譚ノ五
往きつ戻りつを繰り返していた
これには何の意味があるのか
前に進んでいるとばかり思っていた
嗤いたくとも嗤えない
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歩く気分でもなくて、座り込んだ。
四ツ辻の、ベンチ。
京ノ都の夜景が一望できるが、せっかくの満月が何故だか冷たく見える。
歩いていると思っていた。
前へ進んでいると思っていた。
実際、歩いているのだから進んでいると思っていた。けれど、確かに、自分は何度も何日もこの場所へ来るのに時間をかけていた。
道を往かねばならないと思っていたのは本当に自分だったのだろうか。
何処へ往きたいと思っていたのだろうか。
「おやおや。道往きはもう終わりかい?」
ぐるぐると同じことを考えては答えが見つからずにまた同じ考えが浮かぶ。
そんなことを繰り返している中、やはり軽い調子で彼女―――紫月は伽藍に声をかけてきた。
まるで狐に化かされているかのように同じ場所をずっと歩いていた。
紫月に言われるまで気付かなかった。
「人生は堂々巡りだからね。ようやく気付けてよかったじゃないか。これ以上、時間を無駄にしなくて済むよ」
紫月の時間か。
それとも自分の時間か。
「元に戻って、悩んで迷って膝を抱えて蹲る。時に涙を流して自分を見失って」
彼女は歌うように言葉を続ける。
「それでも先へ往けるのが、“人”だろう?」
死者であれ、生者であれ彷徨うのは変わらない。
されど彷徨うからこそいつか道を見つけて行きたい先へ往けるのだと紫月は伽藍に言う。
伽藍はそれでも俯いたまま立ち上がる気力が起きなかった。
「立ちたまえ」
頭上から、低すぎず高すぎない紫月の声が降ってくる。突然、彼女の声に鋭さが混じった。
見上げると紫月はいつもの飄々とした表情ではなかった。怖いくらいに真面目な表情。切れ長の目に刃が宿っているかのように冷たい。
「ボクが口を出したことで彷徨っていることに気付いた今、キミが思い出すのは二つ」
残るは自分がようやく自分だと認識できるもの。
顔と記憶。
厳密にいえば全部で三つだ。
顔と記憶と名前。
自分の全体像を見て、名前が、記憶が自分を自分と認識できる。
「さて、どうやって思い出そうか?」
そんなことは伽藍の方が聞きたい。
思い出す術はまったく思いつかないのだから。
「思い出すことが、出来るのか?」
「さぁ。思い出せるかどうかはキミ次第だろうね」
一呼吸置いて紫月は空を見上げる。
美しい月だった。
山頂ではないが、京ノ都を一望できる四ツ辻。
だが伽藍は今、そこから背を向ける形でベンチに座ったまま動かない。
「名前も、性格も、人生も。面白いことに、星の数ほどあるんだよね」
さらに彼女は言葉を続ける。
「同じ名前はあれど、まったく同じ性格、まったく同じ人生は一つとしてない。伽藍。キミもそうさ。キミのことを知っているのはキミだけ。もう一度、問うよ。キミは何処まで往くんだい?」
伽藍は言葉もなく首を振った。
もう何も分からない。
「困ったなぁ。どうしようか?」
こうしよう、ではなく、どうしようか、と。
不意に背中を優しく叩かれる。
気軽で、優しくて、暖かくて。
かつてこの温もりを知っていたような気がする。
だがそれは誰の記憶だったのだろう。
本当に自分の記憶なのだろうか、はたまた別の誰かの記憶が混ざっているのだろうか。
しかしただ嗚咽が漏れるばかりだった。
「やれやれ。今宵もここまでのようだね」
嗚咽を続け、泣き疲れた子供のように伽藍はベンチから一歩も動くことなく意識を手放した。
意識を失った伽藍の傍らで、紫月は口の端に笑みを浮かべて呟いた。
「キミは覚えていないのだね」
高すぎず、低すぎない心地の良い声が風に溶けていく。
「キミ達はもう……この世のモノではないことを」




