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次兄

 湯治療養所の面会時間は十八時までと厳格に決められており、公爵といえど規則だからと療養所から退出させられた。


 療養所の病棟に寝泊まりできるのは家族のみとなるので、リュシアンは長兄が目覚めるのを部屋の隅にある椅子で一人で待っていた。


 簡易ベッドも用意してくれたが、横になっても眠れないような気がしたのだ。


 厚手のカーテンの隙間から日の光が徐々に濃くなり、療養所内も人が動き始めた頃だった。


 ノックがあり、次兄が到着したと修道女が告げた。


「おい、オリヴィエはまだ生きてんのか? それとも死んだか?」


 入ってくるなり、次兄のアンドレは豪速ど直球ストレートに尋ねてきた。


 案内してきた修道女も不謹慎な言葉に目を瞠る。


 アンドレも修道女に睨まれては罰が悪いようで、失礼しましたと素直に詫びた。


 まだ早朝なのでお静かに、と冷ややかな視線を寄越しながら修道女は退出した。


「生きてます。まだ麻酔薬が切れないのか、目覚めないだけです」

 ベッドに横たわっている兄の寝顔を覗き込んでから、アンドレは近くにある椅子にどすんと座り込む。


「父上は?」

「まだです。サンタンドルから来るとなると、今日中に着くかどうか……」

 舌打ちが聞こえた。


「……母上は?」

「町の教会の霊安室に安置してもらっています」

 そうか、とアンドレが呟くように漏らした言葉の後、少しの合間どちらも口を開くことはなかった。


 全ての窓のカーテンを開けると、朝の日差しが室内を照らし、騎士団の制服を着ているアンドレの首元が汗で変色しているのが見えた。


 アンリ王子の護衛兵をしているので、恐らく王都から来たのだ。

 馬を飛ばして、さすがに夜は危険なので宿泊しただろうが、それでも日が昇ると共に出立したのだろう。


 母と兄のことを心配して駆けつけてきたのだ。


 リュシアンはサイドテーブルに積まれているタオルを一つ取って手渡した。


「お茶をいただいてきます」

 長兄のことを頼み、リュシアンはそう言って部屋を出た。


 夜明けに出てきたと思われるので、恐らく朝食などとってないだろうから、軽く摘めるものを一緒に頼もうと待合室を通った時だった。


「おはよう、リュシアン」

 入口からちょうどマルセルが入ってきた。


「どうしたんだ、こんなに早くから」

「お兄さんがここに来る前に、スパに訪ねて来たんだ」

 王都に届いた一報では、スパにいるとしかなかったようで、アンドレはスパへ駆けつけてしまい、そこで療養所に行くようにと案内されたようだった。


「お兄さんの様子はどうだ?」

 まだ目覚めないと告げると、マルセルの眉目も翳りを帯びる。


「そうだ、これ」

 マルセルは持っているバスケットをリュシアンに渡した。

「お兄さん、多分朝飯まだなんじゃないかと思って。多めに作ってあるから、リュシアンもよかったら食べてくれ」


 マルセルは昨日、スパに泊まったという。色々な事情聴取を受けて疲れているだろうが、朝早くに訪問した兄を気遣って作ってくれたのだ。


 蓋を開けると、サンドイッチといちごが入っている。


「ありがとう、マルセル」

「いいよ、別に。簡単なもんで悪いな」


 公爵も九時くらいにはここに来るという。

 それまでに兄弟で話しておきたいことがあればしておけと言って、マルセルはスパへと戻って行った。


 修道女を見つけたのでお茶お願いして、カトラリーを借りた。

 バスケットとティーセットを両手に持って部屋に戻ると、出た時と同じ姿勢の兄達がいる。


 サイドテーブルにお茶とサンドイッチを取り分けて渡した。


「ありがとう。気が利いてるな」

「友人が届けてくれました」


 美味いな、とアンドレが一言言ったが、その後は何を切り出していいのか、微妙な空気が漂い、結局二人で黙々と食べるだけになった。


 元々、この兄とは話したことがあまりないので会話が弾むはずもない。


 いちごも食べ終わり、お茶のおかわりを注ぐとアンドレはほつれて額にかかった茶色の前髪をかき上げた。


「……すまないな。お前には大変な思いをさせた」


 聞き間違いなのではないかと思って兄を見た。目が合った兄は気まずそうに横を向く。


「俺は、お前がどういうことになっているのかを知っていながら自分のことだけしか考えてこなかった。関わりたくなかったんだ、スミュール家に」


 アンドレは幼少の頃は体が弱く、父方の祖父母のいる田舎の別邸に預けられたと聞いたことがある。


 そこからスミュール家本宅にはあまり戻ることもなく、就学するようになったら寄宿制の学校へ進学し、卒業後には騎士団へ入ったのだ。


 スミュール家の内情に深く関わることはなかったのだろう。

 端緒に触れることもあっただろうが、巻き込まれたくはなかった気持ちはリュシアンにもわからなくもない。


 次兄にしてみれば、血の繋がりという縛りがあるが、暮らしを共にしていたことはわずかなのでスミュール家で起こることは他事として切り離すことは容易だったに違いない。


「オリヴィエは底意地悪いから殺したって死なねえし、母上だって、百六十歳まで生きられるんじゃないかと思ってたよ」


 アンリ王子の護衛兵になることばかり、出世することばかり考えていたから、家族が取り返しもつかないことになってしまった。


「お前がヘールホートで怪我したって聞いた時、俺はライバルが減るくらいにしか思ってなかったよ。でも、その後こいつが来て、お前をルヴロワに避難させたと聞いた時に何となくわかったんだ」


 母上が仕組んだんだ、と。


 アンドレが背中を丸め、膝の上に手を置いて大きな溜息をつくのを、リュシアンは呆然として見ていた。


 次兄は何と言ったのか。


 リュシアンは何かが喉の奥に詰まるような閉塞を感じながらアンドレに尋ねた。


「『避難させた』て、どういうことですか」

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