八話
翌日、目が覚めたのはお昼過ぎだった。昨日は家に着いた途端、疲れがどっと出てしまい、そのまま眠ってしまった。
サイドテーブルにぽつん、と置かれた花瓶に目がとまる。かすみ草が綺麗に生けられていた。言わずもがな、それは昨日章一から受け取った花束だ。きっとママか家政婦の珠代さんが生けてくれたのだろう。
私はベッドから起き上がり、レースのカーテンと西洋風の小さな小窓を開ける。
目の前に広がる景色は緑が生い茂る手入れの行き届いた庭園だった。片隅にはバラ園も見える。そして中央にささやかではあるが、白いテーブルセットがある。天気のいい日はそこで朝食やティータイムを楽しむことも、しばしば。
「あら、詩。起きたの」
背後から部屋のドアが開いた音がして、振り向く。
その柔らかで優しげな声はいつも私の心を和ませてくれる。年齢と不釣り合いなほど純粋な心を持つ彼女は私を愛し、慈しみ、育ててくれた母親だ。名は桜子という。
世間一般的なお母様方よりも若々しく、煌びやかで一緒に歩いていると姉妹に間違われるほど。
「おはよ。…あとおかえり」
「ただいま。ずいぶん遅くに帰ってきたのね?ママ、全然気づかなかったわ」
「あー……多分三時過ぎくらいかな。
ーーーお花、生けてくれたの珠代さん?」
「ええ、枯れちゃうといけないからって」
「そう…」
「それより、お腹空いたでしょ?珠代さんにご飯、作ってもらうから降りてらっしゃい。………あ、でもその前にお風呂入ってきたほうがいいわよ。ひどい顔」
「え?……あっ!」
聞き返す前にママは部屋を出て行ってしまった。ドレッサーの鏡に映る自分の姿を見て悟った。化粧を落とさないまま寝てしまった自分を後悔してしまうような、酷い姿が映っている。本当に酷い。
私は慌てて、クレンジングウォーターをコットンに含ませて化粧を落とす。これで少しはマシな顔になった。
タンスから着替えを取り出し、部屋を出て、バスルームへと向かう前に右隣りにある部屋へと足を踏み入れる。
そこは黒で統一されたシックな部屋で広さは十畳ほど。綺麗に掃除が行き届いているところを見ると、頻繁に珠代さんがこの部屋に訪れていることが窺える。
部屋の奥にキングサイズのベッドがあり、そこに一人の青年が安らかに眠っている。かれこそ私の七歳年上の兄、ハル兄だ。端整な目鼻立ちはパパ譲り。
ベッドの傍らに私にはよく理解出来ない医療器具が数種類あり、それらが彼を生かしてくれている。今のハル兄にはこれらがなければ、生きていけない。私たち家族のエゴで生かされている。
もしかしたらハル兄はもう楽になりたい、と思っているかもしれない。そう思うと胸が痛む。
だけどもう少しだけ、あと少しだけ、私たちのワガママに付き合って。お願い。
そしてごめんね、ハル兄。