前世に翻弄された伯爵令嬢の話
ウィレミナ・イーグルトン伯爵令嬢とユーイン・エクルストン公爵令息は十三歳の時に婚約した。
「ユーイン様。ウィレミナと申します。これか」
「まさか……ウェンディ?」
挨拶をしようとしたウィレミナだが、ユーインは彼女を見ながらぶつぶつと何かを言い始めたので困惑した。
「ウェンディ……その赤い髪、緑の目、可愛らしい声……間違いない……」
すると今度はウィレミナを強く抱きしめたのだ。ウィレミナはあまりの驚きに声が出ずユーインの腕の中で固まった。
「ウェンディ!愛しい僕のウェンディ!僕だよユージーンだ!ようやく会えたね。ずっと君を待っていたんだよ!」
「あ、あ、あ、あの、な、何のお話」
すると体を離し、戸惑うウィレミナの顔をまじまじと見た。
「いや、君もいつか思い出すさ。愛しいウェンディだった記憶をね」
にこにこと笑うユーインの顔を見て、ウィレミナはただただ混乱するばかりだった。
ユーインは説明した。ウィレミナの前世はウェンディ、ユーインの前世はユージーン。二人は恋人だった。しかし二人にはそれぞれ婚約者がいた。結ばれる事はない二人は、屋敷から逃げ出したが不幸があり……というのをユーインはかつて夢で見たのだと。
それからユーインはウィレミナをウェンディと呼び、何かと前世の話をした。
「ウェンディの好きな薔薇の花束を持ってきたよ。イーグルトンの小さな庭にはこんな花束ができるほどの薔薇はないだろう?」
「ほら、チョコレートだよ!特にこんな果物が入ったものが大好きだったよね?あ、太らないようにだけはしてね」
「父上に無理を言って前世であげたのと似たサファイアの髪飾りを注文したんだ。でもちょっと、可愛いウェンディにこんな大人びたのは早かったかな」
ウィレミナにとって辛かったのはユーインが自分をウェンディとしか見てくれないことだった。
それに薔薇よりもチューリップ、チョコレートよりもクッキー、宝石より馬が好きだ。だがそれらは全て無視される。それに彼の言葉の端々に何か引っかかるものを感じてもいた。
「ユーイン様。申し訳ありませんが私はウェンディではなく、ウィレミナです」
「ははっ!君はウェンディであってウィレミナ、ウィレミナであってウェンディだ。同一人物なんだから」
「ですが私は何も思い出せません」
「大丈夫!いずれ思い出すさ」
意を決して言ってもまともに取り合ってもらえず、こんな噛み合わない話を続けた。
ただそれを除けばユーインには特に不満はない。エクルストン公爵もウィレミナやイーグルトン伯爵に良くしてくれている。何よりもこれは政略結婚だから多少の事は我慢しなければ。
諦めの気持ちを持ってからは、意にそぐわない贈り物も笑って受け取り、前世の話も否定せずに聞いた。いつか自分をウィレミナとして見てくれると信じて。
十五歳になり、王立学園に二人は入学した。前世では二人の出会いは学園だったらしいがウィレミナにそんな記憶はない。
「ウェンディ、またこうやって一緒に登校できるのは嬉しいよ」
「……ご一緒に頑張りましょう」
(大丈夫よ。時間が経てばユーイン様も落ち着くかもしれない。きっとそうよ)
その願いも虚しく、学園生活に入ってから、ユーインの押しつけはさらに酷くなった。
「この成績はどうしたんだい!?まさか他人の答案を盗み見たのか?」
「そ、そんな事するわけないじゃないですか!」
「何だ。ウェンディ、女に学力は必要ないんだ。無理をしてはだめだよ」
入学直後の学力検査の結果が出た時の事だ。上位ならともかく、何で普通の成績で疑われ責められるのかとウィレミナは心の中でため息をついた。ユーインの成績はウィレミナより大分下だった。
「なんて恥ずかしい事をしてくれたんだ!人前で女性が馬に乗るなんてはしたない。大会なんて二度と出ないでくれよ!」
