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TRACK-6 生き様

        1


「私の父フェルディナンド・メイレインは、二年前まで国防研に勤めていたけれど、元々は〈イーデル〉の研究者だったの」

 アルフォンセは訥々と語り始めた。

「父の所属は特殊武器開発部。クロセストの研究開発を行っていたのよ」

「じゃあ、〈SALUTサルト〉の武器は、君の親父さんが」

「ええ、父の研究チームが開発したものが使われていたわ。あなたの〈イフリート〉もそう。マキニアンに搭載されるナノギアシステムも、特殊武器開発部が確立させたもの。それをマキニアンの身体に組み込むの。マキニアン研究とクロセスト開発は、それぞれ別部署で取り扱われていたのよ」

 当のマキニアン本人であるエヴァンは、そういった開発関連の繋がりをよく知らなかった。知らされていない、というのが正しい。

「クロセストの開発ということは、その素材であるクリミコンを造りだしたということでもあるわ。クリミコンはメメントに有効な、唯一の物質。クリミコンを生成するには、メメントの研究が不可欠になる。メメントはなぜ誕生したのか、その正体は何なのか。父を含む研究チームは、長年メメントを研究し続け、そうして突き止めたの。メメントが生み出される原因を」

「それって、一体」

「モルジットよ」

 アルフォンセは、少しだけ身を乗り出した。

「名づけたのは父。モルジットという異質な元素――寄生虫のようなものだと教えられたけれど、それが生物の死骸に寄生すると、生体組織が宿主本来とはまったくかけ離れたものに変化してしまうの」

「それがメメントってことか」

「そう。ただ、メメントが生まれる原因がモルジットであることは判明したけれど、モルジットそのものの正体は、いまだに判っていないの。どうして生物の死骸に寄生するのか。どうして怪物に変えてしまうのか。そもそも、この地上にもとから存在した元素なのか、それすらも不明のまま。惑星外から飛来したものではないか、という説が有力視されているけれど、決定的な裏づけはないわ」

「惑星外っていうのは、つまり、宇宙から来たんじゃないかってこと?」

 SF映画の世界の話をしているようだ。

「ええ。でもその説を立証するには、モルジットが含まれた惑星外物質の発見が必要ね。この問題を解決するには、宇宙開発機構コスモニアとの連携が重要になると思うわ。

 父の研究の話に戻すわね。さっきも言ったように、父の専門はクロセスト開発。そのために、根本的原因であるモルジットの研究も進めていたの。モルジットは極めて微小で、顕微鏡でも発見がとても難しいものなの。メメントに対して、より効果的なクロセストを造り出すには、どうしてもモルジットを捕捉ほそくして、徹底的に研究する必要があった。だから、父は……」

 アルフォンセは席を立ち、リビングの方へ姿を消した。間もなく戻ってきた彼女の手の中には、あの銀色のカプセルが握られていた。

 アルフォンセは銀のカプセルをテーブルに置き、再び座った。

 彼女が持ってきたカプセルは、エヴァンが入手したものより、ずっと小型だった。エヴァンは、自分が持っているカプセルを取り出し、アルフォンセが持ってきたものの隣に置いた。

「父はモルジット捕捉のために、この〈スペル〉を造ったの」

「〈スペル〉? これが?」

 頷くアルフォンセ。

「〈スペル〉の本来の目的は、モルジットを探知し、収集すること。モルジットは突然発生し、空気中を漂うもの。それは肉眼では捉えられないうえに、どういう条件によってその場所に発生するのかも判らない。そんなモルジットを、探し出して捕獲するために〈スペル〉は造られたわ」

「メメントの原因が、その、モルジットとかなんだとかって、俺たちは聞かされてないぜ。〈SALUT〉の誰も知らなかったんじゃねえかな」

「機密事項になっていたからよ。モルジットについて知っているのは、父たちの研究チームと〈イーデル〉や〈政府サンクシオン〉上層の一部だけだと思うわ。

〈スペル〉ははじめ、小さく造られてはいなかった。でも、上からの命令で、こんな超小型タイプを造らなければならなくなったの」

「命令って、何のために」

 アルフォンセの表情が曇った。

「軍事利用するためよ。モルジットを〈スペル〉に収集して意図的にメメントを生み出し、そのメメントを操作して、軍用化するつもりだったの」

 これにはエヴァンも呆れるしかなかった。メメントを軍事利用するだって? 考えついた奴は馬鹿なのか?

「メメントを兵士代わりにする気だったのか、軍部は? それじゃあなんのために〈SALUT〉や俺たち(マキニアン)が存在したんだよ。俺たちはメメントと戦うのが役目だったんだ。軍部がメメントを軍用する気だったって言うなら、俺たちがやってきたことは何なんだ……」

 急に自分が無価値な存在になったような気がした。必要とされて誕生し、世を平和に導く一環として活動していたのだと思っていた。それなのに、怪物を駆除せよ、と命令を下してきた軍部は、駆除対象を兵として利用する計画を立てていたのだ。矛盾している。これではマキニアンの存在意義が破綻はたんするではないか。

「父も同じことを言っていたわ。本末転倒だと。マキニアンのことも、ゆくゆくは軍用化するつもりだっただろうって」

「それって、つまり戦場に送るってことだよな。マキニアンと一般兵を戦わせる気だったってのか」

 考えただけでも虫唾むしずが走る。サイファーの言葉が脳裏を過ぎった。

 

 ――オートストッパーを解除すれば……。

  

 冗談じゃない。エヴァンは首を振った。俺たちは戦争の道具になるためにいるんじゃない。

「〈スペル〉の小型化によって、父が恐れていたことは、もう一つあるの」

 と、アルフォンセ。

「それは人体への投与。モルジットはあらゆる生物の死骸に寄生して、メメントに変えてしまう。では生きたままの生命体にはモルジットは寄生しないのか。寄生した場合、どのように変化するのか。〈イーデル〉は、そんな恐ろしい人体実験を遂行しようとしていたのよ。

