カフェ
少し早目に起きて、朝食を食べた後はシモーヌに手伝ってもらって髪を結ってもらった。
化粧も少ししてもらうと、いつもとは違う自分が鏡に映る。
アクセサリーや鞄も借りた。
等身大の鏡に映るのは、王都の娘と言ってもいいくらいだ。
田舎娘をここまで変えてくれたシモーヌと貸衣装係に感謝をする。
リビングルームにはすでに支度の出来ているマルセルとソニーがいて待ちくたびれている様子だったが、レネが現れてマルセルがすっと立ち上がった。
「お待たせしました」
「あ、ああ」
何だか気のない返事だったので、やっぱり変だったかなと不安になったが、シモーヌ達が協力してくれたのだそんなはずはない、と持ち直す。
「か、可愛くできたな」
マルセルが珍しく容姿について誉めてくれた。
昨日のことがあり気を遣ってくれてのことだろうが、誉められるとやはり嬉しくて照れる。
レネは頬を赤くしながら、お礼を言った。
「じゃ、行くか」
「はい」
シモーヌに見送られてレネとマルセル、ソニーはホテルを後にした。
大通りに出ると馬車も人も多く行き交っている。
すれ違う二人連れの男性にぶつかりそうになり、マルセルがソニーのケージを持つ手とは反対の手でレネの腰を引き、衝突を未然に防げた。
「ありがとうございます」
「大通りはとはいえ、スリも多いから気をつけろ」
そう言うとレネの手を握り、カフェは目の前にあるのだが手を繋いで歩いて行った。
指定されているのは、大通り沿いにある老舗のカフェだ。
国の流行作家の小説に登場したり、有名な画家によって描かれたりする少しだけ格式の高い店だ。
ドアを開けると給仕が来たので、マルセルは公爵からの招待状を渡した。
すると給仕より格上と思われる男性が出てきて二人を店の奥へと案内した。
平日の午前中ということもあり広い店内に客はまばらにいる。その中を通り、角を曲がると廊下に出た。
突き当たりにドアがあり、男性がノックをして中の人物に連れの到着を告げた。
開けてくれたドアを覗くと、美髯のソワニエ公爵がいて、席を立ってレネ達を中へ誘っている。
やっぱり素敵、とレネの胸の鼓動が早まった。
「お待たせして申し訳ありません」
胸いっぱいで言葉が出ないレネの代わりにマルセルか申し述べた。
レネもぺこりと頭を下げる。
「いや、私達も先程来たばかりだよ」
私達? 複数形になっていたので見回すと、公爵の側に若い女性がいた。
「あ!」
「あら、またお会いできましたね」
先日、王宮殿の庭園で会ったソニーに詳しいギレンフェルド国の女性だった。
無礼講ということで、敬礼は省いて席に着き、紅茶がすぐに運ばれてきた。
ソニーもケージから出し、用意された皿の水とマドレーヌにさっそく食らいついている。
「なんだ、二人は顔見知りだったのか」
「ええ。先日、王宮殿の庭園で会ったのです。ソニーを連れていらしたので、それで。でも、おじ様ともお知り合いだったのですね」
公爵はマドレーヌに夢中になっているソニーを見た。
「ソニーと久し振りに会ったので、君もちょうど来ているから、見せてあげられると思ってな」
このお茶の誘いは、このご婦人にソニーを見せるためだったのかとレネは心の片隅で消沈するが、表面上は何とか体裁を繕った。
相手にされることなんてないとわかっていたはずなのに、それでもわずかな可能性に期待していた自分の浅ましさを自覚して口の中に苦いものが広がるようだった。
「あら、ごめんなさいね、私達だけ話してばかりで。おじ様、紹介してくださいな」
女性は品のいい催促をして、女性にレネとマルセルを紹介した。
「こちらは、クロエ・ロートバルター夫人だ。フロレンス国の友人のご令嬢だったのだが、今は結婚してギレンフェルド国にいる。ご主人は役人で、今は出張でこの国に来ているのだ」
以前は伯爵令嬢だったと聞いて、レネもマルセルもそうだろうなと納得した。
彼女には平民とは圧倒的に違う、上流階級の雰囲気が漂っている。
「ギレンフェルド国に行った時に、クロエの義兄が経営しているホテルなんだが、そこにソニーがいたのだ。聞けば、彼女とも縁があるようで」
「そうですね。助けてもらうこともありました」
そう言って、思い出し笑いをしていても嫌味にならない可愛らしさがあった。
ロートバルター夫人はギレンフェルド国のアルトキールという公爵領の港のある街に住んでいるそうだ。領内には西の森という魔獣の住む森があり、温泉も湧いているので大衆浴場がいくつもあるという。
ルヴロワと似ているが、それよりも規模が大きいようだ。
ソニーがマドレーヌを食べ終わり、ロートバルター夫人の前に行って見上げる。
夫人が首元を撫でると、その手に擦り寄っていく。
「この子の毛並みは艶々ね」
「ルヴロワの第二源泉の湯を使ったブラッシング液で梳かしています」
「まあ、そうなの。でもそれならソニーだけではなく、他の毛足の長い動物にも使えそうですね」
公爵も腕を伸ばしてソニーの腰の部分を撫でる。
「そうだな。貴族の間では長毛の犬や猫を飼うのが流行っているようだし、馬にも使えるなら見栄えが良くなっていいだろう」
「すみません、ちょっと失礼します」
そう言ってレネは鞄からノートを出して今の意見をメモした。
ボディクリームが不許可になっても、獣類用のブラッシング液を開発できるかもしれない。
「獣で使えるなら人間でも使えるのではないかしら」
夫人が提案してくれた。
今、整髪に使っているのは主に植物性油脂に香りを添加した香油だ。
塗布した後はさらっとする椿油などが主流たが、夏場などは手汗をかくのてべたついてしまう。
それを、手を拭うことなく次の事ができるようになれば便利だ、と。
誰も話をしていないので顔を上げると、マルセルは仕方なさそうに、公爵と夫人はにこにこしてレネを見ている。
レネは自分に視線が集中していることに気づかず、がりがりとメモを取っていたのだ。
「す、すみません、ついいつもの癖で……」
魔術や製品開発のことになると、つい時間も場所も忘れてしまう。
「いいえ、わたくし達の意見が形になるかもしれませんからね。楽しみにしています」
品良く微笑む公爵と夫人に、レネとマルセルは少しだけ冷や汗が出た。