なにかが外にいる
(‥‥なにかが外にいる)
ハルヒロは身動ぎもできずに、はたりと固まった。
「‥‥‥‥‥な、な、なんだ?」
ようやくといった感じでそう呟いてから、そっとカセットコンロの火をカチリと止めたハルヒロは、息を圧しころし『そ~ろそろ』と這うように動き出した。
「ふゥ、ふゥ、ふゥふゥ‥‥」
なんといってもここは地球ではない、未知未明の異世界である。なんなら、狡猾な小鬼、獰猛な豚鬼、狂暴な大鬼、邪悪な火竜、何が出てきてもおかしくはない。
(ああ、怖い、怖い‥‥怖すぎる‥‥いったいなんなんだよ)
ハルヒロは玄関を出て、這うように百年桜の木陰に身を潜め、息をころして北海道摩周湖みやげ、手汗ににじむ木刀(鬼殺し)の握りを確かめた。
この木刀、農協主催の慰安旅行でなんとなく買ってみたものだったのだが、まさか、こんな所で役に立つとは。
手に伝わるズッシリとしたこの重量感。やたらと心強いのだが、こんなものでぶっ叩いたら怪我ではすまないような気がする。
ゴブリンやオークといった人外外道とはいえ、現実問題として叩いちゃっても良いものなのだろうか。
(コ、コ、コ、コ、コケ、コケェーッ、コケェーーーッ!!)
「お、お、お、おわっ、おわっ、ニャふッ!」
暗くてよくわかんないが、鶏小屋の方から(バサッバサバサッ!)という羽根音と鶏の鳴き声。そして、小さな喘ぎ声が聞こえる。
鬼殺しがあるとはいえ、ハルヒロにはそこまで接近する度胸はない。
鶏小屋から十メートルほど離れた百年桜の木陰に身を潜め、鳴き声のする方を凝視していると、サッと雲が流れ、月明かりが差した。
ちなみに、ここ異世界の月は地球の月に比べて、ぱっと見、三倍ほどの大きさがあるので、より明るく鮮明に映える。
雲が流れ、差した月明かりに、やつの姿が見えた。
(‥‥ゴ、ゴブリン‥‥いや、小動物‥‥‥ね、猫‥‥いや‥‥‥)
「‥‥‥タ、タヌキ‥か?」
どうやったらそうなるのかわからないが、同じほどの大きさの鶏を猫かタヌキかわからない小動物が両手いっぱいに抱きかかえてヨタヨタと二足歩行で歩いている。
だが、猫にしてもタヌキにしても侵入者の正体が小動物だとわかれば、なんら恐れることはない。ハルヒロは木刀を勢いよく(タンッ!)と地面に叩きつけてから大きく振り上げ、かなりビビリながら、よくわからない唸り声を張りあげた。
「ぬ、ぬうおおォーーーいッ!!」
「なニャッ!?」
そう小さく叫んで、ドタドタと不恰好に鶏を抱えて逃げ出したお尻にはどうやらタヌキらしい立派な尻尾がふりふりと踊っている。
追いかけようかと思ったが、あまりに大きな荷物を抱え込んだタヌキチはドタドタとするばかりで、ほとんど前に進んでいない。
その姿をゆっくりと回り込むように歩きながら見守っていると、ニャッと小さく叫んで、『ドテッ』と前のめりに転んだ。
そして、抱えていた鶏にも逃げられ、逆に激しいクチバシ攻撃を受けているタヌキチは頭を抱えながらなにやら叫んでいる。
「‥‥‥ニャ、ニャッ!いて、いで、いで、いででで!お、おい、そこな、ヒキニャート!我を助けよ、助けよ~~!」
「え!!?」
頭を抱えお団子のように丸まったタヌキチから『~そこな、ヒキニート!ニャーを助けよ』という明確な日本語。さらに【ヒキニート】という、こちらの事情を明らかに知っているようなフレーズが聞こえてきた。
「こ、これって‥‥?」
あの時、『~言葉の壁に関しては、三千万言語対応全自動翻訳アプリ付けたるさかい安心しいや』と、神は確かに言っていた。
(だが、これって本当にバウリンガル的な全自動翻訳アプリのおかげなのだろうか‥‥?)
