6話 病魔と薬草 (前編)
食事の後始末を済ませ、二人は今後の方針について話し合う。
「サフィラス、この後はどこに行くの?」
「候補地は幾つかあるものの、特に行き先は決めていなくてね。リベラは、どのような風景を見たいだろうか」
「うーん……」
リベラは、これまでに読んだ絵本の記憶を辿っていく。世界中の特産品が集まる国、本で埋め尽くされた国、遊び尽くせないくらいの遊具に出迎えられる国。いずれも甲乙付け難い魅力があり、頭を抱えていると、サフィラスは苦笑する。
「すまない、少々難しい問い掛けだったね。ならば手始めに、最も近い国へ行こう」
「うん!」
リベラがまだ見ぬ景色に胸を膨らませていると、微かに地面が振動する。次第に揺れは激しさを増し、リベラはポシェットの紐を強く握る。
「わわっ……! じ、地震?」
「いや、これは――」
次いで聞こえた地を這うような低い咆哮に、サフィラスは腰に提げた剣に手を掛けた。
「――来る」
「グウォォァァ!!」
草木を薙ぎ倒し現れたのは、漆黒の毛を逆立てる大型の人食い魔獣だった。体長5mはあろう巨躯を豪快に揺さぶり、サフィラスらの前に立ちはだかると牙を剥く。
「リベラは下がって、樹の陰に隠れるんだ!」
「う、うん!」
サフィラスは剣を引き抜くと、真っ向から飛び込む。そして振り下ろされる爪を躱し、懐を滑り抜けながら、二本の後ろ足を斬りつけた。
「――グオオオオ!!」
次いで崩れ落ちる巨躯を跳ねるように数歩で駆け上り、その首元に跨がると、止めの一撃を突き刺す。
「グア、ァ……」
人食い魔獣が息絶えるのを確認すると、サフィラスは剣を一度振るい、鞘に納めた。そして何事も無かったかのように、樹の陰から顔を覗かせるリベラへと歩み寄る。
「怪我は無いかい?」
「う、うん」
「良かった。では、もう少しだけ待っていてくれるかな」
すると、サフィラスはローブの内側から極小の宝石を取り出し、亡骸に右手を翳す。
「――Luos.Akuod,Tsel」
その声に呼応するかのように、亡骸からは一つの白い光が現れる。そして宝石へと飛び込み、内部には揺らめく白い炎が灯った。
「待たせたね。 ……さて、これ以上厄介事に巻きこまれる前に、早急に此処から離れよう」
サフィラスは宝石をローブの内側に仕舞うと、戸惑うリベラの手を引く。
「――ま、待ってくれ!」
だがそれも、一足遅く。人食い魔獣が突進してきた道から、くたびれた服を纏った一人の少年が、息せき切って現れた。しかしサフィラスは、振り返ることなく足を進める。
「なあ! その力をオレに貸してくれ! 頼む、母さんを助けたいんだ!!」
「っ……ねえ、サフィラス。その――」
少年の悲痛な声に、リベラは立ち止まる。
「えっと……お話を聞くだけでも、駄目?」
リベラに手を握られると、サフィラスは短く溜息を吐く。
「……ああ言われてしまっては、放ってはおけないね」
「うん!」
サフィラスは繋がれた手を離すと、駆け寄ってきた黒髪の少年と向き合う。
「キミ、詳しく話を聞かせてくれるかい?」
「あ、ああ。実は――」
少年の抱える事情は、以下の内容だった。
«母親が奇病に罹患したのだが、村の医者からは、未知の病だと匙を投げられた。悲嘆に暮れていたところ、突然やって来た旅人が、白壺草なら治せると助言をくれた»のだと。
少年は「警戒したが、一か八かで試すしかなかった」と、最後に唇を噛み締めた。
「その旅人がくれた地図が、コレなんだ」
「……確かに、この近辺だね」
褪せた紙に描かれた赤い印は、眼前の渓流を指していた。サフィラスは周囲を見渡すと、少年に尋ねる。
「この植物の特徴は?」
「名前の通り、白い花びらが壺みたいな形をしているらしいんだ。そして中には蜜を貯め込んでいて、ソレが薬になるんだってさ」
「成程。 ――もしや、あの植物のことだろうか」
サフィラスが指をさした先。渓流の岸壁にひっそりと自生しているのは、白い花弁を蓄える一輪の植物だった。
「間違いない、アレだ! けど……」
およそ手の届かない位置に生えており、少年は頭を悩ませる。
「どうやって採ればいいのかな……?」
リベラも一緒に解決策を練るも、時間は過ぎていくばかり。するとサフィラスは、少年に打開策を提示する。
「一つ問おう。キミに、恐怖と闘う覚悟はあるかい?」
「恐怖? どういうことだ?」
「私が縄を用意する。キミはそれを伝って、植物を採取するんだ」
「何だって!? そ、そんな……オレはてっきり……」
「とはいえ、一人で成すのは困難だろう。よって私は最低限の補助に徹し、キミに身の危険が迫った場合にのみ手を貸そう。出来るかい?」
「オレが、自分で……あの滝のすぐ側を、ずっと上まで……」
予想外の提案に、岸壁を見上げた少年の空色の瞳は揺らぐ。しかし両手で自身の頬を叩くと、力強く頷いた。
「いや――分かった、やる。やってやるよ!」
「良い返事だ。では、準備をしてくるよ」
サフィラスは脇道から上流へ移動すると、手際よく自前の縄を樹の胴へと括り付ける。次いで掴める程度の結び目を幾つか作り、下流へ縄先を投げる。そして少年に手を振り、合図を送った。少年は縄を握ると、もう一度自身を鼓舞する。
「――よし。行ってくる」
「頑張って!」