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TRACK-7 アイデンティティ

1 


 コンテナターミナルの、中央作業区域から少し離れ、死角になっている場所。作業員たちに“物置広場”と呼ばれているここは、数年前までは稼動していた。

 だが、こことは反対側の区域に作業場を拡張したため、以来、使われなくなったコンテナや重機を“一時保管”する場所と化している。

 朽ちたものしか、そこには存在していない。そんな場所に、一台のスポーツカーが乗り込んできた。

 


 ガルウィングを開け、降り立ったレジーニは、周囲を見渡した。風が強い。海がすぐ側にあるからだ。

 後部座席からキャリーケースを引っ張り出し、蓋を開けて〈ブリゼバルトゥ〉を手に取る。分割されたパーツを組み合わせ、発動器イグニッショナーを引き、フェノミネイターのパワーチャージを行う。


 ――結局こうなるんだ。


 物事は、自分の望まないところで進んでしまう。レジーニがあることを渇望すると、それを拒絶するかのように、逆の出来事が起こる。

 


 子どもの時からそうだった。レジーニの郷里は大陸北エリア代表首都アイデンだ。父親は著名な外科医で、屈指の大病院に勤めていた。母親はその病院院長の娘であり、父は絵に描いたような出世街道を驀進していた。

 父親の稼ぎのおかげで、何一つ不自由のない暮らしを送ることができた。大きな屋敷に住み、使用人を抱え、欲しいものは何でも買い与えられた。

 両親は忙しい身だったが、レジーニと五つ年上の姉を大事にしてくれた。留守の多い両親に代わり、姉がよく面倒を見てくれた。レジーニは運動も勉強もこなす“よい子”として、近所の評判はよかった。

 幸せな日々だった。レジーニが子ども心に願っていたのは、この幸せがいつまでも続くことだけだった。両親と姉がいて、大好きな本やスポーツがあれば、それで充分だった。ただそれだけなのに、終わりの始まりは、訪れてしまった。

 ある日、母親が姿を消した。何の前置きもなく、忽然と。レジーニや姉に何も告げず、朝起きたらいなくなっていた。そうして戻ってこなかった。十歳の時である。

 レジーニは父や姉に、母が戻ってこない理由を何度も尋ねた。しかし、父は悲しげに首を振り、姉は弱々しく微笑んで、レジーニを抱きしめるだけだった。

 幼いレジーニは、母がいなくなった理由を懸命に考えた。自分が何か悪いことをしたのだろうか。だから母は、お仕置きのつもりで姿を見せないのじゃないだろうか。色々と考えを巡らせたが、答えは出なかった。

 母親が消えてからしばらくして、レジーニの家に、見知らぬ大人たちが何度も訪ねてくるようになった。彼らはみな怖い顔つきをしていて、いつも父を訪ねてきていた。彼らと話す時の父親は、普段見せることのない形相で怒鳴りたてる。そんな父が恐ろしくて、レジーニは訪問者たちが何者なのかを、訊くことができなかった。

 それから更に数年。レジーニは中等スクールに上がり、大学に進んだ姉は、誰もが振り返る美しさを身につけていた。美しさが増すたびに、母親に似ていった。

 その頃からだ、父の様子がおかしくなったのは。仕事が手につかなくなり、一日中部屋に閉じこもることが多くなった。レジーニとも、あまり話してくれなくなった。時々、母親が使っていたドレスルームに入り、化粧台のスツールにすがって、何かをぶつぶつ呟くこともあった。

 使用人も近づけなくなった父を、姉が甲斐甲斐しく世話をした。

 姉の様子も、徐々におかしくなっていった。妙によそよそしい態度をとるようになったのだ。父と姉の変化は、レジーニの心を揺さぶるだけでなく、家中の空気を濁らせた。

 冬の手前のある寒い日。レジーニは友人たちと遠出をした。そのまま友人の一人の家に泊まる予定だったのだが、都合が合わなくなり、日が暮れてから解散することになった。

 レジーニは、予定が変わったので家に帰る旨を、姉と父に電話で伝えようとしたのだが、二人とも出なかった。仕方なくそのまま帰宅すると、家には明かりが点いておらず、ひっそりとしていた。

 

 ――二人とも留守かな。

 

 しかし玄関の鍵は開いていた。二階から人の気配がする。どこかから明かりが漏れている。その明かりに惹かれて、レジーニは階段を昇った。

 明かりは父の寝室から漏れていた。ドアが少し開いている。その隙間から、何かが聴こえてきた。動物のような荒い息遣い。軋む音。ひそやかな話し声。

 

 ――行くな。見ては駄目だ。

 

 頭の中で、激しく警鐘が鳴り響いていた。見たら、終わりだ。だが――。

 ドアをほんの少し押す。キイ、と音を立てて開く。

 音に気づいた姉は、悲痛な表情をレジーニに向けた。姉に続いて、父も振り返る。ベッドの上で。姉の上で。

 

 ――見ないで。

 と、姉は泣いた。父は虚ろな眼差しで笑った。


 ――おかえりジニー。

 レジーニを、幼い時の呼び名で呼んで、


 ――おかあさんは……いるよ。


 その瞬間、弾かれたように駆け出した。転げ落ちんばかりの勢いで階段を降り、庭に飛び出した。足がもつれて何度も転びそうになりながら、たどり着いたのは花壇だ。誰も手入れをしなくなり、雑草がぼうぼうと生えた花壇の土を、レジーニは素手で掘った。顔や上等な服が汚れ、爪が割れても掘り続けた。掘り続けて掘り続けて、花壇に真っ暗な深淵が穿たれた。レジーニを飲み込もうと待ち構えるかのようなその闇の底に、母親がいた。