 父が〈スペル〉を発明したのは、人類の脅威であるメメントを退治するためだった。なのに、それを軍事利用するなんてありえない。父はこの裏の計画に猛反対したけれど、人体実験の執行は正式に決定してしまった。その矢先に〈パンデミック〉が起きたの」

〈パンデミック〉による大混乱のために、〈イーデル〉は事実上解体。惨劇の中を生き残った研究員、職員らは国防研に移籍。〈イーデル〉で極秘に進められていた研究は封印されることになった。

〈スペル〉の人体投与実験も、当然なかったことにされた。

 国防研も、〈イーデル〉と同じく〈政府〉直属の組織だが、〈イーデル〉の方が、より機密性の高い研究を行っていた。それは国防研にも秘密にされていることであり、互いに一部の技術を提携しているとはいえ、表向き存在しない研究を、国防研にまで持ち込むことはできないのだ、と、アルフォンセは説明した。

「幸い、父は〈パンデミック〉から逃れて、その後国防研に移籍したけれど」

 アルフォンセは目を伏せる。

「父の助手として同じ研究チームにいた兄は、逃げ遅れて、そのまま……」

「そう……」

「遺体も見つかっていないの。兄のように、発見されてない方は大勢いるわ。でも今、跡地は立ち入り禁止区域になっていて、もう捜索もできない」

 テーブルの上で組まれたアルフォンセの両手が、ぎゅっと握り締められた。

 こんな時、気の利いた言葉でもかけてやれればいいのに。かけてやれる言葉が見つからないことが、エヴァンには歯痒はがゆかった。

「ごめんなさい、話を戻すね。

〈スペル〉に関する研究の全ては、父が代表で、外部に漏れないように厳重に管理することになったの。責任を取るために」

「責任?」

「〈スペル〉を発明してしまったことを後悔してるって、よく言ってたわ。自分が〈スペル〉を造らなければ、こんな恐ろしいことにはならなかっただろう、って。

〈パンデミック〉は、〈スペル〉が収集したモルジットが暴発して起きたものだと、父は考えていたのよ。それが事実なら、父が背負った責任は、とてつもなく大きいわ。その償いをするために、国防研に移ったあとも、父は身を粉にして働いたのだと思う。これ以上モルジットによるメメント増加を防ぐために。〈スペル〉を悪用されないために。

 私は、兄ほどにはなれないけれど、どうにか父の手伝いができないかと、自分なりに勉強した。クロセストや、メメント、マキニアンについて。国防研の試験を受けて、兄の代わりに助手になろうと思ってたの。重すぎる責任を負った父を、少しでも助けたかった。それなのに」

 アルフォンセの双眸が、見る見るうちに潤んでいく。つ、と一筋、涙が頬を伝い落ちた。

「二年前、父は突然亡くなってしまった。国防研の最上階から落ちたのよ。父の死は、ろくな捜査もされずに、自殺扱いされたわ」

「な、なんで」

「父に関する捜査が行われることによって、モルジットや〈スペル〉の存在が明かされることを恐れた〈政府〉が、警察に手を回したんだと思う。それと同時に、〈パンデミック〉事件の責任を、父一人に押し付けたのよ。

 私には、父が自殺したとは考えられなかった。たとえ重責を背負っていたとしても、それを放り投げてしまうような人ではなかったもの。もっとちゃんと捜査してほしいと、何度も警察にお願いしたけれど、取り合ってはもらえなかった。だから私、自分で調べることにしたの」

 フェルディナンドの死後、父と離れて暮らしていたアルフォンセの元に、遺品が届けられた。その中に、フェルディナンド本人による、娘に宛てた映像ディスクが含まれていた。

 ディスクの内容は、今しがたアルフォンセが語った、モルジットとメメントについてのことだった。〈政府〉は軍部に命じて、怪物を新戦力としようと企んでいる。自分の研究が、その邪な計画に利用されようとしている、と。

 更に父は、数ヶ月の間、ある人物からの脅迫を受けていたらしかった。

 曰く、小型〈スペル〉を大量生産せよ、従わなければ娘を殺す。安直だが、フェルディナンドにとっては効果的な脅しだった。フェルディナンドは已む無く従ったが、ただ命じられるがままにはならなかった。

 フェルディナンドは〈スペル〉に収集したモルジットに対抗しうる、いわばワクチンの役割を果たす“薬”を作り出したのだ。

「それが、これよ」

 アルフォンセがテーブルに置いたのは、透明な黄色いカプセルだった。

「体内に入り込んだモルジットを排出するための薬。ただこれは、モルジットがまだ全身に浸透していないうちに飲まないと効果がないの。あなたにもこれを。あなたはマキニアンで、身体組織にクリミコンが含まれているから、一般人よりずっと抵抗力が高くて、回復も早かったわ」

「俺? これ飲んだの?」

 エヴァンは首を捻って、夕べのことを思い出そうとした。

「うーん、飲んだ覚えないけどな」

「の、飲んだわよ。意識が朦朧もうろうとしてたから、覚えてないのよ」

 アルフォンセはなぜか、顔を赤く染めている。身に覚えのないことだが、彼女がそうだと言うのならそうなのだろう、と、エヴァンは納得することにした。

 アルフォンセは居住まいを正し、気を取り直して話を続けた。

 父フェルディナンドは、ディスクの中で娘にこう訴えていた。

 

 ――〈政府〉の恐ろしい計画に加担するつもりはない。だが〈パンデミック〉の責任は果たさなければならない。

 ――今、自分を脅迫している人物は、〈政府〉とは違うところで動いているようだ。奴の真意は分からないが、これも阻止しなければならない。

 ――自分にもしものことがあれば、アルフォンセに遺志を継いでほしい。他の誰も信用できない。自分の枷を背負わせるのは忍びないが、どうか分かってくれ。

 ――〈政府〉は信用するな。

 

