11話 蠱惑の国 (前編)
太陽が真上に昇る頃。二人と一匹は、目的地である“イルミス国”へ到着した。サフィラスは二枚のカードを、可愛らしい動物の着ぐるみを着た検問官に提示すると、事も無げにゲートを通過していく。
そして国内に足を踏み入れ、周囲のヒトの様子を一瞥すると、ようやく声を発した。
「うん。仮面の効力は充分のようだ」
そこかしこで見かけられる、手を繋いで歩く男女や、子供を連れた大人、友人グループであろう群れ。彼らは皆、各々の思い出作りに勤しんでおり、誰一人としてサフィラスを見る者はいない。するとリベラは、無垢な表情で問い掛ける。
「どうして仮面をつけると人に見られなくなるの?」
「これにはある仕掛けが施されていてね。リベラは“死角”という言葉を知っているかい?」
「しかく……? それって形のこと?」
リベラが首を傾げると、サフィラスは微笑む。
「では、意味から教えよう。簡単に説明すると……死角というのは、瞳に映らない場所を意味するんだ」
「そんなところがあるの?」
「ああ。この仮面は、それを人為的に発生させているんだ。基本的には半永久的に効力を発揮する上に、身に着けている者が対象となるから、リベラであろうと使いこなすことができる。 ……けれど、幾つか欠点もあってね。“装着者の顔を知っている者”、“極めて視野の広い者”には通用しないんだ」
「えっ!? じゃあ、あの森にいた人たちには効かないの?」
小声で驚くリベラに、サフィラスは小さく頷く。
「そういうことになるね。けれど国が異なる以上、彼らが公に接近してくる可能性は極めて低い。よって前者は、目下考慮する必要はない筈さ。後者に関しても、此方の知識があるという前提条件をクリアしていなければ、視界に入れることすら不可能。故に、憂慮しなくてもいいだろう」
「そうなんだ……ねえ、普通に外すとどうなっちゃうの?」
「一般人であろうとお構いなしに人目につき、目撃情報は拡散され――結果として、あの日の夜に森で起きた事が再び訪れることになるだろう」
「……また、燃やされちゃうの?」
声を震わせるリベラに、サフィラスは近場を漂っていた紅い風船の紐を掴む。
「あくまでも私の想定さ。とはいえ、策は講じてある。だから今は安心して、観光を楽しむと良いよ」
「……うん!」
リベラは笑みを浮かべ、風船を受け取る。そしてもう片方の手でサフィラスの手を握ると、軽い足取りで歩き出した。
何処を向こうと視界に映り込む、硝子越しに並べられたぬいぐるみ。何処へ行こうと聴こえてくる、軽やかな音楽。そして何処からともなく漂ってくる、甘い香り。
「……」
サフィラスは検問官から貰ったパンフレットを開くと、自慢話に目を通す。
“桜色を基調とした建物が整然と並ぶこの国は、七つある国の中で最も娯楽に注力しており、その実力は折り紙付き。世界中から、旅行客が絶えず押し寄せている。斯く言う私も、その一人だった。やがて数多の蠱惑的な娯楽施設の虜となった私は、日々市街を練り歩き、血の滲むような努力を重ねて、一観光客から大臣にまで上り詰め――”
「何を読んでるの?」
するとリベラがつま先立ちになり、パンフレットに顔を覗き込ませようとする。
「この国の特色が書かれたものだよ。リベラも見るかい?」
「うん!」
サフィラスは風船を預かると、リベラにパンフレットを手渡す。しかしリベラは、直ぐに表情を曇らせた。
「難しくて分かんない……」
「なら、此方はどうだろう」
サフィラスが頁を捲ると、“必見! 穴場スポットから定番ルートまで! イルミス国を、思う存分楽しもう!”という見出しがリベラの目に飛び込んできた。その後も十頁に渡り、垂涎してしまう料理やアトラクションの写真、人気の土産一覧が掲載されており、リベラは瞳を輝かせる。
「わあ……! どうしよう、どこに行こうかな……」
「暫くの間滞在する予定だから、目に留まった場所からでも構わないよ」
「本当!? えっとね、じゃあ――」
リベラが指したのは、ペットと一緒に食事が可能なクラシカルカフェだった。市街の中心部に構えているだけあって、店内は満席状態。だが幸いにもテラス席は空きがあり、二人は池のよく見える隅のテーブルに案内された。
そしてモノクルを着けたウェイターは、彼らの着席と共に水の入ったグラスを置き、メニュー表を手渡すと、決り文句を口にする。
「本日の日替わりメニューは五番です。ご注文がお決まりの頃、お伺いします」
ウェイターが一礼して去った後、リベラはネーヴェをテーブルの上に乗せる。
「どれも美味しそう……ネーヴェは何が食べたい?」
ペット用の料理が掲載された頁には、一品一品に動物の絵が描かれており、リベラははたと気が付く。
「サフィラス、この子が食べちゃいけないものはあるの?」
「ヒトと同じ雑食性で、特に中毒を引き起こす物も無い。単純に、何を好むか程度だよ」
するとネーヴェは歩みを止め、一品の料理の写真を舐め始める。
「これが良いのかな?」
「かもしれないね」
「じゃあ、これと……私はどれにしようかな」
ギルティフリーを謳う、低脂肪乳を使用した野菜ケーキに、赤身肉のみで作られた、食べ応えのあるハンバーグ。採れたて卵のオムライスや、高原で栽培された木の実の粉を、贅沢に練り込んだパスタなど。いずれも魅力的で、リベラはメニュー表とにらめっこをする。
「悩ましいのであれば、此処に打って付けの選択があるよ」
サフィラスが示したのは、メニュー表の下部に表記された説明書き。そこには“お子様限定! 欲張りセット”の文字が印刷されていた。“十五歳まで御利用可能です。一覧から三つお選び下さい”という誘惑に、やがてリベラは意気軒昂と声に出す。
「これにする! サフィラスは?」
「私は――そうだね、これにしよう」
そして注文を済ませ、十分後。テーブル上は、一気に華やかになった。ネーヴェは自身の体長ほどの野菜入りミートキューブに一心不乱に齧り付き、サフィラスはシルキークリームの冷製パスタをフォークに絡ませていく。そしてリベラはオムライスとハンバーグ、ケーキのワンプレートを、少しずつ味わっていった。