 ――おかあさんは、花壇にいるよ。


 翌朝、レジーニの屋敷の周りは、警察車両とマスコミ、野次馬の群れに取り囲まれた。

 数年前に行方不明になった、有名外科医の妻の白骨死体が、家の敷地内で発見された。殺害した犯人は夫である外科医。妻の不倫が動機だった。

 その外科医は、母親そっくりに成長した実の娘と肉体関係を持ち、妻の遺体が息子の手で発見されたその夜、娘に殺された。娘は、父親を殺した後、自害した。

 そんなセンセーショナルなニュースは、たちまち世間に広がり、惨劇の生き残りであるレジーニは、連日マスコミに追われるはめになった。

 アイデンに、レジーニの居場所はなくなった。


 流れ流れて、どれくらいの月日が経っただろう。さまよい続けて、アトランヴィル・シティに足を踏み入れた時には、レジーニはすでに裏の世界で生きる身となっていた。

 その頃はまだ〈異法者ペイガン〉稼業は営んでおらず、行く先々で悪事の手伝いをするような、ちんけなことばかりしていた。

 一つところとどまらない生活だったが、恵まれた容姿のおかげか、何くれとなく世話をする女は後を絶たなかった。

 女たちの部屋を渡り歩き、どこにも定着せず、持ち物も必要最小限に留めていた。

 何も持たない。執着しない。誰とも深く関わりたくない。余計なものを抱えるのはもう御免だ。

 何も持たなければ、何も失わない。もう何も必要ない。そのつもりだった。

 だのに、どうして出会ってしまったのだろう。公園で、楽しそうにギターを弾く彼女に。

 ルシア・イルマリアは、ミュージシャンになることを夢見て、大都会アトランヴィルにやってきた田舎娘だった。見た目は十人並み。レジーニが関係を持った女たちの方が、華やかな容姿をしていた。

 ルシアはいつも笑っていた。何がそんなに楽しいのか、レジーニにはまったく理解できなかった。

 へらへらしてばかりのルシアが、その表情を一変させるのは、ギターを弾く時だった。伏し目がちにギターを見つめ、弦を弾くその時、ルシアは、どんな美女もかなわないほどの輝きを放つのだ。

 いつからルシアに心を奪われていたのか、今となっては定かではない。もう何も抱え込まないと決めたレジーニの心を、いつの間にか彼女が支配していた。

 彼女となら、もう一度光の中を歩いて行けるかもしれない。ほんのわずか、ささやかな願いを抱いた。

 共に生きる約束を交わして、どんなことがあっても離さないと誓った。そこに隙が出来た。

 裏稼業から足を洗うと決め、そのけじめとして与えられた最後の仕事をこなすために、レジーニは一時ルシアの側を離れた。

 気が緩んでいたのだ。この仕事が済めば、全てがうまくいくのだと思い込んでいた。だが、それはまったくの幻想だったのだ。当時属していたグループのリーダーは、レジーニの足抜けを許していなかった。だから、レジーニが大切にしているものを、足抜けの報復として破壊した。

 戻った時、ルシアは入院していた。複数名から加えられた暴行により、見るも無残な姿に成り果ててしまっていた。

 レジーニは、ベッドに横たわるルシアにすがり、泣いて謝った。側を離れるべきではなかった。たとえ一生追われる身になっても、ルシアを連れて逃げればよかったのだ。

 誰にも壊されず、ただ慎ましやかに、小さな幸せが続くことだけを願っていただけなのに。ただそれだけなのに。

 謝り続けるレジーニに、それでもルシアは笑ってくれた。


 ――ギターが弾きたいな、あなたのために。泣く代わりに歌ってほしいんだ。


 呟くように言い、包帯の塊になった両手で、ギターの弾き真似をするのだ。

 ルシアは翌晩未明に、息を引き取った。


 ルシアを弔った後、レジーニは単身、グループのアジトに乗り込んだ。怒りに身をまかせ、憎しみを原動力に暴れまわった。ルシアを犯した男たちは全員殺した。

 どれだけ疾駆はしったのか。気がつけば全身ボロボロになって、〈パープルヘイズ〉裏手のゴミ置き場に倒れ込んでいた。

 満身創痍のレジーニを介抱してくれたのはヴォルフだ。ヴォルフは、レジーニの惨状について何も訊かなかった。

 ただ一言、

「無茶だけはするんじゃねえ」

 とだけ言った。

 ルシアの敵討ちのために疾走したその日を最後に、レジーニは、誰かのために何かをすることをやめた。行動のすべては自分の利益のため。ただひたすら、自分のためだけ。

 己のために、死に場所を探し続けてきた。

 ルシアを守れなかった自分には、何の価値もない。また誰かのために行動すれば、そこにしがらみが生まれる。執着が生じる。手放したくない何かを得てしまう。そうなったら、生き続けなければならなくなる。ルシアのいない世界を。

 そんなことは耐えられない。耐えられないから、それまでの自分を捨てた。趣味嗜好を変え、違う自分になった。


 二度と誰にも、己の領域に踏み込ませない。

 それなのに、あの馬鹿はずかずかと土足で入り込んできた。

 昔に捨て去ったはずの自分の分身のような、危うく、情熱の塊のような青年。

 かつての己と同じように、愛する者のために走っている。

 本当に、大馬鹿者だ。



「まったく呆れるよ」

 パワーチャージされた〈ブリゼバルトゥ〉を地面に突き立て、銃の点検を始めた。

「どいつもこいつも、誰のためだとか、お前のためだとか」

 銃をホルスターに挿し、今度は別のケースを取り出す。掌に収まるほどの四角い箱のようなそれは外部増幅器アタッチメント・ブースターで、クロセストに接続することで、パワー出力を数段アップさせることが出来る。ブースターを接続すれば、より高い攻撃力を得られるが、その代わり、クロセストに大きな負荷がかかるため、下手をすると一度の使用で、クロセストが壊れてしまう恐れがある。

 レジーニの〈ブリゼバルトゥ〉は、ブースターに耐えられるよう改造が施されている。ブースターを使うのは、しかし久しぶりのことだった。

「人のことなんか気にせず、自分のことだけを考えていればいいものを」

 コンテナや廃棄物の陰から、のそり、もぞりと這い出てくるものがある。長く突き出た頭部が鋏のように動くシザーフェイスと、脊椎がいびつに折れたハンプバック。二種のメメントが、わらわらと姿を現した。

