その8 魔力水
『ケロケーロ・ケロケーロ・ケロケロケーロ・ケロケーロ』
放課後を迎えた教室にて、1匹のカエルが伸び伸びとした声で鳴いた。
机にちょこんと座ったカエルには、可愛らしいアホ毛が生えている。
学術的に名付けるなら、モミジアホゲガエルだろうか? もちろん、もみじだ。
そして先程の鳴き声には、『あー、終わった終わった。数学って頭が痛くなっちゃうよねー』といった意味が込められている。
隣の席の玲奈は、頭痛を耐えるように顔をしかめていた。
「どうしてクラスの誰ももみじがカエルになっていることに驚かないのよ。どうしてどの先生も平然と授業してるのよ」
ブツブツと呟いている。これがこの街、この学校の日常だと頭では分かっていても、どうにも受け入れられない自分がいた。
『一生懸命、勉強したら体が乾いちゃった。玲奈ちゃん、またお願い』
「はいはい」
玲奈は、そっと呪文を口にする。
「レインフォール」
カエルのもみじの頭上で、灰色の雨雲が発生した。そこからサーーーと降り注ぐ。
『きっもちいいいいいいい♪』
もみじが喜びの声を上げる。傍目から見ているともう普通のカエルでしかない。
『あー、気持ち良かった。家でお母さんに霧吹きしてもらったり、洗面器でパシャパシャ水浴びとかしたんだけど、玲奈ちゃんの雨がやっぱり一番だな』
大満足なもみじが感想を口にする。
「気のせいじゃないの? 私は簡単な魔法を使っているだけよ」
レインフォール。それは、玲奈が半ば強引にもみじから押しつけられた『魔法入門』に書かれていた魔法だ。大気中に漂う水の魔素を集め雨雲を発生させ雨を降らせるというもの。鍛錬を積めば、街全体をも覆う雨雲を発生させることも可能らしいが、そんな大それたことを玲奈はするつもりはなかった。
『ううん、気のせいなんかじゃないよ。玲奈ちゃんの降らせた雨は、何て言うか』
もみじが言葉を選ぶ。
『そう! 湯上がり卵肌なんだよ!』
「何よそれ」
『だから、湯上がり卵肌なの』
もみじがしつこく繰り返す。玲奈にはまるで意味が分からない。
『見て見て』
そう言うと、もみじが右腕・・・と言うか右前足を前へと突き出した。
『どう?』
「どうって・・・」
カエルの足としか言いようがない。ぬめっていて、ちょっと気持ち悪い。
『もう、よっく見てよ』
もみじが、左前足でペチペチと右前足を叩いた。
『お風呂上がりみたいにお肌がピッチピチでしょ』
そんなことを言われても、カエルのお風呂上がりを知らないから答えようがない。
それに、やっぱりぬめっていてちょっと気持ち悪い。
返事に困っている玲奈の後ろから、その声はした。
「それはきっと、魔力水の効果ですね」
振り向くと、クラスメイトの女子生徒がいた。
「魔力水?」
玲奈が聞き返す。
「魔法で作られた水です。魔素が溶け込んだこの水は、お肌にとってもいいそうなんです。すっとお肌に染み込む浸透率、そして潤いを保つ保湿効果。とくに西園さんは魔法の才能がある方ですから、多くの魔素が溶け込んで抜群の魔力水になっているんだと思うんです」
「そうなの。あの雨水がね」
あまり意識せず作っている玲奈としては、正直実感が沸かない。
『へー、やっぱりすごいんだねー。玲奈ちゃん』
感心していたもみじだったけど、急に真面目な顔になった。
『抜群の魔力水・・・』
少し考えてから、
『それだよ!』
机の上でピョンと飛び跳ねた。
「どうしたのよ、もみじ。急に大声で鳴いたりして」
『わたし、すごいこと思い付いちゃったよ! 玲奈ちゃん、行こ!』
もみじは特大のジャンプで玲奈の肩に飛び乗った。
『レッツゴー! 部活棟だよっ!』