その15 悪夢? 予知夢?
「うーん、そう思ったんだけど。せっかく人間界に来たんだから。この世界にも『スナックデビルリス美』をオープンさせようと思って」
すっかり変える流れになっていたのに、リス美ママがそんなことを言い出した。
「そないに簡単にいくやろかー?」
「大丈夫よ。すべての人間を洗脳しちゃえばいいだけなんだから」
可愛らしい顔をして、しれっと答えるリス美ママだった。
「ちょっと、あの性悪リスの母親。とんでもないこと言ってるわよ」
危機感を感じる玲奈。
「だ、大丈夫だよ。きっとオカンヴィーナス様が注意してくれるって」
「デビルリス美ママ、それはどうかと思うんやけど。わてらみたいな強大な力ある者は人間界には干渉せんでおくのが正解やないの」
もみじの予想どおり、オカンヴィーナスがデビルリス美ママを止めようとしてくれる。
「でも、オカンヴィーナスさんだってこのまま帰るのはもったいないんじゃないかしら? だって」
デビルリス美ママが尻尾から取り出したのはカラーの広告だった。
「人間界では、あちこちで特売やセールをやってるみたいよ」
「特売、セールやってーーー!」
オカンヴィーナスの鼻息が荒くなった。地面にクレータができるほどだ。そしてそのクレーターは、ウシエルが作った物をはるかに凌駕している。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
完全に血走った目をして、オカンヴィーナスが鳴いた。
「特売、どこやー!? セール、どこやー!?」
オカンヴィーナスの暴走が始まった。せっかく直った校舎を突っ切って、町へと飛び出していってしまう。
「じゃあ、私はスナックの開店準備ね。みんな、手伝ってくれません」
デビルリス美ママが、男子生徒たちに向かってバチコーンとウインクをして見せた。
強力な魅了の効果が発動する。
「デビルリス美ママ、お手伝いします!」
「デビルリス美ママのためだったら、なんだってできますから」
「ありがとね。しばらく待ってたら、オカンヴィーナスさんが街を更地にしてくれるだろうから。そしたら、大きなお店を立てるわよー」
「はいっ!」 × 無数
「大変だよ! 今度はオカンヴィーナス様とデビルリス美ママが暴走を始めちゃったよ。ねえ、会長。どうにかしないと」
「……」
時定は無言でデビルリス美ママに歩み寄っていくと――。
「デビルリス美ママ、どうか僕を犬とよ呼びください。わんわん」
その場にかしづく。魅了効果や催眠術を防ぐ効果の眼鏡をかけているのに、デビルリス美ママの強大な力の前には太刀打ちできなかったようだ。
「特売やでええええええ! バーゲンやでえええええ!」
縦横無尽に走り回り、破壊の限りを尽くすオカンヴィーナス。
「はいはーい、お店を作りますよー」
次から次へと人々を魅了し、こき使うデビルリス美ママ。
もはや、デビルリス君とウシエルのコンビの方がマシに思えてくるレベルだった。
「あわわわわ、街が……わたしの大切な得葉素市が……」
もみじががっくりと膝をつく。
(果たして、あの2匹がこの街だけで満足してくれるかしら? 特売やバーゲンを求めて日本中、いや世界中を走り回り、そこにスナックが次から次へと建設されていって)
半ば茫然としながら、玲奈は呟いた。
「これこそが、世界の終末の始まりなのね」
★
「はあああああああああ」
重苦しいため息を玲奈がついたのは、朝、学校へ向かう途中だった。
「玲奈ちゃん、どうしたの? なんかお疲れみたいだけど」
隣のもみじが心配そうに尋ねる。
「ちょっと、昨晩みた夢のことを思い出してね。ついため息が出たのよ」
「へー、どんな夢?」
好奇心の瞳を向けてくるもみじ。
「リスと牛が出てくる夢よ」
「へー、メルヘンな夢なんだね」
「メルヘン? とんでもないわ。あんなの悪夢以外の何物でもないわよ。正直、夢で良かったって心の底から思ってるわ」
玲奈はそう断言する。
「でも玲奈ちゃん、気を付けた方がいいよ。ひょっとしたらそれ、予知夢かもしれないから」