「どうしてこう、そんな連中だらけなんだろうな。お人好しの馬鹿ばっかりだ」

 メメントの群れが迫ってくる。レジーニは眼鏡を外し、ジャケットの内ポケットにしまった。ネクタイも取り、これもポケットに入れる。丁寧に整えていた髪を、ぐしゃぐしゃと掻き乱して崩した。

「ああ、そうだよ。全部分かってる」

〈ブリゼバルトゥ〉を担ぎ上げた。こちらが戦闘準備を整えたと見るや、メメントどもは一斉に飛び掛ってきた。

もその馬鹿の一人だってな!」

 機械剣を振りかぶり、最初の一派を薙ぎ払う。〈ブリゼバルトゥ〉から放出された冷気が、衝撃波と共にメメントを数体を吹き飛ばした。冷気に当てられたメメントは、瞬時にして凍りつき、地面に落下した途端に木っ端と散った。

 メメントどもは、常に複数体が同時に攻撃を仕掛けてきた。周囲を囲まれたレジーニは、ブースターの出力を上げ、円を描くように得物を振るう。生じた氷の柱が、敵を貫き、滅ぼした。

 シザーフェイスの一体に足を掴まれ、持ち上げられた。レジーニはそのまま身をひねってメメントの肩に乗り、脳天を銃で撃ち抜いた。倒れるそのシザーフェイスに〈ブリゼバルトゥ〉を突き刺し、凍結させ、ハンプバックの一体に向けて投げた。

 シザーフェイスもハンプバックも、メメントとしては下等だが、群れを成してかかってくると、少々扱いが厄介になる。しかし、一人で〈異法者〉を営んでいた時期は、このくらいの群れの相手は、何度もこなしてきた。むしろ今回は、数が少ない方だ。

「どけ雑魚ども!」

 次々に迫り来るシザーフェイスとハンプバックを、レジーニは凍えさせ、貫き、蹴り倒し、撃ち抜いた。屠ったメメントが消滅するその場所は、極北のように凍りついていた。 

 ブースターのエネルギー出力を常に50%以上に保ち、冷気を放ち続けるレジーニは、氷を纏う死神の如く、化け物の群れの中を駆け抜けた。


        2


 サイファーは高揚していた。しばらく感じていなかった気分だ。

〈SALUT〉がなくなり、生き残ったマキニアンたちがてんでんばらばらに散って以降、サイファーは何に対しても本気を出せなくなった。マキニアンであるサイファーには、匹敵する敵がいなかったのだ。オートストッパーが機能していても、サイファーを凌駕する敵は、人間にもメメントにもついぞ現れなかった。

 退屈だ。退屈でたまらない。敵はどこだ。この身を滅ぼさんとする敵は。

 サイファーの戦いへの渇望は、生への執着そのものだ。戦うために生きる。拳を、武器を、ありったけの力を存分に振るっている時だけ、生きていることが実感できた。

 まだ足りない。まだ、暴れ足りない。

 その飽くことのない渇望を、ようやく満たしてくれる存在が現れた。


 

 真上から降ってきた鉄の塊を、サイファーは後方に跳躍して避けた。着地と同時に、鉄の塊が地面にめり込む。

 小山のような鉄塊を避けもせず、乗り越えもせず破壊し、サイファーに近づくのは一人の青年。

 十年間凍結睡眠状態にあり、目覚めてからは、植えつけられた別の人格で過ごしていた男。

「ラグナ……」

 体勢を立て直したサイファーは、つかつかと歩み寄る足音と殺意に、神経を研ぎ澄ませた。

 迫りくる殺意は、あの時と同じ。「人を殺したいと思ったことはないか」という問いが気に入らなかった、その報復としてサイファーを殺そうとした時と。

 同じ〈処刑人ブロウズ〉でありながら、他のマキニアンにはないスペックを搭載された個体が、三名のみ存在する。彼らは単独で、数百単位の敵と戦うことを前提に生み出されたマキニアンである。ラグナ・ラルスは、その中の一人だ。

 ラグナは感情のない顔で、じっとサイファーを見ている。視力を失っているサイファーには、ラグナがどんな様子なのかを窺い知ることは出来ない。しかし、代わりに熱を感じ取ることは出来る。

 ラグナから放たれる熱気は、サイファーに武者震いを起こさせた。熱気の正体はラグナのナノギア。エヴァンと名乗っていた時に見せた〈イフリート〉などというおもちゃとは、まるで格が違う。その名を〈レーヴァティン〉という。

 サイファーの右腕が、五つの金属管手に変化する。サイファーのナノギアシステムは〈ハイドラ〉。広範囲攻撃に長けたナノギアである。

〈ハイドラ〉が四方に伸び、ラグナを囲んだ。首と両手足に巻きついた瞬間、管手を電流が走った。

 ラグナの全身を、高圧電流が包み込む。青白いスパークが、周辺を照らし出した。

 一般人であれば、すでに事切れているほどの凄まじさである。ノーマルクラスのマキニアンでもただでは済むまい。だが電流が止んだ後も、ラグナは平然とそこに立っていた。

 電光石火、〈ハイドラ〉の拘束を振り払い、瞬時にしてサイファーとの間合いを詰める。まるでドラゴンの頭部と剣が融合したかのような、グローブ型の〈レーヴァティン〉で、サイファーのあごを狙う。

 サイファーはその一撃を、上体をそらして避けた。即座に体勢を戻し、振り上がったラグナの腕をくぐり、左手で突き飛ばした。

 ラグナがよろめいている間に、再び〈ハイドラ〉を巻きつかせる。ラグナを持ち上げ、大きく振りかぶり、廃棄コンテナの山に叩きつけた。瓦礫と鉄の破片を飛び散らせ、ラグナが沈む。

 しかし次の瞬間、廃棄コンテナを破壊して、ラグナは姿を見せた。表情ひとつ変えず、無機質な緋色の目で、じっと標的を見据える。

 ラグナが駆け出し、真正面からサイファーに挑んだ。

〈レーヴァティン〉と〈ハイドラ〉がぶつかり合い、火花が散った。互いに繰り出す殴打を、避け、受け流し、反撃を仕掛ける。そのスピードたるや、常人では決して追いつけないほどだ。

