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炎獄庭球編 (1)



 猛暑であった。

 夏らしいというのはたやすい。だが、七月の半ばから連日、というのは少し早すぎる。

 炎天下で勉学に励んだ学生たちは、待ちかねていた。

 明日からの夏休み。

 気分は上の空。

 稜明学園上空は、本日もカラリと晴れ渡っている。



「嘘……。この炎天下で。……テニス?」

 あの二人、とても正気とは思えない。

 彩子(さいこ)は半ば呆然とした気分で、窓の外に目をやった。

 澄んだ青空。降り注ぐ太陽光線が、地上のすべてを白っぽく見せる真昼時。

 雲など一つとしてない。

 ここ数日、この街は記録的な猛暑に見舞われている。探す気力を振り絞れば、路上や焼けたグラウンドに陽炎さえ見出せるはず。

 だが、若さ溢れる高校生でさえ、『そんな暑苦しいもの見たくも無い!』。

騎道(きどう)君にテニスを教えてやるって、三橋(みつはし)君、張り切ってたわよ。

 めずらしいわよね。三橋君が学園のコートを使うのって」

 やっぱり。

 言い出したのは、三橋翔之信(しょうのしん)

 彩子は学生カバンを置き直して、すでに大半が下校している教室を後にした。

 廊下を擦れ違う生徒たちは、誰もが大声で騒いでいる。

 きらきら光る太陽の陽射しみたいに陽気で、完全に解放されている。おなじ学園の校舎なのに、昨日とはまるで雰囲気が違う。

 彩子自身も、足取りは軽い。

 明日からは夏休み。終業式も終わって、学園恒例の競泳会も例年通りに異様な盛り上がりをみせて終了した。

 クラス対抗であることは言うまでもなく、選手は選抜、男子のみで八名。

 自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライに四種リレーという、スタンダードな種目は勿論。選手全員が制服姿で泳ぐ着衣リレーが大会のハイライトだった。

「大体。騎道が丈夫じゃないことを承知していて、こういうバカをするんだから」

 体育の時間は見学者している人間を、炎天下に連れ出す?

 その結果がどうなるか、予測のつく彩子としては黙って捨ててはおけなかった。

 けれど。三橋だって、競泳会にフル出場していた。疲れ知らずの運動能力でも、底を打つ可能性だってある。

 層の厚い三年生に阻まれて、2Bは総合4位の成績に終わった。といっても、作戦参謀を兼ねた三橋の手腕はいつもながら鮮やかなものだった。

 補佐役として三橋に顎で使われていた騎道も、レース中の三橋に代わって次の選手に指示を出したりと、二人の呼吸は計ったように合っていた。

「今更騎道にテニスを教えて、どうするつもりなのよ?」

 宿直室から大きなヤカンを借りて、彩子は勢いよく水道の水を注いだ。

 ……二人で、ダブルスのコンビでも組むつもりかしら?

