その7 怪しい図書室
バケツに入っていたかなりたっぷりの水は、ものの数分でなくなっていた。すべてフラワが足から吸ってしまったらしい。
「ちょっと食べすぎちゃいました~」
恥ずかしそうに笑うフラワ。ゆっくりとバケツから足を出すと、靴下と靴を履く。
それから少し中庭で会話を楽しんでから、三人は校舎内へと戻った。
「それじゃあ、わたしは教室に戻ります~」
フラワは笑顔でそう言うと、立ち去っていく。口調だけでなく、歩き方も非常にゆっくりだった。
「あ、フラワちゃんだ」
「ご飯の後なんだね。キレイな花を咲かせてる」
生徒たちがフラワを見つめる。可愛いから男子生徒に人気なのは分かるが、女子生徒たちもまた暖かな目で彼女を見ていた。
「彼女、人気者なのね」
「それはもちろん! だって、この得葉素高校の二大美人の一人なんだから!」
何故かもみじが得意気に胸を張る。
「それにね、フラワちゃんの花はキレイだし、甘い香りがするから。みんな大好きなんだよ。リラックス効果も抜群で、フラワちゃんのいるF組の成績がいいのは、テストの時にフラワちゃんがクラスのみんなのために花を咲かせてるからって噂もあるぐらいなんだ。あーあ、うちのクラスに来て欲しかったなー」
(そうね。確かに食事風景はちょっと……だったけど、あんなモンスターだったら、そんなには怖くないわね)
玲奈は心の中で呟く。
「玲奈ちゃん、まだお昼休み、時間残ってるけどどうする? 図書室でも案内しよっか」
教室に戻って、次の授業の予習をしようかとも思ったが、今後の学校生活を考えれば図書室の場所を知っておくのは有意義に思えた。
「そうね、お願いするわ」
「うん、こっちだよ」
★
もみじの案内で、校舎二階にある図書室へと向かった。お昼休みということで、それなりの数の生徒たちが利用している。
一見、ごくごく普通の図書室だった。でも、玲奈はどうしても見過ごせない部分があった。
「ねえ、もみじ。あの、一番端の本棚のあたりなんだけど」
指をさすだけでも呪われそうだったから、口で場所を説明する。
「なんか、異様な感じ……しない?」
明らかに、ドス黒いオーラのような物が漂っていた。
「異様な感じ? 別にしないけど」
キョトンとするもみじ。
「確かあそこは、『魔本』コーナーかな?」
「何よその、『魔本』って」
「そのまんまの意味だよ。魔界から持ってこられた本なんだ。でも、貸出は禁止されてるんだよ。図書館の中でしか読めないの」
もみじは、実に彼女らしい能天気な笑みで答える。
「やっぱり貴重な本だから?」
「それもあるけど、同時に危険なんだって。強力な魔力が秘められてるから。図書館の中は封印がほどこされてて力が抑えられてるけど、外に出すと本が魔物化したりするんだって。前もうっかり図書室の外に魔本を持ち出しちゃった人が、魔物化した本に襲われて大変なことになったって」
さらに、もみじの怖い話は続く。
「中には意志を持ってる本もあってね。近くに寄る人を誘惑して図書室の外に持ち出させようとしたりもするんだって。だからほら、ああやって図書委員の人が見張ってるんだよ」
もみじが図書室の出入り口を指さす。いかつい男子生徒が二人、門番のように立ち、睨みをきかせていた。
(図書委員にしては屈強だと思っていたけど、そんな理由があったのね)
「あと、たまに魔本に取り込まれていなくなっちゃう生徒もいるんだよ。そんな時は、司書の先生と図書委員の人が救出するために魔本の中に飛び込むんだって。魔本の中は迷宮化してるから、見つけるのがすごく大変だって言ってた。もう十年ぐらい、見つかってない先輩もいるとかいないとか。あはははは」
(何があははなのよ、ちっとも笑えないわよ)
「玲奈ちゃん、興味あるなら『魔本』。読んでみる? あと、図書委員も募集中らしいよ。前の救出作戦の時に負傷して人数が減っちゃったそうだから」
「どちらも断固として断るわ」
「そう、残念。もし玲奈ちゃんが図書委員になるなら、わたしもなろうかなって思ったのに」
二人が話している目の前にで、何やら装丁の怪しい本を抱えた生徒がダッシュで図書館を飛び出そうとした。
目が完全に正気を失っていたその生徒は、門番のように立っていた男子生徒によって取り押さえられる。
「はなせえええええええええええええええ!」
およそ人間とは思えない声で、生徒が叫んでいる。
「あの人、魔本に魅入られちゃったんだねー」
気の毒そうにもみじが言った。
(やっぱり普通じゃない。普通じゃないわ、この学校)
とりあえず、この図書室の理由は控えようと玲奈が心に決めた。
「せっかくだから、本、見てく?」
「いいえ、教室に戻るわ」
「うん、分かった」
せっかく図書室に来たのにと、残念そうなもみじと一緒に玲奈は図書室を出る。
教室へと戻ろうと、少し歩いた時だった。
「しまった! もう一人いたぞ!」
「しかも何冊も持ってる! マズい!」
図書室の方から、そんな緊迫した声が響いた。
どうしたんだろうと振り向くと、先ほどとは別の生徒が数冊の魔本を抱えて図書室を飛び出したところだった。
すぐに屈強な図書委員のタックルで取り押さえられるが、魔本はしっかりと外に出てしまっている。
「あらら、大変。あれ、封印から出ちゃってるよねー」
緊張感を感じさせない声で、もみじが呟く。
そして、変化は始まった。
三冊の魔本が、たちまちモンスター化する。
一冊目。
分厚い本が真ん中あたりで大きく開かれた。そこからは鋭い牙が並んでいる。
二冊目。
本は開かなかったが、表紙に嗜虐的な横顔が現れた。亀裂が入り、それが三日月形の口となる。
三冊目。
これが一番、見た目的には気持ち悪かった。
下向きに開くのと同時に、ぞろぞろぞろぞろと気持ちの悪い触手が零れ落ち、廊下を這う。
さらに、ナメクジのそれを思わせる目がニョッキリと生えていた。
三冊の魔本モンスターは、迷わずその視線を玲奈へと向けた。
「嘘……でしょ?」
嘘じゃなかった。
魔本モンスターが、玲奈に迫ってくる。
玲奈にとっては悪夢としか言いようがなかった。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴を上げると、玲奈は逃げ出した。