譚ノ三
失うほどに満たされない。
こんなにも美しい景色を見つめていながら。
満たされてもおかしくないのに。
まだまだ、足りないと、獲物を探して彷徨う。
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寒さ和らぐその日、昴は少し部屋の空気を入れ替えようと障子をスラリと開いた。
紫月は、今日は少し出かけてくると留守番を昴に任せて出ていってしまった。
どこの世界に最近知り合ったばかりの青年に留守番を任せる奴がいるのか。
「ほんの数回訪れただけなのに……。信頼、しすぎだと思うんですよね……」
ポツリと呟く。
庭は一面の銀白。
うっすら見える緑と、花の色のコントラストが美しい。
白に、少しの緑と赤。
真っ白より味があっていいと思う。
寒さが少し和らいだといってもまだ真冬だ。昴は着てきたコートを上に羽織ると、縁側に座って庭を眺める。
「綺麗だな……。紫月さんみたいな庭」
“人”だからというわけでも“鬼”だからというわけでもない。
ただ単純な感想で、彼女は綺麗だ。
庭を見ていると、紫月のことを思い起こす。
もしも雪が黒かったら、彼女の着物の色そのものだ。
ぼんやりとただ庭を見つめる。
一体、どこまで出かけたのだろう。
その時だった。
玄関が開く音がした。
紫月が帰ってきたのだろうかと縁側で待っていると、姿を現したのは渋い着物を着た強面の男であった。
「ん……? お前……」
「あっ、えっと……お邪魔してます。紫月さんに留守番を頼まれて……」
びくびくと返事を返すと、男は溜息をつく。
まさか追い出されるのだろうか。
そういえば紫月から他に住人がいると聞いたような覚えがあるようなないような。
「そうか」
特に疑問に思うこともなく、彼は一旦部屋を出ると、台所から急須と湯のみを持って戻ってきた。
手際よく淹れると彼自身の分と、昴の分を淹れて置いてくれた。
「あの、紫月さんは……」
「お嬢はおそらく、どこぞにでも飲みに行っているのだろう」
飲みに。
あれだけ酒を飲んでおきながら、まだ飲みに出かけるのか。
男は多分、と付け加えて茶をすする。
「紫月さんの、ご家族ですか?」
「お嬢とは血の繋がりはない。俺は葛城 煉。この家の世話をしている」
ということは、彼も“人”ではないのだろうか。
見た所はどこぞの組にでもいそうだが。
「お嬢から話は聞いている。拾ったと」
「拾っ……まぁ、拾われた、というのもあながち間違いじゃないです。あ、俺は立花 昴です」
自己紹介をすると、煉は無言で頷いた。
正直、話が進まない。いや、会話が続かない。
今日はもう帰ろうか。
紫月もいつ帰ってくるか分からないし、家族ではないが住人の一人である煉がいるのだ。
寒さですぐに冷めてしまった茶を飲み干すと、昴は立ち上がる。
「帰るのか」
「あ、はい。紫月さん、いつ帰ってくるか分かりませんし」
では、と昴は一礼して玄関を出る。
煉も見送りをしてくれるのか玄関までついてきた。
知り合ったばかりではあるが、怖いのは顔だけだろうと思われる。
「気を付けろ」
たった一言、それだけ言うと煉は元の部屋へと戻っていった。
やけにその言葉が耳につく。
夕暮れ前の冬の空は、綺麗な色に染まっていた。
「やっぱり、待っていたら良かったかな……」
明日も紫月の家に行っていいか、聞いてから帰ればよかったと今更ながら少し、昴は後悔した。
それにしても煉という男は普段、何をしているのだろう。
紫月の家の世話だという割に家にいない様子である。
「まぁ……また明日いたら、聞いてみようかな」