「予知夢?」
「うん。前にエルフの先生が言ってたんだ。魔力の強い人間は、時に未来を夢に見ることがあるんだって。玲奈ちゃんの見た夢もそれだったりして」
「怖いこと言わないでよ」
玲奈が顔をしかめる。
(確かに私は、認めたくはないけど魔力が強いみたいだわ。だから予知夢を見る可能性もあるって言えばあるのかもしれないけど……)
だからって、昨晩の夢がそのまま現実になるとは到底思えない。いや、なったら大変だ。だって、世界の終末の夢なのだから。(ルビ:ラグナロク)
(そもそも、あんな馬鹿らしい夢が現実になるなんてありえないわ。だってリスが悪魔で)呼ばれてて、天使が牛なのよ)
そう自分に言い聞かせる。
「とにかく、夢のことは早く忘れることにするわ
そんなことをしているうちに、得葉曽高校に到着する。校門をくぐり、正面玄関に向かって歩いている時だった。
「あっ、臼斗くんだ」
もみじが指差した前方には、1人の男子生徒の後ろ姿があった。
「臼斗君って‥…まさか、中学の同級生とかいうんじゃないでしょうね」
「あれ、どうして知ってるの? 同じクラスだったんだよ」
驚いた顔をするもみじ。
(う、嘘よ。こんなのただの偶然よ。気にしちゃダメよ)
「挨拶しよっと」
もみじが早足で男子生徒に近寄った。
「おはよっ、臼斗くん♪」
ポンと男子生徒、臼斗の肩を叩いた。
「うわあ!」
その不意打ちに、臼斗が驚きの声を上げた。反動で抱えていた段ボール箱を落としてしまう。
箱の中身が地面にぶちまけられる。
ザラララララララララララララララ
ドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリドングリ
玲奈の全身から血の気が引いた。
心臓が激しく鼓動し、大いなる危機感を感じる。
その次の行動は素早かった。精神を集中させ、火の魔元素を集める。
「2人とも、そこをどきなさい!」
もみじと臼人に力強くそう言う。訳が分からないままも、玲奈の迫力に押されて、その場を離れる2人。
地面に散らばった大量のドングリに向かって、玲奈は容赦なく魔法を放った。
「ファイアー!」
玲奈の突き出した掌から飛び出した火球が、地面のドングリを焼き尽くす。たちまち灰にしてしまった。
「ふう、これで一件落着ね」
ホッと息を吐く玲奈に、臼斗の悲鳴が響く。
「ひどいよ。ドングリタワーを作ろうとせっかく去年の秋から集めてたのに」
「えっ、ドングリタワー?」
「臼斗くんは、自然工作部の部長なんだよ。木の実とか葉っぱを使って工作をするんだよなのに玲奈ちゃん、どうして?」
「それは‥‥…」
『そのドングリの魔方陣でデビルリス君が呼び出されて、結果として世界の終末が訪れるから』
とはさすがに言えなかった。だって、所詮は夢の話なのだから。
もみじの友達の名前や、ドングリの詰まった箱を運ぶシチュエーションなど、予知夢として当たっていた部分もあるものの、その後のデビルリス君、天使ウシエル、デビルリス美ママ、オカンヴィーナスなんかはやっぱりただの夢だったようだ。
「ごめんなさい。ちょっと勘違いしちゃって。今年の秋は私も協力してどんぐりを集めるから。本当にごめんなさい」
ひたすら謝り倒すしかなかったのだった。
★
ドングリを燃やされてしまい、手ぶらになった臼斗が中庭、倉庫へと向かう。
するとそこには、怪しい三角頭巾をかぶった集団がいた。
「部長、ドングリは?」
「燃やされてしまったよ」
臼斗は残念そうに口を振った。
「ドングリ召喚の儀に使うはずだったのに。これじゃ計画が台無しだ」
「通販なんかで買い集めれば?」
「無理だよ。あのドングリはこの街で拾った微量な魔力を帯びたドングリなんだ。何年もかかってあれだけの量を貯めて、魔力を定着させるためにずっと保管していたのに」
臼斗は特大のため息をついた。
「彼を呼び出すのは諦めよう。代わりに、魔界の湖に住むケルピーを」
こうして、玲奈はこの学校、街、そして世界を守ったのだった。
本人も気付かないうちに。
おわり