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困惑

 リュシアンはまだ起きているかと聞かれたので、鏡を彼に向けて映してみせた。


 クラネが二人に聞いてほしいというので、長椅子に移動して入口の脇にあるランプを置く丸テーブルを持ってきて鏡を置いた。


 そこで件の脱獄囚がスパに現れたことを聞いた。


 レネの作った熊のストラップが役に立ったことを聞いて、昨日までの努力が無駄にならなくて良かったと思うのと同時に、有用性を軽視したリュシアンとマルセルの鼻を明かせたので溜飲を下げた。


 リュシアンはごめんと隣で謝り、マルセルも済まなかったと鏡の向こうで頭を下げた。


「それで、その捕まった脱獄囚のことなんですが、スミュール様も手配書はご覧になっていますよね?」

「ああ」

「ご存知の方ではありませんか?」

 手配書は事務室にもあるので、レネが持ってきた。


 名前 : ダニエル・モラン(三十八歳)

 罪名 : 国家反逆罪


 似顔絵と特徴が書かれている。


 リュシアンはまじまじと見て熟考にたっぷり一分要したが、記憶にないという結論に至った。


「でも、何でそんなことを聞くんだ?」

「この男は立て籠った時に、スミュール様を呼ぶように要求していました」


 リュシアンもレネも言葉をなくし、次にクラネが問いかけるまで無音が続いた。


「……これから騎士隊に連絡を取ります。恐らく、明日には事情聴取があると思われます」

「そうか。でも事情も何も、本当にこの男のことは知らないのだが……」


 リュシアンの困惑もわかる。

 自分のまったく預かり知らぬところで騒動の渦中にいると知らされたのだ。

 この事態の大きさを考えれば、その胸中はいかばかりなものかと思われる。


「明日……もう今日か、騎士隊が来るのは夜が明けてからだろう。まだ時間があるから、もう寝ておけ」

 俺もこれから帰るからと、マルセルが忠告して通信は切れた。


 リュシアンは長椅子に座ったまま、少し考え事をするようにどこでもない所に青い目を据えていた。


 話し掛ける雰囲気ではなかったので、レネは鏡を事務机に戻した。


「後は私がやっておきますので、リュシアン様はお休みになってください」

 呼び掛けにはいや、と反応した。マルセルが帰ってくるまではここを守るのが仕事だから、と。


 だが、切長の瞳はどこかどんよりとしており、心ここに在らずだ。


 応接室のランプを消して、事務所内を巡回してくるというリュシアンをレネは呼び止めた。


「何かあったら、頼ってください」

 数日前、フーケに言われたことが蘇った。そして、それをリュシアンに伝えなければならないと思ったのだ。


「一人でできたとしても、無理をしてまでしたら自分にひびが入ってしまいます。だから頼ってください。頼りないですけど、私にできることも限られますけど、一人で考えてもどうにもならない時に声を掛けてください」

 その代わり、リュシアン様が余裕のある時に今度はお返ししてくださればいいだけですので、と一息に言った。


 リュシアンは目を丸くして聞いていたが、ふっと頬を緩めてレネの手を取った。


「ありがとう、レネ。でもこれ以上だと襲っちゃいそうだ」


 不穏な言葉に体がびくっと震えると、リュシアンは眉を下げて笑った。


「冗談だよ。こっちはいいから。おやすみ、レネ」

 そう言って上半身を折り曲げ、手の甲に唇を寄せた。


 何だかレディ扱いされたようで顔が赤くなるレネを置いて、リュシアンは事務室を出た。



 セットしておいた熊のからくり時計が七時を告げ、その音で目が覚めた。


 マルセルが帰ってくるまで起きていようと思ったが、寝間着に着替えて布団の中で本を読んでいたらいつの間にか寝てしまったらしい。


 バターの焦げる匂いがするので、マルセルはちゃんと帰ったきてもう仕事を始めている。

 

 急いで身支度を整えてから布団を畳んで、ファイルとローブを持ってから事務室を出た。


「おはようございます、マルセルさん。昨夜はお疲れ様でした」

「おはよう、レネ。お前、ちゃんと歯磨いたか?」

「磨きましたよ。でも、臭いのはお互い様ですよ」

 台所はバターの焦げる匂いの他に、にんにくを食べた後の強烈な臭いが充満している。


 昨日の夕食の置き土産であるので、条件は同じなので睨み合っていても仕方ない。

 二人は摘んでいる鼻から指を離した。


 夜の事件のことを尋ねたかったのだが、泉質管理の時間がきているので台所を出ていった。


 一仕事終えて事務所に戻ると、リュシアンも起きていた。

「おはよう、レネ」

「おはようございます、リュシアン様」

「臭う?」

「はい。でもお互い様ですよ」

 挨拶の後に鼻を摘んでいた指を同時に離した。


 リュシアンは前日と変わらぬ様子だったので少しほっとした。


 それどころか、夜よりさっぱりしているようで、レネに向ける微笑みは朝日よりも眩しい。


 全開にしていたダイニングルームの窓を閉めると、マルセルがトレイいっぱいに皿を載せて入ってきた。


 ベーコンエッグとサラダ、焼き立てパンのいつもの朝食に、今朝は牛乳がついている。

 にんにく臭対策だ。


「きゅう」

 ソニーも起きてきて、出窓に飛び乗る。


 食事が始まると、マルセルは夜の出来事を聞かせてくれた。


 怪我人もほとんどなく、人質の女の子も無事だったというのでレネはひとまず安堵した。


「多分、騎士隊は今日にでも来るだろう。リュシアンも事情聴取があるはずだ」


 預かり知らぬことだと言っていたが、それを証明するためにも必要なことだとマルセルは言った。


 リュシアンは頷き、フォークを置いて二人を見た。


「事情聴取が終わったら、多分僕は王都に連行されるだろう。今まで色々ありがとう」

 突然そう言って微笑みを浮かべたが、先程とは違い少しも嬉しそうではなかった。

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