 サイファーの右足が、ラグナの腿を狙って持ち上がった。ラグナはすかさずその足を抱えた。サイファーの巨体を片腕で振り回し、鉄塔めがけて投げ飛ばした。

 サイファーは空中で半回転し、鉄塔の柱にハンドワイヤーを飛ばして、柱の上に立った。顔を上げたその目の前に、ソードに変形させた〈レーヴァティン〉を振りかざすラグナが迫っていた。

 突き出される一撃を、束ねた〈ハイドラ〉の管手で受け止める。弾いた反動で、両者が離れた。ラグナは伸縮性のワイヤーを、サイファーの背後の鉄柱に巻きつけ、弾性の力を以って、再びサイファーに突進した。

 超スピードで繰り出されたラグナの斬撃を、受け、払いながら、間合いをとろうとするサイファー。しかし、ラグナの方が動きが速い。

 攻撃の手を止めないラグナ。ラグナの体温と〈レーヴァティン〉の熱で、位置や動きを把握することはできるが、徐々押されつつあることを、サイファーは感じ取っていた。胸中で悪態をつく。それでも退くつもりはまったくなかった。それは意地などではなく、純粋な戦いへの欲望だ。

 ラグナの一撃をかわした直後、わずかな反撃のチャンスを得た。一瞬だけ、ラグナの下半身の防御が留守になったのだ。サイファーは〈ハイドラ〉で、隙の生まれたラグナの足を掴み、自身の正面まで引き寄せ、顔面に強烈な殴打を見舞った。

 ラグナが鉄塔から落ちる。落下していくラグナに、ガトリングと化した〈ハイドラ〉のショットが降り注ぐ。

 火花と硝煙が充満する中に、ラグナの姿は消えていった。

 サイファーは鉄柱に立ち、やや乱れた呼吸を整えた。と、その時。

 足元の鉄柱が、大きく揺れた。金属と金属がぶつかり合う、凄まじい轟音を響かせながら、鉄塔が崩壊し始めた。

 サイファーは、崩れ行く鉄塔の破片の上を次々と飛び移りながら、鉄塔の外側に脱出した。地面に降り立って数秒後。堅固だった鉄塔は、もろくも崩落した。

 周囲を土煙が覆いつくす。もうもうと立ち込める土埃の向こうから、光り輝くものを携えた人影が現れた。

 サイファーには、その光り輝くものが放つ強大な熱エネルギーが、肌に刺さるほどに感じ取れた。

 乾いた笑いが口から吐き出される。それを使うか、と。

 土煙の中から姿を見せたラグナの右腕は、その形状を変えていた。烈火の如く煌々と光り、細い金色のスパークを纏うレイザーブレード。

 ラグナを含む三人の〈処刑人〉だけに与えられた能力。光学兵器である。

 光学兵器の攻撃を防ぐには、特殊な防御システムが必要になるが、サイファーの手元にそんなものがあるはずもなかった。

 回避し続けるしか手立てはない。だが、それは不可能だ。

詰んだな、と自虐的に笑う。

 光学兵器を使う――“やる気”を出したラグナを前に、もはや打つ手はない。

〈レーヴァティン〉が、サイファーに向けて掲げ上げられる。レイザーブレードは消え、ナノギアが起動し、ビームキャノンに変形した。

〈レーヴァティン〉のビームキャノンが火を噴いた。超高熱の光砲弾が、サイファーの周辺で炸裂した。

 サイファーが回避した光砲弾は、周辺のコンテナの山や重機、別の鉄塔に命中し、一瞬にして燃え上がらせた。

 熱波と爆風が巻き起こり、肌を灼く。

〈レーヴァティン〉の光砲弾攻撃は、容赦なく続いた。サイファーは熱感知能力で、辛うじて攻撃を避けていた。しかし、周囲の温度が上昇していくにつれ、徐々にラグナ本人の熱反応が紛れていく。サイファーはガトリングを構え、ラグナのいる場所に向けた。直後、ラグナの反応が、熱気の中に沈んだ。

 サイファーは雄叫びを上げ、積乱雲のように立ち昇る爆煙の中に潜んでいるはずのラグナを、ガトリング・ショットで撃った。

 その時。突然何かが、サイファーの首を絞めた。と思うや否や、宙に持ち上げられ、サイファーは半円を描いて、地面に叩きつけられた。

 背中を強打し、肺の中の空気が吐き出たサイファーは、一瞬呼吸困難に陥った。動けなくなったサイファーの腹の上に、ラグナが馬乗りになった。サイファーの胴体を両足でがっちりと締めた状態で、再びグローブ型へ変形した〈レーヴァティン〉を振りかざす。

 サイファーはブリッジで脱しようとした。しかしそれよりも速く、ラグナの拳がサイファーの顔面に叩き込まれた。


        *


 外から響いてくる不穏な物音に、アルフォンセの心は乱れた。何かの爆発音、倒壊するような轟音、そして銃声。まるで戦場の只中にいるようだ。それらの音が耳に届くたび、キーボードを打つ手が止まった。

 おそらくは、エヴァンとサイファーが戦っているのだ。なんという激しい戦いなのだろう。

 エヴァンの身を案じるアルフォンセは、気もそぞろになり、何度も出口の方を見た。

「逃げようと思ったって無駄だぜ、お嬢さん」

 背後に立つディエゴが、諭すように言った。

「非力なあんた一人じゃ、ここから脱出できやしないだろう。外にはメメントも放ってある。誰も助けには来られない。いいから続けな。ちゃんと進んでるか?」

〈スペル〉の調整は、最終段階にまで進行している。通常ならもっと早くに終了している作業だ。だが、エヴァンが戻ってきてくれる可能性を思い、わざと遅らせてここまで時間を稼いだのだ。

 ごまかしごまかしやってきたが、それも限界に近づいている。

 アルフォンセは部屋の中を確認した。自分とディエゴ以外には人はいない。出入り口の外側に、見張りが二人配置されているはずだが、残りのメンバーは、屋外を巡回しているらしい。

