商品化
訪問客があったのは次の日だった。
事務室で製図作業をしているレネに、客だとマルセルが知らせに来た。
玄関に行くと、フーケと見知らぬ男性がいた。
「こんにちは、フーケさん」
「こんにちは、セローさん。連絡もなく訪ねてしまいましてすみません。お忙しかった?」
「いいえ。ちょうど休憩しようと思っていたところです」
忙しいといえば忙しいが、わざわざ隣町からフーケが久しぶりに訪ねて来てくれたのだから無碍にはできない。
「前にご注文いただいたカーテン用の布が入荷したので届けに来たんです」
レネもそこで思い出した。
フーケの生地屋を訪れた時にはまだリュシアンがいた。
東側のカーテンが日に焼けて朝日が眩しいと言うので、それなら広間のカーテンを全部取り替えようと予算を立てて、本部からも承認をもらっていたのだ。
フーケの隣の男性が玄関の向こうにいる人に声を掛けると、お仕着せを着た少年がムゼラス織りの生地を運んできてくれた。
羊毛の混じる厚手の生地は重いので、正直なところ届けにきてくれてありがたい。
「レネ、せっかく来てくださったんだから、中へお通ししたらどうだ」
奥で控えていたマルセルが口添えしたので、レネは慌てて足湯を案内した。
フーケは以前もここに来たことがあり足湯もよく知っているので、ふっくらした頬が横に広がるくらいいい笑顔になった。
「足湯、気持ちいいのよね」
隣の男性にも彼女が入り方を教えてくれたので、タオルだけを置いてレネ達はお茶の用意をした。
「お待たせしました。足湯、ありがとうございました」
しばらくしてから応接室に入ってきた二人は全身が温まったと言って、顔を上気させている。
マルセルはお茶を出すと応接室を辞した。
遅れてごめんなさい、と言ってフーケは隣の男性をレネに紹介した。
「彼はマルク・フェルトゲンさんです」
「はじめまして。セローさんの噂は彼女から聞いております」
男性は感じの良い笑みを浮かべてレネに挨拶した。
四十代前半くらいで名前や顔付きから北部出身の有産階級と思われる。着ている服も装飾品もさり気なく高級品で、佇まいにも品がある。
「実は、これのことなんだけど」
フーケがスカートのポケットから取り出したのは、赤花熊と名付けた赤い花柄の熊のストラップだった。
「あ、これ……どうしてフーケさんが?」
「先だっての脱獄囚の事件の時に、私もスパに駆けつけまして」
言葉を繋いだのはフェルトゲンだった。
サン・ピエール教会の早鐘はティユーの町にも届き、フェルトゲンも馬を駆ってルヴロワに来た。
町中で会った消防団員の青年にこのストラップのことを聞いて、一つ分けてもらったという。
「この生地、うちで取り扱っていたものよね。だから見覚えあったみたいで」
フーケの店の取り扱い商品を知っているということは、フェルトゲンは服飾関係の仕事をしているのだろうか。
「機能を聞いて、防犯用品として画期的だと思いました」
そこでなんですが、とフェルトゲンは両手を組んでテーブルの上に載せた。
「これを商品化しませんか」
「え⁈」
突然のことに、言葉はそれしか出なかった。
「実は、ティユーの町からもハイキングコースを整備しようという計画がありまして、今結界や魔獣除け対策など協議しているところなんです。そうすれば魔獣は寄ってこないかもしれませんが、野生動物まで対応しきれないので苦慮していたのです」
結界や魔獣除けは魔術庁に請願すれば然るべき審査後に技術部門の部署が施工術する。
だが野生動物は範疇外になるので、熊や猪、狼などの対応ができない。
「害獣は大きな音に敏感と聞いています。これは熊の鳴き声を模しているそうですが、ある程度有効なのではないかと思いまして。それに音だけではなく、水や光、煙も出す仕様もあるそうですね」
青花熊、黄花熊、格子熊の機能も調べている。
音プラスアルファで害獣が怯んでいる隙に逃げ出すことができるかもしれないし、撃退することもできるかもしれない。
フェルトゲンが熱弁を振るうので、若干飲まれそうになりレネが冷めた紅茶を口にして喉を潤した時に、お茶請けのフロランタンをマルセルが持ってきた。
一人では対処できそうにないので、ちょうどいいのでマルセルにも話に加わってもらった。
「はあ、あの熊を、ですか?」
話を聞いたマルセルは、ストラップの効果は実感しているが、対害獣用の防犯性能に訝しんでいるようで口の端を下げる。
もちろん、商品化するにあたって改良を重ねていく必要があり、レネにもそこに参画してほしいとフェルトゲンは言う。
「だけどこれって、服務規程に抵触するんじゃないか?」
魔術庁所属の魔術師であるレネは公務員である。
副業は服務規程に抵触どころか、違反だ。
「あ、そうか」
うまい話に乗せられて舞い上がっていたが、そもそも受けることができない案件だった。
「魔術庁ってそんなに厳しいの?」
「なるほど。魔術の使用許諾なども関係してきますからね」
フーケは大変ねえと同情を込めた眼差しを寄越し、フェルトゲンは腕を組んで唸った。
「失礼ですが、フェルトゲンさんは何のお仕事をしていらっしゃるのですか」
生地のことに詳しかったから服飾関係の人かと思ったが、ハイキングコースの整備などに携わり防犯用品に興味を示している。
新しい事業を開拓しようとしているのかもしれないが、フーケの紹介でも名前しか聞かされていない。
「ん? フェルトゲン? もしかして、F&Aホテルの代表の……?」
レネより先にマルセルがその名前に思い当たった。
F&Aホテルはレネでも知っている、王都に本店のある高級ホテルだ。
ティユーの町に最初にリゾートホテルを建てて、町づくりにも精力的に加わっている新進の会社だ。
「そう。そのフェルトゲンさんよ」
フーケはにっこり笑うが、度肝を抜かれたレネとマルセルは開いた口が塞がらなかった。