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スミュール家

 公爵は宿を取るためにティユーに行くと言って事務所を後にした。


 リュシアンは馬車が見えなくなるまで見送ってから、久し振りに来た泉質管理事務所を眺めた。


 風が吹いて楓の枝が揺れる。

 日に日に強くなる日差しは、風に揺れる若葉によって地面に差す影と光の模様をくるくると変える。


 リュシアンが初めてここに来た時から三ヶ月が経っていた。


 もう昼はコートがなくてもいいくらいで、事務所内にいる時は窓を開けておかないと汗をかくくらいになった。


「きゅう」

 肩にいるソニーのお陰で我に返り、事務所の中へ戻った。



   ♧

「さっきのケーキはまだあるか?」

 戻るなり、リュシアンはマルセルに尋ねた。


「レネと会っても、このことは内緒だぞ」

 溜息をついたが、こうなると予期はしていた。

 先程よりは直角に近い角度でホールケーキを切り分けて渡した。


「レネは毎日のように、君の手料理を少なくとも一回は食べられるのだから、今回のケーキは独り占めしてもそれ程咎められないと思う」

「食い物の恨みは恐ろしいぞ」

「共犯がいるから大丈夫だよ」

 そう言って出窓でがっついているソニーを見た。

 マルセルが眉を下げて、再度溜息をついた。


「そうだ。オリヴィエ兄上はフロレンス国に旅立ったよ。君達にお礼を言っておいてくれと言われた」


 リュシアンの長兄はルヴロワで三週間程療養していたが、その間、折に触れてマルセルとレネも見舞いに手料理やボディクリームをを持参して訪れた。

 

「料理は美味しかったし、肌は綺麗になって何だか自信が出たと言っていた」


 これから劇場の舞台に立つようになるかもしれないので、美肌は大いに強みになるだろう。


「いい歳だし、これから始めるとなると大変だろうけど、楽しそうだったよ」


 自分で選んだ道を歩くのだ。

 前途はまだ不透明であっても、やりたいこと始める期待も大きいのだろう。


「スミュール家の方はどうなんだ?」


「アンドレ兄上はそのままだ。アンリ王子の護衛兵をそつなくこなしているよ。まあ、何かあったら即配置換えになるからな」


 次兄は喪が明けたらすぐ護衛兵に戻ったという。

 王子様からも弔意と労りの言葉をかけられて、ますます忠誠を募らせたそうだ。


「そうそう、サンタンドルには会計士が派遣されてきたんだ」


 サンタンドル領の経営は、ここ数年はほとんどオリヴィエが担っていた。


 伯爵は面倒事は長男に丸投げしていたので、オリヴィエがいなくなればそういったもの全てを伯爵がこなさなければならないのだが、年単位に渡る丸投げ期間だったので、昔取った杵柄を取り戻すにしても時間がかかる。


 経営破綻したら、伯爵は自業自得だが、領民は死活問題にもなるので、オリヴィエが旅立つ前にソワニエ公爵に相談して、信用のおける人物を紹介してもらったのだ。


「オリヴィエ兄上が今まで手堅くやっていたお陰で、来年の見通しは悪くないそうだ」


 だが、スミュール家は今までのようにはいかない、とリュシアンはケーキで甘くなった口をコーヒーで洗い流した。


「その会計士ってのが、これまで領地経営に失敗しそうなところを何件も再生してきた凄腕らしいんだ」


 領地の特産の生産管理はもちろん、スミュール家の家計まですべて洗いざらいにして、無駄は徹底的に省くと宣言している。


 屋敷に住み込みで勤務して、お菜の数から風呂の湯量にまで口を出すそうだ。


「伯爵も、公爵の紹介だから無碍にもできないし、唯々諾々とするしかないんだな」

 マルセルが腕を組んで言うと、リュシアンは頷いた。

「それくらいされた方があの人のためだ。妹の婿が伯爵を継ぐまで十数年、清貧が身につけばその後の暮らしもやり過ごせるだろう」


 今までの不品行をそれで償え、と吐き捨てるように言った。


 その後で、リュシアンはふっとまつ毛を伏せた。


「……伯爵夫人は、実家の墓地に埋葬されたよ」


 一度はサンタンドル領で葬儀が執り行われたが、スミュール家の祖母がサンタンドルに墓を造るのを拒んだのだ。


 事情を聞いて知った伯爵夫人の実弟が引き取り、実家の墓地にひっそりと埋葬された。


「今頃、地獄でモランと再会してるさ」


 マルセルはそう言って温くなったコーヒーを飲み、リュシアンは、そうだなと長いまつ毛に影を落として呟いた。


 幸不幸は人それぞれ。


 何が災いとなり、何が福となるか、他人には計り知れない。


 もし地獄で再会できたなら、今度こそ手を離さないように。


 リュシアンは心の片隅で、ちょっとだけそう祈った。

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