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PULUM -希望の花-  作者: 雨女 雨
序章 はじまりの話
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017 エルフの魔導士

 何が起きようとも、どんな人間にも等しく朝は来る。

 ぱちり、と目を開けると、そこはベッドの上だった。清潔な白いシーツと、柔らかなブランケット。レースのカーテンがふわりふわりとたなびいていて、その隙間から、朝日が差し込んできていた。


(ここ……)


 自室ではなかった。斬られたテーブルもないし、荒らしたクローゼットもない。代わりに薬品棚と鼻につく消毒液の匂いがする。ベッドの横には丸椅子が一つ置かれていて、部屋は僕以外に誰も居らず、静寂に包まれていた。


(あの後、どうしたんだっけ)


 ドゥルガさんに連れられて、僕の部屋は荒れているからと、ドゥルガさんの部屋に行った気がする。そうして、泥だらけだったからシャワーを浴びて、ベッドに押し込まれて。


(ここはどこだろう。何でこんなところに)


 疲労感はすっかり消え去っていた。泥のように眠ったからか、夢も見なかった。しかし枕元に置かれたジンイーさんの手帳が、あれが夢でなかったことを嫌でも知らしめてくる。立ち上がって窓の外を見ると、よく晴れた青空と、風でそよぐ草っ原が目についた。


(眩しい……)


 片手で目を覆う。そういえば、あの時燃えるようだった左目は一体何だったのだろう。今は痛みもない。熱も。視力的にも問題なさそうである。首を捻って、それからふと視線を落とすと、風で揺れる服の裾が目に入った。


(あれ?)


 寝る前にドゥルガさんの寝巻きを借りたはずだった。けれども今は、また信徒の正装だというトゥニカを身につけている。白いトゥニカ。



【目印のトゥニカ。夜の間引き。これが意味するのは、『今夜マークの付いた信徒を強襲しなさい』と誰かに伝えているんじゃないかってこと】

【中止だよ中止。これ以上の間引きの儀式はなしだ。コイツも他の信者と同様の処置を取るようにと言われた。間引くのは、お前が処理した音楽の王ユン・ジンイーだけでいい】



(僕は本当に、殺しの対象じゃなくなったんだな)


 部屋の中をうろついてみる。ステンレスのデスクと椅子に、カルテらしきファイルが沢山保管されている。医務室だろうか。壁に備え付けられた洗面台を見つけたので、鏡を覗いてみて、


(え?)


 僕の左目に、何かの模様が浮かんでいた。刻印と言ってもいい。擦っても変わらないからきっとそう。瞳孔に何かしらを示すマークのようなものが刻まれている。


「?」


 更に覗き込んでみると、角度が変わったのか、陽の光を浴びて金色に煌めいて見える。何だこれ。


(この印、どこかで……)


 無限のリングを二つ繋げて絡ませたようなシンボル。どこかで見たような気がする。考えを巡らせて、ふと夜の丘に立つ黒いワンピースの女性を思い出した。フォルトゥーナさんだ。フォルトゥーナさんの胸に浮かんでいた輪っかと同じ形の物が、僕の瞳に刻まれている。


(どうして……)


「晴一郎?」


 呼ばれて、僕は鏡に近づけていた身体を起こした。振り返ると、少し焦ったような表情のドゥルガさんとかち合う。良かった、と溢すドゥルガさんの額には、僅かばかりの汗が滲んでいた。


「お前、五日も、目を覚まさなかったから」


 五日。あれから五日も経っていたらしい。ドゥルガさんの話によれば、ドゥルガさんの部屋で休んだ後、翌日の夜になっても起きなくて、揺さぶっても反応がなかったから医務室に運び込まれたらしい。身体に異常はないのに目を覚まさなくて、外傷もないから出来る処置がなく、お手上げだったのだと苦笑していた。


「とりあえず良かった。気分はどうだ?」


 平気だったので頷くと、「腹減ったろ? 何か食べられそうな物を持ってくる」とドゥルガさんが足早に部屋を出ていく。僕はすることもないので、またベッドの上に戻って、そのままぱたり、と横になった。

 枕元の手帳が目につく。何となく、ジンイーさんがやっていたようにその表紙を優しく撫でてみた。下まで行ったら、また上に。下から上に。そうこうしているうちにまた眠くなってきて、その欲求に抗わず目を閉じていると、