「あ、あの」

 唾を飲み込み、勇気を奮い起こす。

「あなたたちの目的は、何なのですか? 彼はともかく、あなたたちは護送中だったのですよね? それを彼が脱走させた。なぜ、罪が重くなると分かっていて、彼に従ったんですか?」

 会話でどうにか、更なる時間稼ぎが出来ないだろうか。相手を怒らせる可能性もあるが、〈スペル〉を完成させないために、自分が殴られるくらいの覚悟は出来ている。

 ディエゴは質問に眉をひそめたが、激昂することはなかった。

「さあ、なんでだろうな」

 肩をすくめて、何かに思いを馳せるように目を細めた。

「サイファー自身の目的は、メメントとかいう化け物どもを増やして、それでそいつらを自分で狩ることだろうよ」

「ど、どうしてそんな……不毛なことを」

「たしかに不毛だな。化け物を自由に生み出せるなら、その技術で裏社会のトップにでも立てるだろうに。だが、あいつはそんなことには興味がないらしい」

 ディエゴは、ふっとため息をついた。

「あんたみたいな、普通のお嬢さんを巻き込んで、悪いと思ってるよ。まあ、あんた一人を見逃したところで、俺たちの罪が軽くなるわけじゃないんだが」

「途中で逃げようとは思わなかったんですか?」

「逃げた奴は何人かいた。サイファーは追わなかった。結局そいつらは戻ってきたよ。脱走犯に行く当てはないからな。あんたの言うとおり、サイファーは俺たちを乗せた護送車を襲ったが、脱走すると決めたのは俺たちだ。サイファーは『暴れ足りねえ奴は俺と来い』と言った。俺を含め、みんな足りてなかったのさ」

「では、自分の意思で彼に従っている、と」

「そうなるな。俺たちは罪人で、どうしようもないクズだが、それでもまだ何かを選択する余地があるのなら、選びたいじゃないか、自分の思うように」

「たとえそれが、罪を重くするものでも、ですか」

「勝手なんだよ、人間ってのは。どんなに罪を重ねることになっても、どんな犠牲が払われようとも、『選べる』という状況に立たされると、そのちっぽけな『自由』にすがってしまうのさ」

 ディエゴの目は、憂いと悟りを兼ねたような鈍い光を帯びていて、その表情は、何かをあきらめたような、悲しんでいるような、複雑なものだった。

「この二ヶ月あいつを見てきて、なんとなく分かったことだが。サイファーは戦いの中で死ぬことを望んでるんじゃないだろうか、と」

「戦場、ですか」

「ああ。あいつは戦うことで生を実感してる。結局、戦場でしか生きられない奴なんだろうな」

 その、戦いへの渇望を満たすため、その相手としてエヴァンが選ばれたというのか。そして、メメントを生み出すために、父の研究を悪用しようというのか。

 滅多にない感情がアルフォンセの内に湧き起こった。気がつけば椅子から立ち上がり、ディエゴに食ってかかっていた。

「そんな身勝手なことに使われるために、父は〈スペル〉のシステムを作ったんじゃないわ! 世界が平和になるようにと願って、必死に努力して築き上げたものだったのに!

 それを〈政府サンクシオン〉や、あなたたちのような人たちが台無しにしたのよ!」

 アルフォンセに怒鳴られるのが意外だったのだろう。ディエゴは一瞬面食らってたじろいだが、すぐに優勢を保とうと、アルフォンセを威圧的に睨んだ。

「戻るんだ、お嬢さん。立場をわきまえた方がいいぞ。あまり手荒な真似はしたくない」

 ディエゴが一歩、アルフォンセに近づく。その時、部屋の外から、騒がしい物音が聴こえてきた。アルフォンセとディエゴが、同時に出入り口ドアを凝視する。

 二対の目が注目する中、荒々しくドアを蹴破って、男が一人、機械の剣を携えて姿を現した。

「だ、誰だ!」

 誰何の声を上げるディエゴ。侵入者はスーツのジャケットを翻し、彼の正面に立った。

 アルフォンセは男の正体が分かった。エヴァンの相棒、レジナルド・アンセルム――レジーニだ。先日見た時と、少し雰囲気が違うように思う。手にしている機械剣はクロセストだ。どうやら外部増幅器を取り付けているらしい。

 ディエゴは近づいてくるレジーニに銃口を向けた。レジーニは突き出されたディエゴの腕を、素早く絡め取り、ひねり上げた。ディエゴは呻いて銃を落とす。落ちた銃を、アルフォンセの足元に蹴り飛ばすレジーニ。アルフォンセは戸惑いつつも、銃を拾った。

 レジーニの膝蹴りが、ディエゴの腹に数発ヒットした。ディエゴはよろめきつつも、倒れずに踏ん張り、反撃を試みた。レジーニは向かってくるディエゴをあっさりといなし、背後に回りこんで、首をホールドした。ディエゴは小さな呻き声を上げると、白目を剥いて気を失った。

 ぐったりとしたディエゴを、まるで汚いもののように床に放ったレジーニは、

「俺にそんなもの向けるな、クソが」

 暴言を吐き捨てた。

「レ、レジーニさん……?」

 本当に同一人物だろうかと、アルフォンセは一瞬疑った。先日会った時の、知的な印象とは真逆である。レジーニはアルフォンセの呼びかけに、ちょっと気まずそうな表情を浮かべ、軽く咳払いした。

「あの馬鹿じゃなくて悪いね。無事かい」

「え、あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」

「状況はどうなってる? 外がまるで戦争状態だけど、エヴァンとサイファーのせいか?」

「ええ……おそらく」

 アルフォンセは現状を説明した。クルーザーの中に、ダイナマイトとともに〈スペル〉が設置され、その〈スペル〉を完成させるように命じられたこと。エヴァンは何か細工をされ、サイファーに連れて行かれたこと。そして、図書館に爆弾が仕掛けられ、館内の人々を人質に取られていることを。

「なるほど」

 レジーニは頷き、図書館の様子を映し出しているモニターに近づいた。先ほど爆破された棟は、すでに鎮火しているが、煙は未だに立ち昇っている。周辺に緊急車両と、群がる野次馬が見えた。