「前はいいと仰ったじゃないですか」
「人前じゃないからさ。とにかく駄目だ。僕の恥になる事をしないでくれ」
学園の障害馬術大会に出た時は非難された。大会にはオリアーナ第二王女も参加しており、彼女は国の恥になるのか、はしたないのかと言いたくなったがこらえた。
「誰だいあの令嬢は?」
「ヘンリエッタ・パターソン子爵令嬢です。私の友人ですわ」
「ふぅん。まぁ君ならそんな格下の令嬢しか相手にされないか」
「格下?そんな言い方失礼ではないですか!」
「背伸びはよくないしね。うんうん、友達は大事だよ」
ヘンリエッタは大切な友人だ。明るく素直な友人を見ていると笑顔になる。そんな彼女を暗に馬鹿にされウィレミナは反論したが、ユーインはへらへらと笑うばかりだ。
(ユーイン様はいつまで経っても私をウェンディとしか見ていない。いいえ、ウェンディという理想に押しこもうとしている。彼女は本当にあんな人を下に見て嗤うような人を愛したのかしら……)
息苦しい中でも楽しみはある。この日はヘンリエッタと町のカフェに行き、ウィレミナは好物の無花果のタルト、ヘンリエッタはブルーベリーのケーキを注文した。
ユーインとはカフェには行かない。以前に同じカフェに行ったが、勝手にチョコレートのケーキを三つも注文され食べさせられた。それ以来もうチョコレートは見たくないほど嫌になった。
「この青のリボンともさよならかぁ」
「明日からは二年生だから赤ね。間違えないようにしないと」
「私赤の方が好きなんだ。あ、でもブルーベリーは好きだけどね。それ以外は断然赤かな」
ウィレミナも青より赤、宝石ならサファイアよりもガーネットが好きだ。サファイアと言えば今日はユーインから貰った髪飾りをつけていない。ユーインを思い出すものを楽しい時間に身につけたくないからだ。
「ねぇヘンリエッタ。前世って信じる?」
「急にどうしたの?」
はっとしたウィレミナは、一口の紅茶を「私の婚約者が」と言いたいのと一緒に飲み込んだ。
「本にそんな話があって思い出しただけよ」
「どんな話?」
「前世で愛した人を今世で見つけた男の話。でも愛した人は変わってしまっていて、男の意にそぐわない行動ばかりするの。男はどうにか前世の彼女に戻ってほしいみたい。どう思う?」
ヘンリエッタはうーんと青のリボンを指でいじった後、首を横に振った。
「何それ。だったら別れたらいいじゃない。だって、今生きているその女性は前世とは別人でしょ?もう一回赤ちゃんの頃から全く同じ両親、全く同じ環境で育ったらわからないけど、そんなのありえないじゃない」
「成る程ね」
「勝手に比較したり人を変えようとするなんて失礼よ」
そんな器の小さな男は王子様だろうが願い下げだわと言って、ヘンリエッタはケーキをフォークで真っ二つにする。青い実が割れるのを見て、ウィレミナは少しだけ留飲が下がった。
ヘンリエッタと話した三日後。ウィレミナは新学年になって早々にユーインに呼びつけられた。突然教室に入って来たかと思うと、放課後庭に来いとだけ言って去って行ったのだ。
庭に設置されている白いテーブル席に座っていたのは、ユーインだけではなかった。隣には自分と同じ赤毛で緑色の目をした女生徒、胸元のリボンは青色なので入ってきたばかりの一年。何故かユーインの腕に馴れ馴れしく絡みついていた。
ウィレミナに気がつくとユーインは彼女を睨みながら、ズカズカと近づいてきた。
「ウィレミナ、よくも騙してくれたな。このシンディー・フローリー侯爵令嬢こそ、本物のウェンディの生まれ変わり。婚約は破棄だ、慰謝料も請求させてもらう」
ユーインはそうまくし立てた。ウィレミナは驚きはしたが、不思議と気持ちは落ち着いている。
「……そうですか。わかりました。この事は父に報告致します。エクルストン公爵にはユーイン様からお話しして下さい」
