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無題.8

 悩みが尽きない大学生活ではあったが、今思えば幻想のように儚く美しい日々であったように思う。それは全て真理によってもたらされたものであった。これは決して揺るぐことのない事実であるし、事実にしなくてはならない僕の個人的な人生のテーマでもある。


 事実は往々にして事実にしてしまうものである。それが僕の人生では絶対に必要なことなのだ。人はそれを無意識的な記憶の改ざんというのかもしれない。またある人はそれを都合のいい自分への妥協だと言うのかも知れない、自分に対する甘えだと言うのかもしれない。


 しかし結局のところ、僕はもう他人に評価されることで人生の幸せを決定するには幾分年を取りすぎていたし、そもそもそのような幸せなど求めていなかった。全ては僕のもとで感じられた繊細な感情や気持ちがいいと思うような出来事によって、その意味を決定されなくてはならなかった。それが僕の幸せになるための条件であった。


 簡潔に言うと。


 真理は蒸発した。


 まるでその存在が世の中から消えてなくなってしまったかのように。


 全くの物理的反応も、電子的反応も示さなくなってしまった。これまでに通った大学の気の遠くなるように長い講義のなかでも、ふとした瞬間から見ることはなくなったし、電話をかけても、メッセージを入れても、少しの反応もなかった。既読すらつくことはなかった。


 真理は文字通り、この世から消えてしまったといってもよかった。僕からするとそのように理解するほうが、理解に苦しむことはなかった。これは僕にとって初めての経験だった。


 《《存在しているはずなのに存在していないように観測されてしまう》》


 それは死と生が同確率で共存しているかのような不可思議な話のように、現実感のない現象として僕には映った。現象学という哲学の領域において、存在は私たちに観測されることに基づいている、という話が存在する。しかしながら、今の僕の心持ちとしては、観測されることで存在が定義されるといったふうではなくて、存在と非存在が生と死のように、同確率では決してなくて、その揺れ動く不安定な雲のような変域において概念として揺れ動いているという、幻想のような感覚があるのだ。


 本当に幻想のような、つかみどころのない。


 まるでふとしたなんでもない日を境に、現実とは異なる世界に紛れ込んでしまったかのような……


 そのような感覚に僕は陥らずにはいられないんだ。



「僕は結局この大学4年間のあまりにも長くそれでいて、あまりにも短いと思えてしまう時間を何の実質的な成長のないままに過ごしてしまったように思う。本当は暇を持て余していたにも関わらず、僕はその時間に飽きるほど見てきたコンテンツという代物に、コンテンツを取り込むという行為自体に、何か正当な意味があるのだと思い込んで、それに取り憑かれたようにして生きてきていた」



 僕は真理によって生かされていたと言ってもよかった。そしてそれはまた、真理自身がコンテンツであったということでもあると、僕は今になって気が付いたのだ。


 コンテンツとは結局、何の具体の総体なんだろうか。中身あるものを全てコンテンツと呼んでしまっていいのだろうか。それともそれは作り物という域に収まった比較的狭義の定義なのだろうか。


 いや、そんな世間的な問題は僕にとってはどうでもいいことだ。先にもいったように、それが僕にとって事実であったか。それだけが大切なことなんだ。


 真理は僕にとっての一番のコンテンツだった。それは変わりようのない、揺るぐことのない事実となって、今後僕の人生の方向性に何かしらの影響を与えていくことになるのだと思う。


 真理には中身があった。しかし今ではその中身はそのままの中身として僕に認識されることはない。かつての幻影としての真理。かつてのコンテンツとしてのメッセージが僕のなかに何らかの形で記憶されているに過ぎなくなってしまった。


 通り過ぎていく現代のコンテンツ。様々な意味を含んだコンテンツ。それの何をくみ取っているのかと懊悩する現代人。暇という現代的な時間概念を用いてまでもコンテンツに触れ続けようとしている迷える羊。考えているようで何も考えなくなっている時代的かつ構造的な人類。


 真理というコンテンツ。すでにその存在性を確率性の雲へと沈めてしまった僕の愛した真理。日々の時の流れのなかで癒えていく確かな忘却性の優しさ。何も実際的には変わらないということに対する根拠のない無関心。


 僕にとって一番の人。一番の中身ある人、あった人。


 だんだんと意識が目の前のみを向いていく。心地よい妥協の強制力が人生の意味を考えるうえで大きな影響力をもっていることに僕は本能的な無意識をもって理解させられている。


 ふと、このようなことを考えるときがある。


 もし現実よりも夢のほうが記憶に残りやすいのだとしたら、それはどちらが現実になるというのだろうか。そしてその記憶の残りやすさに基づいて、現実という言葉が定義されているのだとしたら、僕たち人類は果たして全く同じ『現実』を共有しているのだろうか、と。


 僕は幻のような世の中を生きている。


 幻想がいたるところに、その存在を散りばめていて妥協という概念を僕たちに与えるなどして、人生の意味についての、それなりの収束を与えているような気がしてならない。


 僕は生きており、そして大いなる力によって生かされている気がしてならない。


 真理。愛しい真理。


 僕はもう今日という日で、卒業式を迎えてしまったよ。


 君はいま存在しているのか?


 存在しているのだとしたら何をしているのだ?




「真理。まり……。君はこの世の真理しんりのように幻想的な人だったよ」




 春。


 桜の花びらが一瞬だけ視界を限りなく埋め尽くした。


 僕は生と死が常に共存している世界で、または存在と非存在が常に重なり合いながら共存している世界で、コンテンツから影響を受けて、そしてまた自らがコンテンツとなり、何らかのコンテンツを生み出していくことで、その僕という存在を人々が受け止めていく。


 世界はただそれだけであるようだった。


 ただそれだけ。


 それが僕にとってとても大切な事実となって世界は僕の観測のもとで回っているように、そのように見えた。



「僕はいまここにいるよ、真理。君はいまどこにいるの?」



 僕は永遠に答えの出ない命題を呟いた。


 妥協のようにぬるまった春風が僕の存在が示してる場所を通り過ぎていった。


【The End】

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