相棒二匹
「オン!」
名前を呼ばれ、大きく尻尾を振る。
喜んでいるのか、喉を鳴らしながらグイグイと頭を擦り付けて来る。
リョウ「は、ははは。」
なんとも間抜けな笑い声が出た。
それもそうだろう。
ついさっきまで死を覚悟していたんだ。
腰を抜かさなかっただけマシだろう。
リョウ「ってそうじゃない!すぐにアキラを治療しないと!丁度良い。シフ、俺とアキラを運んでくれ。」
「オン!」
任せろと言わんばかりに吠える。
が、仲間の狼はよく思わなかったらしい。
未だ鋭く血走る眼光を携え、捕食者の歩みで近寄って来る。
俺は思わず息を呑み、硬直してしまった。
が、瞬間、すぐ隣にいたシフが弾丸のように飛び出し、躙り寄る狼の喉笛を咥え、大きな弧を描き地面へと勢いよく叩きつけた。
叩きつけられた狼はピクリとも動かなかった。
シフは振り返り俺の側まで歩み寄ると腰を落とし、乗れと言わんばかりに視線を送ってきた。
リョウ「・・・頼むぜ。」
シフの背にアキラを乗せ、俺も乗る。
リョウ「医者のところに連れて行ってくれ!出来るだけ急いでだ!」
「オン!」
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シフ達は風のように速かった。
いや、風そのものと言っても過言ではなかった。
バイクで風を斬る感覚とは違う。まるで風に乗るかのように軽やかに、静かに、颯爽と月夜を駆けた。
時間にして15分くらいだろうか。村が見えた。
その中でも3番目くらいに立派な家の前で、シフは立ち止まった。
リョウ「ここなのか?」
「オン」
灯りは点いていない。
もう寝るような時間なのだろう。
俺は強く戸を叩いた。
リョウ「すいません!開けてください!!友人が酷い熱を出しているんです!!助けて下さい!!!」
家の灯りが点き、足音が近づいてきた。
「こんな夜中に誰だい?普段から言っているだろう?少しでも体調が悪かったら昼間の内に来なさ————」
リョウ「夜分遅くにすいません。友人が酷い熱で。助けて下さい。」
「——————」
リョウ「あの?」
「あ!あぁ急患ね。取り敢えずベッドに運んでくれたまえ。こっちだ。」
白い髭を蓄えた男性は部屋の奥のベットへと俺たちを案内した。
医療施設特有の医薬品の匂いが鼻に付く。
普段から客足が絶えないのだろう。待合室のソファーはかなり草臥れており、その割には埃1つ見当たらなかった。
「この部屋だ。少し準備があるから待っていてくれ。」
医者はそう言うと足早に部屋を後にした。
アキラ「リョウ・・・ここは?」
リョウ「アキラ!医者の家だ!もう大丈夫だ!」
酷く衰弱しているらしい。目の焦点は合わず、息も絶え絶えだ。
アキラ「声が・・・聞こえるんだ・・・心が・・・昂ぶる声が・・・」
幻聴まで聞こえているらしい。呼吸も浅く、余りに異常だ。
アキラ「あぁ・・・心が破裂しそうなほど・・・昂ぶる・・・ダメだ・・・ダメだ!・・ダメだ!ダメだ!ダメだ!」
リョウ「落ち着け!深呼吸をしろ!」
俺の声は聞こえていないらしい。
全身の筋肉が緊張しているのか、額には血管が浮かび上がり、眼球は血走り、海老反りになり悲鳴を上げ始めた。
アキラ「あアアあぁアぁあああ!!!!!!」
断末魔のような咆哮。その叫びに同調するように、アキラの身体は異形へと変化し始めた。
リョウ「なんだよ・・・これ・・・」
身体中から色素が抜け始め、それと同時に妖精の羽が大きく肥大し始める。
眼球は水膨れのようなものができ始め、次第に複眼のように眼を覆い尽くす。
腕は曲がるはずのない位置で曲がり始め、メキメキと新たな関節を作り始める。
腹部からはそれと同じような腕が対に2組形成され、額に浮かび上がった血管が皮膚からはみ出し、虫の触覚のような物へと変わる。
アキラ「——————!!!!!」
既に発声器官は失われたらしく、断末魔の代わりに4枚の翅が空気を振動させる低音が部屋を揺らす。
計8本の手足で空を掻き毟り、醜い節々を隠すように純白の毛が全身に蔓延る。
その姿は、巨大な「蛾」そのものだった。
言葉が出ない。
目の前の光景がただただ脳へと吸い込まれるが、内容を噛み砕くことが出来ない。
