その3 もみじはドキドキ、蛇はうねうね
バタバタと走って、もみじは校舎4階にある生徒会室の扉の前へとやって来た。
そこで、自分が箸を持ったままだということに気付く。
「いやだぁ、わたしってば」
箸をスカートのポケットにしまうと、もみじは改めて目の前の扉を見た。
(一体何なんだろう? 遅刻で退学とかだったらどうしよう? って、それしか思い浮かばないよ~)
胸がドキドキしてしまい、なかなか扉をノックできないでいると、内側から引き戸の扉が開かれる。
「山田もみじさんですね。お待ちしていました」
もみじを迎えてくれたのは、ひとりの女子生徒だった。
もみじとはまるで違う、凹凸のあるボディライン。抜けるような白い肌に、人形のように整った顔立ち。固く閉じられた瞳が、神秘的な雰囲気を醸し出している。
そして何よりも特徴的なのは、女子生徒の髪だった。うねうねと蠢くそれは、まごうことなく『蛇』だった。
色は鮮やかなグリーン。インドネシアやパプアニューギニアに生息する美しい蛇、グリーンパイソンにそっくりだ。
数十匹の蛇たちが、もみじへ爬虫類特有の冷たい瞳を向けた。
そして、一斉に口を開けると、『シャー』と威嚇音を上げる。
「あなたたち、失礼なことをしないの。大切なお客様なのよ」
女子生徒にたしなめられ、蛇たちが大人しくなった。
「気を悪くしないでね。この子たち、少し気性が荒いのよ。初対面の人にはついつい威嚇をしてしまうの」
「大丈夫です。気にしないでください」
そう答えながら、もみじは思った。
(ゴルゴン先輩、今日もキレイだなー。グリーンの蛇さんの髪の毛だって、ミステリアスでステキ。うねうねがたまらないって言ってる男子の気持ち、ちょっと分かるかも)
ゾーラ・ゴルゴン。それがこの女子生徒の名前だった。得葉曽高校の3年生であり、生徒会の副会長だ。
もはや説明するまでもなく、魔界のモンスターだ。魔界からの留学生である彼女の種族はメデューサ。蛇の髪の毛を持ち、瞳を合わせた相手を石に変えてしまうという恐ろしい力を持っている。
だから彼女は常に瞳を閉じた状態をキープしている。誰とも目が合わないようにしているのだ。頭の蛇たちの目を通してあたりを見ているので、生活に支障はないらしい。
その点だけでも、もみじにとってはうらやましく感じられる。
(ああ、わたしの髪の毛も蛇さんだったらなー。ちょっと疲れてる時は目を閉じてたっていいんだもんね。そのまま眠っちゃいそうで怖いけど。あっ、でもそうなったらシャンプー、どうすればいいんだろ? 蛇さんたちが目にしみるって嫌がるから、お子様用のシャンプーにしなきゃいけないのかな?)
「どうぞ、中へ」
「あっ、はい」
ゾーラに促され、もみじは生徒会室へと足を踏み入れる。
教室の半分ぐらいの大きさの生徒会室には、役員たちが使う机が並べられた。また、学校資料が並べられた本棚がいくつもおかれている。
一番奥には、一際大きく古い執務机があった。その上には、『会長』と書かれた役職立てが置かれている。その前までもみじは足を進めた。
眼鏡をかけた知的そうな男子生徒が座っていた。理数系イケメンといった感じの雰囲気だ。
獣耳も生えていなければ、髪の毛だって普通だ。生粋の人間だった。
まるでそこが定位置だと言わんばかりに、男子生徒の脇にゾーラが立つ。
「やあ、山田もみじ君。いきなり呼び付けてしまって悪かったね。会長の桐生時定だ」
得葉曽高校会長、桐生時定は立ち上がると、ピシリと折り目正しく頭を下げる。
もちろんもみじはこの男子生徒が会長だってことは知っていた。入学式で挨拶をしていたし、その後の生徒総会でも立派に振る舞う姿を見ている。
「あ、はい。丁寧にありがとうございます。わたしは、1年B組、山田もみじです。誕生日は11月11日、好きな食べ物は――」
「山田さん、そんなことまで説明しなくてもかまわないのよ」
ゾーラが、やんわりともみじを制した。
「あっ、すみません。ちょっと慌てちゃって。だって、会長さんや副会長さんとこうやって話すなんて、嘘みたいだから」
(リラックスしなきゃ。リラックス、リラックス。わたしの運命がかかってるんだから)
もみじは何度も何度も深呼吸をした。
「君もお昼の途中だっただろうから、手短に話すとしようか。実は君に――」
「すみませんでしたっ!」
もみじは大音量で叫ぶと、全力で頭を下げた。結果、会長の執務机に勢いよく頭をぶつけてしまう。
ゴッチンコ!
