釘
招待はソニー同伴という条件付きだった。
指定されたのは明後日、場所は大通り沿いのカフェだった。
公爵の屋敷などではなくてほっとした。
お屋敷に招かれたなら、それなりの服装でないと失礼になる。
当然、そんな服を持ち合わせてないので貸衣装に頼るしかなかった。
だが、カフェならハードルは低い。
公爵も、制服があるマルセルはいいとして、平民女子のレネの事情を鑑みて場所をカフェにしてくれたのだと推察する。
ソニー同伴というのが気に掛かるが、レネは心が浮き足立つのを認めざるを得なかった。
その証拠にその夜はあまり眠れなかった。
次の日、部屋付きメイドのシモーヌにどんな格好をしていけばいいか一応相談してみたら、ホテルには冠婚葬祭に合わせて貸衣装があり、専門の係もいるというので連れて行ってもらった。
シチュエーションを聞いた担当の女性係員は何着か服を出してきて、シモーヌも手伝いを買ってでて、レネは人形のように取っ替え引っ替え着替えさせられた。
部屋に戻ってきた時にはぐったりとしてしまった。
「決まったのか?」
リビングにはマルセルがいて、あまりご機嫌がよろしくないようでぶっきらぼうに尋ねてきた。
「はい。着せ替え人形にさせられましたが、何とか決まりました」
シモーヌは思い出し笑いをしながら服とアクセサリーをベッドルームのクローゼットに運び、一礼して下がった。
ソニーはレネのベッドルームのサイドボードの上で昼寝をしている。
「なんか、楽しそうだな」
「そ、そんなことないですよ」
浮かれているように見えるだろうか、とレネは顔を引き締めた。
「相手は公爵だぞ」
マルセルの釘は思ったより深いところに刺さった。
「わかってます」
どんなに好みのど真ん中でも、叶わない相手だってことくらい。
「私は孤児で平民ですから、公爵様と口をきくことも本当は憚られるんでしょうけど」
でも、憧憬を抱くくらいはいいじゃないかと思う。
せっかく誘いをかけてくれた憧れの人に会う時に、礼儀知らずと思われたくないからきちんとした格好をしたいと思うのはいけないのだろうか。
「すまん。俺が悪かった」
レネは頭を振った。
浮かれていたのは事実だ。リュシアンはまだ不自由な思いをしているのに。
少し頭を冷やそうとレネはベッドルームへ向かった。
♧
レネを傷つけた。
公爵からお誘いの手紙が来てから、気持ちが浮ついているのを見て、マルセルの機嫌はどんどん斜めになっていった。
自分が眼中にないのはわかっている。
だが一目惚れを目の当たりにし、しかもデート(マルセルの中ではこういう位置付け)に付き合わされるこっちの身にもなれ、とそんな心中をまったく察しないレネに苛立ちを感じていた。
ちょっとクールダウンさせるための釘だったのだが、嫉妬が混じったせいか嫌な角度で彼女に刺さってしまった。
そんなつもりではなかったと言って釘を抜いても、釘の痕は残る。
「……で、何で手続きまでしてこんな所で落ち込んでんだ」
足元の冷える最上階の留置所で、椅子に座って膝に肘を載せたままがっくりと項垂れているマルセルに、リュシアンは何度目かの溜息をついた。
マルセルはデルヴォーに面会の許可をもらい、看守にも心付けのクッキーを差し入れまでしてリュシアンに愚痴を言いに来てている。
「悪いと思うなら、早く謝ってこい」
「……合わせる顔がない」
気まずいのはわかるが、ここにいても解決はしないとリュシアンは思うが、こんなに落ち込んでいるのにそれを言うのは酷というものだ。
「あいつが出自を気にしているのは知っていたんだ。一番触れられたくないってことも。それなのに……そんなつもりはなかったんだが……」
結果的に最悪の痕を残してしまったのだ。
「まあ、君の気持ちもわかる。好きな女性が他の男と会うためにおめかししているなんて面白くないのは当然だ。嫌味の一つも言いたくなるさ」
意外にも同情を示したので、マルセルは顔を上げてリュシアンを見た。
端正な横顔は憂いを滲ませ、青い瞳は長いまつ毛で影を落としている。
「まさかソワニエ公爵が恋敵になるなんてな」
恋愛面では入れ食い状態であろう美男が、自分の倍くらい歳の差のある男に敵対心を抱いている。
「地位も名誉もあるお方だ」
十年前に急逝した前国王に代わり現国王が就いたが、その時はまだ二十歳と若かったために周囲から心配する声も湧き上がっていた。それを前国王弟であるソワニエ公爵が陰日向に支えて、去年、周年記念行事を迎えることができた。
若輩者にはないもの、経験と実績を持っている。これは歳月を経ない限り持ち合わせないものだ。
「おまけに随分前に妻女を亡くして男やもめだ。遊び放題しても誰も咎める者はない」
レネにとって好みの男性であり、普段ならあるはずの様々な障壁がない、理想の相手なのだ。
「強敵だな」
マルセルも思わず眉を寄せて呟いた。
美貌に勝るリュシアンよりも更に難敵だ。
「こんなところで凹んでいる場合ではないと思う。僕はここから出られないが、君は負け試合でも完全試合にさせないためにできることがある」
「なんだか、名監督みたいだな」
何言ってんだとばかりにリュシアンは変なものを見る目でマルセルを見てきた。
「まあ、でも少し復活した」
話を聞いてもらったお陰だと思う。
共感できる人がいるだけで、弱いところを見せられる人がいるだけで、もやもやに底ができてそこから軸ができるような気がする。
「ありがとう、リュシアン」
「僕の分まで、是非健闘してくれ」
マルセルは立ち上がって背筋を伸ばし、留置所を後にした。