 それは名案だと彩子は認める。

 勘のいい騎道なら、三橋にとって最高のパートナーになれるだろうから。

 漫才コンビでもOKな二人だし。

「考えてみると、珍しいわよね。三橋が学園のコートで練習するのって……」

 三橋の練習風景を目にすることも初めて、と言っていい。

 自前の練習場があるらしく、放課後、三橋は真っ直ぐに帰宅するのだ。ただし、学園の人間は誰一人として、それがどこなのか、どんなメニューなのか知らない。

 本人も涼しい顔で、口にも出さないので、本当に練習しているのかも疑わしい。

 試合の度に実績が出るので「やってはいるらしい」と判断できる程度だった。

 変にあまのじゃくな性格だから、『努力』『根性』、『死に物狂い』な自分を誰にも見られたくない、というのが三橋の本音なのだろう。

「妙な片意地張るの、好きよね。男って」

 女の価値観にかかると、男の美学に立場は無い。粉々に砕かれて、一息で消し飛ばされてしまうものなのだ。

 キュッと蛇口を閉めて、彩子はヤカンを持ち上げた。その時、キラリと、小さな光の反射が彩子の視界をかすめた。

「?」

 水飲み場にポツンとおかれた金属製の洗面器。光はここから飛んできた。

 そっと、一杯に張られた水の中をかき回してみる。また、切り取られた光線がカチリと光る。彩子の目には、何も見えないのだけれど。

 少しずつ、水をあけてみると。

「ガラス…かな? ちょっと、違うみたいだけど」

 二つの透明な平たい石が洗面器の底に残った。

 変則な長方体にカットされていて、少し細くなった一端には穴が開いている。ペンダントヘッドにしては、大きいし重みもありすぎる。

 日に透かすと、淡い水色。なのに、表面は金属的な光沢を持っている。

 少し考えてから、彩子は石の水滴をハンカチで拭って、スカートのポケットに滑り込ませた。

 テニスコートから戻ったら、教務室に届けるつもり。

 神秘的な水色が、まるで水そのもののように美しい色を湛えていた。



 稜明学園のテニス部は、その実力に比例してかなり優遇されている。

 学園内敷地の南端。南校舎に設営された五十メートルプールと、飛び込み専用のプール脇に8面。ボール避けのフェンス付きの、テニスコートがあった。

 プールサイドの目隠し用に、木立が造られているが、真昼の陽射しは頭上から落ちる。よって、部員たちに木陰の恩恵は望むべくもなかった。

 そんな暑さも日照りも厭わず、間違いなく、ここには全テニス男子部員が終結していた。

 全コートを、ボールボーイの一年生部員が囲んで、コート内では二年生が三年部員のシゴキを真剣な表情で受けている。

 猛暑以上に暑苦しい、情熱と根性の熱気がこの場に立ち込めていた。

 その中で、場違いにマイペースだったのは大親友の二人組みだった。

「やるじゃん、騎道クン」

 口先では軽口を叩いている。だが、本気になりそうな自分をなだめながら、三橋は相手コートに丁寧に打ち返す。

 素人相手なので、むずかしいコースは選べないと承知していた。スライスで回転をかけるなど言語道断。『素人相手に』そんな卑怯な真似は出来かねるが……。

「……こんのヤロ様っ……!」

 内心では、悪態をついていた。

 教え方がうますぎたのか、本当はプロ並の腕を持っていたのだと最後に告白してくるか。

 それとも、本当の本当に運動センスがズバ抜けているだけなのか……。

 ほんのちょーっとだけ、ひねった回転をかけてみたり、難しいコースを選んで奴を余計に走らせてみたり。

 口惜しさにかられて、三橋は相手をゆさぶってみるのだが。

 騎道はいたって真面目な顔でボールを追いかけ、あっさり追いつき、素振りのお手本のように完璧なフォームで打ち返してくる。

 ……俺が教えた通りのフォームだから、文句のつけようがないんだけどさ……。

 けれど『普通の素人』は、言われた通りのフォームを守れないのが普通なのだ!

「ウッ……!」

 心が乱れるあまりに、三橋は自分から、ネットにボールをひっかけてしまった。

 背後の一年生がボールを投げてくる。

 真剣に見守る彼等の視線も背中に痛い。

 三橋は、サービス・ラインに立った。

 やや手持ち無沙汰に構える騎道の不器用さは、『ほんとの素人』そのものだ。

 さすがの騎道でも、トスのタイミングが掴めないので、サービスだけは三橋が入れている。

 三橋が貸したテニス・ウェアと、真面目そのものの黒縁眼鏡がへんにアンバランス。少し笑える。

 ちょっとだけ、軽く深呼吸をする。

 連日、きっちりトレーニングを積んでいる三橋に、呼吸の乱れはない。暑いことは暑いし、喉も全身も渇ききってはいるが、問題にはしていない。

 目を細くして、薄い陽炎の向こうに居る騎道にしっかりと焦点を当てる。

 向こうも、上気した赤い顔をしているが、さほど息が上がっているようには見えない。長めの前髪だけが、見る者を暑苦しい気分にさせている。

 隣のコートでは、部長の高尾が、十人ほどの二年生に、ピンポイント・リターンの練習をつけている。

 騎道は、二年生のサーブを受けて、クロスとストレートで返す高尾の役目と、コートの端から端まで走らされる二年生を交互に眺めている。

「いくぜ」

 騎道がぎこちなく身構える。チラッと高尾を眺めるのは、自分のフォームをチェックしているため。まったく。妙に向上心が旺盛で、その上、鏡みたいにすべてを写し取れる。欲のない顔で。

