十話
車庫にはいつも三台の車がある。いずれも何千万とする高級車だ。その中の一台、シルバーのベンツに私は乗り込んだ。パパが高校の卒業祝いに買ってくれた。普段乗らないので大概、ここに置いてある。
エンジンをかけ、車を発進させる。池袋にあるスポーツジムへと向かう。三十分もすれば着くだろう。
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そこは池袋の中心街にあり、Enegyという会員制のスポーツジムでレギュラー会員、シルバー会員、ゴールド会員、の三つに分かれている。デビュー前から体力作りの為に通っていて、デビューするまではシルバー会員だったのだが、落ち着いて自分のペースで進めたかったのでゴールド会員に格上げした。
シルバー会員のフロアは、おばちゃんたちの溜まり場になっていて落ち着いてトレーニングに打ち込めない。
幸いなことに、ゴールド会員のフロアは会員数も少ないこともあって会員同士が顔を合わせることは滅多にない。
Enegyに着くと、私は駐車場に車を止めてから店内に入った。そして一階で受付を済ませ、ロッカーの鍵を受け取ってからエレベーターで三階まで昇る。
ここは会員ごとにフロアが分かれていて、一階がレギュラー会員、二階がシルバー会員、三階がゴールド会員、となっている。屋上に屋根つきの小さなカフェがあり、運動した後の休息所として会員たちが利用している。紅茶の種類が豊富で美味しく、私もいつも利用させてもらっている。
チン、という音と共にエレベーターの扉がゆっくりと開いた。のどかな田園風景を描いた水彩画が瞳に映り、出迎えてくれる。どこか癒される絵だ。
細長い廊下を歩き、突き当たりを曲がると通路が広くなった。そこに三つのドアが横一列に並び、手前から女子更衣室、男子更衣室、ジムの入り口、となっている。向かい側に黒い革の三人がけのソファーが間隔を空けて、二つ横に並んでいた。
奥に階段が見え、その先は屋上へと続いている。
私は更衣室で動きやすい格好に着替え、眼鏡を外し、磨りガラスのジムのドアを押し開けた。
「あ」
「…あ」
入り口付近でトレーナーの人と雑談を交わしている、少し背の低い男性と目が合った。私の数少ない友人の一人だ。名を冴島葵という。今年で三十路を迎えるというのに若々しい格好をしていて、引き締まった逞しい体つきに衰えの影は見当たらない。
切れ長でつり目がちなその瞳は妙に色っぽく、エロい。女好みのする綺麗な目鼻立ちをしているので、女性にはモテモテだ。
彼は私と同じ同業者でメジャーデビュー六年目のロックバンド、Refoloのヴォーカリスト。
関西出身の五人組で音楽に対する思いは私たちに負けず劣らず、真摯でとにかく熱い。綺麗事じゃなく、ストレートにぶつかってく飾り気のない歌詞が惹きつける。
「こんにちは。久しぶりですね」
「ああ、せやな」
先ほどまで葵さんと雑談を交わしていたトレーナーの男性は気を遣ってその場からさりげなく、去っていった。軽く私が会釈をすると彼も返してくれた。
「今日はオフか?」
「夕方から打ち合わせです。やっと新曲できたから」
「そうか、よかったなあ」
クシャッと大きな手で頭を撫でられる。背が極端に低いせいか、私はいつもこの行為をされることが多い。身長は一五◯センチにも満たない。義人さん同様、子供扱いされている気がしてあまり好きではない。
私が不満げに葵さんをじっと見上げていると、その視線に気づいて彼も私の顔をじっと見返してきた。
「なんや?……腹でも減ったんか?」
「……違います。子供扱いしないで下さい」
「俺からしたらまだ充分子供やで」
「二十歳になったもん」
「ああ、せやったな。
おめでとう、昨日行けなくて堪忍な。章から連絡もろうてたんやけど仕事で行けへんかった」
「気にしないでください。仕事じゃ、しょうがないですし」
「今度飯でも食いに行こうや。誕生日祝いも兼ねて奢ったる」
「やった!」
「楽しみにしとき」
「はーい」
そこで会話は終了した。そして各自マシンに移動する。私は軽くストレッチした後、ランニングマシンで延々と走り続ける。もちろん、水分補給と小休憩は忘れずに。
一時間くらい走って、休憩しながら水を飲んでいると葵さんがこちらにやって来た。息が少し乱れている。
彼はなにを言うわけでもなく、彼は私の隣に腰を下ろした。
「…なあ」
「はい?なんですか?」
「最近あれ、行っとるんか?」
「あれ?」
「ライブ」
「ああ…」
その一言で私は理解した。私がオフの日を利用してアマチュアバンドのライブを観に行っていることを言っているのだと思う。アマチュアではあるが、彼らの音楽に対する熱意はお客さんにも、私にも伝わってくる。それを観るたび、私たちも負けてられないな、と向上心が湧いてくる。
BAZZを結成した頃からやっていることなので、もう習慣づいてしまっている。
「いいバンドいるんか?」
「んー…気になるバンドは一組。ヴォーカルとドラムがプロ並みに上手で個人的には歌詞に惹かれます」
「バンド名は?」
「……」
「……」
なんだっけ?忘れた。
「忘れたんかい!」
「あはは、もうひとっ走りしてこよっと!」
と、私は逃げた。葵さんは呆れたようにため息をつき、立ち上がって近くのマシンへと移動した。
その後私は休憩と水分補給を挟みながら、二、三時間ほど走って汗を洗い流す為にシャワーを浴びてからジムを出た。時刻は四時を少し過ぎている。事務所に向かうには丁度いい時間だ。途中、コンビニに寄って飲み物とお菓子を多めに調達する。事務所スタッフたちへの差し入れだ。




