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最初で最後の打席

作者: 小畠愛子

 中学校一年目は、ずっと球拾いと走り込みをしていた。陸上部のやつらと仲良くなって、おれ、スカウトまでされたんだ。

 スタミナは誰よりもあったと思う。それに努力だってした。練習が終わったあと、家に帰って素振りばかりしていたから。途中から数えるのもめんどくさくなって、マメがつぶれるまでずっと素振りすることにしていた。


 二年目は、守備練習に参加させてもらえた。だけど素振りばかりしてたおれは、守備はからっきしだった。練習しても練習しても、おれはよくボールを落として、監督にどやされていた。でも、いつしかおれは、監督にどやされることもなくなった。かわりに、一年生に混じって、球拾いすることが増えていった。


 三年目、うちの野球部は強豪校だったが、それでも全国大会に行ったことは一度もなかった。夏の大会、つまりおれにとって最後の大会も、準決勝で大差をつけられ、最後の回をむかえていた。


 別に悲しいとは思わなかった。くやしいとも。だっておれは、一度だってグラウンドに立てたことはなかったんだから。


 チームの仲間たちは大好きだ。一緒に練習して泥んこになって、練習終わりに自転車で競争なんかして、たまにこっそり買い食いしたり。合宿のときは、夜によく好きな娘を言い合ったりして、はしゃいだりした。そんな、普通の、だけど大好きな仲間たちだ。…ただ、おれにはこいつらと肩を並べて冒険する、そんな力がなかっただけだ。


「…郎、太郎!」


 監督に名前を呼ばれた。ずいぶん久しぶりで、おれは一瞬耳をうたがった。だが、そのあとの言葉は、もっと信じられないものだった。


「代打だ。行ってこい」

「…えっ? あの、おれ…」

「いいから行ってこい。それともやめるか?」


 気がつくとおれは、ベンチからかけだして、バットも持たずにバッターボックスに入ろうとしていた。球場がドッと笑いに包まれる。相手のピッチャーまで笑ってやがった。


「バカ、バットも持たずになにやってんだ」


 監督があわてておれのところにやってきた。緊張と怒りでカーッとなる。そんなおれに、監督はバットを押しつけて、それから耳打ちした。


「思いっきり振り抜くだけでいい」


 監督から、初めて受けたアドバイスだった。


 ――思い切り、振り抜く――


 一球目、ゆっくりしたボールだった。捕らえられる! …と思ったのもつかの間、おれは無様に空振りしていた。


 相手ベンチからやじと笑いが聞こえてくる。頭に血が上ったまま、おれはキッと相手ピッチャーをにらみつけた。


 二球目、また同じボールだった。カーブだろうか、おれはまたしても空振り、今度はドテンっと尻もちをついた。


 またやじと笑い声が聞こえてきた。みんなもあきらめているんだろう、誰一人、前を向いているやつはいなかった。…監督だけが、おれのことをじっと見つめていた。


 おれは打席を外した。何度か素振りをしてから、もう一度監督に目をやる。監督もまっすぐに俺を見つめ返してきた。その目はこう言っていた。


 ――思いきり振り抜け――


 もう、やじも笑い声も聞こえなかった。相手ピッチャーも見えなくなる。おれはただ、深夜に振り続けたバットの感触を思い出していた。


 ――始まるんだ。…そして、終わるんだ――


 三球目、もう何を投げたのか、いつ投げたのかすらわからなかった。ただ、いつもの素振りを、最後の素振りをしただけだった。


 …消えていた音がよみがえり、おれは何度かまばたきした。しんと静まり返った球場で、監督と目があった。手をくるくるさせて、塁を回れと合図している。わけもわからずに、おれはゆっくりとホームベースまで一周した。



 おれたちの夏は終わった。おれの次の打者がアウトになり、準決勝敗退が決まった。


 部室に戻り、肩を震わせて泣く仲間たちを見て、おれも一気に涙があふれてきた。終わったんだ。俺の冒険は。…だが、そんなおれの肩をたたくやつがいた。振り向くと、それは監督だった。


「高校に行っても、野球は続けろ」

「えっ、でも…」

「今日の敗因は、おれだ。おれがお前の才能を、そして努力を見抜けなかったのが原因だ。…すまなかった」


 監督の言葉を聞いて、おれはとうとう、声を上げて大泣きした。最後の打席が終わり、そして最初の打席が待っていることを知り、おれは声がかれるまでむせび泣いた。、

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