 レジーニはキーボードを操作し、エレフォンでどこかに電話をかけた。

「ストロベリー、僕だ」

『はあーい。お嬢様は無事かしら?』

 モニターから、野太い男の声が聴こえた。カメラの端に、大柄な人物が映り込む。女装したその人物は、カメラに向かって手を振った。

『見えてる? アルフォンセちゃんはじめましてー。ママ・ストロベリーよ、よろしくね』

「あ、あの……」

 事態が飲み込めないアルフォンセは、モニターとレジーニを交互に見た。

「サイファーが君に何かを要求するとなると、絶対に断れないように盾をとるはずだ。身寄りのない君に対して有効な盾は、アパートの住民か、もしくは職場の人々。アパート住民が、君とエヴァンを連行する際の盾に利用したのであれば、次は図書館だ」

 レジーニの説明を、ストロベリーが画面越しに引き継いだ。

『それでアタシのご指名ってわけ。アタシはまず、アルフォンセちゃんと小猿ちゃんが連れて行かれた場所を特定したの。このくらい、街頭防犯カメラを覗けばわけないわ。で、次に図書館に仕掛けられた爆発物を探し出したの。ご丁寧に全階層に設置されてたわよ。でも安心して。全部見つけて回収したから。アタシの仲間の手にかかればこんなものよ。ああ、大丈夫よ。爆弾しかけた悪いコたちは、ほら、このとおり』

 カメラが右側に動いた。そこには数人の女装した男たちがおり、にこやかにカメラに向かって手を振っている。彼ら――彼女らの足元には、こらしめられた男たちが積み重なって放置されていた。

「あの、館内の人たちは無事なんですか? 怪我をした人は?」

『あらー、アルフォンセちゃんは声もかわいいのね。小猿ちゃんと一緒に食べちゃおうかしら。まったくの無傷ではないけど、重傷を負った人はいないみたいね。被害は最小限よ』

 アルフォンセは大きく息を吐いた。誰かが怪我をしたことは残念でならないが、これ以上被害は広がらないというだけでも、嬉しい知らせだった。

「ストロベリー、ご苦労だった。そっちはまかせる」

『了解。この埋め合わせは、いずれロマンチックな夜を……』 

 ストロベリーの言葉の途中だが、レジーニは通話を切り、映像を消した。

「そういうことだ。これで君を縛るものはない。ここから出よう」

「ありがとうございます。でも、まだ行けません」

 片眉を上げるレジーニに、アルフォンセは決然と答えた。

「〈スペル〉の全システムを壊します。それが済むまで逃げません」

「出来るのか」

「はい。少し複雑ですけど、やります」

 きっぱりと頷く。

 レジーニは、アルフォンセの決意の固さを感じたのか、強く引きとめはしなかった。失神したディエゴを部屋の外に出し、鍵をかけるように言い残して、そのままどこかに行ってしまった。エヴァンの加勢に向かったのだろう。

 アルフォンセはコンピューターの前に座り直して、深呼吸をした。

 今、彼は戦っている。自分も、決着をつけよう。

 アルフォンセはキーボードに指を走らせた。やり遂げるのだ、絶対に。


 

 

 アルフォンセを一人残すのは気が進まなかった。だが、〈スペル〉のシステム破壊は彼女にしか出来ない作業だ。最後まで、自分で背負った責任を果たそうとしている。それを止めるのは野暮だ。

 レジーニは建物の外に出て、耳をそばだてた。先ほどまで続いていた、エヴァンとサイファーが戦っているであろう音が、ぴたりと止んでいる。

 音が響いていた方向を目指して走り出す。

 戦場で視力を失ったサイファーが、通常と変わらず行動できるのは、おそらくサーモグラフィーのように、熱を感知する能力を得ているからだ、とレジーニは考えた。その予想に間違いがなければ、炎のフェノミネイターを搭載する〈イフリート〉だけで対抗するのは分が悪い。

 走りながら、ブースターのエネルギー残量を確認した。メメントの群れを屠るのに、少々〈ブリゼバルトゥ〉を酷使しすぎた。あと一度でも、最大出力で属性エフェクトを発生させたら、おそらく使いものにならなくなる。


        *


 廃棄コンテナや鉄板、ガラクタなどが積み上がって斜面になった所を、ラグナは登っている。

 斜面の終わりは断崖絶壁のようになっていて、真下は海だ。

 ラグナは片手でサイファーを掴み、引きずっていた。〈レーヴァティン〉に鷲掴みにされたサイファーの頭からは、ぼたぼたと血が流れ落ち、ラグナの足跡に点々と赤い染みを落としていた。

 斜面の頂点に到達したラグナは、サイファーを地面に放った。サイファーはぐったりしている。赤いゴーグルは破損し、焼け焦げて永久に閉ざされた目が露になっていた。

 サイファーは抵抗の代わりに、引きつった笑みを浮かべた。口内は、自身の血液でどす黒くなってしまっている。

 ラグナは首を傾げた。それまでまったく無言だったラグナは、ようやく言葉を発した。

「飽きた」

 抑揚のない、まったく感情のない声。怒りも、憎しみさえも含まれていなかった。

「もういらない」

 まるで、遊びに飽いた子どものように呟き、〈レーヴァティン〉を振りかざした。


        3


 衝撃が来ると思った。自分にとどめを刺す一撃が。

 だが、それは訪れなかった。

 なぜ止めた? 腑に落ちないサイファーの耳に、激しく咳き込む声が届いた。

 まさか、と眉をひそめる。〈レーヴァティン〉が放出していた熱が消え失せていた。

 咳き込む声は、時折何かを吐き出すようにくぐもった。それが荒い呼吸に変わった時、サイファーは口を開けた。

「おいお前、何をやっている」

 相手はぜえぜえと喘いでいて、サイファーの問いには答えなかった。

「なぜやめた。ラグナ」

「ラグナじゃねえ」

 苦しそうに息をしながら、ようやく返事をした。


「俺はエヴァンだ」

 

 サイファーは舌打ちした。予想が当てはまった。どういう原理が働いたのかは知らないが、ラグナはサイファーではなく、自分自身を殴り飛ばしたのだ。その衝撃で、人格が入れ替わったらしい。