「待て、お前にはやるべき事があるだろう。僕とウェンディに謝罪するんだ!」
「はい?」
「最愛のウェンディだと嘘をつき、僕の愛を弄んだ事だ。彼女は昨日、勇気を持って涙ながらに私に告白してくれた。私こそがウェンディだと。その瞬間私は目が覚めたんだ!」
「昨日、ですか」
「信じて下さって嬉しいです」
気がつくとシンディーがユーインの腕に再び絡みつき、うっとりした顔で見上げている。ウィレミナは心底呆れ返った。
「だから僕を騙し、ウェンディを泣かせた事を謝罪するんだ」
「私は一度も自分がウェンディだと話した事はありません。謝罪?ふざけているんですか?あぁ、馬鹿馬鹿しい」
「お前!!」
思わず本音を言ってしまった。ユーインの目はますます釣り上がり顔も歪むが、ウィレミナはもうどうでも良かった。
「結婚は親同士で決めた事ですが、せっかく縁があったならと私はユーイン様に寄り添おうとしました。その結果否定をしなくなった事は良くなかったかもしれません」
「だったら嘘をついたのと同じだろう!」
「ですが私は自分がウェンディだとは一度も言っていません。勝手にウェンディにし、勝手に理想の女性像を押しつけ、今度は勝手に婚約破棄ですか。本当に勝手な人ですね。前々から思っていましたが、ここまでとは」
「酷いわ!ただ彼は私を捜していただけなのよ。貴方はそれを嘘をついて邪魔したの!」
「どうしたらそんな話になるのか全く分かりません。何にせよとにかく絶対に謝罪は致しません。後の事は父に任せる事にします。それでは!」
待てと言われたが待つつもりはない。ユーインが腕を掴もうとしたが振り切り、ウィレミナは寮まで走った。後ろから怒鳴り声が聞こえたが振り返らない。貴族令嬢としてはしたなかったかもしれないが、何故だか体がとても軽く感じた。
(こんなあっさり終わるなんて。それに全部じゃないけれど、言いたい事を言えてちょっとすっきりしたわ)
そのままの勢いでイーグルトン伯爵に手紙を書く。今までの事を洗いざらい書いて書いて書き殴る。それとオリアーナ王女から貰い、机の奥にしまっていた馬術競技クラブの入会書も記入。最後に箱からサファイアの髪飾りを出すとゴミ箱に捨てた。
婚約は破棄された。エクルストン公爵とフローリー侯爵は直接ウィレミナとイーグルトン伯爵夫妻に謝罪したのだが、ユーインとシンディーはその場にはいなかった。
破棄されてから数日後、ユーインとシンディーは双方の父親とともにエクルストン家の屋敷にいた。席につくなり二人は手を握り合う。その様子を父親たちは苦々しい目で見ていた。
「ウェンディ……ようやく君と結ばれる。今世では君を幸せにするよ」
「私のユージーン。永遠に愛していますわ」
二人を無視してエクルストン公爵が口を開く。
「ユーイン。お前をエクルストン家から除籍する。学園は退学、仕事は紹介してやるから後は好きにするがいい」
「シンディー。お前もだ」
ユーインとシンディーは同時に身を乗り出した。
「そんな!どうしてですか!?」
「私たちは前世から愛し合っているんです、信じてもらえないかもしれませんが真実です!」
「まさかそんな覚悟もなく二人とも婚約を破棄したのか?」
冷たくエクルストン公爵が言い放つと二人は黙った。
婚約破棄をしたのはユーインだけではない。シンディーも三年前からの婚約者であるジェラルド・ダグラス伯爵令息との婚約を破棄していた。
「前世前世と……まさか本気にしていたとは……少女の夢物語だと思っていたが、彼には悪い事をしてしまったよ」
「仕方ないじゃない、本当に愛しているのはユージーンなの!」
「だからといって蔑ろにしていいわけがないだろう。あんなにお前に優しくしてくれたのに」