 三橋は、悪戯っ気を起していた。

 十分、騎道が三橋の相手になれると読んだからだ。

 高いトスの後。三橋の体が伸びて、ボールを空中で捕らえ、即座にしなった。

 得意の弾丸サーブ。

 焼けた大気を裂いて、トップ・スピードのまま、相手コートでワン・バウンド。

 その間は、瞬き。

 セオリー通りに、騎道がラケットを振り上げた。

 しかし、三橋は知っている。三橋が本気で打ち込んだサーブは、セオリーのままでは制御できない。

 ボールのスピードからくる反動で、ラケットに当てても、コート外に弾き出されるのがオチだ。

 なのに。騎道は返球してきた。ラケットで受けた瞬間、顔色を変えはしたが、三橋のコートへと送り込んできた。

「このヤロっ。その手は十年速いんだよっ!」

 それもストレートで返球してくる。

 まるで、二年生を軽くあしらう高尾部長のように。三橋がサーブした位置から一番遠い場所へ。

 出遅れはしたが、追いかける。

 プレーヤーとしての本能だった。

 一番右端から、一番左端まで。

 走る。

 無論、フォームは崩さない。

 息を詰めて。ラケットを引き付ける。

 両手で握り締めたバック・ハンド。

 最も速いショットを繰り出せる、最強の打法でポイント・ゲットするのが、三橋の勝ちパターンの一つ。

 今度も、手加減無しで振り抜いた。

 ……素人相手ってのは、頭に無い。

 ボールを見送り、視野に騎道が入ってから『やりすぎた……』と悟った。

 騎道は、黒縁眼鏡の奥にある、ひどく冷静なまなざしで迫るボールを見据えていた。

 彼には動く必要はなくて、ほぼ手前を最速でパスするはずだった。それを。

 かるく回り込み、騎道は右手一本で返してきた。いや、返そうとした。

 今度ばかりは、最速のリターンに押し切られ、ボールは高く舞い上がった。

 奇跡的に三橋のコートに落下するそれを、三橋は渾身のスマッシュでケリをつけてやった。

 騎道はぼーーんやりと、ネット際に叩きつけられたボールを、そーゆー手もあったのか、と感心した面持ちで見送っている。

「なーーーんで、あーゆー真似するんだよっっ!」

 ドスドスと、ネットまで駆け寄った三橋がわめき散らした。

 ぽかんとしていた騎道は、ゴメン、と小さく答えた。

「……高尾部長を見てたら、ああいうのもやってみた方が三橋の練習になるのかな、と思って」

「……」

 ド素人が考えて、やってみることじゃねーぜ……。とは、三橋の心の悪態。

「三橋君。ウィンブルドンの決勝戦に相応しいラリーだったじゃないか?」

 素直に褒めてくれるのは、部長の高尾だった。三橋のジレンマを、彼はすっかりと見透かしていた。

「とても初心者には思えないね。あそこまでプレイされると、君がそれを忘れたくなるのも無理はないが」

「スンマセンでしたっ……!

 初心者らしく、扱えばいーんでしょっ」

「うちの部に欲しいなぁ」

 くるっと、三橋はうそぶく高尾に向き直った。

「ダメですっ! 騎道は、体弱いんですっ!」

「そうは見えないが」

「でも、そうなんですっ! あいつすぐにブッ倒れるし、体育は見学だし、ボケッとしてて手間かかる奴だし。部長の手になんて負えませんよっ。

 大体、五十人も部員が居てまだ欲しいんですかっ?」

「欲しい」

 即答する高尾は、にっこり笑って言った。

「代わりに君が正式入部してくれるかな?」

 くーーーっ。それとこれとは話しが別物っ!