 アルフォンセへの遺言ともとれる言葉を最後に、映像は終了した。映像録画の日付は、フェルディナンドが死亡する数日前だった。

「父は誰かに殺されたのよ。それが〈政府〉側の人間なのか、父を脅していた人だったのかは分からなかった。でも、どちらが父を手にかけたとしても、自殺として処理されていたでしょうね。この件に関しては、警察ももう頼れない。だから私は、オズモント先生を訪ねた」

 父とシーモア・オズモントは、一時期ではあったが、国防研で共に働いた間柄だった。そのシーモア・オズモントには、裏社会とつながりがあるのではないか、という不穏な噂が付き纏っていた。アルフォンセは、この噂に賭けた。

 もしも本当に、オズモントに裏社会とのつながりがあるのなら、彼に協力を求め、こちらの筋から父の死の真相を調べることは出来ないだろうか。正攻法が通用しないなら、こうするより他にない。

「それであの日、先生の所にいたのか」

「ええ。なりふりかまっていられなかったから。ここに引っ越してきて、近くに先生のお住まいがあると知って、すぐに伺おうと思ったの。オズモント先生は、噂について否定なさらなかった。私の抱えている事情をご存知だったのよ。その上で、協力はできない、と断られたわ」

 

 ――君のようなお嬢さんが、あちらの世界に触れてはいけない。心中察するが、やめておきなさい。

 

 老人は、諭すように、やんわりと断ったのだった。

 オズモントの協力は得られず、意気消沈したその日の夜に、エヴァンが〈スペル〉を持っていることを知ったのだ。

「あの時は、本当にごめんなさい」

 アルフォンセは、申し訳なさそうに頭を下げた。

「〈スペル〉を誰の手にも渡らせてはいけない、回収しなくちゃって、それだけが頭の中にあって、だから」

「もういいよ。そのことは、何とも思ってないからさ」

 これ以上、アルフォンセに頭を下げさせたくなかった。エヴァンの言葉に、アルフォンセは小さく頷いた。

「でも、父を殺した犯人は分かったわ」

「あいつか」

 エヴァンでも察するのは簡単なことだった。アルフォンセの父を脅して〈スペル〉を造らせ、殺したのは、サイファー・キドナだ。

「あいつ、メメントを増やすつもりなのかよ。何が目的なんだ」

 アルフォンセを傷つけ、彼女の父親の命までも奪った男。その真意がどうであれ、絶対に許さない。

「私は」

 アルフォンセの声は、小さく震えていた。

「父に代わって、〈スペル〉による被害が広がるのを阻止しなければいけない。それが、残った私の役目。だから」

「だから、俺にも、誰にも頼らないで、一人でやろうとしてたんだ」

 エヴァンの言葉に、アルフォンセは頷いて答えた。

「あのサイファーという人が、どんな目的で〈スペル〉を欲しているのかまだ分からない。でも絶対に止めなくちゃ」

 言ってアルフォンセは、しばし黙り込んだ。次に口を開いた時、言葉はため息とともに吐き出された。

「父や兄の代わりを努めるために、独学で勉強したわ。全ては父と兄の意志を果たすため。そのはずだった。でも、私」

 アルフォンセは両手に顔をうずめた。

「いつの間にか、調べることに夢中になってた。メメントやクロセストのことを調べていけばいくほど興味が湧いてきて、いつしか調査そのものを楽しむようになってたの。あなたに軽蔑されても、それは当然のことだわ。父や兄、たくさんの人たちが苦しんだのに、私は最低よ」

「アル」

「マキニアンについてもそう。私はあなたたちのことを“研究対象”として見ていた。能力が特殊とはいえ、同じ人間なのに。だから、あなたがマキニアンだと知った時、余計に頼ってはいけない、と思った。〈SALUT〉解散の原因を作ってしまった人間の娘である、私の事情に巻き込むことは許されない。だから……ごめんなさい」

 アルフォンセの肩が震えている。エヴァンは席を立ち、テーブルを回ってアルフォンセの側へ移動した。床に膝をつき、彼女の両手を取る。顔を上げたアルフォンセの、深海色の濡れた瞳と、エヴァンの緋色の目が交わった。

「俺はアルを軽蔑したりしない。他の奴らが君を非難しても、俺は味方だ。どんな奴が相手だって、俺が守る」

 研究対象と見られようと、それが何だというのだ。彼女の側にいて守ってやりたいと思う気持ちは、そんなことでは揺らがない。

「アル、〈パンデミック〉が起こった原因は軍部だ。軍部が俺たちマキニアンを殺すために、〈イーデル〉を襲撃したんだよ」

 アルフォンセの目が、大きく見開かれた。その拍子に、涙が一滴、ぽとりと手の甲に落ちる。

「メメントが大量に発生して〈パンデミック〉が起きたのは、軍部と〈SALUT〉が戦ったせいで出た死者がメメント化したからだと思う。親父さんは研究のためにモルジットを集めてたんだろうけど、だからって〈パンデミック〉の責任を、一人で背負わされるのは間違ってる。そもそもモルジットのことを隠してた“お偉方えらがた”にも、責任があるはずだろ? 軍部が〈SALUT〉を襲撃したのだって、〈政府〉の一部の連中が、俺たちを危険視したせいだ」

 エヴァンは少し下唇を噛んだ。

「って、これ、あいつが――サイファーが言ってたことなんだけどさ。だけど何もかも、上の奴らが自分たちの都合のいいようにやろうとしたせいで起きたことだ。俺は〈パンデミック〉のことを知らなかった。それが起きる前にコールドスリープにされて、目を覚ましたのはつい最近。十年眠らされてたんだ。俺は何も知らなかった」

