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お別れ

 訪いを告げる声はクラネのものだった。

 いつものようにマルセルが出て行って対応する。


 ドアを開けると、クラネもその後ろにいる騎士隊も、うっと鼻を塞ぐ。


 事務所内の暖かい空気が外気との温度差で流れ出したのだ。それと共に充満していた異臭までも。


「やあ、ガラン君。昨夜はお疲れ様」

「こちらこそ。お疲れ様でした、クラネさん」


 来訪の目的や来訪者も、事前に鏡通信を通して知らされていた。


 寒いので取り敢えず中へと勧めたが、騎士隊の面々は一様に顔を顰める。

 そして案の定、玄関はにんにくを食べた後の強烈な残り香が漂っていた。


「リュシアン・スミュール殿はいらっしゃるでしょうか」

 騎士隊の年嵩の男が尋ねると、奥からリュシアンが出てきた。


「僕がスミュールです」

 名乗りを挙げた美貌の男性に、にんにくの残り香を漂わせているにも関わらず、騎士隊員ははっと目を瞠る。だが、臭いに飲まれてすぐに冷める。


 年嵩の男性が第三騎士団所属の騎士隊であることを名乗り、騎士団の礼を交わした。

 その後で、この度の囚人脱走の件で事情聴取を要請すると告げた。


「承知しました。取り調べはどこで?」

「できましたら、騎士団駐屯所まで出頭願います」

 リュシアンは了承して、もう荷物もまとめてあるのでいつでも行けると伝えた。



 騎士隊の馬車にトランクケースを積み込み、忘れ物はないかとクラネが尋ねた。

「はい。クラネ殿にも色々ご助力いただき、ありがとうございました」

 リュシアンとクラネは握手を交わした。


「これ、腹減った時に」

 マルセルはバスケットを渡した。リュシアンが蓋を開けると、カヌレとフィナンシェが入っている。

 リュシアン用にバスケットの縁ぎりぎりまで詰めてある。


「ありがとう、マルセル。君の手料理は本当に美味しかったよ。お陰で回復も早くなった」

 バスケットを騎士隊員に預け、リュシアンとマルセルは抱擁を交わし、背中を叩き合った。


「リュ……スミュール様、どうぞお気をつけて」

「レネ」

 リュシアンが腕を広げたので、レネは首に腕を回した。

「ここの滞在は本当に楽しかったよ。君がいたからね」

 勘違いしてしまいそうな台詞を言われて、レネの頬が赤みを帯びる。


 抱擁を解いた後も、リュシアンは腰を屈めてレネの顔の高さに合わせる。

「お別れのキスはしてくれないの?」

 催促されて更に顔に血が上る。

 恥ずかしいやらどきどきするやらだったが、リュシアンをそのままの体勢にさせておく訳にはいかないので、頬と頬を合わせて口でちゅっと音を立てる。反対側も同様に。


「きゅう」

 レネの体を伝って、ソニーがリュシアンの肩に登ってきた。


 お別れを察知したのか、鼻面を首や頬に擦りつける。

「うわっ、お前、くすぐったいぞ」

 ソニーの毛は、毎日二番源泉の湯を使ったレネ特製のブラッシング液で梳かされているのでふわふわで柔らかく艶もあり、貴婦人のチークブラシのようだ。


 レネの感触を上書きされてしまう程、熱烈なお別れの挨拶だった。


「すっかり懐かれましたな」

 クラネは微笑み、騎士隊の面々も朗らかに笑った。


「いい気味だ」

 その中でぼそりと皮肉を言ったのはマルセルだった。


「ほら、もうその辺にしときなさい」

 レネはまとわりつくソニーを引き剥がし、リュシアンのマントについた毛を払った。


「そろそろよろしいかな」

 騎士隊の隊長が頃合いを見計らって声を掛けた。


 リュシアンが馬車に乗り込み、窓から顔を出して再度レネ達にお礼を言った。


 馬車は走り出し、レネ達は車影が見えなくなるまで見送った。



   ♧

 脱獄囚は第三騎士団によって、レグリース監獄へと戻された。

 元々ある量刑に今回の脱獄や立て籠りも加わって、科料されるだろう。


 リュシアンは駐屯所で事情聴取されてから、そのまま王都へ移送された。


 脱獄囚との関わりがないことを証明するだけなら駐屯所で済むはずだ。

 だが、王都の騎士団本部へと移されて更に審議されるようだと、クラネから聞かされた。


 クラネはああ見えて、顔が広いので色々な噂話が彼の元に集まる。


 今回も、事件で知り合った騎士隊の隊長から聞いたとのことだった。



「レネ、飯だ」

 夕飯の支度ができたことを知らせにマルセルが事務室に顔を出した。


 レネは机の上の書類を片してランプを消した。


 ダイニングに並んだ献立を見て、がっくり頭を下げた。

「またフリカッセですかあ」

 朝昼と同じ献立が続いたので、さすがにうんざりする。

「すまん。これで最後だ。次からは気をつける」


 リュシアンがここを去ってから一週間経った。


 レネは書類仕事を集中して片付けるために事務所に泊まり込み、マルセルに毎食の料理をお願いしている。

 が、リュシアンがいた時の癖がなかなか抜けないようでいつも作り過ぎる。


 もったいないし美味しいので食べるが、口が味を覚えてしまっているので、どうしても新鮮味がなくなる。

 贅沢な悩みだとわかっているのだが、どうしようもない。


「どうだ、仕事は捗っているか?」

 マッシュルームを咀嚼してマルセルはレネを見た。

「はい。稟議書は提出できました。もう少しです」


「俺も休暇申請が下りた。王都行きの馬車も時間を調べてある」

「クラネさんもこの間の代休はいつでもいいっておっしゃってましたので、合わせられると思います」


 レネとマルセルは王都へ向かうために仕事の調整をしている。


 リュシアンに会いに行くためだ。

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