「ずるいずるい」が口癖の妹が、本気出してきた。
「お姉ちゃん、ずるい……!」
それが、妹の口癖だった。
学園の小テストの結果が返却された日の夜、一つ年下の妹のルーナが私の部屋に駆け込んできた。
手にある答案用紙には、平均点に満たない数字が並んでいる。
「お姉ちゃんは勉強もできて、マナーも完璧で、婚約者は第一王子のティラナス殿下で……。何でも持っていて、何でもできて、本当にずるい!」
私は手元のお茶にそっと口をつけ、冷ややかな視線でルーナを一瞥した。
「……またそれかしら、ルーナ」
纏わりつく羽虫を払うかのように、私は言い放つ。
「ずるい、ずるいって、私はあなたと違って努力をしているのよ。羨んでばかりいないで、自分で手に入れたらどうかしら? 」
美しく聡明な姉ソラーナと愛嬌だけが取り柄の妹ルーナ――それが、世間での私たち姉妹の評価だ。
本当にその通りね、と妹を内心馬鹿にする。
「おこがましいにも程があるわ。”同じ血が流れている”と思えないわね……」
こうして冷たく突き放せば、「お姉ちゃんのいじわる!」と泣き喚いて逃げ出すだろう、そう思っていたのだが――。
私の言葉を聞いて、ルーナは驚いたようにピタリと泣き止んだ。
そして、涙で濡れた瞳で、じっと私を見つめてくる。
その瞳の奥に、今まで見たこともないような色が灯る。
「……同じ、血」
「え?」
「そうだよね。お姉ちゃんの言う通りだ。ずるいって言ってるだけじゃ、ダメだよね……」
まるで独り言かのように、小さく呟いたかと思うと。
「……私、本気出す。お姉ちゃん、教えてくれてありがとう」
そうハッキリと言い残して、ルーナは部屋を出て行った。
私は鼻で笑った。
本気を出す? どうせ三日坊主に決まっている。
あの子は私と違って愚鈍だ。
またすぐに「ずるいずるい」と泣き言を言ってくるだろう。
──この時の私は、まだ知らなかった。
寝た子を起こすとは、まさにこのことだったのだと。
◇◇◇
それからのルーナは狂っていた。
本当に文字通り、狂ったように努力を始めたのだ。
部屋に引きこもり、食事の間すら本を手放さない。
睡眠時間も削っているのか、目の下に薄い隈を作りながらも、その瞳は異様な爛爛とした輝きを放っていた。
「ルーナ様は……一体どうされてしまったのでしょう」
我が家に昔から仕える家庭教師やマナー講師たちが、心配そうに私に報告してくる。
更に詳しく話を聞けば、どうやらかなり優秀らしい。
「一を教えれば十を理解し、翌日には百の応用をこなしてみせます。何年もかけて教える社交界のドロドロとした歴史や、高度な帝王学の基礎、果ては貴族特有の歪んだマナーまで、まるで乾いた砂が水を吸い込むように、凄まじい勢いで吸収していくのです……」
「そんな……まさか」
私は焦りを覚えた。
私がこれまで全てを捧げて、一歩一歩、必死に積み上げてきた『完璧な令嬢』としてのスキル。
それをルーナは、わずか数ヶ月で塗り替えようとしていた。
廊下ですれ違うルーナは、以前の垢抜けない姿が嘘のように、洗練されたオーラを放っていた。
すれ違いざま、私の姿に気づくと、ふっと微笑んだ。
「お姉様、ごきげんよう。わたくし、頑張っております」
その微笑みは、かつて私が彼女に向けたような、温度の感じられない冷たい美しさを帯び始めていた。
◇◇◇
決定的な瞬間は、すぐに訪れた。
学園で行われた、年に一度の総合試験。
掲示板の最上段、常に私の名前が刻まれていたその場所に、よく知った名前が躍り出ていた。
【第1位:ルーナ・ヴァンディッシュ】
【第2位:ソラーナ・ヴァンディッシュ】
「嘘……でしょ……?」
目眩がした。
私が、負けた?
あの、ずるいと泣き喚くだけだった無能な妹に?