 重ね合った両手に、く、と力がこもる。

「俺は、俺を道具みたいにしか扱わなかった連中のことなんか、どうだっていい。俺にとって大事なのは“今”なんだ。この町で、仲間と一緒に生きて、自分に出来ることを自分の意思でやる。〈SALUT〉にいた時には考えられなかったことが、当然のことみたいに出来てる。これ、俺にはすごく大事なことなんだよ。それに今は君が……」

 そこまで言ったエヴァンだが、急に気恥ずかしくなって言葉を切った。照れ臭いのを、軽い咳払いでごまかす。

「と、とにかくさ、もう事情は分かったし、これで君のボディガードになれるよな?」

「エヴァン……」

「ああ、金なんか取らないから。また美味いゴハン作ってくれればー、なんて思ってるけど」

 おどけたように笑うと、アルフォンセもつられて笑う。その時また一筋、瞳から雫がこぼれた。

 こらえ続けてきたものがあふれたような雫を、エヴァンは親指の腹で拭った。アルフォンセの頬は、ほのかに熱を帯びていた。彼女に触れる指先が、静電気をまとったように痺れる。

 深海の瞳に吸い寄せられ、少しずつ顔が近づいていった。互いの吐息が感じられるほど近くなった時、アルフォンセは目を閉じた。

 エヴァンもまた目を閉じて――、

 玄関のチャイムが鳴った。途端、夢から醒めたように、二人は同時に目を開けた。慌てて離れ、他に誰も見ていないのに、取り繕うように身じろぎする。

 もう一度玄関チャイムが鳴った。アルフォンセは椅子から立ち、

「も、もしかしてマリーかもしれないわ。あなたのことをとても心配してたのよ」

 と、あたふたと玄関ドアの方へ駆けて行った。

 マリーが? と、首をひねる。そういえば夕べ、記憶が途切れる前に、マリーの姿を見たような気がする。倒れたのなら、その後だ。目の前で人が倒れれば、それは心配もするだろう。気にしてくれるのはありがたいが、出来ればあと数分待ってほしかった。

 あまりに惜しかったので、指を鳴らしたエヴァンである。

 相手がマリーなら仕方がない。エヴァンはアルフォンセの後を追い、玄関ドアへ向かった。

 アルフォンセは、ドアの前で立ち尽くしていた。彼女と向き合っている訪問者は、マリーではなかった。

 相手は中背の男で、彼の後ろには、あと二人の男が控えていた。中背の男には見覚えがある。そう思った瞬間に、相手が何者なのか思い当たった。

「てめえら、何しに来た!」

 エヴァンはアルフォンセの手を引いて、背後に隠した。中背の男は、エヴァンがいることには動じていないようだった。

「俺のことなどどうでもいいだろうが、一応名乗っておこう。ディエゴだ」

 ディエゴと名乗るこの男。サイファーがアルフォンセをさらった時に、ワゴン車を運転していた人物だ。

「二人とも、来てもらおうか。サイファーがお呼びだ」

「なんでこっちから出向かなきゃならねえんだ。そっちが来いって伝えろよ。ぶっ飛ばしてやるってな」

「サイファーは、お前たちに『来い』と言っている。それ以外の用はない。従わないなら、アパートの住人を殺す」

 アルフォンセが息を呑むのが、背中越しに聞こえた。

「あんたらみたいなのは、だいたい同じ手を使うよな。言うことを聞かないと誰々を殺す。そんなのばっか。もうちょっとパターン増やしたらどうだよ」

 エヴァンの挑発に、しかしディエゴは乗って来ず、冷静に応じた。

「確かに常套手段だ。しかしまあ、これが一番手っ取り早い上に確実なんでね。こちらの要求に応じるつもりがあるのかないのか、答えてくれ」

「やなこった」

 即答した。

「とっとと帰れ。で、決着つけたけりゃそっちから来いって言え」

「一つ聞くが、俺がはったりかましているとでも思っていないか?」

「ああ。お前らが本当のことを言うとは思えねえしな」

 ディエゴと、後ろの二人は、どうやら武器を持っていない。サイファーの助言でもあったのだろう。こちらにナノギアを使わせないために、武器を帯びずに来たらしい。となれば、今この場で、ディエゴたちがアパートの住人を手にかけるのは困難だ。よしんば素手での殺害を試みたり、現場で殺傷能力のある道具を手に入れたとしても、彼らが殺人を行おうとするよりも、エヴァンがそれを阻止するために動く方が早い。ナノギアを封じられようが、この三人に負けない自信はあった。

「そうか。まあ、そう思うならそれでもいいが」

 エヴァンが動じていないのを見ても、ディエゴは余裕のある態度を崩さなかった。

「俺の仲間が、向かいのビルの屋上で、このアパートを狙っている。お前がマキニアンとかいう奴でも、弾丸より速くは動けないだろう。

 素直について来るか、でなければ、誰かの頭から脳味噌がぶちまけられるか、だ。そいつはもしかしたら、そこの部屋に住んでいるガキかもしれない。俺の言葉がはったりだと思うなら、いいさ、来なくてもかまわない。ただし、確実に死者が出る。そして俺は、被害者は一人だとは言っていない。はったりか事実か、判断するがいい。二分の一の確率で、お前たちのご近所さんの誰かが、天に召される」

