受付
日が傾いてきたので、レネはホテルに戻るべく大通りに足を向けた。
フロントに鍵を預けていたので声を掛けたら、もうマルセルが帰ってきているというのでそのまま部屋に向かった。
ロビーの隅に行くと昇降機があり、側に立っている係員に部屋番号のカードを見せるとシャッターを開けてくれた。
鉄製の籠に乗るとそのまま三階まで運んでくれる。
三階に着くと昇降機係がそこにもいるので、シャッターを開けてくれるのを待ってから籠を降りる。
部屋のドアをノックすると、マルセルが開けてくれた。
「おかえり、レネ」
「ただいま戻りました」
部屋にはメイドのシモーヌはいなかった。
聞けば、マルセルが下がらせたとのことだった。
何かあったら呼ぶようにするので、それまでは放っておいて構わないと支配人にも連絡したという。
貴族や有産階級だったら、他人に手伝ってもらうのは日常のなのだろう。
それによって雇用が創出されるという側面もある。
だがレネもマルセルも、人の手を煩わせなくてもお茶を淹れたり着替えたりはできる。
慣れてないので他人がいると気になってしまうというのは、レネにもわかる心情だった。
誰か代わりにやってくれないかなと思うことはたまにはあるが、四六時中側に居られるのも気詰まりに感じる。
やはり平民だからだろうか。
「でもソニーがいるから、調度は少し片付けてもらった」
見回してみると、花が活けてあった花瓶や、ガラス細工の置物がなくなってすっきりしている。
ケージからソニーを出すと、狭い所に長いこと押し込められていた反動でリビングルームを駆け回る。
壊す物が少なくなったお陰で、昨日よりは安心していられた。
「お茶、淹れるか?」
「ううん、カフェで散々飲んだから」
カフェで長居をしてしまったので、何度かお代わりしていたら渋で口の中がざらざらになってしまったのだ。
「そんなに何してたんだ」
「新聞読んでたんです」
カフェには新聞や雑誌が置いてあって読み放題なので、今日の新聞を読破した。
脱獄のことやリュシアンのことが記事になっていないか調べていたのだ。
だが、なんの成果もなかった。
「そうか。でも多分、表沙汰にはならないだろうな」
「どうしてですか。あんなに大騒ぎだったのに」
「田舎で起きた事件だし、解決したからな」
そういうものだよ、とマルセルは手をひらひらさせた。
何だか適当にあしらわれているように感じるが、疲れているので追求するのはやめた。
「そうだ、明日レネにも騎士団本部で事情聴取したいそうなんだが、都合、大丈夫か?」
都合も何も、騎士団からの要請なのだから拒否できるものではないのでは、と思ったがさすがに口にするのは憚った。
時間と場所を聞いてからレネは了承した。
ソニーがストレス発散したのか、リビングに戻ってきてレネの膝の上に丸くなる。
「リュシアンは騎士団の留置所にいる。でも、面会はできないと思う」
家族も断っている手前、他人を会わせる訳にはいかないからだそうだ。
もっともな対応だが、やはり元気でいるかどうか確かめたい気持ちもある。
家族との確執はリュシアンから聞いてレネも知っているので、そこから距離を置けるのはいいかもしれないが、その他のものからも遠ざけられているのではないだろうか。
一人寂しく不自由な日々で、心も体も均衡を崩していないだろうか。
「差し入れとかもだめなんですか?」
「そうだな。明日、聞いてみよう」
聴取のついでに、とマルセルは顎をさすった。
ノックがあり、シモーヌが夕食をどうするか尋ねてきた。
ホテルにはレストランもあるが、そんなところに食べに行くような服を持ち合わせていないので部屋に運んでもらうようにした。
翌朝、支度を整えて再び王宮殿へ出向いた。
城門の所でやはり止められたが、引き継ぎがされていたのか、許可証を予め出していたのもあり今回はすぐに通された。
マルセルの先導で騎士団本部に入り受付を済ませて待っていると、ほとんど間を置かずに眼鏡を掛けたいかにも役人という風体の男性が現れた。
マルセルとは敬礼を交わしレネはお辞儀をした。彼はメルテンスと名乗った。
「それは?」
レネの持っているケージを目で指し示す。
「ソニーという魔獣です」
ホテルに預ける訳にもいかないので連れてきたのだ。
「彼女の聴取の間は私が預かります」
マルセルが申し出たが、もしだめなら魔術庁で預かってもらおうと考えている。
きっとヴィリエなら喜んで引き受けてくれるだろう。
「騎士団本部ですので、獣類の持ち込みは原則禁止なんだが……」
ソニーが格子窓から鼻を出して様子を見た。
メルテンスも窓に顔を合わせて覗き込む。
「見てみますか?」
毒性のほとんどない魔獣だと説明したら、確認のためだと言ってメルテンスは頷いた。
施錠を解くとソニーはケージの上蓋から頭と前足だけを出し、新顔の男性を見上げる。
「……可愛い」
メルテンスからぽつりと溢れた。
「さ、触ってもいいかな?」
「ええ。どうぞ」
拳をソニーに近づけると、ソニーはくんくんと匂いを嗅いでケージから出た。
レネの腕を伝って肩に登り、メルテンスを見る。それからぽんと跳躍してメルテンスに飛び移った。
彼の腕に抱き抱えられて気に入ったのか、尻尾をゆらゆらと揺らす。
首や胴体の緩やかなうねりのある金色の毛並みを撫でて、メルテンスも悪い気はしない様子だ。
「メルテンスさん、そろそろ時間が」
マルセルが声を掛けて、はっとしたように背筋と顔を引き締めた。
「まあ、ガラン君が責任を持って預かるというなら、許可しましょう」
咳払いを一つして威厳を示そうとするが、ソニーを撫でているままなのであまり効果はない。
それにしても、あれだけ謹厳そうな役人風体のメルテンスをも骨抜きにするソニーの魅力に、正直空恐ろしくも感じるレネとマルセルだった。