七話
「……二十歳かあ」
「ん?」
「あの時のハル兄と一緒の歳になっちゃった」
「……」
「私ね最近怖いの。もしハル兄が目、覚まして私のことやパパとママのこと、珠代さんのこと、みんなのこと忘れちゃったらどうしようって…」
「詩、ちゃん…」
「前はそんなこと考えることなかったのに最近よく考えちゃうの。なんでかな」
私は俯きがちに、グラスに注がれたレモン水を見つめながら言った。
義人さんは何も言わない。ただ優しく頭を撫でてくれるだけ。それだけでよかった。慰めの言葉よりもずっと、心地よい。
私は彼に寄りかかりたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。触れてしまえば、きっとそれ以上のことを求めてしまう。
「…クシュンッ」
肌寒くなり、くしゃみが出た。夏とはいえ、夜はまだ少し冷える。しかも今の格好はキャミソールワンピ一枚。そりゃ、寒くもなる。
「寒い?中、入ろっか」
「うん」
「これ着てな」
「わっ……ぶかぶかー」
「文句言わないの」
義人さんは着ていた薄手のカーディガンを肩にかけてくれた。ほのかに彼がいつもつけている、柑橘系の香水の匂いがする。
彼と私の背丈ではかなりの身長差があるのでかなりぶかぶか。袖口が私の指先まですっぽり隠してしまっている。
店内に戻ると、私たちはカウンターの席に座った。騒がしくなっている皆んなの輪にはどうやら入り込めそうにない。
「詩」
「あ、ルイ。起きたの?おはよ」
「…はよ。どこ行ってたの」
どこからともなく、現れたルイはウイスキーグラスを片手に私の隣に腰掛けた。
「義人さんと月見してたの。綺麗だったよ」
「ふーん……」
「よお、ルイ。久しぶり」
「…どーも」
ハル兄の後輩であるルイは義人さんとも顔見知りなのだが、何が気に食わないのかいつも素っ気ない態度をとる。それはもう昔からなので、本人はたいして気にした様子もない。私としては二人が仲良く接してくれると嬉しいのだが、素直に私の言うことを聞く相手ではない。
数回、私たちと言葉を交わした後ルイはフラフラどこかへ消えて行った。やはりよくわからない。掴めない男だ。
その時、私のiPhoneがカウンターの上でブルブル振動した。驚いて、軽く身体が跳ね上がってしまう。義人さんは可笑しそうにクスリ、と笑みをこぼしていた。恥ずかしい。
iPhoneの画面を見てみると、今はウィーンに滞在しているはずのパパから電話がかかってきていた。珍しいこともあるものだ。
「はい」
《ああ、詩か?父さんだ》
「パパ、どうしたの?電話なんて珍しいね」
《今日本に帰って来てるんだ》
「……帰って来るなら前もって言ってよね。今圭一さんとこで皆んなと飲んでるから遅くなるけど、そっちに帰るよ」
《悪いな。母さんが煩くてかなわん》
「ははは…」
電話を切り、私は深くため息をついた。
両親が帰ってきたことは、喜ばしいことなのだが、また煩くてなる。特にママが。
ウィーンに滞在している時は全くと言っていいほど連絡を寄越さない癖に、帰ってきた途端、毎日のように電話やメールをしてくる。向こうは休暇だから暇なのかもしれないが、こっちは仕事しているのだ。少しは遠慮してほしい。
「おじさんたち、帰って来てるの?」
「え?……ああ、そうみたい」
私は憂鬱になりながら答えた。
その後、来てくれた学生時代からの友人と昔話に花を咲かせながら楽しく過ごした。こうして気の許せる仲間たちとする食事はやはり、楽しくて美味しい。最近はいつも一人で食事してたから余計、そう感じる。
結局、解散したのは夜中の三時を過ぎた頃だった。皆んなベロンベロンに酔って各自、タクシーなり、代行なりを使って家路を辿る。
義人さんは明日、いや今日の仕事に支障が出るといけないので一足先に帰らせた。借りていたカーディガンを返し忘れてしまったので後日、返すことにしよう。
「なあ、詩ー。本当に乗ってかねえの?」
「うん。すぐそこだし」
「けど女の夜道は危ないで?」
「大丈夫だって!心配しすぎ」
「けどなあ…」
「じやあ、また明日ね!バイバーイ!」
「あっ…!コラ!」
外に出て歩いて帰ろうとする私をタクシーの窓から引き止める慎と章一。散歩しがてらのんびり帰りたかったので私は引き止める章一たちから走って逃げた。
どうもうちのメンバーの男共は、私に対して少し過保護な気がする。特に夜道を一人で帰ろうとする時は。心配してくれて嬉しいのだが、時々鬱陶しく感じる。
CREWから実家までの距離は歩いて十分程度。散歩するのには丁度いい距離だ。
ちなみに皆んなから貰ったプレゼントの山は、持ちきれないので圭一さんに後日、家まで送ってもらうことにした。
のんびりと夜空を見上げながら家路を辿る。夜風が頬を撫で、心地よい。
普通ならこんな真夜中に一人でいるなんて、心細いと思うかもしれないが、あいにくそんな女の子らしい気持ちは持ち合わせていない。足取りはいつもより軽かった。