「先輩にあれだけ心配かけておいて、またお昼寝とは良いご身分ですね」


 少女の声だった。高くて少し舌足らずさの残る柔い発音。混ざる息が多いのか、か細くも聞こえる。ハッとして目を開けると、短い銀髪を耳にかけた少女が、腰に手を当てながらこちらを見下ろしていた。年齢は十三、四といったところか。背が低く、華奢な見た目だ。耳の先が尖っていて、大きめのグリーンアイズは新緑を思わせる透明感がある。


「おはようございます。気分はどうですか?」


 全然気がつかなかった。いつの間に部屋に入ったのだろう。挨拶をされて、どこかで聞いた声だなと思う。あれだ。以前僕の部屋にドゥルガさんを呼びに来た女性の声。あの時は遠目で、ドア越しで、もっと歳上に見えた。でも近づくとわかる。小柄なのもあるが、凄く幼い見た目。

 驚いて目を白黒させている僕を気にした様子もなく、少女は無言でテキパキとビニール手袋をして、引き出しから体温計を持ってきた。その慣れた手つきに、僕がまたびっくりしていると、「口が聞けないんですか?」と厳しい言葉が飛んできたので、慌てて「だ、大丈夫です」と起き上がる。


「なら良いです。とりあえず体温を測っておいてください。魔力の消耗と精神的な負担のせいだったとは思いますが、一応、病気の線も疑わなければならないので」


 無理やり服の襟口から手を突っ込まれて、「わ」と思わず声が出る。睨みつけられたので口を閉じると、【弱そうですしね。すぐ流行病とかで死にそうです】などと中々に失礼な心の声が聞こえてきた。


「あの」

「何ですか?」

「君は……」


 少女はカルテらしきものを書く手を止めてこちらを見た。それからまた続きを書き進めながら、「私は魔導士です」とつまらなそうに言う。


「この教会の医官ではありませんが、医師免許は持ってます。一応」

「一応」

「……エルフは治癒魔法が得意な種族なんです。私はこの教会に、信徒教育のための魔導士として雇われていますが、有事の際は医療行為をすることもあります。今回は、貴方の担当になったのと、先輩--ドゥルガさんにお願いされたから」

「信徒教育……」


 ドゥルガさんが以前話していた、選徒教会の役割のことだろう。降臨の儀を終えた信徒は、この世界の常識や代理戦争のルールを学ぶために、この教会で数日間の教育を受けるらしい。この少女がその先生ということは、


(何歳なんだろう。花奈より歳下にしか見えない)


 地球に残してきた妹は、現在高校一年生だ。花奈が僕の妹になったのが中学一年生の時。初対面の時の印象がどうしても消えなくて、実際には二つしか違わないけれど、僕には花奈が、いつも僕よりずっと子どもに見えていた。目の前の少女にどことなく似ている雰囲気を感じて、懐かしい気持ちになる。


「失礼なことを考えているみたいなので訂正しておきますが、私は貴方より、ゆうに歳上ですよ」

「えっ」

「エルフは長寿なので、身体の成長も人間に比べたら遅いんです。最もエルフの中じゃ、私はまだひよっこの部類ですが」

「そう、ですか」


 エルフ。魔法の扱いに長けた種族。この新世界には人間の他にもたくさんの種族が暮らしていて、エルフはその中でも全体数の少ない珍しい種族だという。生まれ持った魔力量が多く、魔力の繊細なコントロールを得意としている。


「他にはどんな--」


 タイミングよく体温計が鳴り、再び伸びてきた小さな手がそれを抜き取っていく。そういえば、この体温計しかり、ビニール手袋しかり、この世界にある物は地球にあるのとさほど変わらない見た目をしている。洗面台、衣服、食べ物、文房具、医療器具。魔法という存在を見ていなければ、ここが地球と異なる世界だとはとても思えない。


「最も数が多いのは、人間と呼ばれる種族ですよ」

「え?」


 少し考えてから、僕の言いかけた質問に答えてくれたのだと気づいた。そっけない言い方だが、悪い人ではないのだろう。熱もありませんね、と無感動に体温計のディスプレイを眺めた少女は、


「特に体調に問題ないなら、今から少し講義をしましょうか」

「あ、ありがとう、ございます」


 少女はベッドサイドの丸椅子に腰掛けながら、引き出しから持ってきた紙の中央に大きな丸を一つ描いた。それから中くらいの円を二つ、大きな円と三角形に並ぶように重ねて書く。サラサラと淀みなく滑るペン先。一番大きい円の真ん中に『人間』、右下の円の真ん中に『精霊』、左下の円の真ん中に『獣』。丸っこい字だ。