「いったあああああああああ!」
傷むおでこを抑えながらも、もみじは必死に言葉を繋げた。
「わたし、入学してから遅刻ばっかりで。今日だって1時限目をすっ飛ばしちゃったし。でも、明日からは気を付けます! いつもより15分早く起きるようにするので、どうか退学だけは勘弁してください!」
「いや、そんな話ではなくて」
「退学じゃないんですか? それじゃ停学ですか? それぐらいは仕方ないと思います。1週間ですか? 2週間ですか? それとも1ヶ月? まさか、1年とか?」
「山田さん、会長の話をちゃんと最後まで聞いてください」
冷静に、しかし底はかとない迫力を込めてゾーラが言う。頭の蛇たちが再び、『シャー』と威嚇の声を上げた。
「あ、はい。すみませんでした」
さすがにもみじも、口を閉じ時定の言葉を待つことにする。
「君を退学や停学にするなんて、そんな権限、生徒会にはないよ。そもそも、遅刻が数日続いたぐらいで停学や退学になんてならないしね」
時定が苦笑しながら言った。
「僕が君を……、いや、生徒会が君を呼んだのは、君にちょっとしたお願いがあったからなんだ」
「わたしにお願いですか?」
「ゾーラ君、もみじ君に資料を」
「はい、会長」
ゾーラが、手にしていたファイルから1枚の紙を取り出しもみじに渡した。
もみじはその紙を見た。それは『転入届』のカラーコピーされたものだった。キリリとした顔立ちの美少女の顔写真が右端上部に印刷されている。
『西園玲奈』
と名前が書かれていた。
「西園玲奈さんは、急遽、この得葉曽高校に転入してくることになったんだ。クラスは君と同じ1年B組を予定している。ちなみに、種族は正真正銘の人間だよ」
そんなことは写真を見れば分かることじゃないか! という指摘は入らない。写真に写っていない部分が人外という可能性だってあるのだから。例えば下半身が馬のケンタウロスとか、下半身が魚のマーメイドとか、下半身がタコのスキュラとか、そんなモンスターたちだ。
「玲奈君は、もう何年も前に強い魔法の才能があることが判明していたんだ。そのため、政府がこの得葉曽市に留学し、本格的に魔法の勉強をすることを勧めていたそうだよ。将来、魔界関連対策省の仕事についてもらうためにね」
魔界関連対策省は、魔界との交渉や問題解決を主な仕事とする新たに作られた官庁だ。
写真の少女、玲奈が将来のエリート候補生というのも驚きだったが、もみじを何よりも興奮させたのは別のことだった。
「魔法の才能があるんですか!? うわー、すごいですね!」
魔界から人間界へともたらされたものは、珍妙な文化だけではなかった。『魔法』と呼ばれる未知の技術。人間観の理からは大きく外れた不可思議の秘術だった。
ただしこの魔法、使うには相当な才能が必要とされている。使いこなせる人間は、まだ誕生していないのだ。
「実は私、魔法に憧れて、小学校の頃はエルフの先生がやってる魔法教室に通ってたんですよ。でも、ちっとも使えるようにならなくて、中学入学と同時に止めちゃいました。一緒に通ってたミヨちゃんは、ちっちゃな火を指先から出せるようになったのに。これってすっごく不公平ですよね。でも、最後にその先生がせめて魔法っぽく見えるようにって、ちょっとしたマジックを教えてくれたんです。ハンカチを使ったマジックなんですけど、今からやって見せますね」
意気揚々とハンカチを取り出すもみじ。どうやらいつでも披露できるように常にマジック用のハンカチを持ち歩いてるようだ。
「じゃじゃーん、この何の変哲もないハンカチから、何とびっくり、お花が出まーす……って、やる前からオチを言っちゃった! これじゃ驚きが半減しちゃいますよね。今のは聞かなかったことに――」
「山田さん、会長の話はまだ終わっていませんよ」
ゾーラにやんわりと注意され、もみじはかなり残念そうにハンカチをポケットにしまった。披露したくてたまらなかったのだ。
