譚ノ五
京ノ都中央病院に行くよ。
そう唐突に言われ、煉は紫月と連れ立って病院に向かった。
「俺は何も聞いていなかったが?」
「さっき言ったよ?」
葉山のじいさんが今日、退院する。
ちょうど良い満月の日である、その夜に。
突然に言われて煉は溜息をついた。
これも昔からのこと。
分かっている。
唐突に言われて聞いていないと言えば、今言ったと。
そんなやり取りが続くということも分かっているのに、決まりきったように言葉を返してしまう。
どうせなら気持ちの良い朝に退院を決めればいいのに、何故、満月の、それも夜に退院ということをするのだろうか。
「どうせ退院の見送りにかこつけて、今夜で“鬼”喰らうのだろう?」
「義理姉様に時間かけるなって字の通り矢の催促が来てしまってね」
ここ数日前からせっせと片付けをしていた庭に、悪戯のように打ち込まれた矢はやはり、そういう意味かと煉は思う。
今時、鎌鼬を使ってまで矢文のやり取りをやめて近代化し、レイキ会に携帯電話を導入すればいいのにと内心、溜息をつく。
とはいえ、よくよく考えてみれば導入しても自分も含めて使えない、使いこなせないだろう“人ならざるモノ”が“人”より多かったと己の考えの甘さにさらに頭を抱える。
「俺は今回、何も出来んな」
「出来るよ。ボクが“鬼”を喰らうから、煉はタイミングよく医者を連れて来てくれればそれでいいよ」
紫月の言葉に頷く。
あれから何人もの熱中症だろう患者が運び込まれたらしい。
今年は異常だとニュースでは言っていたが、それと“鬼”とどう繋がっているのか。
それはこれから行けば分かることだ。
陽が落ちた後の病院は、冷たい蛍光灯で凍りついたように静かの中に沈んでいる。
夏の宵の生ぬるい風が病院の敷地内に植えられた木々を揺らした。
「出迎えてもらえるなんて、眼福じゃのぅ。すまんなぁ、このじじぃのために」
「それはついで。本命は“鬼”だから」
「むぅ。そこは嘘でもわしのためだとか、退院おめでとうとか言ってはくれんのか?」
病院生活で多少、肉が落ちたらしいがそれでも大きな腹をした葉山のじいさんは可愛くもない口を尖らした。
そんな彼の文句も何のその、紫月は笑みを浮かべるばかりだ。
「せめて退院のお祝いに花とかの用意でもしてもらいたかったのぅ。まぁ良いわぃ。巻き込まれてもう一度入院でもさせられたらたまったもんじゃないからのぅ。わしはこれで退場するとしようかのぅ。くわばらくわばら、狸汁にされるのは勘弁じゃ」
迎えの狸達が到着したらしい。
時代錯誤とも言える籠に乗り込むと、彼は部下の狸達に声を掛けて出発させる。
紫月と煉はそれを見送ると病院内の開けた場所までやってきた。
明るい月が見降ろし、薄暗い病院をも照らしている。
「お嬢。あのじいさんからは何か聞いているのか?」
「まぁね。先日、話ついでにお見舞いに行った時に聞いたのさ」
今回、世間を騒がしている熱中症騒動の内半分くらいは熱中症とは少し違うのだと。
重度の熱中症に近いのだがその実、“鬼”が関わっていると紫月は聞いている。
だが“人”はそんな違いが分からない。
熱中症ついでの合併症か、他の病気かもしれない、という程度の認識だ。
「昔に比べれば、医療は進化した。長生きをする人が増えた。延命しようと願えばそれなりに延命が出来る。病死や自殺がなくならないとはいえ、今の時代は幸せなのかもしれないね」
「これだけ“人”の心の闇が広がっていてもか?」
「生きる為の力がまだ残っているからね。それさえない時代になった時はきっと“人”が滅ぶ時だろう。そしてその“人”に棲む“鬼”を喰らう“鬼喰”も。“人ならざるモノ”達は“人”が滅んだ時、どうなるかは分からないけれどね」
その時、煉自身は一体どうなっているのだろう。
考えが及ばない。
だがきっと、もっと遠い未来なのだろうと思いたい。
よっぽどのことがない限り“人”はまだまだ生き続ける。
「“人ならざるモノ”にも生きる為の力があるから、この世に在るのだな」
「そりゃそうさ。付喪神のことはよく分からないけれど、生きるという行為は生物の本能だからね。死にたくない。生きたい。そう願うことは罪じゃない」
けれど……と紫月は言葉を続ける。
「もし、他人の生きる為の力を横取りするのならば、罪だろうね」
「それは殺すという行為か?」
「“人”の作った法律に従えばそうなるかな。煉。“人ならざるモノ”は調整者でもあるんだよ。“人ならざるモノ”は陰陽に従えば陰、つまり影側のモノ。“人”の感覚からすれば在るのに無い存在だ。けれどもこの世界のバランスを保つ為に必要なのさ」
今、この世で“人ならざるモノ”は出しゃばってはいけない。
だからといって手出しをせずに“人”を傍観するだけということもできない。
“人ならざるモノ”が“人”と共存し、生きる為にレイキ会は存在している。
中にはレイキ会に所属しないモノも存在しているのだが、彼らとて彼らのルールで存在しているのだ。
「それぞれの器には、決まった量の生きる為の力がある。減ることはあっても、決まった量以上に増えることは決してない。生き甲斐や食事などである程度回復はすれど、満ちることもない。生まれた瞬間から漏れ出していくのが生きる力だよ。でもね、減った力を“鬼”の力で他から奪うのは以ての外だとは思わないかい?」
さて、と紫月は暗がりに目を向けた。
生ぬるいはずの風が急に冷たさを帯びる。
「キミはどう思う? “生鬼”」




