プロローグ
僕は一体何のために生まれてきたのかさっぱりわからない。
いつもこんな演技をしてまで、何のために?
こんな風に同じサッカー部のみんなと学校の近くにあるレストランに来て、友達や後輩に話しかけられたときでさえ演技に明け暮れて……。
こんなにしてまで生きている意味って何だろう?
何も今考えるようなことじゃないのにふとした瞬間に囚われ、そもそもなんでこんなことになったんだろうと考えさせられて、どうしようもない淋しさに襲われる。
世界中の誰にも心を開けていないような、誰とも繋がれないような、一人孤独に空気の中を浮遊するかのような感覚……。
男子サッカー部の集団の笑い声や会話のさざめく声、グラスの中で揺れる氷の音、様々な店内の雑音が響き渡るなか、一人で心の声をざわつかせている。
「琉偉、何見てんの?」
そんな僕に気づいて声をかけてくれるのは、土井莉仁。
小学四年の時に同じクラスに転校してきて仲良くなって以来、中学も高校も一緒でずっと同じクラスの大親友。
莉仁の誘いでサッカー部に入部したから部活も一緒。
だからなのか、僕のちょっとした変化にもいつも気づいてくれる。
今もその女の子みたいにクリッとした大きな瞳を僕に向けて心配そうな顔をしている。
こんな女の子みたいな瞳なのに程よくがっしりとした骨格で、性格もサバサバしていてとっても頼りになる。誰が見ても間違いなく美少年っていうであろう顔をしているのに、それを全く鼻にかけていない。
「あ、あのタペストリーがね、美味しそうだなって」
誤魔化すために目についたものを言ってみる。
「……たぺすとりー?」
……あ、普通の男子高校生にはタペストリーは通じないか……また間違えた。
「ほら、あそこの壁に掛かってる布。写真のラズベリーが美味しそうで、うちで作ったレアチーズケーキに乗っけたいなって」
「あ~あれか!確かに美味そう!琉偉、料理めっちゃ好きだし上手いもんな。またレアチーズケーキ作ったの食わせてよ」
「うん、いつでも」
なんとか誤魔化しきると、今度は火宮灯夜が話しかけてくる。
灯夜は高校からクラスも部活も一緒の仲良し。穏やかな笑顔の幼顔でチャラついたところは一切なく、いい意味でサッカー部っぽくはない。どちらかというと文化系の部活にいる真面目男子といった雰囲気。
「琉偉が料理上手すぎて、家庭科の授業でいっつも女子がボヤくの見てて面白いんだけど!最初は『水納谷くんすご~い』とか言ってんのにしばらくしたら『ねぇ、男子がそこまで上手くなくてもいいんだけど』とかボヤきだすのな。で、散々ボヤいてから『水納谷くん上手すぎて女として危機感ハンパないんだけど!マジやめて』とかキレるの」
「そうそう!女子が琉偉の包丁さばきや盛りつけを見て『マジすごすぎるから手加減してよ』とかキレてんのな!キレる意味わかんねーし。でもって、班が一緒になるとブツクサ言ってるくせに『すご~い!あ、これもやって』とか琉偉に頼りっきりなのも意味わかんねーよな。とりあえず、琉偉やっぱすげぇってなるわ」
家庭科の調理実習の時の出来事。
内心かなり苛立っていたことに二人も違和感覚えて同じ気持ちでいてくれたんだ……。
「いや、僕はいつも家で料理してるからだよ。毎日しなきゃならないと自然と出来るようになるよ。それに、忙しい時は作り置きとかもするし」
「それがすげぇんだって!毎日学校行って部活もやって家で料理とか、俺なら絶対無理だって!とりあえず俺は琉偉の料理食うの専門でいいわ」
「莉仁、どんだけ琉偉に胃袋掴まれてんの。まぁ、あれだけ美味しければそうなるのもわかるけど」
呆れ気味に灯夜が言うと、更に熱く語り出す莉仁。
「なっ!美味いよな!玉子焼きはふわふわでほんのり甘いし、スイーツもいろんなの作れてどれも美味いし、定番メニューはだいたい作れるし、激辛料理作っても美味いし。そりゃ胃袋ガッチリ掴まれるっての!俺の胃袋こんだけ掴むってスゲーからな!わけわかんねー女子の言うこと気にすんなよ」
「ありがとう……そんなに褒めてもらえると照れるけど、すっごい嬉しい!僕もまだまだだし、これからもっとレシピ調べたり考えたりしていろんなの作るね」