「タ、タヌキチ、おまえいったい‥‥?」
とりあえず鶏を追い払ってから、お団子から出ているくすんだ虎模様の尻尾をむんずと掴み、そのままグイッとそのカラダを持ちあげた。
「ニ、ニャッ!?なんニャーーーッ!?」
そう叫んで、手足をバタつかせ、なにやら悪態をつきながら暴れまくるタヌキチ。
「‥‥お前、なにもの?」
「は、離せ、離せ、離すんニャッ!無礼者のクソニャートがッ!我を誰だと思っているんニャ、ニャーこそは永遠のアイドルにして世界中の愛を一身に受けるもの【大ニャンコ】であるぞォーッ!離せ、控えよッ!そして崇め奉つれ、この下等生物がッ!」
「ニャンコ?‥‥っておまえ、タヌキじゃないの?」
「だっれがタヌキだァーーッ!マジで叩っ殺すぞ、この堕落した下等生物のヒキニャートがッ!」
このタヌキもどき、この状態にもかかわらず、やたらと毒を吐く。
「堕落した下等生物って、おまえ、鶏泥棒しようとしてたくせにずいぶんな態度だな‥‥」
イラッとしたハルヒロはそう呟いて、毒を吐く猫もどきの尻尾をグッと握りしめて、ゆっくり振り回しはじめた。
「ニャ、ニャ、ニャおい、おい、ちょ、ちょっと待て、待て、待ってェーーッ!も、も、もげ、もげる、もげるゥーーーッ!尻尾、尻尾、尻尾もげるゥゥーーーーーッ!!」
「~謝れば、許してあげるよ」
そう言いながら、ハルヒロは徐々に回転スピードをあげていく。
「ふ、ふざけるニャッ!我は誇り高い至高のエリート生物ニャぞッ!ニンゲンみたいな下等生物に頭を下げる訳ニャいだろォーーーーッ!!」
「あ、そう~」
振り回しスピードをさらにもう一段階あげる。
ハルヒロは猫でも犬でもタヌキでも動物は好きだが、どんな動物にも躾は必要だと思っている。だから生意気な口をきく異世界タヌキもどきに容赦などはしない。
「ニャニャッ!?ウニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャ、ニャ、ニャアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「~ほら、謝れば、許すよ」
「ニ、ニャッ、ゆ、許ッるしてくれニャアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「うん、許す!」
言葉を話すことには、正直かなり興味があった。だけど、いまは自分のことで精一杯。このふてぶてしい態度のタヌキもどきのドラ猫を飼ってやれるほどの余裕はない。
「‥‥許す‥‥けどな、こっちも色々と立て込んでてな、お前を飼ってやれるほどの余裕はないんだよ。ごめんな、うん。それともう鶏泥棒なんてするんじゃないぞ~」
そう話しかけて、ハルヒロはぐるぐると振り回していたタヌキもどきを(ポーンッ)とできるだけやさしく放り投げた。
「ニャーーッ、ニャッ!ニャンッ!!」
ゴロゴロと転がってバタリと突っ伏したタヌキもどきは、地に伏したまま、ぶつぶつとなにやら喋りはじめた。
「‥‥‥‥‥あ、あ、あり得にゃい‥‥与えられ、もてはやされ、許される‥‥世界はニャンコを中心に回っている。そう、我は愛され生物の頂点。かわいい、さわりたい、愛でたいヒエラルキーランキングの頂点に君臨する神獣、大ニャンコ。‥‥そ、そ、そのニャーに対してェーーッ!たかがァ、下等生物ふぜいが、ふッざけるなアアアアァーーーーーーーッ!!」
そう叫んで、ガバッとカラダを起こす。
「ーーーって、居ねエエェェェーーーーッ!」
血を吐くように絶叫するタヌキもどき。だが、ハルヒロはもうすでにそこには居なかった。
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なんだかんだ、年の瀬ですね~♪