ただ、突然でびっくりしているだけです。」

 宅也がそう言うと、タロスはうなずいていいました。

「あまり時間がない。君たちには今から眠ってもらう。いいね。わたしの目を見なさい」

 言われたとおり、二人がタロスの目を見ると、それは光っていました。すると、がまんできない眠気におそわれ、宅也と芹奈はテーブルに突っ伏して、眠ってしまいました。

 二人の意識だけが宙に浮き、目の前には、虹色に輝くタロスがいました。タロスはテレパシーで話しかけてきました。

「急なことで驚かしてすまないが、早急にわたしの助けを求める魂がいるのだ。わたしはすぐにでも助けに行かなければならない」

 そこまでいうと、タロスは二人の意識に焦点を当てました。

「君たちが、急速に成長しているのは、意識を見ればわかる。もうわたしの助けを必要とする段階は卒業したようなものだ。だが、ねんのため、以前にもたずねたが、もう一度たずねる。まだ知りたいことがあるかね?」

 二人は声を合わせていいました。

「もう充分体験し、多くのことを感じました。後は、学んだことを全て生かすことだと考えています。おそらく、一生かかるかもしれませんが」

 タロスはうなずきながら、

「それもよし。では、君たちの次の生で、また会うとしよう」

 二人はタロスに心から言いました。

「タロス。ほんとうにありがとう。この体験のことは一生忘れません」

 タロスは、満足げです。

「宅也。そして芹奈。さらばだ。わたしも君たちのことは、決して忘れない」

 そう言うと、タロスの光が弱まっていきます。

「タロス、さよなら。ありがとう」

 二人がそう言い終わらぬうちに、タロスは消えてしまいました。そして、二人は同時に目を覚ましました。まだ全てのものが停止しています。しかし、二人が顔をあげ、体を起こすとと同時に、レストラン内の全てが、まるで何もなかったように動きだしました。

「お客様。食後のコーヒーはいかがですか」

 隣の席で、ウェイトレスの声が聞こえます。

「出ようか」

 宅也が言うと、芹奈がうなずきます。

 二人は、レストランを出て、ゆっくりと歩きます。

「タロス。行っちゃたわねえ」

 芹奈がため息まじりに言います。

「ほんとに。もう会えないんだなあ」

 宅也もなごりおしそうに答えます。

 これが、木馬と宅也、芹奈の別れでした。




 第十四章 ほんとうの旅立ち。


 次の日の放課後。宅也と芹奈は、木馬のお店へと急ぎました。もちろん木馬の存在を確かめるためでした。しかし、陳列棚の上に木馬の姿はありませんでした。そして、店全体に張りつめていた、きれいな気も感じられなくなっていました。宅也はレジの人にたずねてみました。

「あそこの棚の上にあった。木馬はどうしたのですか」

 宅也のこの問いに、レジの人は不思議そうに答えます。

「木馬ですか。そんなもの置いてましたか。わたしは気づきませんでしたが・・・」

----タロスが行く時に、みんなの記憶を消したんだ。

「あーあ。木馬のお店も、普通のスーパーになっちゃたわね。わたし、さびしいわ」

 店を出ると、芹奈がため息まじりにいいました。

「ほんとだね」

 二人は、沈黙したまま別れました。


 それから一カ月が過ぎました。タロスと別れた後、宅也と芹奈は、放課後、毎日藤棚の下で会っていました。

「おじいさんの調子はどう?」

「もう、元気いっぱいで、散歩はかかさずだし、趣味に盆栽なんか始めちゃったりして」

「よかったね。ほんとに」

 宅也がそう言うと、芹奈は立ち上がり、宅也の前を行ったり来たりしながら、話しにくそうにポツリポツリと話しだしました。

「今日はね。宅也に話さなければならないことがあるの。わたし、転校するの。もともとわたしは、お母さんが入院している間、おじいちゃんとおばあちゃんに預けられていただけだし、お母さんがもうすっかり回復して、退院も決まったから。わたしとしては、もとの家に帰るだけなんだから、喜ぶべきなんだけど、ただ宅也に会えなくなると思うと、さびしくて」