 小賢こざかしい物言いに、エヴァンは舌打ちした。自分の間違った判断のために、アパート住人たちの命を犠牲にすることはできない。

「わ、わかったよ。行けばいいんだろ。けど、アルフォンセにはかまうな。俺だけ行く」

 背中から、エヴァンの名を呼ぶか細い声がした。

 ディエゴは首を振り、エヴァンの要求を拒否した。

「いや、二人ともだ。お前だけでも、お嬢さんだけでも駄目だ」

「だったら、アルには触れるなよ。指一本でも触ったらぶちのめす」

「いいだろう。交渉成立か? なら、ついて来い」

 ディエゴは懐から通信機スティックレシーバーを取り出すと、耳に当てた。

「撤収だ。お客さんを連れて行く」 

 レシーバーを耳から離したディエゴは、

「〈スペル〉も渡してもらうぞ」

 そう付け加えた。

 背後のアルフォンセが、ぴったりと身を寄せてきた。不安げに、エヴァンの上着を掴んでいる。

 エヴァンは彼女を励ますために、振り返らないまま、華奢な手を握った。アルフォンセも握り返してきた。指を絡ませ、決して離れないように、強く。


        2


「なるほど、そういうわけか」

 ヴォルフは、自前の大きな鼻孔から息を吹き出し、極太ごくぶとの腕を組んだ。

 午前中の〈パープルヘイズ〉。昼のランチタイム前で、今は客が引いている。

 レジー二が店を訪れた時、エヴァンの姿はまだなかった。サボりだ、とヴォルフは憤慨している。何度か電話をかけているが、ちっとも出ないらしい。だから、昨日揉めたことを説明した。

「あいつも馬鹿だが、お前も大概たいがいだぞ」

 ヴォルフは渋い顔で、そうレジーニを叱った。

「怒られるようなことは、何一つしていないけど?」

「ああ、たしかに。だが褒められるようなことでもない」

「褒めてほしいとは思ってないよ」

「だろうな」

「僕は猿の話をしにきたんじゃない、ヴォルフ。仕事の経過を報告しに来たんだ」

 レジーニは、スーツジャケットの内ポケットからメモリーチップを取り出して、ヴォルフに渡した。

「例の男、サイファー・キドナについてまとめた。今回はストロベリーと、先生に助けられたよ」

「先生に?」

 怪訝そうに眉をひそめるヴォルフ。読めば分かる、とレジーニが言うと、ヴォルフはカウンター棚からタブレット端末を取り、メモリーチップを挿し込んだ。

 ヴォルフの目線が、左から右に、せわしなく動いている。

 サイファー・キドナについてまとめたレポートは、ママ・ストロベリーとオズモントかた聞いた話に、レジーニが調べたものを織り交ぜた内容になっている。推測の領域を出ない部分もあるが、ほぼ間違いはないだろう。

「マキニアンか」

 顎に手を当て、ヴォルフは呟いた。レジーニは頷く。

「サイファー・キドナ。元軍部海兵隊所属、階級は軍曹。ヴァルハール最南で起きたガドラン紛争が最終戦暦だ」

 ガドランは大陸南エリアに属するシティである。そこは、市長暗殺を引き金に、大規模なクーデターが勃発した場所だ。ガドラン紛争は、近年起きたクーデターの中でも、最も被害の大きな事件として扱われている。

 ガドランの混乱は長引いており、いまだにテロリストと軍部との武力抗争が続いている状態だ。

「ガドランに行っていたとはな」

「そうらしい。夜間上陸作戦中、敵の放った閃光弾を間近に受けて負傷。両目はほぼ失明。それで前線から外された」

 戦場から離れたサイファーは、光を失った目のために、そのまま退役を余儀なくされた。程なくして軍部に呼び戻されたサイファーだったが、その後、彼の経歴は削除され、事実上存在が抹消された。

 サイファー・キドナが再び姿を現したのは、メメント駆除作戦の真っ只中であった。

「僕が思うに」

 と、レジーニ。

「マキニアンは、適合者として選出された軍部の人間が、強化改造手術を施されて誕生するものだ。マキニアンとして新たな生き方を与えられた人間は、表社会から存在を消されるんだろう。生まれていないことにされるか、あるいはすでに死亡していることにされるか、どちらかの方法で」

「あり得るな。改造された時点で、言ってみれば別人に生まれ変わるわけだからな。それに、ずいぶんと秘密主義な組織だ。余計な全部削ぎ落とそうって方針なんだろ」

「おそらくね。サイファーはガドランで戦死したことになっている」

「エヴァンは孤児らしいが、あいつの場合、ガキの頃から適合者として目ェつけられてたのかもしれねえな」

 その可能性はある。

 

 ――だが、それだけじゃないかもしれない。

 

 エヴァンの過去の記憶は曖昧だ。十年間のコールドスリープによる、軽度の記憶障害と考えてもいいだろうが、それにしても、自分自身の経歴すら思い出せなくなるものだろうか。レジーニは、最初にエヴァンと引き合わされた時から、その点に疑問を抱いていた。  

 エヴァンに関しては、何か裏があるように思えてならなかった。本人に自覚も記憶もなければ、事実を探りようもないのだが。

 しかし、今はエヴァンについて触れている時ではない。

「で、このサイファーとやらは、マキニアンとして〈SALUT〉に加わったはいいが、その後に起きた〈パンデミック〉で行方不明になった、と」

「サイファーだけじゃない。他のマキニアンもだ。〈パンデミック〉の混乱で生き残ったマキニアンたちは、バラバラに散って、誰もが消息を絶っている」

〈パンデミック〉――研究施設〈イーデル〉で起きた、メメント大量発生事件とされているが、実際は違った。マキニアンたちの存在を危惧した〈政府〉保守派による、〈SALUT〉壊滅作戦だったのだ。

〈SALUT〉の存在を消すということは、その生みの主である〈イーデル〉そのものをも消す、ということにつながる。マキニアンと軍部の全面戦争と化した事態に、〈イーデル〉に勤める人々が巻き込まれたのだ。

〈イーデル〉の職員らは全員、国防研に移籍したが、〈パンデミック〉で命を落とした者は少なくないだろう。

〈政府〉が設立した〈イーデル〉は、〈政府〉の命令でマキニアンを、引いては〈SALUT〉を誕生させた。だが、それらは全て、〈政府〉の意向で消された。この矛盾した事態に、〈イーデル〉側が抗議の声を上げなかったのはなぜなのか。

