その17 やっぱり異文化
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
地底にも響きそうな、長い長いため息が響いた。
場所は得葉素市、山田もみじの家だった。
よくある建売の一見住宅だ。もみじが小学校低学年の頃に両親が買って引っ越したから、築10年はたっている。それでも、掃除好きの母親のおかげでまだまだ新築のようなキレイさを保っていた。
すでに父親は出勤をしているため、家には母親ともみじと2人きりだ。
「わたしがもっと上手にお世話係をしてれば、玲奈ちゃんはこの町を好きになってくれてたのかなあ」
今更のことのように呟き、そしてため息をつく。
「そうね。その玲奈ちゃんって子は、この町が初めてだったんでしょ? だったらもう少し考えて案内をするべきだったわね」
グラスにオレンジジュースを注ぎつつ、もみじの母親が言う。
「でも、無理は話か。もみじちゃんは生まれも育ちもこの町で、いわゆる外の『普通』を知らずに育っちゃったんだから。はあ、せめてお母さんに電話をしてくれれば良かったのに」
「お母さんならいいアドバイスをくれたの?」
「もちろんよ。だって門が開いたのが20年前よ。お母さんは門が開く前、普通だった頃のこの町で十何年、過ごしていたんだから」
十何年と、娘相手にも実年齢をハッキリと言わないあたりが女性としてのこだわりだろうか?(まあ、もみじはもちろん母親の年ぐらい知ってるのだが)
「そっか、お母さんに電話してアドバイスをもらえば良かったんだね」
激しく後悔するもみじだったが、
「あっ、でも無理ね。昨日は丁度、パートで残業していたんだったわ。もみじちゃんから電話が来ても出られなかったわね。スマホ、ロッカーの中だから」
「それじゃ意味ないじゃーん」
もみじはテーブルに突っ伏した。
「ああ、今日学校に行って、桐生先輩とゴルゴン先輩になんて説明しよう? わたしが玲奈ちゃんを怖がらせちゃって、そのせいで町から逃げ出しちゃっいましたなんて言ったら、ガッカリされるよね。怒られるかな? もしかして、お仕置きとして石にされちゃうかも」
不安で一杯になるもみじ。
一方、もみじ母は不思議そうな顔で小首をかしげる。
「それにしても、どうして生徒会長さんは初めてこの町に来る玲奈ちゃんのお世話係をもみじに任せたりしたのかしら? うちのもみじが、この町で生まれ育って、外の常識にうといってことはすぐに分かることなのに」
少しだけ考えるものの、
「まあ、会長さんには会長さんの考えがあったのね」
っと勝手に納得するもみじ母。
もみじが能天気なのは、どうやらこの彼女に似たようだ。
「もみじ。いつまでも嘆いてないで、朝ごはんにしなさい。今朝は何にする?」
「えーっと、それじゃ」
もみじが朝ごはんのリクエストをしようとした時だった。
ピンポーン
と、来客を知らせるチャイムの音がする。
「こんな朝に誰だろ?」
すぐ近くの壁に設置されたインターホンカメラの映像を見たもみじは、
「ええっ!」
驚きの声を上げた次の瞬間、もみじは走り出していた。ダイニングルームを飛び出し、廊下を走り、勢いよく玄関を開ける。
「玲奈ちゃん!」
門の前に立っていたのは、他ならぬ西園玲奈だった。昨日と同じ制服姿で、学生鞄を手にしている。
「お早う、もみじ」
「どうして?」
「家が分かったかってこと? だってもみじ、昨日あなたが大体の場所を教えてくれたじゃない。他に山田って苗字の家もなかったし、すぐに見つけられたわ」
「ううん! そうじゃなくって! どうして玲奈ちゃんがまだこの町にいるの? 親戚のいる他の町に行ったんじゃ?」
「行こうとはしたのよ。実際、あと少しで改札を通るところだったわ……でも……」
少しだけ迷いながら、玲奈は言葉を続けた。
「大切なことを……思い出したのよ。そのままにしておくと、一生、後悔しそうだったから」
「何を?」
「もみじ、昨日はごめんなさい」
玲奈がペコリと頭を下げる。
「私、あなたにひどいことを言ったわ。感性の異常な人間だって」
「そんなの全然気にしなくてもいいんだよ。玲奈ちゃんの言ってることは当たってるから。玲奈ちゃんから見れば、この町も、この町で普通に暮らしてるわたしもおかしく見えて当然だから」
「そうね。でも、やっぱりあんな言葉は言うべきじゃなかたって思っているわ。本当にごめんなさい」
「わわわ、もう謝らないで! こっちの方が申し訳なくなっちゃうから!」
緊張した様子で、もみじが言う。
「でも、玲奈ちゃん。まさかそれを言うためだけに、この町に残ったの?」
「まさか。そうだったら、昨日の夜に来ているわ」
玲奈は軽く首を振って答えた。
「確かにわたしは、モンスターが苦手よ。これは、すぐには変えられないと思うわ。でも昨日の出来事で、モンスターも決して恐ろしい存在ばかりじゃないって分かったのよ。私たちのことを助けようとしてくれた、あの骸骨の人とか。駆けつけてくれた、狼の男の子とか」
フフと軽く笑って、玲奈は付け加えた。
