ご利益
「あんたはどうなんだ。公爵家ではちゃんとやってるのか?」
しんみりした空気を入れ替えるように、今度はリュシアン自身のことを尋ねた。
「やっているとも。もう養子縁組の手続きは終わったし、少ししたら社交界にも出る」
騎士団は退団して、今は公爵の元で領地経営をはじめ様々なことを学んでいる。
たった二年ではあったが、サンタンドル伯爵スミュール家での経験がわずかでも役に立つことがあり、地獄の日々が無駄ではなかったことを実感しているとリュシアンは言う。
「社交界デビューかあ。大変なことになるな」
生来の美貌に公爵という特権階級が加わり、しかも独身。そして、育児経験あり。
近年、稀に見る優良物件だ。
騎士団にいた頃よりも怒涛の秋波が寄せられるのではないかとマルセルは若干憐れみの苦笑いを浮かべた。
「あ、もうちょっとおかわりしてもいいだろうか」
「こんなに食うとは、誰も想像してないだろうけどな」
「いずれ露見するさ。幻滅なら勝手にしてくれて構わないよ」
ソニーの分を残して、大皿ごとリュシアンに渡した。
「公爵は何であんたを養子にしたんだろうな」
こんなに食費のかかる奴だとは思ってもみなかっただろうが、とマルセルはコーヒーを継ぎ足した。
「僕も聞いてみたんだけど……」
リュシアンは出窓でまだ食べているソニーを見た。マルセルもよくわからないが、つられて目線を向ける。
「ソニーが懐いていたからだ、て」
「え?」
ソワニエ公爵があの時、騎士団本部に来ていたのは、狩猟仲間の旧友の娘が役人の夫と共に来国して王宮殿に来ていると聞いたので挨拶にしに行ったからであった。
その帰りに、ふと思いついてたまには顔出しをしておこう、くらいに思って騎士団本部に足を運んだのだという。
その時に折り悪しくソニー脱走事件があり、騒ぎの元を追っていたら留置所に辿り着いた。
そこでリュシアンの事情を知る事となり、後継問題を抱えていたソワニエ公爵も解決の糸口を見つけたのだ。
「ギレンフェルド国ではソニーは縁起物だっていうだろう」
ソニーに懐かれている人物が来れば、ソニーが居着いていい縁も来るのではないか、ひいてはソワニエ領、公爵家の弥栄えとなるのではないか、と。
マルセルはもう一度腕組みをしてから溜息をついた。
「ソワニエ公爵はああ見えて、意外と縁起を担ぐ人だったのか」
「実例があるからな」
君達が会ったロートバルター夫人だよ、とリュシアンは言葉を続けた。
彼女はかつてフロレンス国の伯爵令嬢だったが、父を亡くし、幼少の頃から決まっていた婚約を破棄されて、ギレンフェルド国の知人を頼って故国を後にし、そこで伴侶を見つけた。
夫はギレンフェルド国アルトキール領の官僚候補、実家は豪商だという。
下手な貧乏貴族と縁づくより、身分はなくとも、その後の生活は保証される。
「おまけに、ご主人は美形らしい」
それはレネからちらりと聞いた。
美術館の胸像のようだったと。
マルセルの脳裏には、カフェで会った夫人の品の良い優しい笑顔が浮かんだ。
貴族出身だからかと思っていたが、持っている人の余裕だったようだ。
「でも、強ち外れてもいないかもな」
「おいおい、君まで何を言うんだ」
あれはただの迷信だろう、とリュシアンは言うが、マルセルはそうかもしれないがと顎を摘んでソニーを見た。
「現に、あんたは実家の因縁を解決できて、いずれ公爵にまで上り詰める。俺は将軍の階級を持つ公爵と縁ができたお陰で、任務の評価を得ることができた。これで承認されたら予算も新たに組まれてだいぶ楽になる」
反りの合わない上司のいる第二騎士団に戻ることもなく、ここでしばらくは今まで通り上下のしがらみのない生活を送ることができる。
リュシアンに比べたらささやかだが、マルセルにとっては大いなる幸運だ。
「いや、でも……」
根拠のない迷信だが、否定しようにもマルセルの言うことは事実なのでリュシアンは続ける言葉を見失った。
ソニーという要因がなければ、ソワニエ公爵と知り合うこともなかったのだ。
もしかしたら、今と違う結末があったかもしれない。
出窓を見ると、ケーキを食べ終わったソニーは前足を突っ張り、背中を反らせて伸びをしている。
「あんな可愛いだけの食い意地の張った魔獣に、そんなご利益があるとは思えないけどなあ」
「あいつもあんたにだけは言われたくないだろうよ」
言い返せないリュシアンは口を尖らせた。
男二人の心中をまったく預かり知らぬソニーは、お腹がいっぱいになったのか、出窓の下のベンチに置いてあるクッションに降りて微睡み始めた。
ソニーの分を取り分けておいたケーキは、午後に泉質管理に来るクラネのために取っておくことにして、蜜蝋の染み込んだ布巾で覆った。
「そう言えば、レネは?」
「明日まで休みだ」
「そっか、町に行けば会えるかな?」
マルセルの眉が真ん中に寄り、深い皺が刻まれる。
「あんたは公爵になるんだから、平民のあいつは諦めろ」
聞き捨てならないと、リュシアンのこめかみに青筋が浮かぶ。
「君に言われる筋合いはないよ。身分なんか関係ない。彼女は希少な魔術師だからな」
テーブルを挟んで火花が散る。
その時、ソニーの耳がぴんと立ち上がり、一声鳴いた。
それからクッションを降りて、応接室を出て行ってしまった。
不穏な空気に気を悪くしてしまったのだろうかと、二人は申し訳ない思いになって、頭を掻いたり首を摩った。
少ししてから、ドアが開く音がした。
「すみません、レネです。マルセルさん、いますか?」
男二人は同時に席を立ち、玄関へ向かった。