その日、僕は死ねないことを知った。
いつからだろう。空が青く見えなくなったのは。
この世界が、モノクロに見えるようになったのは。
出口は学校の屋上から仰ぎ、考えていた。その歳、12にして世界に失望していた。
小学生の時、親は他界したと聞いた。父も母も顔を覚えていない、僕は独りだった。その頃はまだ幼く、なぜ親戚の人が僕を引き取らないのか疑問だったが、父は相当嫌われていたらしい。確かに、「あんな人の子供、うちでは預かれないわ」とか言われていた気がする。結果的に誰も引き取らない代わりに地方の孤児院に連れられた。僕は見様見真似で施設の人の料理や掃除を覚えた。スマホが貸与されていたので分からないことはひたすら調べて覚えた。その繰り返しと練習で、今では一人で生活できるようになったからもうここは必要ないとだけ伝え、元の家に帰った。
学校では、いじめられていた。物心がついた時には親がいないと”親知らず"なんてあだ名で呼ばれていた。大丈夫と心配してくれるクラスの子供もいたが、いじめはエスカレートし次第に減っていった。小学4年から6年までの3年間、僕はそのいじめに耐えていた。一番ひどかったのは学校の裏山に呼び出されて家から持ち出したのか、包丁を使い、鬼ごっこと称して追いかけ回されたこともあった。でも、誰にも話さなかった。誰も、信用できなかった。
そう、中学生になればこいつらとも会わないと思い込んでいたんだ。だが、進学後彼らは平然といた。正直怖かったが、別のクラスということもあって一カ月は何もされることは無かった。しかし、1年生全体で行われる校外学習で事件は起こった。行先は広い公園で、1時間ほど自由時間があった。そして自由時間が始まった矢先、彼らは現れた。「久しぶり!親知らず!」他の生徒や先生の目が届かないところに強引に連れられ、暴力を振るわれた。彼らは何もしてこなかった間、いじめを辞めたわけではなくいじめの準備をしていたという。見知らぬ仲間も増えていたところで察してはいたが絶望で抵抗する気力は残されていなかった。「親知らず、俺は寂しかったんだぜ!一カ月の間、ずぅっと我慢していた!でも、もう大丈夫!これからはまた一緒に遊べるな!」
気分が悪かった。彼は本気でこう思っているわけではなく、僕が嫌な顔をするのを楽しんで見ていただけのゴミのような人間だった。元々、なぜ僕がいじめられているのか考えることはあった。彼に一度聞いたが、その時は「親知らずが口をきくな!お前にしゃべる権利はない!!」と言われ、僕もそこから口を開くことはなくなった。
だが、そういうことなら彼が飽きるまではずっと続くだろうと思った。彼の去り際を見届けて僕は気を失った。どうやら動物に襲われたということで彼らのいじめは隠蔽されたらしい。あまり遠くに行くと野生の動物がいるから気を付けてと先生も忠告していたが、利用されたんだ。
これから先、こんな酷い仕打ちを受け続けるのではないかと思うとさすがに怖くなった。暴力に自信が無いわけではなかった。だが、多勢に無勢といわれるように、彼らがグループで行動している限り自分は無力だと悟った。
もう限界だった。さて、屋上にいる僕の行動として適切なものはどれだろうか。
①飛び降りる ②自害する ③死ぬ
全部正解だと考えるほど、僕は疲れていた。そして、誰にも止められることなく僕の足は虚空の上に立った。
下から吹き上げる風は心地よく、気づけば仰向けになっていた。走馬灯と呼べるほどの思い出は無かったが、途中父の存在が浮かんだ。顔はよく覚えていない。今、どこにいるのだろう。とふと気になった。でも、意味はない。僕は今から全てを忘れる。さようなら。次の世界は僕に優しい世界がいい。
瞬間、耳にぐちゃりという音が聞こえた。地面に着地したのだろう。激しい痛みはすぐに消え、楽になった気分だった。ここはどこだろう。死後の世界か何かだろうか。
「…して…」
何か聞こえる。
「ど…して…もが…」
上手く聞き取れない。