唖然と立ち尽くす俺を他所に、アキラだったものは地に落ちた虫のように体の全てを忙しなく動かしている。
が、突如その動きは停止した。
そして、目覚めた赤子が頼りない手で母を探すように、触覚を動かした。
声を掛けるべきなのか。
これはアキラなのか。
始めから夢でも見ていたのか。
アキラだったらなんて声を掛ければいいのか。
アキラでなかったらどうするのか。
考えが纏まらない。
どんな答えが出ても、この瞬間この光景を受け止める事は出来ないだろう。
いつの間にか没入していた思考から視覚へと意識を戻し、再びそれを見た。
それはベッドの上に「留まり」、黒い複眼で俺を見ていた。
思えない。
これがアキラなんて。
瞬間、ソレは巨大な翅を振動させ、俺へと飛来してきた。
リョウ「な!?」
咄嗟に俺は横に避けたが、体制を崩し床へと倒れた。
ソレは俺の背後にあった窓へとそのまま突き進み、窓枠ごと破壊し外へと飛び出した。
「彼女は未覚醒のハーフエルフだったのか。」
いつの間にか医者は戻っていたらしく、部屋の入り口から白衣姿を覗かせていた。
リョウ「未覚醒?どういうことだ?」
「なんと、知らずにハーフエルフと行動していたのか。・・・まぁいい。話す時間くらいは残されている。こっちへ来なさい。」
医者は白衣を翻し、さらに奥の部屋へと案内した。
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「元々エルフとは、魔力を持った虫、それが先祖から受け継いだ理を捨てることが出来た上位種の事だ。スロープ(獣人)も然り。」
村医者、トリスはコーヒーを片手に語り始めた。
トリス「捨てたものは二度と取り戻せない。だが、それは純血種のみの罪だ。一度異種と交われば、先祖の過ちは薄れ、再び捨てた理を拾うことが出来てしまう。」
リョウ「それが、アレなのか?」
トリス「あぁ。彼らは人間で言う10代後半までに、捨てた理を拾うか捨て置くか選ぶことができる。一般的には覚醒と言われている。
だがそれは捨て置いた場合の話だ。捨てた理を再び拾ってしまえば、それは【先祖返り】と呼ばれ、忌み嫌われる化け物へと変貌する。」
リョウ「先祖返り・・・。戻す方法は無いのか?」
トリス「不可能だ。アレはもう人間を捨て、虫としての生き方に魅入られてしまった。もう人の思考は出来ないだろう。」
リョウ「そんな・・・」
トリス「・・・気持ちは分かるが、彼女も長い時間の中で考え抜いた結果だろう。納得するしか無い。君は異世界の人間だろう?偶にいるんだ。親しいハーフが先祖返りして、なんとか出来ないかと聞いてくる者がな。」
リョウ「・・・納得なんか出来ねぇよ。こんな世界に無理矢理放り込まれて、終いにゃあんな化け物になっちまうなんて。こんな事なら、始めから誘わなければよかった。」
後悔なんて比じゃない程の虚しさで埋め尽くされる。捥がく気力すら起きない程の泥沼。
眼を閉じ、暗闇の中へと消えたい気分だ。
トリス「もしや、彼女も異世界の者なのか?」
リョウ「あぁ・・・。」
トリス「・・・なら、今晩の内になら戻せるかも知れない。」
トリスの言葉に心臓が大きく鼓動した。
リョウ「なんとかなるのか!?教えてくれ!俺にできる事なら何でもする!」
トリス「・・・本来の先祖返りは洗脳に近い。幼い頃から徐々に本能に委ねる快楽を覚え、覚醒時に全てを捨ててでも快楽を選んでしまう。
だが、君たち異世界人は例外だ。君たちの場合は人としての生き方を捨てる選択まではしていない。ただ心の昂りに委ねているだけだ。
一度人の思考が戻れば、人の言葉を理解することもできるはずだ。」
言わんとする事は何となくは分かる。
が・・・
リョウ「つまり・・・どうすればいいんだ?」
トリス「彼女に分かるように、彼女を惨たらしく痛めつけるんだ。」
リョウ「な!?」
トリス「出来るだけ多く出血させ、出来るだけ多くの傷を、出来るだけ痛々しく刻みつける。」
リョウ「なぜそれが人の思考を取り戻す事に繋がる?」
トリス「彼女の痛覚は既に失われているだろうが、人の記憶までは失ってはいないだろう。血を流せば興奮は収まり、自身の傷を見れば痛みを錯覚する。そうなれば自分の状況を思考し始める。」
