その2 幼馴染はケモミミ男子
お昼休みになり、生徒たちが束の間の自由を手に入れる。大抵の生徒は楽しそうに、昼食をとろうとしていた。
しかし、あまり楽しそうでない生徒も中にはいた。山田もみじ、その人だ。
「ふう、結局今日も遅刻しちゃったなあ」
得葉曽高校、1年B組の教室。窓際、真ん中の席にて、机の上にゴトンと頭を載せると、もみじはため息交じりに呟いた。
あの後、野良ケロベロスを追いかけどうにかコツコッツの第5肋骨と第8肋骨と第12肋骨を取り戻すことはできたものの、たっぷり1時間はかかってしまった。
結果、もみじは授業の1時限目を完全に飛ばし、2時限目の途中でようやく教室に飛び込んだのだった。
遅刻4連続記録だけでなく、遅刻時間においても最高記録を叩き出してしまったのだ。
確かにもみじは(少々)時間にルーズだ。そして(少々)お寝坊さんだ。
それでも、すべてにおいて寝坊で遅刻していたわけではない。いや、むしろ寝坊だけの問題であったならギリギリ間に合っていたことだろう。
問題は、登校途中に起こるハプニングの数々だった。
4日前は、たまたま道路上にいたスライムを踏んで思い切り滑ってしまった。しかも、スライムの上に尻餅をついてしまったからたまらない。
幸い、酸度の低いスライムだったから尻が溶けるなんてことはなかったものの、それでもスカートがベトベトになってしまった。
着替えのため家に戻って、当然遅刻。
3日前は、やっぱりたまたま道路上にいたフングスを踏んでしまった。飛び散る大量の胞子にせき込んでいたらすっかり遅刻をしてしまった。
おまけに制服に付着したフングスの胞子が育ち、学校で制服からキノコが生えてしまった。これは非常に恥ずかしかった。
2日前は、お弁当の汁漏れが原因だった。その匂いを嗅ぎつけたグレムリンがやって来て、お弁当の入ったもみじの鞄を奪っていってしまったのだ。
幸い、器用なグレムリンは鞄を開けると弁当だけを奪っていったのだが、やはり追いかけっこでタイムロス。そして遅刻。
そして今日は……コツコッツと衝突、バラバラ事故からの野良ケルベロスによる骨強奪というコンボ攻撃だった。
「わたしってば、遅刻の星の下に生まれちゃったのかも?」
誰にというわけでもなく尋ねるもみじ。と、そんな彼女に声がかかった。
「オッス、もみじ。まーた今日は盛大に遅刻したんだってな?」
もみじは頭を持ち上げ、声のした方向に顔を向ける。そこにはひとりの少年が立っていた。
よく日焼けした肌に、細見ながらしっかりと筋肉のついたたくましい体つき。まだ少年のようなあどけなさは残っているものの、なかなかの男前と言えよう。
笑った口の端っこから覗かせる尖った八重歯も特徴的だが、それ以上に目を引く部分があった。
そのボサボサの髪から突き出ているのは、見まごうことなき、獣の耳。ズボンに空けられた穴からは、獣の尻尾が飛び出している。
そして首には、しっかりと首輪がはめられていた。
「牙宇羅くん」
もみじは、その少年の名前を口にした。
斧宴璃瑠牙宇羅(ルビ:フェンリルガウラ)というのがこの少年の名前だ。その獣耳と尻尾は作り物でもなんでもなく本物。そんなものを生やしていることからも分かるように、人間ではない。魔界のモンスターだ。
種族はワーウル。いわゆる人狼である。彼は留学生ではなく、帰化し日本国籍を取得している。出身は魔界だが、今はもみじと同じ日本人ということだ。
名前を無理やりに漢字にしているのは、そんな理由からだった。
もともとは父親の仕事の関係でこの町へとやって来たのだが、家族そろって人間界、いや、日本、いや、この得葉曽市という町を非常に気に入ってしまった。でもって、数々の条件をクリアし、家族みんなで帰化してしまった。
