☆好きっていう気持ち☆
「有栖川、この箱を準備室まで運んでくれ。あと同じ大きさの箱が三つあるんだ」
それは三限目。化学の授業が終わったと知らせるチャイムが鳴った直後、化学の先生から霧我へとみかん箱くらいの大きさの箱を手渡された。
霧我はいつもこう。生徒みんなより成績がよくって、眉目秀麗。
それでもって生徒会なんてやってるもんだから先生にこうやって目をつけられちゃう。 しかも、霧我の性格上、いつも返事は……。
「はい」
二つ返事のこれだもん。だから先生にいいように使われちゃうんだ。
でもね、でもね。
「霧我、次も移動教室だよ?」
そう。
次の授業は古文。でもって教室は四階で、ここは二階。
そんなに急がなくてもいいって思うだろうけど、三階にあるぼくたちの教室に戻って教科書の用意とかしなきゃいけないから、けっこうゆっくりもしていられない。
準備室はすぐ隣だし、箱を持って行くくらい、先生がすればいいのに……。
口をぷうっと膨らましてしまうぼくに、霧我がポンポンって頭を撫でて立ち上がる。
それは先に教室に行っていてという合図だ。
霧我は愚痴ひとつこぼさず、こうやって頑張る。
でも……でもね。ちょっとくらい、肩の力を抜いてもいいと思うんだ。
頑張っているあなたにそう思うのはいけないことなのかな。
「わかった。霧我のも用意して先行ってるね?」
「ああ、ありがとう」
口元はそのままだけど、目を細めてぼくと目を一瞬交わせた。
あ、笑った。
それはちょっとだけだけど、たしかに霧我は笑った。
霧我は大げさに笑ったり怒鳴ったりしない。ほとんど無表情で過ごす。
だから皆も無表情で怖いってよく霧我のとこを言っているけど、実は違う。
実はほんのちょっと顔の筋肉を緩ませたり引きつらせたりしていることは、もう知っている。
これってきっと、好きっていう気持ちが大きくって観察をしてきた成果なのかもしれないね。
皆が知らない霧我を知って嬉しい。
ぼくだけの霧我を知れて嬉しい。
思わず口元がゆるんでしまった。
それがいけなかった。
霧我はぼくが笑うとすぐに背中を向けて準備室まで運んでいってしまったんだ。
もしかして、ぼくって笑うと変な顔なんだろうか。
それは自分の顔について新事実が発覚してしまった四限目直前の出来事だった。
それから放課後の今まで、ぼくは結局授業しか霧我と一緒にいられなかった。霧我はやっぱり先生のお願いを訊いていたんだ。
――で、ぼくは今何をしているかというと……。教室の掃除当番を終わらせて机に突っ伏していたりする。
もうそろそろ生徒会に行って、溜まった書類とかを整理する時間なんだけど、霧我に視線を逸らされたことで生徒会に行く気がないまま、オレンジ色に変わった太陽の光に包まれたピカピカの教室にいたりする。
ぼくってもしかしなくても笑わない方がいいのかな……。
笑い方、そんなにおかしいのかな。
でも、今まで笑顔がおかしいとか言われたことなかった。
いや、でも……。
霧我には視線をあからさまに逸らされたし……。
それって、笑顔を見たくないってことだよね。
顔を見たくないっていうことはだよ?
笑い方が見苦しいっていう意味だよね。
「お~い」
ぼくの笑い方、おかしいんだよね……。
「お~い」
気味が悪いとか思われるくらいなら、いっそのこと笑わない方がいいのかもしれない。
「お~い、雨宮~」
「ちょっと、川島くん!! 今は鈴くんに声かけないでよ」
ぼくの笑顔……どうなんだろう。
「お~い、雨宮~」
「ちょっと!! 静かにしてよ!!」
もう、さっきから何? 人がせっかく考え事しているのに!!
周りがやけにうるさい。
それに、今気がついたけどぼくの頭のてっぺん、どうしたんだろう。なんかモゾモゾする……。
まるで大きい虫がぼくの頭を這うような感じ。
これってなに?
そう思ってモゾモゾする頭に手を持っていくと……。
「あ、まだ触っちゃダメ!!」
「え?」
同じ掃除当番だった女子に怒られた。
あ、みんなまだ教室に残っていたんだ?
じゃなくって、何が触っちゃダメなんだろう?
しかも、どうしてぼくの背後に立っているんだろう?
意味がわからなくって眉間にしわを寄せたまま、『触っちゃダメ』って言われたから手を引っ込めて押し黙っていると……。
「よし、いいよ。できた!!」
女子が誇らしげにそう言った。
「ぶわっは!!」
隣にいる男子はぼくを見ていきなり吹き出した。
そして、二人目の女子が最後のトドメをさす。
「や~ん、かわいい!!」
女子はほっぺたを赤く染めて、まるで小さな犬か猫を見るような目でぼくを見てくる。
かわいい?
かわいいって何?
今日はいつもより、う~ん、っと失礼しちゃう!!
朝からいつも以上に『かわいい』を連呼されてる気がする。
「もう! ぼく考え事してるのに静かにしてよ!!」
勢いにまかせて席を立つと、生徒会室に向かった。
そんなぼくの背後では、同じ教室の掃除当番だったクラスメート数人が騒いでいるけど、無視!!
なんだよ、なんだよ!!
みんなして、みんなしてみんなして!!
もう皆が困った時とか助けてあげないからね!
ぼくは怒りにまかせて生徒会室がある五階まで続く階段を大股で力強く上った。
ガランッ、ピシャッ!!