 おそらく、〈SALUT〉壊滅作戦は、〈イーデル〉の知らぬところで始まったのだ。彼らが非常事態に気づいたのは、〈SALUT〉対軍部の戦禍が迫ってきた時。双勢力の犠牲者が、メメントと化していった時だろう、とレジーニは考えた。

「メメントは爆発的に増加していった。メメントに殺された〈イーデル〉職員たちも、次々とメメント化し、もはやそのメメントが、元はどこに所属していた者だったのかも分からなくなるほどの、悲惨な状況に陥ってしまった。ここに、〈イーデル〉が口をつぐんだ理由がある」

 ヴォルフは、むう、と唸り、顎を指で掻いた。

「そうか。〈イーデル〉の奴らは、メメント発生の原因を知ってやがったんだな。だが、それを世間に発表せず隠し続けてきた。もし〈パンデミック〉について〈政府〉を訴えたとしたら、そもそもの原因であるそいつを明らかにしなけりゃならねえ。となると、今度は世間から、重要な情報を隠蔽してきたことを責め立てられる。だから何も言えなかったってわけか」

「そうだろうね、おそらく。この部分については、オズモント先生の話で察しがついたよ。

 メメント化の原因は、モルジットという異元素にあって、これを研究していたのが、アルフォンセの父親、フェルディナンド・メイレイン教授だ」

 モルジットについては機密事項であるが、オズモントは信用されていたらしく、国防研在住中、たびたびフェルディナンドと話し合っていたそうだ。

 オズモントは始め、預けた銀のカプセルの正体が分からなかった。だがフェルディナンドの研究内容を思い返し、もしかしたら、と考えたらしい。

「フェルディナンドは〈パンデミック〉の生存者だが、二年前に謎の死を遂げている。自殺扱いされたけれど、これに異を唱えたのが、娘であるアルフォンセだ。彼女は父親の本当の死因を、裏社会の力を借りて探ろうとしていたらしい。それで、不穏な噂のあるオズモント先生を頼って行ったんだ」

 これで全てつながった。フェルディナンドは自殺ではなく、サイファーが殺したのだ。サイファーの目的は、フェルディナンドが開発した、モルジットを探知・収集するシステム〈スペル〉の入手だ。

 サイファーは〈スペル〉を使って、行く先々で殺した人間をメメント化させてきた。奴が現れた場所に、高確率でメメントが出現する理由は、〈スペル〉にあったのだ。

「ここまでで、一応今回の仕事内容はクリアしたことになると思う」

 と、レジーニ。

「サイファーの正体と、メメント発生の関係性。これでまとまっただろう」

「ああ。ここまで調べがつけば、ジェラルドも満足するだろう」

「〈プレジデント〉が欲しかったのは、メメントと〈政府〉のつながりだね? ヴォルフ」

 レジーニはカウンターに身を乗り出した。

「つまり、〈政府〉がメメントの正体を知っていた、という事実を握りたかったんだ。この事実が、他ならぬマキニアンから得られた情報なら、更に有効だろうね。何しろ〈政府〉に消されそうになったわけだから。この情報をダシにして、〈長〉が〈政府〉対して……」

「レジーニ、その先には触れるな」

 どうせ止められると分かっていたから、レジーニは素直にやめた。

 ヴォルフは釘を刺すように、レジーニを軽く睨むと、タブレット端末からメモリーチップを抜き、ポケットに入れた。

「とりあえずご苦労だった。分かってると思うが、これ以上探ろうとするなよ」

「分かってるよ。僕の仕事は終わった。これでいいんだろ」

「そうだ。サイファーの処遇は、追って沙汰が下るだろうよ」

「そんなもの待たなくても、どこかの馬鹿猿が喧嘩売って、勝手に決着つけるんじゃないか」

「レジーニ、お前、しっかりあいつの首根っこ抑えておけよ。暴走し始めたら、手がつけられなくなっちまう」

 冗談じゃない。レジーニは舌打ちした。

「ヴォルフ、悪いけど僕は降りる。あんな馬鹿の面倒はもう見きれない。僕は一人で充分だ。今までずっと一人でやってきた。相棒なんか必要ない」

「駄目だ、それは許さねえ。お前にはあいつが必要だ」

「どうしてだヴォルフ。なんであんな馬鹿を」

 単細胞で考えが浅く、命令も聞かずにすぐ突っ走る。これ以上振り回されるのは御免だった。

 ヴォルフはカウンターに両手をつき、レジーニを覗き込むように見た。

「なぜお前にあの馬鹿が必要か? そんなこたあ、お前が一番良く分かってんじゃねえのか」

「言ってる意味が分からないね」

「いいや、認めたくないだろうが、お前は自覚してるぞ。あれだけちょこまか動き回る猿だ。目を離した隙に、何をしでかすか分かったもんじゃねえ。そういう危なっかしい奴を側に置いときゃ」

 ヴォルフの表情が、厳しいものに変わる。


「死にてえだとか下らねえこと、考える暇もねえだろうよ」


 レジーニは挑むような目で、ヴォルフを見返した。氷にも似たその視線を、真っ向から受け止めるヴォルフは、かまわず続けた。

「八年前にルシアを亡くしたお前は、まるで生きた屍だった。それから今までずっと、お前は死に場所を探していたんだろう。お前みたいな目をした奴を、俺は何人も見てきた。生きていく意味も目標も失くした連中をな。そいつらは結局、誰にも看取みとられずに死んでいった。俺は、お前にはそうなってほしくねえんだよ」