小学2年の時にもみじのクラスに転入してきたのが最初だから、かれこれ10年にもなる仲だった。幼馴染と言ってしまっていいだろう。
高校に入ってクラスは変わってしまったものの、こうやってたまに顔を出してはもみじと言葉を交わしていく。
ちなみに、ぼさぼさの髪の毛の下には人間の耳はあるのか? という疑問だが、それは聞かない約束だ。
というか、獣人系のモンスターにとって、その質問はタブーなのだ。あくまでふわっとさせておくのが美徳なのだ。
能天気なもみじだってそれぐらいの常識は持ち合わせている。
「もうっ、どうしてわたしが遅刻したこと知ってるの? 誰に聞いたの?」
ちょっとスネたような顔になるもみじに、牙宇羅は尖った八重歯を見せ笑った。
「そんなの、誰に聞かなくたって分かるぜ。2時限目の途中で、バタバタ廊下を走ってくお前の足音に、ガラララって教室のドアが開かれる音に、『すみません!』ってお前の声まで聞こえてきたんだからよ」
もみじのクラスがB組なのに対し、牙宇羅のクラスはG組。かなり離れているにもかかわらず、彼には一部始終が聞こえていたようだ。
帰化して日本人になってはいても、やはりその正体はモンスターのワーウルフだ。獣耳の鋭さには感服してしまう。
「で、今日は一体なんなんだ? ただの寝坊ってだけじゃねぇんだろ?」
牙宇羅はもみじに顔を近づけると、クンクンと鼻を鳴らした。
「ん、何か骨くせーな。コツコッツの兄ちゃんか。でもって、獣の匂いもするぞ。こいつは……最近町で見かけるあのチビのケルベロスだな」
牙宇羅は少しだけ考えて、これしかないとばかりに大きく頷いた。
「分かったぜ。お前は朝、コツコッツの兄ちゃんとぶつかってばらばらにしちまったんだろ? で、その骨をケルベロスが加えて逃げた。そいつを追いかけて、見事に遅刻したってわけだな」
「牙宇羅くん、すごーい♪ 名探偵みたいだよ!」
もみじが笑顔でパチパチと拍手をする。
「勉強は苦手なのに、推理力は抜群なんだね」
「勉強は苦手は余分だ。それに、こんなん推理でもなんでもないぞ。お前の行動パターンを考えればすぐに分かることだぜ」
そう言いながらも、牙宇羅は満更でもない顔で鼻の下を指でこすっている。昭和のわんぱく少年のような仕草だ。でもって、それがよく似合っている。
「しかしまあ、さすがに4日連続の遅刻はマズいだろ? しかも今日なんて1時限目を完全すっ飛ばしたんだろ?」
「うん、そうなんだよね。休み時間に1時限目の斎藤先生に謝りには行ったけど、やっぱり問題だよね」
また落ち込みモードになるもみじと、牙宇羅はやれやれと首を振った。
「しゃーないな。じゃあ、オレが毎朝、お前を迎えに行ってやるよ」
「それは……遠慮しとく」
「どーしてだよ?」
「だってだって、牙宇羅くんって、サッカー部の朝練ですっごく朝早いでしょ」
牙宇羅はサッカー部に所属している。その朝練が始まるのが7時だ。
しかし牙宇羅、6時半には学校にやって来てひとりで自主トレをしているから厄介だった。
そもそも、いくら帰化しているとはいえ牙宇羅のようなモンスターが人間と一緒に部活ができるのかといった疑問は残るが、実はそれは問題ではなかった。
人間に交じってスポーツをする際には、ちゃんとモンスターの力を抑える魔法道具(ルビ:マジックアイテム)を装着するのがルールで決められている。
牙宇羅の場合は、それが首にしている首輪だ。部活の時だけつけていればいいのだが、デザインが気に入っているのか? はたまた普段から負荷をかけておきたいのか、基本的に牙宇羅はこの首輪をつけっぱなしだった。