 グルッと、三橋はきびすを返しベースラインに引き返そうとするが、騎道の細い呼び声に足を止めた。

「三橋……。腕、痛い……」

 腕……? 痛いって……、それって!?

 ラケットを放り出すと、三橋はネットを飛び越え騎道に駆け寄った。

「見せてみろ。どっちだ? 右手か? 

 ここ、痛いか? こっちは?」

 念入りに、右腕の筋を抑える三橋を見上げて、騎道はこくんとうなずいた。

「どうかしたのか?」

 高尾も駆けつけて来た。

 三橋は、青くなっていた。

「ち、ちょっと待ってろ。今、冷やしてやるからな?

 部長、アイシング。冷却スプレーか、何か無い? 急いで!」

「痛めたのか?」

 すぐに、背後の一年生が取りに走り出す。

「ハハハ……。俺のバック・ハンドをまともに受けて、怪我しない奴なんてそうそう居ませんよ……」

 笑えない冗談を、三橋は内心、自分で否定していた。

 ……違う。最初のサーブで、捻挫したか手首を挫いたかだ。

 まずいよな、それって。空手の有段者が、通りすがりの通行人と喧嘩をしたようなものじゃん。

 ……アン・フェアだよな。

 はふっと、息を一つ吐いて騎道は肩をすくめた。

「ごめん。でも、たいしたことないと思うから。平気だよ」

「あ、あったり前だろ? お前、テニスして手挫いた程度で、命にかかわるわけないじゃん。全然平気。こんなのすぐに治るって……」

「なあに? もう何か起したの?」

 ギクリ。である。

 振り向くと、間違いなく、一番知られたくない彩子が居た。

 どうして騎道をこんなことに連れ出すのよ。テニスって、そんなにマジになるもの? 怪我までさせちゃうなんて、何考えてるのよ!?

 はいはいはいはい。おっしゃりたいことは、よーくわかっております。

 心で耳を塞いで、彩子の雷を待った。

「はい。これで冷やして」

 差し出された濡れタオル。

 三橋は即座に、騎道の右手首に巻きつけた。

「……初めて見たな。三橋がテニスをしているところ」

「そう……だった、かな?」

 思いがけない彩子の発言に、どぎまぎしながら、三橋は言葉を濁した。

「TVでは見たことあるけど、直接見るのは初めて。こんなに近くで、試合を見るのも初めてだし」

「試合じゃねーよ……。俺が、無茶やっただけ」

 口ごもる。

「格闘技みたいね。

 テニスって怖いものだったんだ」

 えっと……。全部、最初から見られてたわけだ。

「でも、面白いね」

 彩子に、すかさず同調するのは騎道。

「でしょ? 三橋が真剣になるの、無理ないよね」

「お、お前だって、やたらマジになってさ! おとなしくピンポン・テニスしていれば、こんなにならなかったのに……!」

『真剣』と言われると、気恥ずかしさで一杯になる三橋だった。

「だって、ムキになるから。なんだか嬉しくて、楽しくて。

 やめられなく……な……」

「お、オイっ!」

 ふいに目を閉じて、騎道はがっくりと両膝をコートに付いた。

 倒れこむ体を支えて、騎道の体が火のように熱くほてっているのに気付いた。

「やだ……。今度は何?」

「日射病だな。そのヤカンの水、頭からぶっかけろ、彩子」

 水を浴びると、すぐに騎道は目を覚ましたが、まだぼーっとしていた。

「……気持ち、いいな……」

「ほんとなら、プールにぶっこんだ方がいい薬になるぜ。やってやろーか?」

「バカ言わないのっ!」

 今度こそ、彩子に叱り飛ばされる。

 構わず、もっと水を汲んで来いと、三橋は彩子を追いやった。



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