「どういうつもりだ、え? 元に戻れよラグナ」

「嫌だ、クソッタレ」

 ぶっと唾を吐く音。吐いたのは血かもしれないが。

「これが俺だ。二度とラグナって呼ぶな!」

 どうやら本当にエヴァンに戻ったらしい。サイファーは忌々しげに唸り、よろめきながら立ち上がった。

「お前はラグナ・ラルスだ。違う名前を名乗り、違う人格になったとしても、何も変わらないぞ」

「それでも俺はエヴァンだ。ラグナには戻らない」

 ラグナ――エヴァンの気配が動く。

「俺は三ヶ月前に目を覚ました。起こしてくれたのはヴォルフと先生。サウンドベルのアパートで生活して、亀を一匹飼ってて、人のいいご近所さんと生意気なガキンチョに囲まれて暮らしてる。

 ヴォルフの店を手伝いながら、嫌味で乱暴でドSな鬼畜眼鏡とコンビ組んで、メメントを退治する〈異法者〉で、死ぬほど惚れてるがいる。それが俺だ」

 エヴァンの熱反応が高くなった。だが〈レーヴァティン〉には程遠い、中程度の熱反応だ。〈イフリート〉である。

 サイファーもまた〈ハイドラ〉を起動させた。“ラグナ”にはずいぶんと痛めつけられたが、“エヴァン”相手であれば、まだ勝機はある。

「そうかよ。なら、決着けりをつけようぜ。エヴァン」

 エヴァンが〈イフリート〉を構えて仕掛けてきた。スピードも攻撃も、ラグナの時に比べて遥かに劣化している。加えて、自分自身に与えた一撃が、相当に効いているようだ。エヴァンの足元はふらついていて、隙だらけだった。

 これでは、満たされない。

 戦いは、サイファーに分が傾きつつあった。双方体力の限界に近い状態だが、戦うことへの執着が強いサイファーの方が、優位に立っていた。

 サイファーは、がら空きになったエヴァンの胴に、〈ハイドラ〉を叩き込んだ。苦しげに呻き、たたらを踏んでよろめくエヴァン。その熱反応が、ふっと掻き消えた。

 どうやら高低差のある所で足を取られ、下に落ちたようだ。

 這い上がって来るかと思い、しばらく様子を見た。だが一向に気配は近づいてこない。

 さては打ち所が悪くて死んだのだろうか。そんな終わり方は本意ではない。サイファーは、エヴァンが落ちたであろう付近まで移動した。

 異変に気づいたのは、その時だ。周囲の空気が、急激に冷え込んできた。肌を刺すような冷たい風が吹きつけ、地面が凍りついていく。


(なんだ……?)


 辺りの熱反応を探ろうとするも、極地の如き冷気が、サイファーの熱感知能力をも凍てつかせた。

 サイファーの周りに吹雪が発生した。熱感知能力に依存した彼の感覚は、外界から遮断された。

 サイファーは皮肉な笑い声を上げた。

 

 そういえば、あいつには相棒がいたのだ。小賢しそうな仲間が。

 

 まとわりつく吹雪の向こうに、ほんのわずか、気配を感じ取った。サイファーはそちらに身体を向け、〈ハイドラ〉を構えようと態勢を変えた。

 だが、一歩遅かった。

 冷気の中から熱い塊が現れる。避ける隙はなかった。

 迫り来る攻撃が届くまでの時間、サイファーにはその間が長く感じられた。それだけ長い猶予があるのなら避けられようものを、自分でも分からない何かに圧倒され、動くことができなかった。


(まだ、足りねえ)

 灼熱の拳が、勢いを増した。

(まだ、暴れ足りねえ)


〈イフリート〉の殴打がサイファーの顔に、胴体に、顎に繰り出された。打撃を受けるたび、サイファーは後方に押されていった。三発目を受けた時、足元ががくんと崩れた。

 サイファーは空中に投げ出された。


 

 絶壁から落下するサイファーの腕を、エヴァンはすんでのところで捕らえた。中腰になり、エヴァンのハンドワイヤーで支えられたまま、宙ぶらりんになっているサイファーを見下ろす。

「お前、何をやっている」

 感情の汲み取れない口調で、サイファーは言った。

「おい、どういうつもりだ。情けをかける気か、え?」

「うるせーバーカ! 文句言う気力があったら、さっさと上がって来いよ! 重いんだよテメーは!」

 なぜサイファーを助けたのか、エヴァンは自分でもよく分からなかった。考えるより先に、身体が動いていたのである。

「聞いてんのかよ! こっちも疲れてんだ、早くしろ!」

 ハンドワイヤーが、サイファーの巨体を支えきれずに滑る。

 サイファーは、閉ざされた目でエヴァンを見上げた。口の端を歪めて笑う。

「どうしようもない馬鹿だ、お前は」

 ハンドワイヤーが掴んでいたサイファーの腕が、〈ハイドラ〉に変形して発砲した。エヴァンは反射的に、サイファーからハンドワイヤーを離した。反動で尻餅をつく。

「サイファー!」

 慌てて断崖絶壁から半身を乗り出した。真下の海は荒れていて、白波が絶壁に打ち寄せていた。青黒い水面の中に、憎たらしい巨体の姿がないか、目を凝らして捜したが、どこにも見当たらなかった。

 呆然となるエヴァンの背後から、足音が近づいてきた。振り返ると、オーバーヒートした〈ブリゼバルトゥ〉を片手に、レジーニが立っていた。

 サイファーに叩きのめされ、エヴァンは段差から落ちた。相棒が駆けつけたのは、その時だ。

 サイファーの熱感知能力を狂わせるために、レジーニはブースターを装着した〈ブリゼバルトゥ〉のエネルギーを、最大限に引き出したのだ。

 レジーニのサポートのおかげで勝つことが出来たが、代わりに〈ブリゼバルトゥ〉はオーバーヒートしてしまったのだった。

「片付いたようだな」

 と、レジーニ。

「ああ、うん……」

「浮かない顔だな。十年振りに再会したかつての仲間を倒したわけだから、まあ無理もないだろうけど」

「よく分からねえんだよ、自分でも」

「そうか」

 レジーニは軽く頷いた。

「アルフォンセを迎えに行ってやれ。彼女も自分の戦いにけりをつけようとしている」


 

