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PULUM -希望の花-  作者: 雨女 雨
序章 はじまりの話
18/26

015 TENROU-裁きの塔

「あ」


 フォルトゥーナ・クロック・ザ・ルーラーは、向かっていた羊皮紙から顔を上げて羽ペンを置いた。


(今、何か……)


 気のせいだろうか。懲罰房の椅子は古い木で出来ていて、少し動いただけでもギコギコ鳴るから、そのせいかもしれない。一度立ち上がって、歪んだ椅子の足の位置を調整してから座り直すと、またあの感覚がして、今度こそフォルトゥーナは動きを止めた。


(……起動した?)


 鉄格子のついた窓から月明かりが差し込んでいた。天の区画の最北、裁きの塔と呼ばれる場所にフォルトゥーナはいた。ここは、元々は天に召された人間の魂の精査を行う建物であったが、転生の泉が出来てからはめっきり使われることがなくなり、今は専ら、規則を破った神を一時的に勾留したり、懲罰を与える場所になっている。

 とはいえこの天界に住まうのは、強弱はあれど清廉潔白な、れっきとした神々である。滅多にここにぶち込まれる神はいないので、部屋にはあちこち埃や煤が溜まっていた。漂う空気もどことなくカビ臭い。しかし細事は気に留めない質のフォルトゥーナは、宙に舞う屑が光を浴びているのを見て、星みたいで乙なものですね、などと呑気に考えていた。夜の濃い黒を照らす金の輝き。この光景は、先刻転移させた人間の魂の姿にも似ている。広大な草原。満天の星空。繊細に満ち欠けを行う月。


(なんて素敵な夜でしょう)


 フォルトゥーナはうっそり微笑んだ。今格子窓から見えている天界の月は創り物で、月の女神の管理の元いつだって満ちているけれども、今日のこの月はいつもよりも格段に綺麗だと感じる。だって今、フォルトゥーナには世界の全てが輝いて見えるほど、凄く凄く嬉しいことが起こったのだから。


(そう、そう。ちゃんと使えるのですね)


 フォルトゥーナは歓喜に打ち震えていた。自分の権能がちゃんと発動した気配を感じたからだ。人間には決して扱えないと言われている純血の神の権能が、今はっきりと、下界で発動した。


(丘に続く扉は開かれませんでしたが、導きの鍵が顕現したのなら、そのうちきっと開かれますね。本当に、なんて行幸)


 フォルトゥーナは殺風景な石造りの懲罰房を、ワルツでも踊るようにくるくる舞った。黒いワンピースの裾が花のように広がる。ふふふ、ふふふ、と押し殺し損ねた笑い声が静寂に木霊する。


「あら? 懲罰房で天規目録の百写しをさせられていると聞いて来てみたけれど、随分と元気そうじゃない」


 こんばんは、良い夜ね、フォルトゥーナ。そう声をかけられて、フォルトゥーナは房の入り口に目を凝らした。小さく手を振って格子の隙間からこちらを覗いているのは、愛と美の女神・ウェヌスである。


「こんばんは、ウェヌス。ふふ、本当に良い夜ですね」

「まあ。いつになくご機嫌ね、私の可愛い子。貴女がそんな風に笑うところを、私は初めて見るわ」


 ウェヌス・トラウト・ルイス。純血の神の中でも最高峰に位置する、天界審問評議会所属の十二神の一人である。序列は五。フォルトゥーナの生みの親でもある。

 フォルトゥーナは天界で生まれた神と神の子だ。生まれたと言っても、人間の誕生の仕方とは異なり、神は人間のように性交渉をしない。神の誕生は、神同士の権能が融合し、核を形成、そこに新たな権能が芽吹くことによって初めて起こるものなのである。それはある種、天文学的確率の奇跡とも言えた。

 だからこそ、天界には明確な序列が存在した。人間から転化した神(ネオ神)は、その起こりから純血の神(正統神)には決して逆らえない。ネオ神と正統神の間には、そもそもの権能の強さに圧倒的な差がある。


「ええ。初めてのことが起こったのです、ウェヌス。私の力は人の子には扱えないと言われていましたが、魔力耐性と精神強度のある人間ならば、本当に適応出来るのですね」


 貴女の言う通りでした。ありがとう。そう微笑むフォルトゥーナに、ウェヌスもにっこりと笑った()()()見えた。どうしても、そう曖昧な表現になるのは、ひとえにウェヌスには顔がないからである。ウェヌスだけではない。天界審問評議会所属の十二神は、皆そうである。序列の数が文字通り、その神を示す『顔』なのだ。

 ウェヌスの首から上はスパッと切れている。切断面からは銀めいた魔法因子が漏れ出ていて、頭部があるはずの空間にはギリシア文字が浮かんでいた。ε(イプシロン)。五番目を意味する数字。


