その8 魔本モンスターに追いかけられて
『ぶっくぶっくぶっく』
『ほほーんほほーんほほーん』
『ぺーじぃぺーじぃぺーじぃ』
魔本モンスターたちが、玲奈を追いかける。
一冊目はカエルのようにピョンピョンと飛び跳ねながら。
二冊目は、ふわふわと空中を浮遊しながら。
三冊目は、ぞろぞろぞろと生えた触手を動かし、廊下をひた走る。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
もはや泣きそう……いや、半分泣きながら、、必死に逃げる玲奈。
「な、なんのよ! どうして私を追いかけてくるのよ!」
「どうしてなんだろうねー?」
隣を走るもみじが不思議そうな顔をする。
「よく分かんないけど、きっと玲奈ちゃん、魔本に気に入られちゃったんだよ。良かったねー」
(ちっとも良くないわよ!)
もみじの頭にチョップを入れたくてたまらない玲奈。だけどそんな余裕もない。
だけど、もみじに対する怒りのおかげで少しだけ正気に戻れたのも事実だった。
(何よ。魔本だかなんだか知らないけど、私にこんな怖い目にあわせて)
無性に怒りが湧いてくる。
(こうなったらもう、こうなったらもう、魔法で燃やしてやるわ! 本なんだから、火に弱いでしょ!)
もちろん玲奈は火の魔法の使い方なんて知らない。それでも、もみじに少し教えてもらっただけで雷の魔法を発動させ、リザードマンを倒した実績がある。
「もみじ! 火の魔法の使い方を教えて!」
「玲奈ちゃん! 本格的に魔法を勉強するつもりになったんだね!」
「なってない! あくまでこのピンチをどうにかするためよ」
「ええっ、それじゃ魔本を燃やしちゃうつもりなの?」
もみじが困ったような表情を浮かべる。
「魔本って、すごく貴重な本だから。燃やしちゃった理したら後で司書さんにすっごく! すっごく怒られると思うんだけど」
「あんなのに齧られたりねぶられたりすることを思えば、怒られるぐらいマシよ」
「うん、分かったよ」
渋々といった様子で、もみじが説明を始める。
「基本はね、前の雷の魔法と同じなんだよ。火の魔法元素を集めて、それを触媒としてキーワードで一気に開放するの」
「前はビリビリだったわね。今度は何?」
「炎はチリチリだよ。ちなみに、風邪はピューピュー。氷の魔法は、キンキンかな」
ピューピュー、キンキンに今は意味がない。肝心なのはチリチリだ。
走りながら、玲奈は自分の肌の感覚に神経を研ぎ澄ました。
(感じるわ、火にあぶられてるような感覚。これがチリチリ。火の魔法元素なのね)
サンダーを発動した時と同じように、チリチリを集めるよう念じる。
自らの身体が灼熱していくのが分かった。風邪で高熱を出した時のようだ。でも、気持ちも悪くなければ頭がボーともしない。
(今なら行ける!)
天性の勘でもって、玲奈はそのタイミングを掴んだ。
「もみじ、魔法のキーワードは?」
「シンプルに、ファィアーだよ!」
足を止め振り向くと、迫る三冊の魔本モンスターに向かって右手を突き出した。
「ファイ……!」
アーと叫ぼうとした時だった。いきなり近くのドアが開き、コッツンコツ先生が顔を出した。
「コラあ! 廊下は走らない!」
数学の授業の時の恐怖のルーレットが思い出され、玲奈の集中力は途切れた。
せっかく集まっていた火の魔元素が、霧散してしまう。
再び精神を集中するには、魔本モンスターが迫りすぎていた。
しかも、三冊目の触手の魔本モンスターなんて、得体の知れない粘液なんて吐いてるし。
「ひいいいいい!」
再び逃亡するしかない。
「もみじ、どうにかできないの?」
藁にもすがる思いで、玲奈は尋ねる。実際、ヤケクソだった。
「うーん」
少し考えてから、もみじが何かを閃く。
「そっか、そうすればいいんだー。わたしってばどうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろー」
「いいから、方法を教えて!」
「うん。すっごく簡単だよ。玲奈ちゃんが図書室に逃げ込めばいいんだよ。どうしてかって言うとねー」
説明を始めようとするもみじだったけど、玲奈はすぐにその理由を推測した。
「そう。図書室には魔本の封印がなされている。つまり、この本のモンスターたちは図書室に戻ればまたもとの本に戻るのね」
「あー、わたしが言おうと思ってなのにー」
むくれるもみじに、心の中でチョップを入れてから、玲奈はお願いという形の命令をした。
「もみじ! お願い! わたしをうまく図書館まで誘導して!」
「OKラジャー了解!」
笑顔でそう返事をするもみじは、完全にこの状況を楽しんでいた。
(ああ、もう!)
