後継
「入ってもいいかな?」
雰囲気に飲まれていた兄達の代わりに、リュシアンがどうぞと促した。
そこで、誰だか気づいた次兄は背筋を伸ばして踵を合わせ、騎士団の敬礼をした。
「今は私用だ。堅苦しいのはやめにしよう」
アンドレは敬礼を解いたが、肩に入った力みは簡単には抜けない様子だった。
公爵は起き上がれないオリヴィエを覗き込み、お抱え医師を呼んで診察をお願いした。
出血は止まったが傷が塞がっている訳ではないので、面会は手短に、安静にするようにと言い置いて医師は公爵にお辞儀をして退出した。
「先生もああ言っている。簡潔に済まそう」
ドアは開け放ち、廊下にはマルセルと秘書が待機している。
公爵はアンドレとリュシアンのベッドを挟んだ向かいの椅子に腰掛けた。
「済まんが、話は聞こえてしまった。ここは病棟だから、少し声は抑えた方がいいだろう」
騒いだことを咎められて、兄弟は揃って眉を下げた。
「爵位の継承に関して話をしていたのが聞こえてしまったのだが、少し私も立ち入らせてもらうよ」
なぜ縁もゆかりもない公爵が家庭の事情にわざわざ立ち入るのか、兄二人は戸惑いを顔に浮かべた。
「本当なら、君達の父親であるサンタンドル伯爵の到着を待って話そうと思っていたのだが、爵位継承の話題だったからちょうどいい」
公爵はリュシアンを見て、目が合ったリュシアンはそっと顎を引いた。
「リュシアンはサンタンドル伯爵は継げない。彼にはソワニエ公爵の後継になってもらう予定だ。養子縁組の許可もすでに国王陛下からいただいている」
数秒間が空いた。
「……は?」
兄二人は、公爵が何を言ったのか理解できず同時に言った。
公爵の口から出た言葉を受け止めて、理解するまで、それからもう数秒かかった。
「はあ⁈」
同時に言った後、傷に触ったのかオリヴィエは痛みで顔を顰めた。
心配して公爵も兄弟につられてオリヴィエを覗き込んだが、すぐに大丈夫ですと横になったままで公爵に会釈をした。
「リュシアンが、次期ソワニエ公爵ということですか……」
オリヴィエか話を戻したので、公爵も続きを話した。
ソワニエ公爵の妻は十年前に亡くなり、子供はいない。
公爵を退く時は国王家に領地を返納しようと考えていたという。
だが、リュシアンが騎士団本部の留置所にいたことで経緯を知り、彼を後継にすることを決めた。
「君達はそれぞれ伯爵を継ぎたくないということだが、それは真意なのか?」
公爵はオリヴィエとアンドレに向かって問うた。
「はい。私はスミュール家を出ます。フロレンス国へ行ってオペラを学んでゆきたいと思っています」
「俺……私も、騎士団を辞めるつもりはありません。アンリ王子の護衛兵に誇りを持って臨んでおりますので」
二人とも即答した。
決意の程が押し計れる。
それを聞いたリュシアンも、どこかほっとした。自分の道を歩いていく心積りが、この二人にはちゃんとできているように感じたからだ。
「ならば、そのようにすれば良い。サンタンドル伯爵は娘御が適齢になった時に、婿養子を迎えれば問題はないだろう」
女系相続はできないが、女子しかいない場合は入婿を迎えれば世襲することができる。
あと十数年、父には老骨に鞭打ってサンタンドル領を治めてもらう。
それが難しいなら傍系に譲るより他はない。
そして、リュシアンが公爵家の養子になるのだから、父である伯爵もそれなりの品行が求められるようになる。
今までのようにはいかないと伯爵は思い知るだろう。
ゆっくりとではあるが、不品行のツケを払う時が来たと知るのだ。
「さて、あまり長居をしてはしっかり安静にすることができないだろうから、私はこの辺で失礼する」
公爵が席を立ったが、オリヴィエにはそのままでいるようにと手で制した。
リュシアンとアンドレは席を立ち、貴族の礼をした。
兄弟で今後のことをよく話し合うようにと言って、公爵は部屋を出て行った。
その次の日、父である伯爵が到着した。
まだ湯治療養所でベッドから起き上がれないオリヴィエのいるところで今までのことを話したら、伯爵は火がついたように怒り出した。
どいつもこいつも恩知らずだと怒鳴り散らした時にソワニエ公爵が来室し、少し二人で話そうと言って別室に行ってしまった。
戻ってきたのは伯爵だけだったが、怒りで赤かった顔色は青白く褪せており、脂汗が光っていた。
そして、息子達にまず怒鳴った詫びをして、好きなように生きるといいと、リュシアンには養子縁組の書類にサインをしてきたと、詰まりながら告げた。
それから伯爵夫人の亡骸を引き取り、伯爵はその足でサンタンドル領へとんぼ返りした。
それにはアンドレも同行した。
領地で母の葬儀の手配をするためだった。
リュシアンは葬儀に参列しなくていいと言われたので、このままルヴロワに残り、オリヴィエの看病を担当することになった。
だが、伯爵夫人の棺が運び出される前に、レネとマルセルと一緒にお別れをしに行った。
最後に花を手向けて、馬車が見えなくなるまで見送った。