「じゃあ、話を戻そうか。そんなわけで政府は西園玲奈君をこの得葉曽市の中にある高校に進学させたかったわけだが、本人が強く拒絶したらしくてね。結局、彼女は地元の名門私立高校に進学したんだ。ところが、急遽、この町への留学が決まってね。受け入れ先として選ばれたのが、この得葉曽高校なんだよ」
「突然の心変わりですね。わたしも経験あります。ショートケーキを食べたいと思ってケーキ屋さんに行ったのに、注文の瞬間にシュークリームがどうしようも食べたくなっちゃって――」
「山田さん」
ゾーラがやんわりと、だけどこれまでよりもやや鋭くもみじを注意した。
(いけない、いけない。わたしってばついついお喋りしちゃうんだよな。反省しなきゃ)
「まあ、そういうわけで、西園玲奈君は明日から得葉曽高校に通い始める。もみじ君、君には玲奈君が学校に……いや、この町に慣れるまでの世話係をお願いしたいんだよ」
「えー、わたしがお世話係ですか?」
もみじは手の中の紙を見る。
「こんな美人で、優秀そうで、魔法の才能も溢れる人をですか!? そんなの無理ですよ! だってわたし、ドジだし、お寝坊さんだし、おっちょこちょいだし。もっとちゃんとした人がいいんじゃないですか?」
「いやいや、熟考した結果。これは君にしか頼めないと僕が判断したんだ。是非ともお願いできるかな?」
「わたしにしか……できない……」
普段、誰かに頼られることなんてまるでないもみじだから、時定の言葉に感激してしまう。
「分かりました。桐生先輩にそんなこと言われたら、やるしかないですね。このお世話係、しっかりやり遂げてみせます!」
固く拳を握り締め、もみじは熱く宣言する。
「ありがとう。それでは早速で悪いんだが、今日の夕方、得葉曽市駅に玲奈君を迎えに行ってもらえるかな? 彼女を国が用意したマンションまで連れていって欲しいんだ」
もみじにプリントアウトされた地図が渡される。
「よろしく頼んだよ」
「はい、任せてください!」
改めてお願いされたもみじは、無駄に暑苦しく燃える瞳で大きく頷いたのだった。
★
「それじゃ、失礼します」
もみじが意気揚々と会長室を後にした。
扉が閉められるのを待ってから、ゾーラがふうとため息をつく。
「会長、私、心配です。玲奈さんは政府にも期待された特別な留学生です。やはり、世話係は私がやるべきではないでしょうか?」
「ゾーラ君。政府から送られてきた西園玲奈君の報告書は読んだんだろう?」
「そう……でしたね。さすがに私では問題でしたね」
ゾーラが少しだけ落胆したような声を出す。
「でも、それでしたらせめてもう少ししっかりとした生徒に任せたらどうでしょうか? 1年の女子生徒の中には、山田さんよりもはるかに頼れそうな生徒がたくさんいます。むしろ、山田さんよりもしっかりしていない生徒を見つける方が難しいぐらいです」
涼しい顔をして、ゾーラがなかなか手厳しいことを口にする。
しかし時定は、ゆっくりと首を横に振った。
「いやいや。もみじ君でなければ意味がないんだ。ゾーラ君からもらった1年女子の調査データの中でもみじ君を見つけた時、僕は天啓のごとくに思ったね。世話係は彼女しかいないって。玲奈君の転入先のクラスをB組にして欲しいと学校にお願いしたのも、もみじ君と少しでも長く一緒に過ごして欲しかったからだよ」
「どうして会長はそんなにも、彼女……山田もみじさんのことを高く評価しているのでしょうか? 調べた私に言わせてもらえば、彼女はトラブルメーカーでしかないのに」
ゾーラは不思議そうに、そして少しだけ悔しそうに時定に尋ねる。
「トラブルメーカー、大いに結構。むしろそこがいいんじゃないか」
時定は自信に満ちた表情で言葉を続けた。
「まあ、しばらく様子を見るといいよ。聡明な君のことだ。すぐに僕が彼女を選んだ理由が分かるだろうからね」