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隠し部屋

 泉質管理事務所にあるマルセルの私室は寝室の奥に執務室がある。

 執務室には机と椅子と、壁のシェルフにはバジルやパセリの鉢植えと本が数冊あるだけ。


 本を二冊どかして隠れているノブを出して引くと、シェルフと壁は簡単に動いた。


 壁の向こうには窓のない小部屋となっており、先に入ったマルセルが壁掛けのランプに光の魔鉱石を入れると徐々に小部屋の様子が明らかになる。


「どうぞ」

 全部のランプを点けたところで、マルセルがリュシアンとソワニエ公爵を促した。


 高さは私室と変わらないが、横幅は大人の男性が腕を広げたくらいで、縦幅はそれが二人分くらいしかない。


 小さなチェストが一つと、二人掛けの丸いテーブルがあり、壁には一面に刀剣類が架けられている。


 ここはマルセルが担っているもう一つの任務、騎士団諜報部門のベルダン南部分室の途中の中継所である。


 この部屋はレネが帰った後にちまちまと作り、三ヶ月前にようやく一応の形を成すことができた。


 リュシアンも公爵も感心したように眺めている。


「ここを利用した者は、今まで何人だ」

「二人です。一人はベルダンから王都へ行く途中で武具類の補充のために、もう一人は途中の街でぼったくりに遭って有金はたいてしまったということで金の無心に来ました」


 公爵は二人目の話を聞いた時に苦笑いをしたが、マルセルがチェストの引き出しを開けると片方の眉を上げた。


 中には、バルギアム国の貨幣の他、周辺各国の通貨が取り揃えられている。


 他の段には偽造した身分証や旅券などもある。


 諜報部門の中には外国への任務に行く者や帰還した者などもいるので、便宜のために用意されているのだ。


「レネに見つかったことはないのか?」

 リュシアンの質問に、マルセルは頷いた。

「私室の区画は自分で掃除するルールだし、

あいつも嫁入り前だから、男の部屋に不用意に入るようなことはしないよ」

 リュシアンの清拭も恥ずかしがった程なので、その辺は大丈夫そうだ。


 長期休暇の時には施錠を何重にもすると続けて説明した。


 一通り見終わった後応接室に戻ると、まずリュシアンが出窓に置いてあるケージからソニーを出した。


 狭い所に閉じ込められていた反動か、応接室を走り回り、最後にリュシアンによじ登って鼻面を頬や首に擦り付けた。


「悪かったなあ。でも、お前が迷い込まないようにしなきゃいけないから、仕方なかったんだ」

 隠し部屋はレネにも知られていないので、魔獣に嗅ぎつけられないように行っている間はケージに入ってもらったのだ。


 ワゴンにコーヒーを乗せてマルセルが入ってきた。


 テーブルに着くと、芳しい湯気のたなびくコーヒーカップと、ホールから切り分けたタルトケーキが置かれる。


「タルト・オ・フロマージュです。中にいちごが入っています」

 切り分けられた側面を見ると、赤い果肉が茶色いタルト生地と象牙色のフロマージュフィリングの間に覗いている。


 コーヒーを一口飲んでから、フォークでタルトを刺し、音を立てないようにタルト生地を割る。


 甘酸っぱいいちごとチーズのまろやかさがよく合って、若干甘いタルト生地はざくざくとした食感があった。


「美味しいな」

「うん。相変わらず、美味い」

 公爵とリュシアンはほぼ同時に言った。


「まだたっぷりありますので、ご遠慮なく」

 公爵にも誉めてもらえたので、内心で小躍りしたマルセルは、今日は公休日でいないレネために残しておこうという配慮は罪悪感もなく遥か彼方に飛んでいった。


 リュシアンは三口で食べ終えておかわりをした。

 こっちは食欲の方も相変わらずのようで安心する。


「このチーズは、ボーフェという町の特産品です。前に寄った時に買った店が、ルヴロワにも行商にくるようになったんです」


 マルセルがチーズを大量購入した店の店主に、ルヴロワまで来てくれたらいいのにと世間話程度に談笑していた。


 その後、店主は律儀にも一度足を運んでくれて、そうしたらマルセルだけでなく、噂を聞きつけた町中の人達も物珍しくて買っていった。


 それから十日に一遍の割合で行商に来るようになったのだ。


 馬車で片道二時間くらい、帰りはほぼ完売するのでいい儲けになっているらしい。


 そのお陰でクリームチーズのような非熟成のフレッシュチーズも手軽に口にできるようになったのだから、こちらとしても嬉しい限りだ。


「そういえば、うちの魔術師達も両手いっぱいにお土産を買っていたな」


 魔術庁の係長が記した丁寧な小冊子があり、王都からルヴロワへの道々、名物を食べ特産品を買い、馬車もあるのでみんな思い思いに買って積み込んでいた。


 緊張感はあったものの、ほぼ楽しい旅路であったことは公爵も想像に難くないだろう。


「まあ、一応決着はしたのだから、些細なことには口を挟まぬが」

 公爵も心配してくれていたのだろう。


 それなのに当人達は物見遊山を満喫していたのだから、ちくりと言われても仕方ない。


「だが、それによって販路が開かれて地域交流ができたのも確かだからな。お陰で美味しいケーキを食べられた」

 皿が空になったのでおかわりを尋ねたが、公爵は品良く断って、コーヒーを口にした。


「この事務所は格好の隠れ蓑だな。僻地ではあるが、温泉町で人の出入りもあるので、知らぬ者がいても不審に思われにくい。魔獣対策といえば、騎士の配置もできる」


 諜報員が紛れていても然程目立ちはしないで済む。


「試験的に運用しているとデルヴォーから聞いているが、しばらく継続してみよう」

 稟議は公爵から出してくれるとのことだった。


 常に気を張る諜報員の息抜きできる場所が増えれば、能率や意欲も向上するだろう。


 マルセルは公爵によろしくお願いしますと頭を下げた。

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