 アルフォンセがいるはずの部屋は、鍵がかかっておらず、中に彼女の姿はなかった。コンピューター画面は立ち上がったままになっていた。

 部屋の中には、身を隠せるような場所はない。一体どこへ行ってしまったのか。ぐるぐる見渡すエヴァンの視界に、窓の外の波止場が映る。

〈スペル〉とダイナマイトが積まれているはずのクルーザーに、アルフォンセが乗っていた。こちらに気づいて手を振っている。

「アル! なんであんな危ない所に!」

 エヴァンは部屋を飛び出し、波止場に急いだ。後ろからレジーニも続く。

 係留されたクルーザーは、波に揺られてぎしぎし音を立てていた。アルフォンセは甲板に立っていた。

「アル、早く降りて! ダイナマイトが積んであるんだぞ!」

 エヴァンは手を伸ばすも、アルフォンセは首を振った。

「駄目、まだ終わってないの」

「え?」

「〈スペル〉のシステムを完全に破壊するには、本体の補助システムまで停止させないといけないの。それは遠隔操作じゃ出来ないのよ」

「わ、分かった。俺もそっちに行く」

 エヴァンはクルーザーに飛び乗り、アルフォンセとともに船内に降りた。

 内装の豪華な船室には、不釣合いな機械の塊が中央に据えられていた。その機械の塊には無数のコードがつながっていて、そのうちの数本が、横に置かれた時限式ダイナマイトの束と接続されている。

「あともう少しなの」

 アルフォンセは〈スペル〉の前に膝をついた。〈スペル〉の操作盤に触れ、エヴァンには理解できない作業を始める。

 レジーニが追いついた。相棒はひと目で状況を理解したようだ。

 エヴァンとレジーニが見守る中、アルフォンセは急いで作業を進めた。整った顔立ちに険しい表情を浮かべ、一心不乱に〈スペル〉と向き合っている。

 しばらくして、険しかったアルフォンセの表情に、安堵の色が浮かんだ。

「終わりました」

「システムは?」

「大丈夫、全部壊れたわ」

 一件落着かと思われたその時、レジーニが不穏な声を上げた。

「まずい、時限装置が動き出した」

「マジかよ!」

 見れば時限装置のカウンターが、三十秒からのカウントダウンを開始していた。

「逃げるぞ!」

 レジーニが先に立ち、エヴァンはアルフォンセの手を引いて、クルーザーから脱出した。波止場に降り、全速力で出来る限り離れた。

 直後、大地を揺るがすような凄まじい轟音が響き渡った。エヴァンは爆風からアルフォンセを守るため、彼女を包むように抱きしめた。

 爆発したクルーザーは、破片撒き散らしながら炎上した。積まれていた〈スペル〉の成れの果ても、クルーザーとともに、やがて海に沈むだろう。

 アルフォンセはエヴァンの腕の中で、炎に包まれたクルーザーをじっと見つめていた。父親が平和を願って開発した〈スペル〉を、その手で葬ったのだ。様々な思いが去来しているのだろう。

「やれやれ、今日はタダ働きか」

 はあ、と大袈裟にため息をつくレジーニは、そんな嫌味を口にした。

「そういうことを言うなよ。第一、助けに来てくれなんて誰が言った?」

「ああ、たしかにお前は、僕には頼らないと豪語していたな。ところがどうだよ。結局僕まで出張るはめになったじゃないか。僕が動かなかったら、お前は負けていたかもしれないし、図書館内にいる人々も助からなかったかもな」

「はあ?」

「レジーニさんの取り計らいで、図書館に仕掛けられた爆発物は除去されたの」

 と、アルフォンセ。彼女を見下ろすと、自分の言葉を肯定するように、こっくりと頷いた。

「そうなんだ。あ、ありがと」

「なんでお前から礼を言われなきゃならないんだ、気色悪い」

 言い捨て、レジーニは歩き出す。エヴァンとアルフォンセも、彼に続いて歩き始めた。

「まったくお前はトラブルしか持ち込まないな。余計な事にすぐ首を突っ込んで、人の話も聞かずに暴走する。もう少し頭を冷やして考えたらどうなんだ。その行動が、どんな結果を招くことになるのか。ああ、考える頭はなかったんだっけな」

「最後のはどう考えても悪口だけど、言い返せないから謝っとくわ。ごめんな」

「そのせいで、見ろ。僕のブリゼが台無しじゃないか。クロセストを修理できる武器職人アーメイカーは、人数が少ないんだぞ。修理に出したところで、どのくらい所要期間をとられるか分からないんだ。その間に受けた仕事は、全部お前にやらせるからな。ブリゼの修理費用は、お前の報酬から天引きする」

「なんとなく理不尽さを感じるんだけど」

「正当なペナルティだ。数々の暴走、僕に対する不逞な言動、ブリゼのオーバーヒート。枚挙にいとまのない今回の不始末、どう落とし前をつける気だ」

「ええ? そ、そうだな」

 レジーニのスポーツカーが見えてきた。

「『死をもって謝罪』?」

「違う」

 運転席に乗り込みながら、レジーニは言う。

「『次で挽回』だろうが」


 


 図書館の様子を確認し、ヴォルフへの報告を済ませたエヴァンが、アルフォンセと一緒にアパートに戻って来られたのは、日もすっかり暮れた時刻のことだった。

 玄関ホール近くまで来ると、突然マリーが飛び出してきた。帰ってくるのを、窓から見ていたのかもしれない。

 駆け寄ってくる少女を迎えようと、エヴァンは両手を広げた。

 しかしマリーは、エヴァンの腹に渾身のパンチを食らわせ、アルフォンセに抱きついた。

 少女とはいえ不意打ちであり、また絶妙なところに拳がめり込んだため、予想以上のダメージを受けたエヴァンは、世の理不尽さを嘆きつつ、その場に崩れたのだった。


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