ソニー
もしもの時のために、赤紙と呼ばれる冒険者ギルド宛の緊急通信用の便箋がある。
レネは魔獣の特徴等を書き記して折り畳み、文言を唱えるとほのかに赤い光を放ってぽうっと消えた。
事務室を出て応接室へ行くと、テーブルを挟んでマルセルとリュシアンが向かい合って座っており、図鑑や博物誌を読んでいる。
出窓には物置から出してきた鳥籠がある。
その中には保護した魔獣を入れている。
尋ねたら、まだ一度も目を覚ましていないという。
レネは窓辺に寄り、魔獣の様子を伺い見た。
少しうねりのある金色の体毛だが、細い足先と大きな耳の先だけは白く、ふさふさの大きな尻尾は体長と同じくらい長い。
目は閉じられているが、ぱっと見ると子犬か狐のような顔立ちだ。
「あ、あった。これだ」
リュシアンは読んでいた魔獣図鑑をマルセルとレネに向けて見せた。
「『ソニー』?」
「小型の魔獣か。じゃあ、あれで成獣なのか」
三人の視線は出窓に向かった。
「毒素をほとんど持たない魔獣種だって。人を襲うことも滅多にないみたい」
「成獣になると群れを成さずに単独で行動する、だって」
「ギレンフェルド国ではその愛くるしい見た目から、縁起物扱いされているらしい」
レネとマルセル、リュシアンは図鑑を読んでへえ〜と唸る。
ギレンフェルド国はバルギアム国の南東隣の国で、ルヴロワを含めたこの地方は、ギレンフェルド国と国境を接している。
北東のレーゼルラント国よりは交流があり、交易のためにギレンフェルド国の言葉を教える塾もある。
マルセルが口元に人差し指をつけた。
その合図でレネとリュシアンが口を閉ざすと、馬の蹄の音が近づいてくる。
「冒険者ギルドが来たようだ」
「リュシアン様、取り敢えず事務室へ。お呼びするまで鍵を掛けてください」
リュシアンの存在を冒険者ギルドに知られる訳にはいかないので、鍵のない広間より事務室にいてもらうことにした。
冒険者ギルドから派遣されてきたのは、黒髪のエレナと南の大陸から来たディディエの二人の冒険者だった。
毎年グラン・フリブールの森の遠征に参加する二人は、マルセルが出迎えると勝手知ったる様子で玄関脇の足湯場に入る。
「いやあ、ここはいつ来てもあったかいね」
「本当、足だけ入っても体全体温まるよ」
いい顔をして出てきた二人を応接室へ通し、早速出窓の魔獣を見てもらった。
「ソニーに間違いないわね」
エレナはディディエを仰ぎ見ると、彼も頷く。
「全然動かないな。見たところ外傷はないようだけど」
ディディエは鞄から皮手袋を出して鳥籠の扉を開けるから、レネに鳥籠に掛けている檻の魔術を解くように言う。
解術された鳥籠の扉を開けてソニーを出した。念の為にレネとマルセルは距離を取り、冒険者の二人がソニーの検査をするのを遠巻きに見ているしかなかった。
「毛並みに艶がないが、特に病気でもなさそだし、怪我もない」
ディディエはマルセルに水と残り物の食べ物を持ってくるように言いつけた。
縁のない浅く丸い皿に水、平皿にアッシェパルマンティエをよそって入ってくると、閉じていたソニーの目がぱちりと開き、垂れていた耳がぴんと立った。
初めて見る魔獣の大きな瞳は宝石のような紺碧だった。
鳥籠をどけて出窓に皿を置きディディエがソニーを下すと、ぐったりしていた体がすっと立ち上がる。
「きゅう」
一声鳴いてから水を勢いよく飲んでいく。
それから隣の皿のアッシェパルマンティエをあっと言う間に平らげた。
「きゅう」
まだ食べ足りないとでもいうようにこちらを見る。
マルセルは急いで台所から角皿ごと持ってきた。
その様子を固唾を飲んで見つめている男女四人。
「やっぱり空腹で倒れていたんだな」
「え?」
ディディエの言葉にレネとマルセルは同時に言葉が出た。
「この時期、まだ野には食べられる物がないからな。町は結界があるし、食うに困って事務所の近くまで来たようだが、そこで行き倒れたようだな」
「行き倒れ……」
魔獣とはいえ、野生の生き物。厳しい冬を乗り越えたが、春先に力尽きることもあるそうだ。
何度かおかわりをして満足したのか、ソニーは腰を下ろして毛繕いを始めた。
エレナが出窓を開けると、ソニーは出て行ってしまった。
「行っちゃった」
可愛かったのでもう少しだけ見ていたかったが、野生の魔獣なのでこれでいいのだと言い聞かせる。
「ソニーは人畜無害といってもいい魔獣だ」
「ギレンフェルド国では、ソニーが住みつく家は幸運が訪れると言われている縁起物なんだよねえ」
ソニーはその体つきからは想像できないくらい大食らいなので、住み着くような家は人一人分くらい余分に提供できるような内証の豊かな家に限られるためにそう思われているらしい。
帰りに事務所とハイキングコースの結界の確認をするが、また来るようなことがあったら連絡してほしいと言って、ギルドの二人は暇を告げた。
事務室のリュシアンを呼びに行って事情を説明すると、元気になったならそれでいいのではと人騒がせな魔獣に眉を下げた。
そんなことをしていたら、サン・ピエール教会の正午を告げる鐘の音が響いてきた。
昼食用に作っておいたアッシェパルマンティエはソニーにほぼ食べられてしまったので、ラタトゥイユとパンとポテトサラダだけだとマルセルは言ったが、それでも充分ボリュームがあり、尚且つ美味しそうだ。
いただきますと声を揃えた時だった。
「きゅう」
鳴き声がしてダイニングの窓を開けると、またしてもソニーがいた。