「新世界の全ての生命体は、大きく分けて三つの種族に分類されます。人間と、精霊と、獣。その種族のうち、一つの特徴だけを強く引いているものもいれば、複数の特徴を同時に引き継いでいるものもいて……」


 少女は『人間』と『精霊』の間の重なった部分から線を引っ張ってきて、空いているスペースに人らしきイラストを描いた。


「…………」


 正直、お世辞にも上手いとは言えない。ガタガタの輪郭。軟体動物のような骨格。スカスカの髪らしき縦線に異様に強調された耳の尖り。辛うじて人とわかるレベルの画力だが、少女は描き終えた後なぜか満足そうに鼻を鳴らした。


「私です」

「私……」


 それで良いのか。


「何か?」

「い、いいえ」

「……エルフはここです。人間と精霊、両方の特徴を有しています。貴方はここ」


 『人間』の円から引かれた矢印の先に、また新たにスライム状のイラストが追加された。今度は背が高く、目が異様にでかくてキラキラしている。鼻と思しきくの字の極端な角度。


(僕ってこんな風に見えてるのか……)


「私たちエルフが人間と近しい見た目をしているのは、人間の身体的特徴を大きく継いでいるからです。逆に、それ以外の部分は精霊の血が濃いので、例えばとても長寿だったり、魔法が得意だったりするわけです」


 ゲル状の少女の横に『長生き!』『魔法のプロ!』と注釈が付く。


「人間はこの世界で最も数の多い種族です。それは信徒として、定期的に地球と呼ばれる別世界から転移してくることと、その順応性・繁殖力の高さに起因しています」


 スライム状の僕に『沢山いる!』『馴染みやすい!』とコメントが書かれる。


「エルフは魔法が得意ですが、魔法だけでは生きていけません。人間は魔力量ではエルフに劣るものの、それを補って余りある発想力があります。これもその一つですね」


 少女がボールペンの先で紙の挟まったボードを叩いた。


「これはとても良い発明です。便利だし、理に適ってる」

「そういえば、魔法があるのに、ペンで手書きするんですね。手を使わなくても、魔法でなんかこう、サラサラっとうまいことやれそうなのに」

「……地球人から割とそういうことを聞かれるんですが、地球における魔法のイメージって常軌を逸してません?」

「じょ、常軌を逸して?」

「そもそも魔法とは、魔力に『属性(クランプ)』と『性質(ヴァルメ)』のどちらか、あるいは両方を付与することで発動する現象のことです。魔力は魔素(モル)の集合体で、生まれながらに全ての生命の体液に溶け込んで流れています。腹部--ちょうど臍の緒があるあたりに魔素(モル)の生成器官があります」


 少女の生白い指が僕の臍あたりを指した。僕もそこに手をやる。じわっと温かい。


「実践してみましょう」


 少女はボールペンを膝の上に置いて、片手を上向きに開いた。何もない。


「よく見てください」


 じっと目を凝らしていると、段々手のひらの中に蜃気楼のような揺らぎが見えてきた。透明なヴェールのような、見えない煙のような。不思議な感覚である。そこにないのにある感覚。肌がピリピリ震える。


(これが、魔力)


 すごい、どうなっているんだろう。思わず身を乗り出して手を伸ばすと、


「ちょっ」


 言葉にならない静止と共に、物凄い勢いで伸ばした手をはたき落とされた。


「死、にたいんですか⁉︎ 素の状態で触れたら木っ端微塵になりますよ!」

「えっ」

「え、じゃありません! 幼児じゃないんですから、少しは警戒心というものを持ってください!」

「す、すみません」

「はあ……まあ良いです。私が最初に忠告しなかった私もいけませんし。それに、ちゃんと魔力が知覚できてるのもわかりましたから」

「知覚?」

「魔力を持っていても、見ることが出来ない人間というのが一定数いるんですよ。そういう人は体内の魔素(モル)の流れを認識出来ないので、上手く魔力が練れません。当然魔法も使えない。いわゆる才能がない、ってやつです」


 この世界は才能が物を言う世界なのだと少女は言った。なるほど確かに、魔法という存在が当たり前なら、その魔法が使えない人間の待遇は推して知るべしである。


「あの」

「はい」

「それって僕にも……出来るってことですよね?」


 は? と少女が眉根を寄せた。馬鹿ですか、とでも言いたげな視線に思わず首を竦める。そんなに変な質問だっただろうか。


「何を言ってるんです?」


 宝石ような美しい瞳が僕を見つめて言った。


「貴方、信徒でしょう?」

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