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帰還後

 数日後、出勤するためアパートを出ようとした時だった。


「おはよう、セローさん」

 大家の奥さんに声を掛けられたので、レネも挨拶をした。


「ねえ、知ってる? 今、スパにすごい美形が来てるんですって。伯爵家のご子息で、騎士団にいる騎士だそうよ」


 奥さんはつい先日まで、長期不在にしていたレネとマルセルの仲を疑ってちょいちょい探りを入れてきたのだが、スパに話題の人物が現れるとすぐに切り替えてきた。


「そうなんですか?」

「ええ。噂では、大理石の彫刻のように完璧な顔と体なんですって。見てみたいわねえ」

「へえ。すごいですね」

「セローさんはお仕事でスパに行くことはないの? 会えるかもしれないわよ」

「じゃあ、スパ勤務の時によく見てみます」

 遅れるといけませんので、と断ってそそくさと奥さんから離れた。


 話しているうちにいつボロを出すかわからない。


 それにしても、人の噂というものは流行したお菓子よりも入れ替わりが早い。


 ただ今回、それで助かったのであまり悪くは言えないが。


 レネが町の結界壁を出ると、大きな岩の上にソニーが待っていた。

「おはよう、今日はいい天気ね」

 首元を撫でると、うっとりと目を閉じた。


 片道三十分の道のりをソニーと共に歩きながら、日々増していく光の強さを感じた。


 事務所に入ると、マルセルが朝食を作っている香ばしい香りが漂う。

 昨日の夜は雨が降って冷えたので、足湯場に入って温まり、傍らでソニーの足を拭く。


 それからまず事務室に向かい、仕事道具を準備してから台所へ行く。


「おはようございます、マルセルさん」

「おはよう、レネ。ちゃんと飯食ってきたか?」

「はい。昨日のクレメダンジュ、まだ残ってます?」


 昨日マルセルがおやつに作ってくれたフレッシュチーズを使ったデザートだ。

「ああ。用意しとくよ。早く仕事済ませてこい」


 仕事後の楽しみができた。

 レネは泉質管理棟へと向かったが、ソニーは定位置の出窓に戻り、平皿に入っている水をがぶがぶ飲み始めた。



「おはよう、レネ」

「あれ、おはようございます、リュシアン様。またこっちに泊まったんですか」

 一仕事終えてダイニングに行くとリュシアンがいた。


「ああ。マルセルがアリゴでグラタンを作るって言ってたから」


 昨日の昼食で出たアリゴ(じゃがいもとチーズを混ぜたもの)が残っているとは知らなかった。

 鴨のコンフィと一緒に食べたら美味しくて、リュシアンは何度もおかわりしていた。


 それがグラタンになっていたなんて。知っていたら夕食も食べてから帰ったのに、と思わなくもないレネだった。


「レネの分も残してあるから。昼に出すよ」

 まずはクレメダンジュを食べろと言うので、ご機嫌が直りスプーンを取った。


 泉質管理事務所に帰ってきてから、連日のようにチーズ料理が出ているが、マルセルが工夫を凝らしてくれるお陰でまったく飽きない。


 ボーフェでは白い眼で見ていたが、こんなに毎回美味しいので、購入を断行したマルセルには今は感謝しかない。


「あ、そういえば、リュシアン様の噂、大分町に広がっていますよ」

 先程の大家の奥さんとの話を聞かせた。


「ちゃんとスパにいた方がいいんじゃないですか?」

「でもなあ、ここの方が静かだし、飯が美味い」

「帰りの道々でいっぱい買い溜めしたからな。リュシアンがいてくれると悪くならないうちに消費できるから助かる」


 マルセルはすっかりたらし込まれている。


「今日は私もスパに行きます」

 クラネが午後から湯治療養所の点検に行くので、午前の仕事が終わったらスパへ行き、そのまま直帰する予定だ。


「じゃ、一緒に戻る」

「リュシアン様はこれ食べ終わったら戻ってください。一緒にいるところを見られたら、何を言われるかわかりませんので」


 せっかくマルセルとの噂が消えかけているのに、更に大きな噂になるのはごめん被りたい。


 リュシアンは拗ねたように口の端を下げたが、レネの言い分ももっともなので、それ以上我を通すようなことはしなかった。


「まあ、そろそろだろうから、これからはスパにいた方がいいかもな」

 マルセルは腕組みをしてそう諭す。


 そろそろ次の手が来る頃だ。


 その時にスパにいた方が何かと都合がいいのだ。


「何か作ったら、時々スパに届けるよ」

 レネも終業後に顔を見せに行くと約束して、リュシアンもようやく重い腰を上げた。



 次の日、出勤してきたレネに、マルセルは今日はスパへ行くと告げた。


「リバンで買った乾燥いちじく(ドライフィグ)でパウンドケーキを作ったから、リュシアンに届けてくる」

「わかりました。昨日帰りに顔を見せた時には早速暇を持て余していましたから、喜ぶと思いますよ」


 鏡通信でスパにいるクラネに連絡して、代わりの公爵家の私兵を寄越してもらい、事務所の警護を頼んでから、午前中にはスパへと向かった。


 昼食は準備してあるから、時間になったら鍋を温め直すようにと言い置いて。

 

 温室に行って、野草の生育をチェックしてからいくつか摘んで野草茶の継ぎ足しを作ろうとした時だった。


 ポケットに入れておいたコンパクトが鳴動したので慌てて出た。


 クラネは声を潜めてスパへ至急来るように告げた。


 リュシアンの家族が来訪したとのことだった。

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