そんな腹立たしい気持ちも、とりあえず全部飲み込んで、とにかく魔本モンスターから逃げることだけに集中する。
廊下の反対側にある南階段を上り二階へ。そして図書館めがけて走る。
魔本モンスターの情熱もさるもので、すでに玲奈たちのすぐ後ろまで迫っていた。
「玲奈ちゃん! 図書館だよ!」
「もう分かったわ!」
ラストスパートをかけると、玲奈は図書室に飛び込んだ。
魔本モンスターも玲奈を追いかけて図書室へ。
その瞬間、キンと甲高い音が鳴った。
魔本モンスターが、普通の本へと戻る。もっとも、本の状態でも十分、恐ろしい装丁をしていたが。
「いやー、助かりましたよ。あ、僕、図書委員長の小木曽です」
眼鏡をかけた小柄な男子が、嬉しそうに本を拾い上げた。
「まさか三冊もの魔本が図書室から逃げ出してしまうなんて。良かったあ、傷一つなく回収できて」
玲奈の心配なんてちっともしていない。むしろ本に傷がつくことの方を気にしていた様子だ。
それが、妙み腹立たしい。
「玲奈ちゃん!」
少し遅れて図書室に飛び込んできたもみじが、安堵のため息をつく。
「良かった、無事で」
「どうにかね」
「あ、小木曽先輩」
図書委員長とは顔見知りらしく、気さくに挨拶をするもみじ。
「魔本が外に出ちゃって暴れることはあったけど、どうしてあんなにも玲奈ちゃんのことばかり追いかけてきてたんですか?」
「ああ、それはね。彼女は魔本に気に入られたんだよ」
「あ、やっぱり? わたしもそう思ったんです」
「いい迷惑だわ」
玲奈は心の底から呟いた。
「彼女の中に、何らかの才能を見出したんだろうね。魔本は彼女に読んでもらいたい! 私を読んで! 読んで! と強く願って、追いかけていたんじゃないのかな」
「わー、玲奈ちゃんすごーい! 魔本に気に入られるなんて滅多にないことなんだよ!」
もみじは大袈裟に感激するも、玲奈はちっとも嬉しくなかった。
「もうあんなことないのよね?」
「ああ、図書委員としても大切な魔本に傷が付いたら大変ですから。これからは十分気を付けます。あと、封印の範囲を広げられるよう、司書の先生と相談してみますね」
あくまで本のことしか考えてないようだ。
(今なら邪魔する人もいないし、火の魔法でこの図書委員長もろとも魔本を燃やしてやろうかしら)
ついつい危険なことを考えてしまう自分に気づき、玲奈は自重する。
「じゃあ、これで失礼するわ」
「あああ、君、待ってくれ」
図書室を出ようとする玲奈を、小木曽が呼び止めた。
「あんなにも君に読まれたがっていたんだ。いつでもいいから図書室に来て、この本を読んでやってくれないか? ああ、大丈夫。魔本は生きている本だから、読む人に合わせて読める文字に変えてくれるから」
小木曽の言うとおりだった。それまで意味不明のぐにゃぐにゃした文字の書かれた表紙だったが、玲奈が見ているとその文字が日本語へと変化する。
『超破壊魔法のすべて』
『おぞましき魔法生物の作り方』
『ゲチョグロ大百科』
もちろん玲奈の答えは、
「絶対に読みませんから!」
だった。