 レジーニは皮肉めいた笑みを、口の端に浮かべた。

「なぜ? それだけ大勢死んでいった奴らを見てきたんなら、僕もその中の一人として、気にすることないのに」

「お前に死んでほしくないと願うのは、ルシアのためだ。あのが俺のために弾いてくれたギターと、お前を想う心のために、だ」

 レジーニは口を閉ざし、視線をそらした。

「ルシアはいつもお前を心配していたぞ。レジーニには無鉄砲なところがある、暴走して無茶をやらかすかもしれないから、どうか守ってくれってな。

 ああ、そうだ。分かってるだろ。八年前のお前とエヴァンはそっくりだと」

 エヴァンを見ていると、昔の自分を見せつけられているようで、時に腹立たしく、時に歯痒はがゆかった。

 感情のままに突き進み、後先考えず、周囲も見ない。目の前にあるものだけが全てで、それ以外はどうでもよかった。

 ルシア以外は、どうでもよかったのだ。

 今のエヴァンは、昔の自分に似ている。愛する者しか目に入っていない。そのためにもしも判断を誤るようなことがあれば、犠牲になるのは自分ではないのだ。

 

 ――だから、

 

 だから嫌だったのだ。昔のあやまちを蒸し返されたようで。この青年は、いつか同じてつを踏むことになるのではないかと思われて。

 その過ちを、間近で見たくなかった。

 その過ちで誰かが犠牲になり、傷つくあいつを見たくなかった。

 全部分かっていたことだ。


「レジーニ。あえて言うが、俺はルシアのためにも、お前には生きててほしいんだよ。こういう生業なりわいだ、いつ死ぬか分からねえのは承知の上よ。だが、少なくとも自分から死を願うような、つまらねえ最期は迎えてほしくねえのさ。

 俺は、お前を死に急がせたくなかったから、お前にあの馬鹿をやったんだ」

 指先が、自然と胸元を触れる。スーツの下に、ルシアとの約束が、細いチェーンにつなげられて下がっている。

 口を開こうとしたその時、エレフォンが鳴った。ディスプレイに表示された意外な名前に驚きつつ、レジーニは通話ボタンを押した。

「マリー? どうかしたかい」

 少し口調を和らげて話しかけた。

 鼻をすする、小さな音が聴こえた。泣いているのだろうか。

「マリー?」

『レジーニさん……』

 蚊の鳴くような、細い少女の声。

『レジーニさん、どうしよう。エヴァンとアルが、変な人たちに連れて行かれちゃった』

「変な人たち?」

 察しはすぐについた。サイファーの手下たちだろう。

『あ、あたし、ドアの隙間から見てたの。どうしよう、ねえ、レジーニさん。なんで二人が連れて行かれるの?』

「落ち着くんだマリー。君は何も心配しなくていい」

『警察に言った方がいいのかな』

「いや、その必要はないよ」

 レジーニはため息をつき、意を決して答えた。

「僕にまかせろ」

『ほんと? レジーニさん、二人を助けに行ってくれるの?』

 マリーの声のトーンが、わずかながらに上がった。

「ああ。だから君は、普段どおりに過ごすんだ。いいね」

『うん……』

 マリーとの通話を切ったレジーニは、カウンターに片肘をつき、額を押さえた。

「今のは“依頼”だな」

 頭上からヴォルフの声が降ってきた。

「行ってやれ。お前らはいいコンビだ」

 レジーニは顔を上げ、ヴォルフを見た。

 席を立ち、〈パープルヘイズ〉を出る。停めていた車に向かう間に、エレフォンを操作し、電話をかけた。

「ストロベリー、訊きたいことがある」

『待ってたわよー』


        3


 エヴァンとアルフォンセが連れてこられたのは、コンテナターミナル内の一画だった。今は使われていない場所のようで、稼働中の施設からは離れていた。

 元は職員の詰め所として使われていたであろう、四角い建物に連れ込まれた。そこでは複数の男たちとともに、サイファーが待っていた。

 サイファーは、コンピューター機器が置かれたデスクの前に座っていて、長い足をデスクの上に乗せていた。

「サイファー、連れてきたぞ」

 ディエゴが声をかけると、サイファーはデスクから足を下ろし、その勢いで立ち上がった。

「よう坊主。〈スペル〉は楽しめたか?」

「んなわけねーだろ。変なもん飲ませやがって」

 くく、と肩を揺らして笑うサイファー。

「もう分かっただろう。〈政府〉は始めからメメントを利用するつもりだった。俺たち〈SALUT〉のマキニアンは、ただのモルモットだったんだよ。連中はいずれ、自分たちに都合よく、ほいほい素直に従うお人形軍団を作りたかったのさ」