長い廊下にひとつしかない教室。
『生徒会』と壁に掲げられたプレートがある下のドアを勢いよく開けて中へ入る。
そこには、机の上に山積みになっている書類を手にした生徒会副会長が座っていた。
勢いよくドアを開けたぼくに目を丸くして見てきた後……紅葉の顔が少しずつ破顔して……。
「ぶふっ!! 鈴、何その頭!!」
紅葉は吹き出した後、ケタケタと笑い出した……。
いったいなに?
みんな今日ひどいよ。
ぼくから視線を逸らしたり笑ったり!!
「なんだよ、なんだよなんだよなんだよ!! なんで紅葉まで吹き出して笑うの!? ひどいよ!!」
ただでさえ、大好きな霧我にそっぽを向かれて悲しいのに、ぼくの顔を見るなり、みんなに笑われると悲しくなる。
悲しくなると、自然と涙も出てきちゃうわけで……ぐにゃりと視界が歪んでくる……。
「ああ、ストップ。スト~ップ!! 鈴、泣くな!!」
ぼくの顔はたぶん泣き顔になっているだろうから、グシャって歪んでいると思う。
紅葉は両方の手のひらを向けて、降参だと言わんばかりに、そんなぼくの目の前までやってきた。
仕草ですごく慌てているのがわかる。
だけど……でも……涙は引っ込んでくれないわけで……。口はへの字に曲がっていく。
「遅くなってすまない」
そんな時だった。
今、と~っても顔を合わせたくない人が静かにドアを開けて室内に入ってきたんだ。
ぼくは、こっちに向かって歩いてくる人物から泣き顔を見られないようにと後ろを向いた。
なのに……。
「鈴? どうした?」
その人物はうなだれているぼくを視界に入れると顔を覗き込もうとしてくる。
やだ。
やだやだ!!
泣き顔とか、いつもよりずっとブサイクになるから見られたくない。
でも、笑顔もダメだっていうなら、いったいどんな顔をして向き合えばいいの?
ちょっと混乱する頭で、どうしていいのかわからず、ただしゃくりを上げてしまう。
「霧我、ちょうどいい所に来てくれた」
紅葉はまるで救いの神様か何かがやって来たと言わんばかりだ。
「鈴? どうした?」
優しい霧我は、そうやって落ち込んだ時とかヘマした時にいつも寄り添ってくれる。
そんな霧我が、ぼくは大好きで……だから霧我に視線を逸らされたり、みんなと同じように笑われたりするのがイヤなんだ。
「みんな……ぼくを見て笑う……」
うなだれるぼくを心配そうに覗き込んできた霧我に、ぽつりと話した。
「笑う? なぜ?」
「わからない……」
そんなの……ぼくの方が知りたい。
どうしてみんな笑うの?
どうして、霧我はぼくから視線を逸らしたの?
でも、ぼくのことが嫌いだからとか言われたら悲しい。
こんなこと訊けない。
言えるわけない。
ぼくは押し黙って、そのままうつむく。
霧我の唸るような声を聞いて、身体がビクンと震えた。
だって、面倒くさいヤツだとか絶対思われた。
それが惨めで、悲しくて、余計に涙がでちゃう。
「……ホラ」
それは突然、ズイっと塞ぎ込むぼくの目の前に差し出された。
「?」
なに?
そう思って顔を少し上げると、目の前には開かれた手鏡――。そこに映っていたのは、もちろんぼくの泣き顔……それと……。
ぼくの……頭。
「ね? 鈴を見てみんなが笑う理由。これでわかった?」
手鏡を差し出した紅葉にコクンとうなずくぼくは、放心状態。
だって、ぼくの頭の上。
ピンク色をしたハート模様の……女子がよく髪の毛にくっつけているシュシュが……前髪の部分を上げられて、ちょこんと乗っていたんだ。
コレ……いつの間に?
もしかして、モゾモゾすると思った、教室でダウンしていたあの時? あの時に、同じ掃除当番の女子に付けられてたの?
おかしいと思ったんだ。なんでぼくの後ろに立っているんだろうって。話しをするなら、ふつうは話し手の前か隣にいるハズだもん!!
って、ちょっと待って? だとすると……ぼく。
この髪型のままここまで移動して来たんだよね?
それって、教室からココまで……みんなに見られていたっていうことだよね?
それにそれに……ココには霧我がいて……。
ちょっとヤだ!!
ぼくは慌てて結ばれた髪の毛を外そうとする。
「取るの? 可愛いと思うけど?」
「!!」
ぅえっ!?
突然言葉をはじいたのは、ぼくの目の前にいたその人。
「可愛いと思う」
そう言って、霧我はぼくの頭をポンポンとたたく。
当然、『可愛い』と言われたぼくはまたもや放心状態だ。シュシュの前にあった手が静止してしまう。
霧我の顔を見ると……目を細めて、笑ってるんだ。
「……だってさ、俺はこの書類を理事長室まで持って行ってくるよ」
「俺も行こう。いくら紙とはいえ、そこまで束になっていると重いだろう」
「ああ、助かる。じゃ、行ってくるから鈴、留守番頼むね」
凍りついているぼくを置いて、ふたりは書類を持って理事長室に行ってしまった。
ぼくは、霧我が言ってくれた『可愛い』が頭から消えることはなくって……。
霧我を想うと全身が熱くなる。
顔は、ボンッって火を噴く音がした。
他の人から『かわいい』って言われちゃうとすごく嫌な気持ちになるのに、霧我だと嬉しいのは、きっと霧我のことがすごく好きだから。
少しでも褒めてくれることが、天にものぼる気持ちになるんだ。
すき。
だいすき。
たとえ、この想いは言えないとわかっていても、その気持ちだけが大きく膨らんでいく。
「どうしたらいいんだろう……」
ぼくは生徒会室を去っていく霧我の背中を追いかけていた。
同じ気持ちを抱く人物がぼくと同じように彼の背中を見つめていることも気づかずに……。