ざわめく周囲の生徒たちの視線が、針のように私に突き刺さる。
「おい、見たか? ヴァンディッシュ家の『本物』は妹の方だったらしいぞ」
「姉の方は、今まで妹が手を抜いていたから調子に乗れただけか」
「まあ、勉学だけが取り柄でしたのに……」
それだけでは終わらなかった。
その後に開かれた王宮の夜会。
ルーナが姿を現した瞬間、会場の空気が一変した。
非の打ち所がない完璧な姿勢。
高貴でありながら、どこか男心を惑わせる蠱惑的な微笑み。
各国の重鎮たちと対等以上に渡り合う、洗練された知的な会話術。
かつて『愛嬌だけが取り柄の妹』と蔑まれていたルーナは、今や夜会の主役へと成り代わっていた。
私は、壁際でワイングラスを握りしめ、ただ羞恥に体を震わせることしかできなかった。
私の周りには、もう誰も人が集まってこない。
みんな、輝くルーナの方へと群がっていく。
そしてその群衆の中には、私の婚約者である第一王子、ティラナス殿下の姿もあった。
◇◇◇
「ソラーナ。君との婚約を、白紙に戻したい」
学園の放課後、サロンに呼び出された私は、ティラナス殿下から冷酷な一言を告げられた。
頭を殴られたような衝撃に、私は言葉を失う。
「ど、どうしてですか、殿下……! 私は、あなたにふさわしい王妃になるために、これまでずっと……っ!」
「君は確かに優秀だった。だが、ルーナはそれを遥かに凌駕する」
君も気づいているだろう? そう問うような目で私に語りかける。
「彼女は先日の外交問題について、素晴らしい打開策を提示してくれた。マナーも、美貌も、知略も、次期王妃としてこれ以上の逸材はいない。王家としても、より優秀な”血”を迎えたいのは当然のことだ。君も、妹の引き立て役として、これまでよく頑張ったな」
引き立て役。
私が。
ルーナの、引き立て役。
「な、納得できません……! あんな、あんな無能に……っ!」
「見苦しいぞ、ソラーナ」
ティラナス殿下の射すくめるような眼光が、私を貫く。
そこには、かつて私に向けられていたはずの愛情や敬意は残っていなかった。
「元はと言えば、君が彼女に『自分で手に入れろ』と突き放したのだろう? 彼女はただ、お前の言葉を愚直に信じ、努力で勝ち取っただけだ。実力で負けた者が、今さら喚くな」
──あ。
頭の芯が、スーッと冷えていくのを感じた。
そうだ。
ルーナにあの言葉を言ったのは、私だ。
「羨んでばかりいないで、自分で手に入れたら?」と、高みの見物を決め込んで冷たく突き放したのは、他でもない、この私だったのだ。
◇◇◇
婚約の白紙が正式に決定し、私は公爵家の離れへと追いやられることになった。
次期王妃の座を手に入れたルーナは、本邸の一番豪華な部屋へと移っていく。
荷物をまとめ終えた私の前に、ルーナがふらりと現れた。
かつての、姉の服の裾を掴んで泣いていた面影はどこにもない。
そこには、圧倒的な勝者の風格を纏った、美しくも冷徹な天才が立っていた。
ルーナは私の惨めな姿を見下ろし、極上の淑女の微笑みを浮かべた。
それは、かつて私が彼女に見せつけていた、傲慢なまでの”強者の笑み”そのものだった。
「お姉様、お引越しなさるのね……」
「ルーナ……。私を、笑いに来たのかしら……」
私が睨みつけながら恨み言を吐くと、ルーナは小首を傾げ、心底不思議そうに首を振った。
「まさか。お礼を言いに来たのです。お姉様のお言葉があったからこそ、ここまで来ることができました」
そして私に感謝を述べる。
「お姉様と”同じ血が流れている”んですもの。きっと同じことが出来る……。全てを手に入れられる、と気づけましたの。王子の婚約者の座も、周囲の賞賛も、完璧な令嬢の地位も、全部、全部」
ルーナは私に近づき耳元で、優しく、そしてあの頃のような口調で囁いた。
「もう、『ずるい』なんて言わない。だって、今の私から見れば、お姉ちゃんが持っていたものなんて、簡単に手に入る、ちっぽけなものだったんだもん」
「あ……、あ……」
ガチガチと、私の奥歯が恐怖で鳴り響く。
ルーナは、また完璧な淑女の仮面を被ると、もう振り返ることはなく優雅な足取りで去っていった。
静まり返った部屋に、私一人だけが取り残される。
自分の爪が手のひらに食い込むほど強く拳を握りしめ、ボロボロと涙をこぼした。
「あああああ……っ!」
激しい後悔が、津波のように押し寄せて胸をかきむしる。
なぜ、あの時、あんなことを言ってしまったのだろう。
どうして、ルーナを焚きつけるようなことをしてしまったのだろう。
あのまま、適当に甘やかして、機嫌を取って、遊ばせておけばよかった。
「そうだね、ずるいね」と笑って、無能なままでいさせればよかったのだ。
私の地位を脅かすことのない、ただ嫉妬して泣くだけの、愚かで可愛い妹のままでいさせてあげればよかったのに。
「ずっと……っ!あの子を私の、引き立て役のままでいさせれば……っ!!」
私は誰もいない部屋で、ただ己の愚かさを呪うことしかできなかった。
※この作品はaiちゃんとの共同作品となります。