 サイファーはエヴァンとアルフォンセの前に立ち、赤いゴーグルでじっと見下ろした。

「だが、俺にはもうどうでもいいことだ。〈SALUT〉も〈処刑人(ブロウズ〉も〈イーデル〉も、もはや存在しない。俺は俺のやりたいようにやる。それだけだ」

「あなたの目的は何なんですか?」

 と、アルフォンセ。

「〈スペル〉を使って、遺体をメメントに変えて、それでどうしたいの? あなたのやっていることは、あなたの言う“〈政府〉のお人形軍団”ではないの?」

 サイファーは首を傾け、にやりと笑った。

「かもな。だが俺の場合少し違う。俺は“遊び相手”を増やしてるだけさ」

「遊び相手?」

 サイファーは二人の前を離れ、窓際に移動した。窓の外は波止場で、一艘いっそうのクルーザーが係留されていた。

「あのクルーザーの中に、ダイナマイトの束とともに、広範囲型の〈スペル〉を積んである。お前の父親の遺品だ」

 アルフォンセの肩が、びくっと震えた。エヴァンは彼女の肩を抱き寄せる。

「だが未完成でな。最後の調整が済んでない。お前が完成させろ、フェルディナンドの娘」

「そ、そんなこと、出来ません」

「いや、出来るさ。そこを見ろ」

 サイファーが指差したのは、コンピューターのモニターだった。そこに映し出されているのは、アルフォンセの勤め先である図書館の様子だった。

 アルフォンセが身体を強張らせ、息を呑む。

「お前の返答次第で、そこに映っている場所が、地図上から消えることになる」

「てめえ……また人質かよ」

 青ざめ、倒れそうなアルフォンセを支えながら、エヴァンはぎりりとサイファーを睨みつけた。

「お前、ほんとに何が目的だよ。〈SALUT〉を壊滅させた奴らに、復讐でもする気か」

 エヴァンが言うと、サイファーは上半身をのけぞらせて笑った。

「復讐? そんな退屈なことするか馬鹿。俺は俺のやりたいようにやってるだけだ。おい、フェルディナンドの娘。やるのかやらないのか、どっちだ。え? とっとと決めろ」

「アル、あいつの言うことなんか聞いちゃ駄目だ。俺がぶっ倒すから」

 その時、サイファーが手下の一人に合図を送った。その男がコンピューターのキーを押すと、モニターに写っている図書館の一棟が爆破された。激しい音とともに、紅蓮の炎と黒い煙が立ち昇った。

 アルフォンセが悲痛な悲鳴を上げ、エヴァンにしがみつく。エヴァンはアルフォンセを抱き、呆然とモニターを見た。

「な、何しやがんだてめえ!」

「フェルディナンドの娘、もう一度言うぞ。〈スペル〉を完成させろ」

 モニターから目をそらせないアルフォンセは、震えながら、小さく頷いた。

「アル、駄目だ!」

「で、でも……」

「うるさい。まとまった話に口出しするな」

 サイファーが合図を下すと、男たちが一斉に動き、エヴァンとアルフォンセを引き離した。

 エヴァンは複数名に取り囲まれ、アルフォンセはディエゴに腕を引かれた。 

「エヴァン!」

「アルに触んなっつってんだろうが!」

 吠えるエヴァンの目の前に、サイファーが立ちはだかる。左手でエヴァンの首を掴み、強引に床に組み伏せた。

「お前は俺と遊べ」

 不敵に笑うサイファー。右手の人差し指を、錐のような鋭利な形状に変化させた。

「ちょっと荒療治だがな。下手すりゃお前自体が壊れるかもしれないが、これが手っ取り早い」

 言うや否や、サイファーは変形させた指を、エヴァンの首筋の接続孔に挿し込んだ。

「うああああああああッ!!」

 全身を引き裂くような耐え難い苦痛が、エヴァンを襲った。脳から足の先まで、電撃が走る。身体がのたうつような激しい痙攣が起きる。聴覚が奪われ、視界も薄れていった。

 自分の上げる声の向こうで、アルフォンセの悲鳴が聴こえたような気がした。

 エヴァンはそのまま、闇の中に堕ちた。


        *


 からしおが鼻をつく。ここの海はくさい。

 潮の香は、サイファーに昔を思い出させた。まだ目が見えていた頃。海兵として戦場を駆け抜けていた頃のことを。そして故郷くにを。

 過去にすがるような性分ではない。サイファーの望みは、かつての栄光を取り戻したいなどという、つまらないことではなかった。

 廃棄コンテナの山の上。海から吹く風を身に受けるサイファーは、倒れたまま動かない青年に向かって言う。

「お前知ってるか。海ってのは、場所によって匂いが違うんだぜ」

 相手が聞いていようがいまいが、関係ない。

「俺はそもそも漁村の出でな。まあ、まともな家じゃなかった。暮らしは火の車、クソみたいな親のせいで、ガキの頃は苦労したもんだ」

 ふっと鼻息を吹いて嘲笑する。

「軍部には志願して入ったんじゃない。口減らしに売られたようなもんだ。今の時代に口減らしだと。まあ、別にどうでもよかったんだが。笑っちまうのは、所属部隊に海兵隊を選んだ俺自身だよ。また海だ。視力を失くした場所も海だった。どうやら俺は、海から逃げられないらしい」

 乾いた笑い声を上げるも、辛い風にかき消された。

「要するにだ。人間の将来ってのは、生まれ育った環境が大きく関わってくるらしい。俺は海で生まれて、海で戦い、目を奪われ、生まれ変わった。

 だがこれは俺が望んだことだったか? 俺は、俺が欲していたものを、一つでもこの手で掴むことが出来たのか? 俺の望むものは、一体何だったんだ。

 マキニアンになって、その答えは見つかった。“力”だ」

 一層強い風が吹いた。サイファーの髪が、蛇のようにうねる。

「俺にとって戦うことは、生きることそのものだ。力を得て、何者にも変えることの出来ない生き方が望みだった。それをぶち壊したのは〈政府〉だ。

〈政府〉への復讐? 考えようによっちゃあ、そうかもな。だが違う。それじゃあ面白くない。俺は奪われたものを取り戻す。俺が生きる場所――戦場をな」

 背後から気配を感じた。

「誰にだって生き方を選ぶ権利はあるだろう? 俺は俺の生き方を選択しただけだ。お前はどうだ? お前も〈政府〉にもてあそばれた口だ。身体やら記憶やら勝手にいじくられて、それで本望じゃないよな? お前はお前を弄んだ連中を、憎いとは思わなかったのか?

 だから俺はお前に訊いたんだよ。

『坊主、お前、人を殺したいと思ったことはないか』と」

 ズドン! と、重い衝撃がサイファーを襲った。振り下ろされた一撃を、サイファーは片腕で受け止めた。

 肌で感じ取っているこの気配は、これまでのものとはまるで違っている。

 刺すように鋭く、炎のように業烈で、凍てつくほどに冷たい。目は見えずとも、締めつけるような悪意は、ひしひしと伝わってくる。

 サイファーは思わず笑みを浮かべた。

 これで、この場所は、最高の戦場になる。


「よう。やっと目を覚ましたな。ラグナ」


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