フローリー侯爵は顔を両手で覆ってうつむいた。シンディーはジェラルドに「私には前世から愛している方がいるの。だから貴方を愛する事はないわ」と初対面で言い放った。宣言の通りシンディーはジェラルドに冷たく、侯爵は何度も説得したが、彼に興味を一切示そうとしなかった。しかし穏やかなジェラルドは最後までシンディーを責める事はなく「例の愛した人を見つけられたんですね。良かったです」と無理をして笑っていた。
「私も結局見て見ぬふりをしてしまったのと同じ。ウィレミナ嬢は我慢してお前の妄想に付き合ってくれた」
「妄想ではありません!」
「馬鹿者!もはや真実かどうかなどどうでもいい!最初にウィレミナ嬢が前世の相手とやらと言い出したのはお前だろうが!」
「え?ほ、本当なのですか?だってウィレミナ嬢が嘘をついたと、騙していたって」
「いや、それは……」
「絶対他人を愛さない、君を見つけてみせるとそう約束したじゃないですか!」
甲高い声でシンディーが責め立てるとユーインは押し黙り、それを見て公爵は「嘘吐きめ」と心底息子を軽蔑した。
「とにかく一週間以内に屋敷を出ろ。以降お前とは身内でもなんでもない赤の他人だ。姉や弟にも近づくなよ。いいな」
「父上!お考え直しください!」
「シンディーもだ。後は好きにするがいい」
「や、嫌よ!」
食い下がるユーインと、慌てて父の腕にすがりつくシンディー。しかし互いの子を見る目からは、もはや子を慈しむ気持ちが一切失せていた。
「平民になるなんて嫌よ!ねぇ、結婚は諦めるからお願いよ!」
「……跡取りのいない子爵が後妻を探していると聞いた。そこに嫁ぐならしばらくは屋敷にいてもいい」
「えぇ、もうそれでいいわ!」
「何だって!?君のために僕は婚約を破棄したんだぞ!大体、前だって……そうだ、君の馬鹿な行動のせいだ!ウェンディが考えなしに屋敷を出るから、野盗に襲われたんだろ!」
「……思い出したわ!人を呼ぶからって言っておいて……先に私を置いて逃げ出したのはユージーンじゃない!」
「いい加減にしろ!おい、こいつを部屋に閉じこめておけ!侯爵、悪いがお引き取りを」
「最後まで申し訳ない。行くぞ、いいから帰るんだ!」
ユーインは執事と数人の使用人により部屋に押しこまれ、シンディーは侯爵に引きずれるようにして屋敷を後にした。二人とも最後まで互いを罵りあいながら。
二人は今世も結ばれる事はなかったのだ。
さて話は変わり、婚約破棄後のウィレミナは学園生活を楽しんだ。もう友人や好きな事を馬鹿にする者はいない。婚約破棄を他人から色々言われた事もあったが気にしなかった。
三学年の時には障害馬術大会で三位入賞を果たし、ヘンリエッタと抱き合って喜んだ。観戦していたイーグルトン伯爵夫妻は涙ぐんでいた。同じく観戦していたジェラルドは彼女の笑顔を見て、少し前向きな気持ちになる事ができたようだ。
学園卒業後は数々の王国内の障害馬術大会に出場し好成績をおさめ、私生活でも自分のファンだという年下の令息と付き合っている。
この日は数年ぶりにヘンリエッタとカフェでお茶をしていた。彼女は学園卒業後に幼馴染と結婚し、今や三児の母である。
「その髪飾り、彼からなの?」
ヘンリエッタが指さした先には、馬蹄を模し、ガーネットが窪みについた金の髪飾りが光っている。それをウィレミナは大事そうに撫でる。
「大会の優勝記念に買って貰ったの。お返しに告白をしたわ」
「何て言ったの?」
「私はクッキーとチューリップと無花果と赤が好きで、そしてじゃじゃ馬なの。それでもいいって聞いたらそれがいいんだ、ですって」
「はいはい。羨ましいわね。少なくとも本に出てきたような小さい男じゃなさそうで安心したわ」
「えぇ、今度はちゃんと器の大きいのを見つけてきたのよ」と、ウィレミナは幸せそうに微笑んだ。