「もっとも、骸骨の人はてんで役立たずだったし、狼の男の子も登場が遅すぎたけれどね」
「それは、言わないであげようよ。ねっ」
苦笑しながら、もみじがフォローを入れる。
「私は、この町が異常に思えて仕方なかったわ。でも、私は魔法を使った。ううん、使えてしまった。つまり私もまた、異常な存在だったってことに気付いてしまったの。そしたら何だか、諦めがついたのよ」
ふうと息を吐くと、玲奈は笑顔で言った。
「この町から逃げ出すのはいつでもできるわ。だから、とりあえずしばらくは、学校に通ってみようって思う。せっかく、政府からお金を出してもらっているのだしね」
「玲奈ちゃん!」
喜んだもみじが玲奈に抱き着いてくる。その顔はすでに涙と鼻水でグシャグシャになっていた。
「ちょっともみじ、制服に鼻水がつくわ」
必死にもみじを押しながら、玲奈は心の中で呟いた。
(私が町に残った一番の理由は……言わない方がいいわね。もみじ、あなたに泣かれたままこの町を去るのが、どうしてもできなかったって)
それを告げたら、さらに感激したもみじの涙と鼻水の量がパワーアップ。冗談抜きで制服をベタベタにされかねなかった。
「それじゃもみじ、学校へ行きましょう。あなたの準備ができるまで、私、ここで待っているわ」
「玲奈ちゃん! 朝ごはん食べた!?」
唐突にもみじが尋ねる。
「野菜ジュースとヨーグルトを食べたわ」
「それじゃ全然足りないよ。得葉曽高校はハードなんだから。丁度、わたしも朝ごはんを食べるところだったから、一緒に食べよ」
そう言うと、もみじは玲奈の腕を掴んだ。
「あっ、ちょっと!」
玲奈の意思なんておかまいなしに、もみじは玲奈を自宅へと招き入れた……じゃなくって、引っ張り込んだ。
★
「まあまあ、あなたが西園玲奈ちゃんね。いらっしゃい」
突然の来客を、もみじ母が笑顔で出迎える。
「昨日はうちのもみじのせいで本当にごめんなさいね。この子、生まれも育ちもこの得葉素市だから、外の常識をまるで理解していないのよね」
「いえ、私の方こそ大騒ぎしてしまって。この町では、もみじの反応の方が普通なのに」
恐縮した様子で玲奈が頭を下げる。
「はい、玲奈ちゃん。座って、座って」
もみじが玲奈をキッチンの椅子へと座らせた。
「何食べる? パンもご飯もあるよ。あと、シリアルも」
「色々とそろっているのね」
「うん。うちはお父さんがご飯派だから、必ず朝、ご飯を炊くし。私はパンとシリアルを朝の気分で決めてるから」
玲奈が来てくれて嬉しいもみじが、はしゃぎながら言う。
「それじゃあ、パンを」
「それならわたしもパンにする!」
「ジャム? それとも目玉焼きでも作る?」
もみじ母が尋ねる。
「目玉焼き、食べたいな。玲奈ちゃんもそれでいい? パンの上にのせちゃうのが山田家流なんだけど」
「お任せするわ」
「はいっ、決まり。お母さん、目玉焼きをお願い。わたしはパンを焼くから」
もみじ母が料理を始め、もみじはトースターでパンを焼き始める。
のどかな朝の光景に、玲奈は内心でホッとしていた。
もみじの家は、もっと恐ろしい魔窟のような場所だと内心でドキドキしていたのだ。
幸い、昨日、雑貨屋で見たような不気味なグッズはないし、ペットショップで見たような異形の生物もいない。
ここが、魔界と隣り合わせの普通じゃない町だと忘れてしまいそうな気さえした。
「玲奈ちゃん、よく焼くのと半熟、どっちがいいかしら?」
「あ、半熟でお願いします」
「お母さん、わたしも半熟でね」
「分かってるわよ。はい、もうできるわよ」
その直後、トースターから食パンが頭を持ち上げた。
「あ、こっちもできたよ。じゃあ持ってくね」
母、娘が共同作業をする背中を見ながら、ほっこりとした気持ちになる玲奈。
「はい、お待たせ―。山田家特性、目玉焼き乗っけパンだよ」
もみじが玲奈の目の前に皿を置いた。
皿の上には、目玉焼きパンが乗っていた。
サックリとトーストされた食パンの上に、目玉焼きが乗っている。
その目玉焼きは、玲奈の想像していた目玉焼きとは少し……いや、かなり違っていた。
確かに目玉焼きには違いないが、目玉そのものだなんて玲奈は想像だにしていなかった。
しかも、まだ生きているようで、玲奈をギョロリと見つめる。『半熟』を希望してしまったがゆえの不幸の事故だった。
「昨日、スーパーでこのギョロメ吸血アンコウの目玉が特売だったのよ」
「いっただっきまーす!」
もみじで、自分の分の目玉焼き乗っけパンに豪快にかぶりついた。
あふれるドロドロとした液体をぬぐいながら、満面の笑みを浮かべる。
「おいしーーーーーー!」
隣で硬直している玲奈に顔を向ける。
「あれあれ? 玲奈ちゃん、食べないの? おいしいよ。あっ、ソースかける?」
もちろん、玲奈の反応は……
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
爽やかな朝の空気を吹き飛ばすような、それはそれは大きな悲鳴を上げたのだった。
エピソード1 終わり