 宅也は転校と聞いて驚きましたが、気を取り直して言いました。

「芹奈。お母さんがすっかりよくなって、おめでとう。よかったね」

 しかし、その後が続きません。宅也のショックは大きかったのです。二人は黙り込んでしまいました。

 しばらくして、芹奈が話しだしました。

「だいじょうぶよ。おじいちゃんの家には、お盆と正月には、必ず来るから、その時、会えるから」

 宅也はまだ心の整理がつきません。

「いや、そのこととは別に・・・。ぼく自信がないんだ。こうやって芹奈と会っていると、タロスとの旅が現実として、感じたことまではっきりとしている。でも、芹奈がいなくなると、あの感動がだんだん薄れていってしまわないかと思って・・・」

 芹奈はうなずいて聞いていました。

「それは、わたしも同じだわ。昨夜電話で、お父さんから転校のことを聞かされてから、ずっとそのことを考えていたわ」

 芹奈は宅也の目をまっすぐに見つめていいました。

「そんなことで薄れるような体験だったのかって。何度も自分に問いかけたの。でも、いくら考えても答えはノーよ。あの体験はそんな中途半端なものじゃないわ。そうでしょ、宅也」

 宅也もそれにはしたがいました。芹奈は話を続けます。

「わたし、昨夜、眠らずに考えたの。そして、思いついたの。今、わたしと宅也があの体験から学んだことを手紙に書いて、それを未来の自分に渡すのよ」

 宅也は意味がわかりません。

「未来の自分に渡すって、どうやって?」

 芹奈はまた宅也の前を歩きながら答えます。

「その手紙を缶の中に入れて、土の中に埋めるのよ。そして、埋めた日の十年後に二人で掘り出すの。そうすれば、もし未来の自分があの感動を忘れかけていても、しっかりと思い出すじゃない。これはどうかしら」

 宅也は黙って聞いていました。額に手を当てて、しばらく考えていましたが、初めはポツリポツリと、だんだん力強く言いました。

「それはいいかもしれない。人間は、ほんとうに忘れることはできない。でも、薄れることはある。芹奈の言うとおり、その手紙を読めば、また感動がよみがえる可能性は多いにある。よし、そうしよう」

 二人は、両手をたたき合って、喜びました。そして、芹奈が転校する一週間後までに、手紙を書くことを約束して別れました。


 一週間がすぎました。宅也と芹奈は、校舎の裏に来ていました。宅也の手にはスコップが、芹奈の手にはお菓子の空き缶がありました。

 どこに埋めようかと迷ったあげく、一本の大きなクスノキの下に埋めることにしました。これだけ大きなクスノキなら、移植されたりで、土を掘られることもないと思ったからです。

 宅也は芹奈に手紙を渡すと、芹奈はそれを大事そうに、自分の手紙と一緒に缶にいれました。封筒のあて名のところには、

「十年後の斉藤宅也へ」

「十年後の琴吹芹奈へ」

 とあります。

 宅也がスコップで、土を掘り出しました。二十分ほどかけて、五、六十センチほどの深さの穴が掘れました。芹奈がていねいに穴に缶を入れます。そして、宅也が土をかぶせます。

「よし、できた。十年後にまたここで」

 宅也は汗をぬぐいながら言いました。

「約束よ。宅也。でも、この手紙たちが必要なければ一番いいのだからね。わかってる」

 芹奈にそう言われ、宅也は頭をかきました。

「わかってるって」

「それより、列車の時間は?駅まで送るよ」

 宅也がそう言うと、芹奈は答えます。

「時間はまだあるの。送ってくれなくていいわ。泣いちゃうかも。ここで別れましょう」

 二人は藤棚のベンチに座りました。

「宅也。これからの人生、どこにいても、なにをしても、タロスとの体験を頭において ね」

 芹奈の心配性に宅也は笑って答えます。

「わかってるって。『感じること』そして、『今に生きる』ほんとうの深い意味は、もっと大人になってわかることだと思うけど、今の自分のわかる範囲で、そう生き続ければいいと思ってるんだ」

 芹奈はうなずきながら聞いています。

「さあ、今日からほんとうの人生の旅立ちよ」

「そう、ほんとうの旅立ちだ」

 二人は校門を出て、しっかりと握手して別れました。

 それぞれの人生の旅へ向かって。

「木馬のお店」最後までお読みいただき、ありがとうございました。

絵本・童話・児童文学・小説と55作程書きためています。順次、投稿いたしますので、お読みいただければ幸いです。

昨年、小説「左手の疎画」が全国出版され、作家デビューしました。

「木馬のお店」とは全く違った小説ですが「いつのまにか引き込まれ、不思議と心に残る二つの物語」と好評です。

Amazon等、ネット購入、書店の取り寄せもできます。ぜひご一読下さい。

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