ストラップ
朝起きると、食卓にはカトラリーが三人分用意してある。
「おはよう、リュシアン。もうすぐ用意できる。顔洗ってきな」
パンを運んできたマルセルが挨拶してきた。
「おはよう、マルセル。今朝は誰か一緒なのか?」
「レネだ。あいつ、飯抜きで来たって言うから」
また徹夜したんだろうとぶつぶつ言いながら台所へ戻る。
今は泉質管理の時間なので泉質管理棟へ行っているようだ。
「きゅう」
ダイニングの出窓にはソニーがいた。おはようとでも挨拶してくれたのだろうか。
「おはよう。今日もレネのお出迎えしてきたのか?」
首元を撫でようとしたら紺碧色のリボンがあった。
「レネにもらったのか。いいなあ、お前」
羨ましくてちょっと悔しいから全身わしゃわしゃ撫で回した。ソニーもされるがままになっている。
小憎いもふもふに癒されて顔を洗いに行って戻ると、すでにテーブルには朝食が揃っており、食欲を刺激するいい匂いが部屋に充満していた。
「あれ、レネはまだなのか」
置き時計を見ると八時半は過ぎている。いつもならこの時間はもう終わって朝食を食べているリュシアン達に挨拶しに来る頃だ。
「まさか腹減りすぎて管理棟で行き倒れてんのかな。悪いが、見てきてもらえるか」
マルセルに言われて出入口に体を向けた時にレネが現れた。
「おはよう、レネ。大丈夫か?」
「準備できてるぞ。早く手洗ってこい」
「……うん。あのね……」
そう言うとレネは体をぐらりと揺らす。
体を支えようとしたが、右腕だけではゆっくり腰を下ろしてやることしかできず、一緒に床に座り込んだ。
マルセルが髪を掻き上げて彼女の様子を見ると、顔色が失せている。
「すみません、ま、魔力、切れかも……」
語尾が掠れてほとんど聞き取れなかった。レネはがくりと頭を下げて気を失った。
マルセルはレネの体を両腕に抱き上げ、ダイニングを出た。
♧
びくっと体が揺れたような気がして、レネは目を覚ました。
「あ、起きた」
ぼんやりした視界が徐々に鮮明になり、金色の髪と青い瞳の左右対称の美しい顔が見えた。
「きゅう」
そして、金色の毛並みに大きな紺碧の瞳の小さな獣も。
「……なんか、似てる」
色合いが、という意味で。
「おい、大丈夫か? 頭打ってなかったよなあ」
マルセルの太い眉がまた中央に寄っている。
体を起こそうとするが指先と頭がわずかに動くくらいで、他はぴくりともしない。
昨日徹夜でグッズ製作をして、ここへ来て仕事もしたので魔力が尽きてしまったのだ。
経験からするとあと三時間はこのままだ。
見える範囲で確認すると、事務室の長椅子の上に横たえられて毛布と枕を押し入れから出して充てがわれているようだ。
「気分はどうだ」
「すみません、マルセルさん。起き上がれませんが、大丈夫です」
意識は取り戻したので、あとは時間の問題だ。十一時の泉質管理に間に合うといいのだが。
マルセルもレネの魔力切れはこれが初めてではないので、回復待ちなのをよく知っているからか、ふんっと鼻で溜息をついた。
「今日はリュシアンの回診の日で良かったな。クラネさんと医者も来るから、ついでに診てもらえ」
「大丈夫なのか? 何か食べて魔力の足しになるような物とかがあるといいんだが」
食べ物で補充することはできないし、あっても起き上がることができないので、ある程度回復するまでどうにもできない。
説明はマルセルがしてくれた。
リュシアンは心配そうな顔でレネの前髪をそっと横に流した。
「そうか。でも、何をしたらこんなになるんだ?」
「防犯グッズを作っていたんです」
コート掛けに吊るしてある鞄を待ってきてくれるかと頼んだ。
「中にある紙袋を開けてみてください」
マルセルが鞄から紙袋を出して、中身を見てから何だこれと一つつまみ上げた。
白地に赤い花のプリントされている布で作った掌サイズの熊のぬいぐるみのストラップだ。
鼻から口は生地を縫い合わせて立体的になっており、目は飾りボタンだ。
ぷっくりとした下っ腹はおへその位置に魔術図形の刺繍がある。
「これが、防犯になるのか?」
マルセルから受け取ったそれをまじまじと見てリュシアンが呟く。
一見すると、子供のおもちゃのようなので、どこに防犯の要素があるのかわからない。
「お腹の刺繍を押してみてください」
リュシアンが言われた通りにすると、下顎がぱかっと開き、熊の咆哮が大音量で響き渡った。
あまりの音の大きさに、マルセルは耳を塞ぎリュシアンは驚いてストラップを手放して音は止んだ。ソニーは部屋を出て行ってしまった。
「お腹を押すと、熊の叫び声が出るようにしました」
叫んでいる間は熊の鼻に皺も寄るように魔術を施しており写実性も加味した。
「細部にまでこだわるから、魔力不足になるんだよ」
仕事に支障が出るようにまでこだわるな、とマルセルは呆れ顔だ。
「でもこれ、すごいな。あはは」
そう言ってリュシアンはけたけた笑い出した。
ソニーは様子を伺うように入口から顔半分覗き込んでいる。
「脱獄囚がうろついているみたいだから、これなら見た目も可愛いし、子供も嫌がらないで持ち歩いてくれるかなって思ったんです」
紙袋の中にはまだいっぱい入っている。
お一つずつどうぞと勧めたのだが、可愛すぎてもったいないからもらえないと遠回しに断られた。
「でも、ちょうどいいんじゃないか」
リュシアンは毛布を捲り上げて、レネの手に熊のストラップを握らせた。
「何かあったらこれで呼べばいいよ」
そう言って、安心して朝食を食べに行ってしまった。