桜庭 春大
私、桜庭春大は今でこそ立派な‥‥まあ、そこそこの『専業農業人』だが、数年前まではいわゆる『うつ病のネット廃人』だった。
『うつ病のネット廃人』で分かりにくいなら『クソニート』でも『引きこもり』でも『穀潰し』でも、端的に『クズ』でもいい。おおむねそのような言葉で表される存在であり、立場だった。
あるいは、まだ義務教育の残る中学生(13才)で引きこもったので『登校拒否児』と呼ぶのが、いちばん正しいのかもしれない。
『登校拒否児』になるきっかけははっきりとは覚えていないが、たぶん、些細なことが原因だったように思う。
中学生にあがると、それは本当にほんの小さなことから始まった。
ーーーからかわれる。無視される。ラクガキされる。変なあだ名をつけられる。上履きが何度もなくなる。教科書やノートがゴミ箱に捨てられている。しまいには、寄って集って殴られたり蹴られたりした。
クラスに巻き起こった小さな風は、次第に暴風になり、抗えない台風になった。
こんな日々が続き、心の均衡を崩した僕はーーーまもなく、家に引きこもるようになり、立派な『登校拒否児』あるいは『自宅警備員』になり、うつ病を発症して、さらに二次元けもみみ美少女にはまり、異世界ラノベを読み漁る、最高強度SSランクのオタク、ネット廃人と化してしまったのだった。
だが、およそ二年半続いた籠城生活は、両親、いや母親の強硬手段によって突如として終わりを告げた。
共働きで忙しく働いていた両親は、うつ病発症ということもあり、よくも悪くも僕をそっと放ってくれていた。
だが、さすがに両親も、自宅警備二年以上ともなると絶賛放置プレイ中だった一人息子のことが気になり始めたようで、僕の籠城部屋に何度となく足を向けるようになった。
まあ、かたい仕事をしている両親、特に母親にとって、息子が無期限自宅警備中となると、いろいろ体裁が悪いらしく、いっさい部屋から出て来なくなってしまった僕に対して、僕が十六才を迎えた、その日。
ーーー強硬手段に打って出たのである。
(バンッ!ズバンッ!ズババンッ!!ズドドドドンッ!!!)
ネットゲームでレベル上げに邁進している最中、なんの前触れもなく、部屋の扉から打撃系の大爆音が鳴り響いた。
「な、な、うなななあああッーーーーーッ!!」
驚きの絶叫をあげていると、金属製のドアノブが『ズバキンッ!!』と粉砕され『~ガチャリ』とヘルメットに金属バットという出で立ちの両親がラスボス感たっぷりに、その姿を現した。
はっきりいって漏らさなかった自分を僕は褒めてあげたいくらいだ。
さらにーーー
「さてハルヒロ。ここで問題です。君の未来を、次の三つのうちから選びなさい。一、中学に復学する。二、永久に親子の縁を切る。三、北海道の勘治爺の所で療養する。四、死ぬ」
「四、死ぬって、三つのうちから選ぶんじゃあ‥‥‥って言うか、なに、その無理ゲー‥‥‥?」
ーーーというようなやり取りがあって。
僕の自宅警備員生活は二年と八ヶ月にして問答無用の強制終了を食らったのだった。
北海道で農業をしている母方の父親である勘治爺からの打診もあり、話は最初からついていたようで、厄介払いの意味合いも含めて、あれよあれよのうちに半ば強制的に僕は北海道に送られてしまった。
勘治爺というのがとにかく恐ろしい爺さんで、療養だと言っていたのに、北海道に着くなり無理やり畑に連れて行かれ、久々に浴びる直射日光に、まるで吸血鬼のように目や肌が焼かれる痛みを感じたりしつつ、毎日毎日、朝から夕方までへとへとになるまで牛馬の如く働かされたのだ。
まあ、だが、これが良かった。
まず、朝晩の精神安定剤と睡眠導入剤が要らなくなった。土いじりを始めてから、すっきりと眠れるようになり、規則正しい生活の中で自分でも驚くほど体が軽くなったような感じがした。