リョウ「・・・もっと平和的な方法は無いのか?」
トリス「あるだろう。だが私は彼女のことを何も知らない。彼女が好戦的な人間でない限り、この方法が一番信頼できるだろう。」
リョウ「・・・分かった、やろう。」
トリスは大きく溜息をつき、腰を上げた。
トリス「いくら異世界人と言えども、丸腰は辛いだろう。武器と防具を持ってくる。それまで心の準備をしていなさい。」
トリスはそう言い、部屋を出て行った。
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時間は深夜ごろだろうか。
俺はシフの背に乗り、アキラの後を追っていた。
後方には大狼の群れを引き連れ、村から西に10分ほど移動しただろうか。
小高い丘を越えた時、目の前に樹海が広がった。
トリスの言葉を思い出す。
トリス『大狼が示したのは西か・・・恐らくだが、迷いの樹海だろう。あの場所は異形がよく出ると聞く。惹きつけられる何かがあるんだろう。生きて帰れる事を祈っているよ。』
樹海は地平線まで広がっており、大きな川が流れているのが見えた。
蔦に覆われた、人口の建築物であろう遺跡のような物や、集落なのか岩場なのか、円形に木が生えていない地帯も見える。
リョウ「迷いの樹海なんて言ってた割には目印になりそうな物がチラホラ見えるな。まぁ、用心するに越したことはないか。」
丘を下り、樹海に入ろうとした時だ。
樹海の上空。
月を背に羽ばたくものが居た。
一目で分かった。
アキラだ。
再度その姿を見て確信する。
アレは蚕蛾に酷似している。
大きさや飛行能力など、その行動自体は蚕蛾のソレとは大きく違っているが、犬や猫の様にフサフサと体を包む純白の毛。黒い複眼。見れば見る程蚕蛾だ。
リョウ「・・・蚕蛾自体は無害で、食事が出来ないから10日ほどで死ぬって聞いたことがあるが・・・あいつもそうであって欲しいな。」
もし肉食だったりしたなら、俺は襲われるんだろうか?
・・・そんなことを考えていても仕方ないか。
今はどうやってアイツに手を届かせるかだ。
地上から・・・100メートル以上はある。
その辺りの木に登って届く距離じゃない事は確かだ。
時間は掛けられない、無闇に樹海に入って見失う事も考えられる。
かと言ってここに居ても埒があかない。
「オン」
シフが小さく鳴いた。
リョウ「どうした?」
見れば口に何か咥えている。
銀色の腕輪のように見える。
「オン」
まるで着けろと言わんばかりに、咥えているソレを突き出した。
リョウ「着けろって言ってるのか?」
何か意味があるんだろう。
取り敢えず着けてみた。
シフ「これで意思の疎通が容易になるな、主人よ。」
リョウ「!?」
突然シフが人の言葉を話し始めた。
シフ「驚くのも無理はないが、今はやるべき事があるだろう?」
リョウ「そ、そうだな。こんなタイミングで話せるようになったんだ。何か考えがあるのか?」
シフ「アレは古代に滅びた王の1つ、薬粉蛾。通称爆裂の白姫。毒、薬、火薬、様々な種類の鱗粉を無差別に撒き散らし、周囲の生態系を尽く破壊し尽くす。」
リョウ「毒?」
シフは腰を下ろし説明を始めた。
シフ「安心していい、ここは風上だ。距離も十分ある。が、樹海の中はもう手遅れだろう。毒と火薬と薬が蔓延し、毒を吸えば穴という穴から血を吹き出して死に、静電気1つで樹海全てが消し飛ぶ連鎖爆発が始まる。薄められた薬粉蛾の薬は万病に効く万能薬らしいが、原末を吸えば死ぬだろう。過剰摂取というやつだ。」
リョウ「そんなにヤバイやつなのか。・・・て、待て!あいつが先祖帰りした時、俺はあいつのすぐ側に居たんだぞ!お前の話なら毒なり薬なりもう吸っちまったんじゃないか!?」
シフ「鱗粉を作るのにも体力がいる。先祖返りした時点では、体の変態に体力を持っていかれたせいで、鱗粉を作れなかったのだろう。」
リョウ「そうか。で、こっからどうするんだ?」
シフは大きくため息をついた。
シフ「帰るのだ。アレは私達の手に負えるものでは無い。」
リョウ「は?」
シフ「私は主人の友を救う為に、主人をここまで連れてきたのではない。諦めさせる為に連れてきたのだ。」