その6 モンスターが怖いの
走って走って走って、息が切れるまで走り抜いてから、ようやく玲奈は足を止めた。
そこは小さな公園の前だった。『ゴブリン公園』と書かれたコンクリートの支柱に、玲奈は片手を当て体重を預け、荒く息をする。
幾分呼吸は整ってきたものの、顔は引きつり、青ざめたままだった。体の震えも続いている。
と、そんな玲奈の後ろから声が聞こえてきた。
「玲奈ちゃーーん」
緊張感のカケラもない、能天気さの塊のような声だった。
「ふう、やっと追い着いた。玲奈ちゃんって足が速いんだねー」
玲奈の隣までやって来たもみじは、大きく息を吐き出した。
「でも、どうしちゃったの? 玲奈ちゃん。いきなり走り出したからビックリしちゃったよ」
(嘘でしょ?)
玲奈は思わず心の中で呟く。
その理由が分からないなんて、玲奈には考えられなかった。
しかし、もみじは心当たりすらないといった顔をしている。
「逃げて当然でしょ。だって、骨じゃない」
絞り出すような声で玲奈は言った。
「骨だよ。だってコツコッツお兄ちゃんはスケルトンなんだから」
「骨が、動いて喋ってるのよ」
「動いて喋るよ。だってコツコッツお兄ちゃんはスケルトンなんだから」
当たり前のようにもみじは答える。
「……怖くはないの?」
「怖い? どうして? コツコッツお兄ちゃんはすっごく優しいんだよ」
「でも、動いて喋る骨なのよ」
「動いて喋る骨だよ。だってコツコッツお兄ちゃんはスケルトンなんだから」
これでは話が堂々巡りだ。
「あっ、でも動いて喋るだけじゃないんだよ。コツコッツお兄ちゃんはダンスも上手なんだ。今度見せてもらうといいよ」
(らちが明かないわ)
と玲奈は思った。
「少し、座って話をしましょ」
公園の中へと入ると、2人はベンチに腰をかけた。小さな公園には、他には誰もいない。
「最初に確認させて。山田さんは」
「もみじでいいよ。お友達はみんな名前で呼ぶから」
(だから、いつ私があなたのお友達になったのよ)
という不満は置いておいて、玲奈は話を続けた。
「分かったわ。もみじさんは……」
「もみじ! 呼び捨てにしちゃってよ。友達なんだから他人行儀はなしだよ」
(だから! いつ! 私が! あなたの! 友達に! なったのよ!)
心の中で叫ぶも、話が進まないから妥協することにした。
「もみじ。これでいいのね」
「うん」
もみじが顔をくしゃくしゃにして喜ぶ。
「改めて聞くわ。もみじは、この町で生まれ育ったの?」
「うん、そうだよ。生まれも育ちも得葉曽市だよ」
自慢気に胸を張るもみじに、玲奈は小さく『やっぱり』と呟いた。
「あのね、生まれた時からこの町にいるあなたには分からないかもしれないけど、世間一般では動いて喋る骨は、恐ろしいものなのよ」
「えー、どうして? コツコッツお兄ちゃんは優しいのに」
「性格は関係ないのよ。動いて喋る骨ってだけで、恐ろしいの。さっきのアレだけじゃなくって、モンスター全般が恐れられる存在なのよ」
「そんなのおかしいよ。だってモンスターはあっちこっちにいるよ」
「それは、この得葉曽市が特別な町だからよ。20年前に魔界とのゲートが開いて、向こうからモンスターやその文化が流れ込んできたんだから」
「うーん」
もみじはまだ不思議そうな顔をしている。もちろん、もみじだってこの町が特別だってことは分かっている。が、
「でもでも、玲奈ちゃん。モンスターの人たちがいるのは、何もこの得葉曽市だけじゃないはずだよ。この町を出ちゃいけないって決まりがあるわけじゃないし。芸能界で活躍してる人だっているよ」
「そうね。でも、やっぱりモンスターたちが多く存在しているのは得葉曽市とその周辺に限られているのよ。魔界の瘴気って言ったかしら? それが薄いと彼らは調子を崩すらしいの。結局は、ゲートのあるこの街からは遠くは離れられない存在なのよ。それに……」
少しだけ口ごもってから、玲奈は話を続けた。
「彼らがやって来て20年が経った今でも、彼らの存在を恐れて共存を受け入れない人も大勢いるの。行政として彼らの立ち入りを拒んでいる市もあるわ。私が生まれ育ったのは、そんな市だったのよ。どこを歩いたってモンスターなんていない、当然、魔界の文化とも無縁。そんな、穏やかで暮らしやすい普通の街だったのよ」
普通ってところを強調し、玲奈は言った。
「いろいろな事情でこの街に来ることになってしまったけど、私は正直、モンスターが怖いし好きではないの。できることなら早く街を出てしまいたいし、それができないならせめて彼らとはかかわらずに生活していきたいの。今後もお世話係を続けるなら、あなたには知っておいてもらいたいわ」
自分の気持ちを一気に吐き出すと、玲奈は全身の力を抜きベンチの背もたれに背中を預けた。
生まれも育ちも得葉曽市のもみじにとっては、モンスターは親しい隣人である恐れるべき存在ではなかった。だからイマイチ、玲奈の抱いている恐怖心が理解できなかった。
それでも、玲奈がずっとモンスターのいない場所で暮らしており、慣れていないということは分かった。
そして、この街を早く出てしまいたいという玲奈の言葉に、ひどく胸を痛める。
自分の大好きな存在や場所を否定されたことによる寂しさからだった。
(玲奈ちゃんには、早くこの街のことを好きになってもらいたい! だってこの街は、とってもとってもステキな場所なんだから!)
強い使命感、義務勘がもみじの胸に沸き上がる。(困ったことに)
もみじは勢いよく立ち上がると、
「分かったよ、玲奈ちゃん。それじゃこれから、遊びに行こ!」
強く宣言した。
「はあ? あなた、私の話を聞いていたの? どうしてそんな結論になるのよ」
「聞いてたよ。だからこそ、玲奈ちゃんと遊びに行きたいの! この街のこと、好きになってもらいたいから!」
熱気すら感じさせるもみじの意気込みに、玲奈は仕方ないといった様子でため息をつく。
「分かったわよ。学校に行かなくてもいいなら、特に予定もないし。少しなら付き合うわ」
学校に行けばモンスターの留学生もいることだろう。その前に少しでも慣れさせておくべきだと、玲奈は考えた。
登校日初日から、学校で悲鳴を上げるのも何だかひどく情けなく、そして恥ずかしい。
「だけど約束して。行くのは、普通の場所にしてよ」
普通って言葉を、これでもかってぐらいに強調する玲奈。
「分かったよ。普通の場所だよね。任せて!」
答えるもみじも、普通って言葉に力を込める。
こうして、もみじ案内のもと、玲奈は遊びに出かけることにしたのだった。