その18 〇〇の魔法
「さすがにもう逃げるのは諦めましたか。懸命ですね」
ドラクロアは一歩、また一歩と不自然なぐらいゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる。
獲物の怯える様を楽しむ、嗜虐性の現れだった。それが種族としての本能なのか、彼個人の嗜好なのかは定かではないが、質が悪いことこの上ない。
「玲奈ちゃん、どうしよ? どうしよ? 玲奈ちゃん」
焦るもみじに、
「もみじ、ちょっと静かにしていて。今、精神統一するところなんだから。あいつに、最高の魔法をお見舞いするために」
「懲りずに魔法攻撃ですか。吸血鬼も嘗められたものですね。面白い。受けて立ちましょう」
余裕の表情で、ドラクロアが足を止める。
玲奈は静かに目を閉じた。肌に感じる魔法元素の意識を手中する。
様々な刺激を肌に感じる中、玲奈が選択したのはサワサワと肌をくすぐる風が当たるような感触だ。
(きっとこれね)
その魔法元素が集まるよう、念じた。肌に感じる風が徐々に強くなっていく。
「もみじ、風の魔法の呪文は?」
「えっ、風の?」
もみじが驚いた顔をする。
「玲奈ちゃん。風の魔法はもちろんすごいんだけど、あんまり威力はないと思うよ」
「いいから早く」
「ブロウイングだよ」
「分かったわ!」
十分な魔法元素が集まったと判断した玲奈は、キッと目を開き両手をドラクロア突き出した。
「ブロウイング!」
狭い教室内に突風が吹き荒れた。
ガラガラガラガラガラ
コッツンコツ先生のバラバラの骨が吹き飛ばされ、不気味な音を立てた。
一瞬、ドラクロアの長い髪が風になびくも、
「おやおやおや」
ドラクロアがパチリと指を鳴らすと、髪が元に戻る。風はドラクロアを避けるように吹く。ドラクロアの魔力で風の軌道が変えられてしまったのだ。
「稲妻か氷あたりの攻撃魔法を想定していたんですがね。まさかただの風の魔法ですか。せめて風の刃を生み出す、『ウインドカッター』ぐらにすれば良かったものを」
「あっ、そんなのもあったんだっけ? ごめーん、玲奈ちゃん」
うっかりもみじが謝る。
「もっとも、それを使われたところで僕には効きませんがね」
「うわー、効かないって。どうしよー」
「うるさい、もみじ。これでいいのよ」
魔法を解除せず、あくまで風を起こしつつ玲奈が答えた。
「最初から、目的はあのいけすかない吸血鬼なんかじゃない。私が狙ったのは……」
軽く息を吸い込むと、玲奈は笑みとともに言い放った。
「この部屋の窓を覆う、カーテンよ」
次の瞬間だった。
ベリベリベリベリベリベリ
という音が部屋中に響く。
分厚い遮光カーテンをとめていた強力なガムテープが剥がれた音だった。
強風にあおられ、遮光カーテンがバサバサと音を立てて動く。
当然、夕暮れ前の西日が差し込んでくることに。
「くっ」
ドラクロアの顔に焦りの色が浮かんだ。
「お前たち、早くカーテンを押さえなさい!」
催眠術で操っている女子生徒たちに命令をするも、
「させないわ!」
玲奈がさらに魔法を強くする。女子生徒たちは立ち上がることもままならない強風だ。
やがて、カーテンレールのランナー部分が敗北宣言を上げた。
ガガガガガガガガと音を立て、ランナーが外れ遮光カーテンが吹き飛ばされる。教室中のすべてのカーテンがだ。
容赦のない西日が一気に教室差し込んでくる。暗い教室に慣れていたから、玲奈ですら一瞬眩しく目をつむりそうになったほどだった。
「ぐおおおおおおおおおおおおお!」
ドラクロアが悲鳴を上げ、ひざまずいた。西日の当たったその体からはシュウシュウと音を立て煙が上がっている。
日に弱いというレベルではない。どうやら身体が燃え上がってしまうぐらいに、吸血鬼のドラクロアにとって日光は恐ろしい物のようだ。
「こんなものよ」
魔法を止めた玲奈は、ドアへと突撃した。手をかけ力をこめる。何の抵抗もなく、ドアはスライドした。
西日の餌食になっているドラクロアには、ドアをロックさせ続けることは不可能だったようだ。
「もみじ、逃げるわよ!」
「うん!」
二人は教室を飛び出した。
「大変、ドラクロア先輩が!」
「早く窓を塞がなきゃ!」
女子生徒たちが遮光カーテンで窓を塞ごうとするも、ランナー部分が壊れている以上、そう簡単には難しかった。
持ち上げ、カーテンレールにひっかけるにしても遮光カーテンは重過ぎだったし。
「何をしている! 早く、僕の体に!」
「そうよ、ドラクロア先輩の体を直接覆えばいいのよ!」
女子生徒たちが、ドラクロアの体に遮光カーテンをかぶせる。何枚も、何枚も、何枚も。
カーテンのお化けみたいになったドラクロアだったが、西日の攻撃からは身体を守ることができた。
「このまま僕を廊下へ」
女子生徒たちはドラクロアを廊下へと連れ出した。教室と違って、廊下はいまだ遮光カーテンが生きている。薄暗いままだった。
「やってくれましたね。西園玲奈、山田もみじ」
それまでの余裕を微塵も感じさせない、怒気をはらんだ声でドラクロアが言う。
「いいでしょう。吸血鬼の真の力、あなたたちに見せてあげましょう」
遮光カーテンをはねのけ、ドラクロアが姿を現す。
次の瞬間、ドラクロアの体は消え失せた。いや、真っ白な霧へとその姿を変えたのだ。
そしてその霧は、静かなる追跡を始めたのだった。