だからワーウルフの力は封じられているのににかかわらず、サッカー部ではエースストライカーの座を獲得している。まだ入部して日も浅いのに、とんでもない快挙だ。
「わたし、牙宇羅くんみたいに早起きできないもん」
「心配すんな。だったらオレがそりでも用意しとくから。お前はそれに乗って寝てりゃいい。オレが引っ張ってってやるからな。オレの足腰も鍛えられるし、一石二鳥だぜ」
牙宇羅の顔は真面目そのもの。決して冗談を言っているわけでもなかった。
(そりかあ。それなら楽かな。眠ってる間に学校に着いちゃうなんて、何だか夢みたいだし)
一瞬、牙宇羅の提案に乗っかりかけるもみじだったが、強く首を振った。
(ダメ、ダメ! これは自分の問題なんだから、人に頼っちゃダメだよ。それに、いくら眠りながら学校に着けたとしたって、7時前だよ。始業時間までどこで何してればいいか分かんないもん)
「せっかくだけど遠慮しとく。また機会があったらお願いするね」
「そっかよ。まぁ、お前がそう言うなら仕方ねぇけどよ」
どうやらそりを引っ張りたかったらしく、少々残念そうだ。耳はペタンと折れ、尻尾も垂れている。
「じゃあな、明日は遅刻しねぇように気をつけろよ」
もみじにそう告げると、牙宇羅はB組の教室を出ていった。
「どうすれば遅刻しなくなるんだろう?」
もみじは考え考えて考えて、そしてひとつの結論を出した。
「よし、わたし、決めちゃったよ。明日からは、15分早く起きるようにする! そうすれば学校に行く途中で何か起こっても大丈夫だよね」
普通の人ならすぐに考え付く遅刻対策に、かなり時間をかけてようやくたどり着いたもみじ。
「これで明日からも大丈夫♪ さー、お弁当食べちゃおー」
鞄からお弁当の包みを取り出し、いつも一緒にお昼を食べている女友達の輪へ加わった。
包みを解いてお弁当箱の蓋を開く。
「やった。今日はコカトリスの卵のオムレツだ♪」
もみじが大喜びで箸を手にした時だった。
校内放送が流れた。
『1年B組、山田もみじさん。1年B組、山田もみじさん。至急、生徒会室へ来てください。繰り返します。1年B組、山田もみじ……』
「えっ、もしかしてわたし!?」
「いや、もしかしなくてももみじだから。学校中探したって、山田もみじはアンタだけだから」
女友達が呆れて言う。
「もみじ、何かしたんじゃないの?」
「ううん、わたし、何にもしてないよ。ちょっと遅刻が続いちゃってるだけで……」
それだ! ってもみじは思った。
「どどど、どうしよう? わたし、遅刻で退学になっちゃうのかな?」
必死の形相で女友達の腕を掴む。
「さすがに遅刻で退学になんてならないわよ。留年とかなら分かるけど、まだ1学期が始まったばかりなんだし。注意されるぐらいじゃないの?」
「でも、不思議よね。遅刻で怒られるなら、職員室なんじゃないの? どうして生徒会室なんだろ? 管轄が違うんじゃない?」
「生徒会室って言ったら生徒会よね。桐生先輩とゾーラ先輩かぁ」
「ああ、桐生先輩って知的で恰好いいよね。あの眼鏡をクイッと持ち上げる仕草、たまらないわ~」
「ゾーラ先輩もステキよ。大人の女性って感じがして。特にあのうねうねヘアーが最高ね。ああ、私もあんな女性になりたいっ」
「あんたには100年たっても無理よ」
「言ったわね~~~。憤怒っ!」
青くなっているもみじのことなんて放っておいて、女子トークが盛り上がってしまう。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
不安で一杯だったが、呼び出されてしまった以上、行かないわけにはいかなかった。
それに、時間が経てば経つほど、自分の立場が悪くなるような気がした。
もみじは大慌てで教室を飛び出したのだった。