「とにかく早く救急車を!!」
目を開くと空は赤かった。というより視界は赤く染まっていた。なぜか起き上がれた。なぜか体は動いた。なぜか意識ははっきりしていた。
「き、君!!大丈夫なのか…!?」
目をこすったが、確かに僕がいた日本に似ていた。多くの人に囲まれていた。彼らの多くは僕を人間ではないかのように見つめていたような気がする。
実際、自殺の手段において"飛び降り"は"首つり"に次いで多く選ばれている。成功率が高いことや意識がすぐになくなることから痛みが伴わないことがその原因だろう。
僕も本でそれを知り、試すなら飛び降りだと考えていた。家は、なんとなく試したくなかった。だが、こんなことを考えることができるほど、頭は妙に冷静だった。まるで、死んでいないかのように。
「はいはーい、皆さん彼からいったん離れてください。この場は私にお任せください。」
そう言い放った謎の男は見覚えのある手帳を開いた。
「け、警察の人だ…!」
「ここは安心ね」
私服警官というやつだろうか。飄々とした男はその整った身なりで僕に近づいた。これはどういう"夢"なのだろうか。その刹那、銃声が聞こえた。
「おい…!そいつ、化け物じゃないのか…」
その音に他の人間は逃げていった。当たり前だ。日本では一般人の銃の所持は禁止されている。
「俺はこいつが飛び降りるのを偶然見ていた…。確かに、あの学校から飛び降りていた。なのに、どうしてこいつはぴんぴんしているんだ。お、おかしいだろ!そいつ、化け物だ!!」
帽子をかぶった大男は僕を恐怖の目で見ていた。親知らずの次は化け物か…。いい加減にしてほしいものだ。
「ま、化け物だねぇ。それは間違いないよ」
警官の男も同意していた。僕をかばうわけじゃないのかと愕然としたが、実際のところ当然の反応ではある。
「でも、あんた犯罪者だ。連続殺人犯さん。バレないとでも思ったの?」
そう言われて気が付いた。変装していたが、彼は孤児院のポスターに貼られていた顔にそっくりだった。確か、切崎…なんだったか。
「黙れ、この化け物は俺が殺す!」
「できないよ」
そう即答すると、彼は手錠を手に持った。しかし、その手錠はホログラム?のようなもので実体がなかった。そしてその手錠を彼が投げると自動的に開き、大男の腕をつかむ。そして閉じるや否や大男の体の動きが止まった。
「か、体が…なんだ、この…!」
「切崎進、現時刻をもって逮捕とする」
男は叫んだが、その声ごと異空間にワープされた。知らない。学校でもスマホでも教えてもらっていない。やはりここは日本じゃないのだろうか。
「悪い、驚かせてすまないねぇ。君と、話がしたかったんだ」
話…?取り調べでもされるのだろうか。面倒ごとに巻き込まれたものだ…。
「君を拘束するつもりはない。署に連れていくこともない。そこは安心してくれ」
じゃあなんだ。僕は今から何をされるというんだ。
「だから、ちょっと私に協力してくれないかな?」
…?本当に意味が分からない。この人は警察じゃないのか?ここはどこなんだ?
「君は自殺したと思い込んでるが、残念ながらこうして"生きて"いる。だが、人の目にさらされた今普通に生きることはできない。しかも、これを見た。」
先ほどの手錠を見せてこう言った。それに、聞き捨てならない言葉もあった。
「生きている…?僕が…?」
男はにまりとした。
「やっとしゃべってくれたか。そうだ。生きている。この世界にはまだ多くの人が知らないことがいっぱいある。その例として一つ。君の体は、不死身なんだよ」
絶望ばかりの人生、僕はそれを終えたと思っていた。いや、思いたかったんだ。だが、どうやら僕は生きているらしい。なぜ、生きているのか。なぜ、そんな体になってしまったか。聞きたいことは山ほどあるが、最悪の気分だった。
「私は守谷、守谷啓史、よろしく。少年」
その日、僕は死ねないことを知った。
最後までお読みいただきありがとうございます。
好評なら続き書きます。