お戯れ
後でちゃんと言い訳をしなくてはならなくなった。
何だか最近誤解を受けるようなことばかり続いている気がする。
レネは頭を上げてリュシアンを見た。
「あの、もう大丈夫です。お腹いっぱいです」
それ以上に、いろんなものがいっぱいいっぱいだ。
「本当に? 背中、とんとんしようか?」
リュシアンは0歳児のお世話もしていたと思われる。
だが、レネは消化器系が確立されている大人なので、げっぷしなくても寝た時に吐き戻したりしない。
「大丈夫です。赤ちゃんじゃありません」
リュシアンはレネの肩に額をつけてくすくす笑う。
どうやらこの食事自体、彼の茶番のようだ。揶揄われていたらしい。
貴族のお戯れなのだろう。美形なだけに心臓に良くない。
「……ソニーの首のリボン、レネがあげたの?」
笑いが収まってからリュシアンが尋ねてきたので、頷いて答えた。
「いいなあ。僕も何か欲しい」
「熊のストラップ……」
防犯機能の付いた渾身の力作だ。
「みんなと同じのじゃなくて、僕だけのが欲しい」
そういえば、可愛すぎてもったいないからもらえないと遠回しに一度断られたのだった。それ以上推すことはできなかった。
鞄を持ってくるようにお願いすると、ようやく体が離れた。
嫌なのではないが、異性にあんな風に接触されたことがないので、どきどきしてしまうのだ。
ましてやリュシアンは眩むような美貌の持ち主だ。
しかも顔は優雅なのに、体つきは騎士というだけあってがっしりして筋肉が発達している。
体を支えてくれた腕も背中に当たった胸も硬く筋肉質だった。
女性なら老いも若きも、いや男性でもときめいてしまうだろう。
鞄を持ってきたリュシアンは長椅子の隣に座ったので、少し距離ができてほっとする。
レネは鞄を探り、紙の平袋を出してそのまま渡す。
「この前のハンカチはもう使えませんし、魔獣除けがあるとソニーがよってこられませんので」
リュシアンが袋を開けると、白いハンカチと包帯が出てきた。
「ハンカチは安全祈願で、包帯は傷病平癒と厄除けの魔術を施してあります」
リュシアンはその二つを見つめたまま動かない。お気に召さなかったのだろうかと心配になる程だった。
「ありがとう、レネ。大事に使う」
少ししてから捻り出すように言葉を口にした。
「自分のことばかりですみません。リュシアン様はお怪我の具合はいかがですか」
今日抜糸したという。傷も塞がりかけているので、後はリハビリだという。
「君達のお陰だ」
「とんでもないです」
日常生活のお手伝いすることはできても、治すことはできない。回復が早いのはリュシアンの基礎体力の賜物だ。
「ここに来て良かったよ。君達は大変だったかもしれないけど」
リュシアンは腕を伸ばしてレネの首元に触れた。
「怖かっただろう。本当にごめん」
レネはリュシアンの手を取り、両手で握った。
「あれはもうお互い様になりました」
怪我の癒えない発熱中のリュシアンに馬乗りになって首を絞めたので帳消しになったはずだ。
ぽんぽんと手を撫でる。
あざも消えたし、彼が引け目を感じる必要はもうないのだ。
「いい奴だな、レネ」
リュシアンの頬から目元にかけてほんのりと朱が差す。それが青い瞳と相まって妙に色っぽい。
恋愛対象の範囲外ではあるが、レネも思わず見惚れた。
ばたんとドアがノックもなしに開いた。
「ただいま、レネ、リュシアン」
医者を送っていったマルセルがいつの間にか帰ってきていた。
「あ、すまんなあ。シチュー食べ終わったんでスパへ戻ろうと思ってだなあ……」
クラネもそこにいた。
二人してドアの前にいつからいたのだろうか。
聞かれて困るような話ではないが、何となくどぎまぎしてしまう。
「じゃあな、セロー。私は帰るが、念のために今日はここに泊まる方がいいんじゃないか? アパートの大家さんには私の方から話しておくよ」
不穏な空気がドアから流れ込み、クラネは何かを感じ取って暇を告げた。
「ありがとうございました、クラネさん」
「いやいや、こちらこそ。じゃあな」
手をひらひら振って帰ってしまった。
「きゅう」
金色の毛玉が走り込んできて、レネの膝の上にぽんと乗る。
甘えるように手に擦り寄ってきて、鼻面を手首になすりつける。
「ふふっ、可愛い」
懐かれて悪い気はしないので、動くようになった手で首や耳元を撫でた。
♧
後少しでレネを抱きしめてしまいそうになったところでドアが開いた。
いいところを邪魔したのは案の定、マルセルだった。
抜け駆けしたとでも思ったのか、殺気がだだ漏れだ。
クラネもいたようだが、立ち聞きとは趣味が悪い。だが、それは自身でも承知しているのだろう、そそくさとスパへ帰還した。
別に抜け駆けした訳ではなく、レネとの距離を少しだけ縮めるのに成功しただけだ。
マルセルには悪いが、同じ職場ということで胡座をかいていたツケが回ってきただけなんじゃないかと、ちょっとだけ優越感に浸っていた。
だが、侵入してきた魔獣がそのふわふわした優越感の鼻っ柱をへし折った。
「ふふっ、可愛い」
レネの膝の上で撫で回されるソニーは、顔を擦り付けてレネにもっと撫でろと催促する。
挙句の果てに、膝の上に座り込んで気持ちよさそうに目を閉じた。
こいつ、と思った時、片目が開きどうだとばかりに煽り目を寄越す。
リュシアンだけでなく、マルセルのこめかみにも血管が浮いた。