その後、勘治爺の薦めで、農協主催の週末農業研修にも参加するようになる。
当初は人と関わるのに抵抗があったが、研修生は気の良い大人のおじさんばかりで、十六才の僕が珍しかったのか、ずいぶんと可愛いがってもらった。
正直、土いじりは性にあっていた。瞬く間に三年、五年と月日が流れーーーある日。
『‥‥ワシは隠居するで、こん土地と屋敷はハルヒロ、お前に譲るから好きなようにせい』
こうして、勘治爺は楽園と呼ばれる老人ホームに入り、僕は北海道にある三町歩ほどの田畑と築百数十年の古民家を譲り受けたのだった。
◇◆
(‥‥‥‥あれから、何年だ‥‥)
沈みゆく太陽を眺めながら郷愁の思い出に耽っていた僕も、ある程度の時間の経過とともに幾分か落ち着きを取り戻していた。
もう来てしまったのだからしょうがない。まあ、騙されたとか無理やりとかで連れてこられたわけではない。けもみみを求めて、ある意味望んで未知未明の異世界に飛び込んだのはハルヒロ自身である。
後悔の念は少しだけ、いや、けっこう大いにあるが、ハルヒロはある程度、腹を括っていた。
とにかく、生きていかなければならない。生活していかなければならない。ハルヒロは暗くなりはじめた周辺の景観を眺めながら、屋敷や納屋、ビニールハウス、鶏小屋の回りをゆっくりと一周、二周、三周‥‥‥‥神に注文していたマテリアルデータ通信の【オプション】なるものの有無を確認しはじめていた。
(ふーん、あいつ、なんちゃって関西弁であんないい加減そうなのに、案外良い仕事するなァ‥‥)
神のハーレムPVでの間抜けた顔を思い出しながら、ハルヒロは素直にこう思った。
確かにオプション注文した品物は揃っている。プラスして、おまけなのだろうか、屋敷の玄関の前には、いつものように百年桜の古木が鎮座していた。
そして、屋敷の左側に流れる川幅二十メートルほどの水量豊かな清流と草木覆い繁る山間の平坦な谷型の盆地は、神に頼んでおいた土地環境条件案にピッタリと一致していた。
実はオプション選択のとき(ふと、森林の中とか、山間、砂地、湿地、あるいはやせた土地に送られる可能性があるのでは?)と考えて、ダメ元で送られる土地の条件付けもしていたのだ。
その条件が、一、四季のある温帯気候。二、水量のある河川。三、谷間、山間の盆地。四、平坦な土地。
これこそ、Wi-Fi神マイティ・ソーの【7G】超神速データ通信規格の実力なのか、あくまでダメ元で挙げた条件にあった、まさしくピッタリの土地環境を【地図検索アプリ ググルアスガルド】で検索してくれたようだ。
明るいうちにあちこち歩き回り、ひととおりオプションの確認が終わった頃、『ぐうッ』と腹の虫が鳴った。一説によると、人間というのは本能的な生命の危機を感じると、三割から四割ほど余計に腹が減るらしい。
「ああ‥‥腹へった」
すぐに、冷蔵庫に作り置きしてあるはずのカレーの存在を思い出した。
だけど、昨日の冷飯と冷蔵庫で常温保存された作り置きされたカレーとでは、福神漬けをたっぷり乗せたとしても、あまりに味気ない。せめて、カレーだけでも温めようと、スプレー缶式のカセットコンロを出して来て、カレーを火にかけた。
グツグツと煮たちはじめた熱々のカレーから湯気がたちのぼる。
「‥‥‥‥‥う~~~ん、うまそぅ‥‥」
カレーというのはちょっと火にかけただけで、なんで、こんなにも良い匂いがするんだろう。と、そんなことを考えながらまったりと眺めているとーーー突然。
(コ、コケッ!コケェーーーッ!コ、コ、コケェーーーーーッ!!)
『バサッ!バサバサッ!』という、おそらく鶏の暴れている音とともに、甲高い大跫音の鳴き声が聞こえてきた。
「な、なんッ!?」
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もう、年末ですね~。