「それはミネルヴァの入れ知恵だわ。私はそれを貴女に伝えただけよ。今のお礼はミネルヴァに伝えておくわね」


 知恵の女神・ミネルヴァは序列三の正統神である。そこまで高位の最高神ともなると、滅多にTENROUの区画までは降りてこない。当然会えるのは、同じ天界審問評議会に属する神のみだ。TENROUを散策するのが趣味のウェヌスのような神もいるが、基本的には、たとえ正統神であったとしても、余程のことがない限りその姿を見ることは出来ないため、フォルトゥーナも直接声を聞くのは、数刻前に審問に掛けられた時が初めてだった。


「それにしても……うふふ、貴女の聴聞ではミネルヴァと一緒に笑いを堪えるのが大変だったわ。貴女、あのユーピテルの前で、平然と天規目録を持ち出して反論するんですもの。自分で作った規則の穴を突かれて黙らされるユーピテル、とっても見ものだったわ」



『フォルトゥーナ・クロック・ザ・ルーラー。貴様、自分が何をしたのかわかっているのか?』

『恐れながら審問長。私は代理戦争にて信徒の転移を任された神として、何一つルールに反したことはしておりません。転移の際、信徒に請われた願いは、叶えられる範囲で必ず叶えるようにと規則を決めたのは貴方のはず。あの時私は、花の女神の信徒・梅原晴一郎に信徒の願望(ヌル)として魂の丘の権限を要求されました。そして私は、それを与えられる立場にあった。それだけなのです』

『だからといって、おいそれと正統神の権能を人間に差し出す奴がどこにいる! 馬鹿者め‼︎』



 正統神の権能を人間に授けることが出来ないと言われている理由の一つに、正統神の魔力はネオ神の魔力より質が良く--有り体に言えば、人間が生まれ持つ魔力の系統とはかけ離れているという点が挙げられる。つまりは、魔法因子が濃いのだ。人間には劇薬なのである。

 ネオ神は人間から転化しているため、その魔力の性質は人間の魔力の構成とほぼ同じである。尤も、大幅に強化されたそれは、それでも下界では十分すぎるほどの威力を誇っているが、正統神の魔力はそもそもの構成物質からして全く異なっているのである。何百年も前、まだ代理戦争のルールが明確に確立されていない頃、正統神が代理戦争に参加し、その権能を信徒に貸し授けた例があったが、当然、その権能を行使しようとした信徒は、魔力の拒絶反応で発狂し、その後すぐ自殺した。


「それにしても無茶をしたものね、フォルトゥーナ。いくらミネルヴァのお墨付きがあったとはいえ、自壊の可能性がある方法を、他ならぬアンテイアの信徒で試すなんて」

「試したわけではありませんよ。あれは梅原晴一郎からの提案でしたから」

「あら? 提案されなかったらされなかったで、貴女ならそうするよう、それとなく誘導したでしょう?」


 フォルトゥーナは無言でにっこり笑った。それを見て、ウェヌスのため息らしき呼吸音が聞こえる。顔があるべき場所に収まるε(イプシロン)の膨らみが、呆れたように歪んだ。


「まったく、ほどほどにしておくことね。今回のことで、貴女が天界審問評議会を敵に回したのは事実なのだから」

「ええ。肝に銘じておきます」


 そこで、ふわふわと金の鱗粉を撒き散らしながら、一匹の蝶が舞い込んできた。伝令の神・マーキュリーが使役する伝令蝶(ヌイレン)である。伝令蝶(ヌイレン)は、ウェヌスが差し出した指の上で薄い翅を休ませた後、数回瞬いてから、また柔らかく飛び去っていった。


「まあ」

「マーキュリーですか?」

「ええ。今回の件について、下界に沙汰が下されるそうよ。私も行かなくちゃならないわ。またね、フォルトゥーナ。良い夜を」

「ええ、また」


 シルクのような透き通るストールの裾を翻し、ピンと伸びたたおやかな背中が薄暗い通路の奥へ消えていく。角を折れる直前、首を傾げてこちらに向き直ったウェヌスが、


「そう言えば、一つ聞きたいのだけれど」

「どうしました? ウェヌス」

「本当に、貴女はこれで良いのね?」

「と言うと?」

「アンテイアのことよ。もしも今回、花の王が勝者になれば、信仰神であるアンテイアは円環の輪に戻ることになるわ。そうなれば、アンテイアと貴女は、どれだけ時が流れようとも二度と会うことはない」


 フォルトゥーナは思わず首をすくめた。それはそうでしょう。フォルトゥーナは、まがいなりにも代理戦争の運営の一端を担う身の上である。そんなことは百も承知だ。


「何をわかりきったことを」

「そう、わかっているなら良いのよ。アンテイアは人を殺しすぎた弱い神。貴女が手を加えなければ、彼女だけの力では信徒を勝たせることは決して出来ない。ねえ、私の可愛い子。最後にもう一度聞かせて。貴女は本当に、それでいいのね?」

「ええ。それで構いませんよ、ウェヌス。アンテイアはもう充分罪を償いました。彼女はここから解放されたがっている。そして私も、私の初めての友の願いを叶えてあげたいのです」


 月の淡い光を浴びながら、フォルトゥーナは微笑んだ。


「私には、それしか出来ませんから」

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