「やったぁ!楽しみ~」
思いっきり謙遜しながらも、内心では勝ち誇った気持ちになる。
女だから必ずしも料理出来なきゃだめとか思わないけど、出来ないならまず出来るように努力すればいいのに。そんな努力さえしないで男だから女より料理出来るの許さない、なんて押しつけようとする人は本当にイライラする。
性別で勝手に役割分担を決めつけてくるの、本当に嫌だ。
でも、二人共わかってくれてて、僕の料理のこともたくさん褒めてくれてすごく嬉しい。
謙遜した気持ちは決して嘘じゃない。
ネットでレシピ調べているとものすごく上手な人も斬新な発想のレシピを作る人もいくらでもいる。
もっともっといろんなもの作れるようになりたいし、もっともっと美味しいものを自分の周りの人たちに食べて欲しい。
おうち帰ったらまたレシピ考えてみよう。レアチーズケーキ気に入ってもらえたから、今度は水抜きヨーグルトで作ったケーキをアレンジしてみようかな。
アボカド入れても美味しいし、アボカドじゃなくて柑橘類と合わせるのも上手くいったら美味しいよね……。
頭の中でレシピのアイディアを浮かべていると、そこに今度は他の部員や後輩も話に入ってくる。
「琉偉ってさ、無駄に女子力たっけーよな」
「わかるわ〜やたら女子力パネェよな。だから彼女できねーんじゃねーの?」
「それを言うなら莉仁もだよ。いっつも琉偉や灯夜とつるんでばっかだから彼女できねーんだよ」
「莉仁や琉偉はできねーんじゃなくて作る気ゼロだろ。モテるのに全然その気なさそう」
「確かに!我らサッカー部のエース二人が彼女ナシだとなんかこっちは彼女作りづらいわ」
「莉仁さん琉偉さんモテますよね~!」
「いや、莉仁はわかるけど、僕は別に……」
「はぁ?何言ってんの?琉偉こないだも女子にめっちゃ話しかけられてたじゃん」
「え、あれはお弁当の作り方訊かれただけで何も……」
「わかってねーなぁ!それ話しかけるきっかけにして近づきたがってんじゃん!」
「そうそう!それをモテると言うんだよ!」
「……そうなの?」
首を傾げ戸惑う琉偉をみて、一瞬の間を置き一気にゲラゲラと笑い転げ始める部員達。
「あ~もう!琉偉どんだけ天然なんだよ!」
「マジ鈍感過ぎてウケるわ〜」
うぅ……またみんなに笑われてる……。
こういうことがしょっちゅう起こり、周りにはすっかり天然扱いされている。
ま、その方が都合いいんだけどさ……。
そういえば、お兄ちゃんが前に『琉偉は自己承認が足りないんだ』って言っていたけど、こういうことかな?
だって、自分がそこまで女子に好かれるなんて実感がまるで沸かない。
沸くわけがない。
だって……。
「琉偉はさ、この女子にがっついてない感じもモテる要素だよな~お前らみたいにせっかく顔はいいのにガツガツしてドン引きされてるのと大違い」
「そうそう、お前らみたいな勘違い肉食系と琉偉は違うんだよ」
琉偉のフォローをする莉仁と灯夜。
「なんだよそれ~!お前らモテるからってその余裕ズルいぞ!灯夜だってこないだも先輩に告られてたじゃん!この年上キラー!」
「だからなんだよ?別に寄って来てくれなんて頼んでねーし」
「俺だって余裕とかじゃねーよ、俺も琉偉も灯夜もサッカーひとすじの純朴少年なの!琉偉はそれに加えて家の料理もしなきゃいけなくて忙しいから恋愛する暇なんてねーの!な、琉偉?」
ニコニコしながら周りの部員を茶化し、琉偉の肩を抱く莉仁。
「確かに……恋愛する余裕なんてないし、それに……」
「それに?」
「まだ、恋愛とかよくわからないからいいかなって」
「はぁ!?もう高二だぜ!?」
「お前ら、そろそろ察してやれよ」
あ、これは来る……莉仁と僕へのお決まりのいじりが……。
「莉仁も琉偉もこんなにモテるのに彼女も作らず小四からずっと一緒で高校も一緒に受験してまで離れねーんだぜ?そのへんの女子よりお互いがいいんだって」
「あーそっかぁーごめんな気づかなくて」
「そういえば琉偉って全然下ネタとか乗ってこないし、そもそも女子に興味なさげだよな」
白々しい口調でニヤニヤしながらいじってくるサッカー部員達。
下ネタって、グラビアアイドルとかいやらしい画像とかの話だよね?
