その10 牛 VS リス
「ああ、天使ウシエル様よ。すごいよ、わたしたちの祈りが届いて天界から来てくれたんだよ」
「でも、牛よ」
「牛じゃないよ。天使ウシエル様よ」
「でも……牛よ」
「だから牛じゃなくって、天使ウシエル様だよ!」
「でも……」
供物として捧げられている干し草をもっしゃもっしゃと食べている姿は、それはもう牛にしか見えなかった。
まあ、背中に翼があるから牛とは違うのだろうが、あまりに頼りない。そして緊張感もない。
馬に翼が生えたペガサスはあんなにも優雅で恰好いいのに、牛に翼が生えた姿はちっとも優雅でなく、恰好良くはなかった。
「ふわあ。ご飯を食べたら眠くなっちゃった」
ゴロリと横になろうとするウシエルに、玲奈はたまらず声を上げる。
「ちょっと待って! 寝るのは問題を解決してからにして!」
「問題? どうしたの?」
ウシエルは、相変わらずのんびりとした口調で尋ねてくる。
「天使ウシエル様、今、この学校では魔界から召喚されたデビルリス君がイタズラの限りを尽くしています。そこで、かつてデビルリス君を天界から追放した実力を持つあなたを、降臨させていただきました」
時定が丁寧に説明をする。
「ああ、そういうことなのか。リスエル君は相変わらずなんだなあ。あっ、今はデビルリス君か」
リスエルとは、デビルリス君がかつて天界にいた時の名前なのだろう。
「うん、分かったよ。僕に任せて」
ウシエルは背中の翼を羽ばたかせると、ふわりと浮かぶ上がった。
そのまま屋上のフェンスを超え、中庭へと下りていく。
「僕たちも行こう」
時定を先頭に、もみじ、玲奈も中庭へと向かった。
★
もみじたちが中庭に到着すると、すでにウシエルは着地していた。
「ひどいことになってるねぇ」
のんびりと呟くウシエル。
確かに、そこにはひどい光景が広がっていた。イタズラをしまくるデビルリス君の群れだった。
「ぽてっち頂戴! ぽてっち!」
「わーい、スマホもらっちゃお! でもって、ガンガン課金しちゃうぞー! もちろん支払いは君ねー」
「購買部のパンは全部もらっちゃったからー。君たちは残飯でもあさってればいいよー」
あちこちにはチョコ人形が。そしてデルデルの呪いで裸におぼんだけの姿になった生徒たちの姿もあった。
被害者が続々と増えている。
「見て、玲奈ちゃん。あのデビルリス君、ぽてっちの油でベトベトになった指でスマホいじってる。あれじゃ画面がベトベトだよー。持ち主がかわいそう」
「もみじ、今さら気にするのがそんなとこなの?」
確かにやられれば嫌だが、デビルリス君のイタズラとしては軽い方だ。
(私は、あのおぼんだけの姿になってしまうデルデルの呪いの方がよっぽど嫌だけど。あと、ドリアンを頭にかぶせられるのも)
「ウシエル様、お願いします」
「うん、とりあえず邪魔なのは全部消えてもらおうかな」
ウシエルは大きく息を吸い込むと、
「ブモオオオオオオオオオオオ~~」
と鳴き声を上げた。
次の瞬間、イタズラをしていたデビルリス君たちが弾けるようにして消えていく。
「すごい、ただ牛が鳴いただけなのに」
驚きを隠せない玲奈。
「だから、牛じゃなくってウシエル様だよ。今のはきっと、聖なる波動かなんかなんだよ」
感激の瞳でもみじはウシエルを見つめる。
「これで解決だね。ウシエル様」
「ううん、あくまで分身を消しただけー。本番はこれからだよ」
ウシエルの言うとおりだった。たくさんいたデビルリス君が消えたが、1匹だけが残っている。
「あーあ、みんな消えちゃった」
ぽてっちをパリパリ食べながら、デビルリス君がつまらなそうに呟く。彼こそがオリジナル、本物のデビルリス君のようだ。
「それにしても、ウシエル君。久しぶりー。まだステーキになってなかったんだねー」
「リスエル君……じゃなくって、デビルリス君も天界にいた時となんにも変わらないね」
ウシエルが、やれやれと首を振った。
「人間界の人たちに迷惑をかけちゃダメだよ。大人しく魔界の牢屋に帰りなよ」
「やだよー。せっかく出られたんだから、もっともっと遊ぶんだ。肉牛のウシエル君は大人しくベルトコンベアにでも乗ってればいいよ」
「デビルリス君」
朗らかな表情のウシエルだったが、こめかみにバッテンのマークがついている。
「ボクを魔界に送り返したければ、捕まえてみなよ。おしりぺんぺーん。おまけに、チューリッ」
『プッ!』
と、オナラまでおまけにつけるデビルリス君。
「なんて悪魔的な挑発の仕方なの!」
大袈裟に騒ぐもみじ。
「悪魔的って言うか……小学生レベルだわ」
玲奈が呆れて言った。
「もう怒ったぞ。怪我をしたって知らないからね」
ブモオと一声鳴くと、ウシエルがデビルリス君に向かって突進する。
「かつてデビルリス君を天界から追放したウシエルだからね。きっとデビルリス君もかなわないだろう」
時定の言葉に、玲奈はどうにも懐疑的だった。
「そうかしら?」
確かにウシエルの突進の破壊力はすごそうだ。だけど、狼化した牙宇羅と比べると圧倒的に遅い。本物の牛程度だ。
「ブモオオオ!」
「ひょーい♪」
「ブモオオオオ!」
「ひょいひょーい♪」
ウシエルの突進を、デビルリス君は実に優雅に、軽々と避けてしまう。
「つ、疲れちゃったよー」
やがてウシエルは立ち止まってしまった。
「え、どうして? ウシエル様はデビルリス君を天界から追放したことがあるんでしょ?」
もみじが困惑した声をあげる。
「あれは、事故だったんだ。デビルリス君とお出かけした時に、後ろで物音がしたから急に振り向いたら」
「ウシエル君の大きなお尻がボクに当たって、それで弾き飛ばされ、天界のふちから落っこちちゃったんだよ。そうでなければボクがウシエルくんみたいなのろまな肉牛に掴まるはずないよ」
ウシエルでは、デビルリス君を捕まえられない。そんな絶望的な事実が突き付けられる。
「でも、大丈夫。今日はたまたまあれを持ってるから。それでデビルリス君なんてイチコロだよ」
「あれって?」
「ふっふっふっふ」
もったいをつけてから、ウシエルはどこかからそれを取り出した。
「そ、それは!」
デビルリス君が驚きの表情を浮かべ叫ぶ。
「輝ける神の果実!」