心ゆくまで
‥‥‥心ゆくまで、異世界を楽しんでや。
そう言って、Wi-Fiの神、マイティ・ソーは最後になんともいえない微笑みを残して、スッと消えてしまった。
◆◇
スゥーッとまるで水面に浮き上がるように目が覚めた。
「‥‥‥プハァッ!?」
『異世界を楽しんでや‥‥』耳もとに残るソーの声に、ハルヒロはガバッと身を起こし、大きく息を吐き出してからババッと辺りを見回した。
だが、そこにはいつもの薄暗い部屋が広がっているだけで、期待した者の姿は見当たらなかった。
「‥‥‥ゆ、夢か‥‥?」
辺りを見回してから炬燵の上を確認したが、そこには発泡酒の空き缶が五、六本か転がっているだけでソー(フィギュア)の姿はどこにもなかった。
それにしても、夢にしてはリアルすぎる夢。
今なら、どこかにソーが隠れていて『ケケケ‥‥ちょっとした冗談やがな~』と、笑いながらサプライズ登場したとしてもまったく驚かないだろう。
それほどリアルにソーの声が耳もとに残っている。
とにかくハルヒロは、先ほどまでの出来事が夢だったとは思えず、しばらくの間、呆然とショウケースの中のルールー(フィギュア)が今にも動き出すのではないか、と思いながら見つめていた。
(‥‥‥動くわけがない)
しばらくの間、じっと見つめていたが、フィギュアは当然、微動だにしなかった。
(馬鹿らしい、フィギュアが動くわけがない。どう考えても飲み過ぎだ。現実と夢がごっちゃになっている)
空き缶の本数を数えながら眉間をグリグリと揉みほぐしていると、カーテンに仕切られた明り窓からこぼれる光がやけに赤いことに気づいた。
「‥‥ん?」
同時に、真冬のこの時期にしては暖かすぎる部屋の温度に少し違和感を感じていた。
(‥‥あ、暑い‥‥‥喉がカラカラだ)
とりあえず、薪ストーブの火が落ちているのを確認してから、水を飲もうと思い、ふらふらとした足取りで台所に向かう。コップを手にとり水を注ごうと蛇口をひねるが、『ガコンッガコンッ!』という音が連続するだけで水がいっこうに出てこない。
「ん?‥‥‥あれ?あれ!?」
何度も蛇口をひねってみたが、結局、うんともすんとも言わなくなってしまった。
(ぅん‥‥‥‥‥‥断水‥‥?)
少し嫌な予感がした。
もしやと思い、足早に部屋の中に戻りリモコンをとってテレビをつけてみるが、モニターは暗いままでなんの反応もみられなかった。
「やばっ‥‥テレビも‥‥‥‥」
案の定、電気も止まっているようだ。試しに灯り紐もパチパチと引っ張ってみたが灯りは点灯しなかった。
断水と停電が重なることなどそうそう無い。寝ている間に何かが起きたのでは、とそう思った。
(‥‥‥地震?)
実際に、この間の北海道南部地震では断水と停電が重なった。まあ、あのときのように震度6とか7の地震であれば、いくら酔っ払って寝ていたとはいえ絶対に気がつくとは思うのだが。
そんなことを考えながら、スマートフォンを手にとりロックをスワイプして解除する。
何通かの通販メールとLINEの通知以外、緊急地震速報の類いは見当たらなかった。とりあえず断水と停電が起きている理由を求めてヤフーニュース地域版を開いてみる。
「ん‥‥?」
あまりにストレスフリーにスーと開かれた地域ニュース版に少し違和感を感じたが、地域ニュースには牧歌的な内容の地方ニュースばかりで、地震はおろか断水や停電の情報はいっさい乗っていなかった。
(‥‥おかしい。断水や停電につながるようなニュースがひとつも上がっていない)
地域版を広げて全国版、経済、芸能ニュースから国際情勢までいろいろとスワイプしながら調べていると、モニター下部に【LINE A】なるアイコンと『新着メッセージがあります①』という通知があることに気がついた。
「‥‥ライン アスガルド?」
なにげなく開いたその【LINE A】なるアイコンのホーム画面に、ハルヒロは顔面を思い切りしかめてフリーズした。
「‥‥‥ぅなッ!?」
【LINE A】のホーム画面『ともだちの追加』の下にはなんと、【マイティ・ソー】の名前が記されていたのだ。
「な、な、ななななな‥‥‥」
(この場、このタイミングで、マイティ・ソーを名乗る知り合いなど、今の今、夢で見たアイツ、Wi-Fi神以外に思い当たらない。だけど、夢?というか、あくまでもドリームの話で、ドリームの前提で、もしあれが現実‥‥‥いやいや、考えられない、あれが現実?仮に、アイツがリアルのリアルにいるのならば‥‥‥ありえない話だが、ここは‥‥まさか、まさかの‥‥?)
「あ!?‥‥‥断水と停電‥‥」
ぐるぐると揺れ動く思考の中で、点と点が線へとつながってゆく。
ハルヒロはおそるおそるモニターの【ともだちを追加する】アイコンをタップしてから、マイティ・ソーとのコミュニケーショントーク画面を開き、動揺に震える指でゆっくりと文字を入力してゆく。
【ーーーあなたは、Wi-Fi神のマイティ・ソーですか?】
すぐに【既読】になった。が、なかなか返事は来ない。しばらく待ってから、もう一度同じ文面を入力すると、またすぐに【既読】になる。が返事は来ない。同じ文面を入力する。というような既読スルーが無限ループ的に何度となく繰り返された。
「あんの野郎ォ、いったいどういう‥‥」
繰り返される既読スルーに少々頭に血がのぼりはじめていたが、ハルヒロは先ほどの夢でのやり取りを思い出し、敢えて、こう入力してみた。
【‥‥‥‥‥】
既読はすぐついたが反応はない。だが、もしも、本当にあいつならば必ずあの反応を入れる。だろうと考え、もう一度こう入力してみる。
【‥‥‥‥‥‥】
【ーーーなんで絶句やねんな!】
既読がついたのと同時にパッとソーらしい想定通りの返事が返ってきた。が、さらにたたみかける。
【ここ、異世界、現実?】
【自分、なんで片言やねん!】
【あなた、マイティ・ソー?】
【‥‥とりま、アドバイザー、送った、聞け、ワシ今、めっさ忙しい】
この片言の返事を最後にトークルームがブロックされてしまったが、ハルヒロにはこれで十分だった。
(これがリアルなら、あのドアの先に‥‥)
そう思うと、胃をぐっと掴まれるような、なんともいえない緊張と不安感に襲われた。
だけど、確かめて見なければ。
ハルヒロは意を決して立ち上がり、足早に玄関に向かった。
ゆっくりと玄関のドアノブを回してドアを思い切りバンッと開く。真冬の北海道とは思えない暖かな春のような風が頬に流れるのを感じた。
「!?」
目の前に飛び込んできたのは、いつもの雪に覆われた寒々とした田舎の田園風景とは違う。北欧の絵葉書から切り取られたような黄昏の景色。雪を纏った遠い山々の稜線が真っ赤に染まっている。
ある程度は覚悟していたのに、まったく脳が追いついてこない。
ハルヒロはふるふると二度視してから、まるでどこかのタレントさんのように、こう言い放った。
「ーーーナニコレェ~~~!?」
そこには、未知未明の異世界が広がっていたーーー
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