可愛い女の子やきれいなお姉さんの曲線を帯びたきれいな身体。絡まり合う男女。
僕の居場所はどこにもない世界観。
だから、そこには立ち入らないだけ。
かといって、それを説明しようとすればややこしい事態になるので適当にはぐらかす。
「えっ……あ、まぁ、そのへんは普通かな……家のこととか忙しくてそれどころじゃないけど」
「なんか琉偉あたふたしてあやしいなー」
「とかなんとかいって、実は女子より莉仁の方がいいんじゃねーの?」
「つーか、もうやってんじゃねー!?」
「マジかよお前ら既に合体してたのかよ!?」
ゲラゲラしながら琉偉をからかうサッカー部員達。
こうやってしばしば琉偉と莉仁をいじってくる。
それが琉偉にとって、どれほど残酷なことかも知らないで……。
うぅ……ここで真剣に否定すると余計怪しまれるから、頑張って男子っぽいノリでちょっと下ネタ混じりなこと言って乗り切ろう……。
「もう〜何言ってるの?男同士だと入れるところないじゃ〜ん!アハハハハハハハハハハハハッ」
琉偉が笑ってみせるもシーン……と数秒静まり返り、一気に吹き出し大爆笑するサッカー部員達。
「ま、マジ琉偉面白れぇわ腹いてぇ!」
「そうだよね〜入れるところないんだもんね〜…フハッハハハハハハ」
「うんうんそっかぁ入れるところないのかぁ…ギャハハハハハハ」
「毎度毎度天然炸裂させるなよマジ笑えるわハハハハハハハッ」
うぅ……またみんなに笑われた……。
男っぽいノリに合わせてみるといっつもこうなんだ……。
そして、なんで笑われてるのかよくわからない……。
「ぼ、僕……何か変なこと言っちゃった……?」
周りの予想外の反応に戸惑い、首を傾げながら莉仁に助けを求める琉偉。
「い、いや……変なこととか言ってないよ……つーか琉偉、そういう話苦手なんだなら無理しなくていいんだよ、いつも言ってるだろ?」
「莉仁……」
優しく耳許で囁く莉仁の声に、耳が熱くなる感覚。
「お前らね、俺と琉偉がなかなか彼女作らないからって考え過ぎだっつーの!俺と琉偉はとりあえずそういうお年頃だからとかそんな軽い理由で恋愛するわけじゃねーの!なんつーの、こう、『人を愛するって何だろう?そんなこともわからないのに恋していいものか』みたいな哲学的なところを大事にしたいっつーか」
椅子の背もたれに身体を預けて足を組み、ブランデーグラスを回すような素ぶりで大人ぶってみせる莉仁。
「あーはいはい」
「どうせ単に琉偉と遊んでる方が楽しいとかだろ」
「……あ、バレた?」
「バレるに決まってんだろ!」
「マジ莉仁ウケるわ」
やいのやいのと楽しく盛り上がる男子一同。
この男子特有のノリや恋愛トークに今ひとつ合わせきれないのはもどかしいが、その度に莉仁がいつもこうやってさりげなく助け舟を出してくれる。
この優しさに何度救われてきたことか……。
リヒトというのはドイツ語で『光』を表すという。
莉仁がいなかったら、僕はずっとただひたすら黙ることしか出来ない子供のままだった。
莉仁は僕の暗い世界に差し込み、僕を照らしてくれた光。
……あ、ダメだ。
莉仁のこと考えだしたら、いろんな意味で泣きそうになる。
この気持ちだけは莉仁に悟られるわけにはいかない。なんとかこらえなきゃ……。
「つーかよー、莉仁と琉偉はどっちかが女子に生まれてたら絶対つきあってたよな」
「あ〜間違いねぇわ」
自覚なく残酷な冷やかしをする周りの声に涙腺の結界が崩壊しそうになる。
「だろ〜?俺も琉偉が彼女だったら最高だわ」
「えっ……」
莉仁の言葉に涙腺の結界は一気に修復される。
あぁ……ほっぺた赤くなりそう……!
いや、もう赤くなっちゃってるかも……?
「はいはいお似合いお似合い」
「お前ら、女子にゲイじゃねーかって疑われてるから気をつけろよ」
「マジかよ!まぁ、なんだかんだ琉偉なら大歓迎だわ」
そう言いながら、更に琉偉の肩を強く抱き寄せる莉仁。
「琉偉は?俺じゃいや?」
……えっ……えっ!?
いや、あの、えっと…… !
莉仁の長い睫毛とスッとした鼻が自分の顔の間近に……!
そのうえ、なんか甘い声で囁いてる……!
いつもなら、さっきみたいに助け船を出して否定するだけなのに……!
ここで真剣に答えたら怪しまれるから、なんとか冗談めかして……。
「大歓迎〜!!」
思いっきり笑い、拳を上げ高らかに答える。
「やったぁ!俺達両想い〜!ハイ乾杯〜!」
「もうグラス空っぽじゃねぇかよ」
「お前らマジでゲイに目覚めろや」
口々にからかわれながら、しばらく肩を組みわいわい盛り上がる二人。
莉仁ったら、僕の気持ちも知らないで……!
でも……嬉しい。
こんな風に少しの間に些細なことで傷ついて、些細なことでぐちぐちと悩み、些細なことで舞い上がりたくなるほど喜ぶ。
そんな心の動きの忙しさをこの中の誰も知らない。
やっぱり、何のために生まれて来たのかさっぱりわからない。
わかるのは、とりあえず今夜の『るいるいタイム』は盛り上がることだけ。
僕の人生は、こんなことの繰り返しだけで終わると思っていた。
あの、不思議で特別な夏まではーーー。